教育再生委員会で廃塾令

 というわけでイグノーベル賞候補の人が塾廃止しろ、とかいった件について。多くの物好きは筒井康隆の「廃塾令」を思い出すw。さっそく何十年ぶりかで再読。なるほど政府の規制によって家庭教師雇える人との経済格差出現w、やくざが仕切るヤミの塾w、オフショア塾市場wでの受験ツアーなど。これってちゃんとした経済学の教科書だったんだ! 昔、読んだときはまったく気が付きませんでした。全国民必読ww

「廃塾令」は以下の短編集に収録。最初の創世記も当時大いにうけたもの。


バブリング創世記 (徳間文庫)

バブリング創世記 (徳間文庫)

 若田部昌澄さん「日経経済教室」登場


 一日以上遅れてスマソ。「分析対象領域広がる経済学 人間行動の解明に貢献」と寄稿。望月さん訳、レヴィットとダブナーの『ヤバい経済学』などを枕に、インセンティブを主眼にした経済学の応用分析が一般の読者にもわかりやすい形ではなひらいた今年度の論壇を振り返っております*1

 で、さらにインセンティヴ構造そのものを深く解明していき、山形さん訳のエインズリー『誘惑される意志』や、E.オズディノーレンの我慢すると意志がへたれてケーキドカ食い理論(ブログにカキコ我慢していると今日の僕みたいにブログどかカキコw)を紹介。このような場合には禁酒、禁煙などの政府の温情主義的介入の正当化もありとの指摘。


その上で、アダム・スミスまでさかのぼることで人間の多様な動機をさぐる研究プログラムの意義を再確認しております。


 で、数年前にでてまだ日本で翻訳はないんですが、切れは普通なのですが、インセンティヴを重視した経済学の適用の広がりをみせてくれる良書として以下がございます。ご参考までに。

Sex, Drugs & Economics: An Unconventional Introduction to Economics

Sex, Drugs & Economics: An Unconventional Introduction to Economics

*1:このインセンティヴ経済学書の前ふりで、昨年、萌えとか冬ソナなどオタク様とおばさん様のインセンティブを解明したモリタク先生とオレ田中をお忘れなく 爆

 天下りあっせん禁止と財務省必死だな藁、ついでに暗黒卿リターンズw

 知人が『月刊現代』2月号の国平修身の「本間税調会長を「売った」財務省の魂胆」を嫁という指令受信。素直に嫁むオレがいる。

公務員制度改革について」
http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2006/1207/item4.pdf

各省庁の就職斡旋禁止、年功序列システム破壊・能力+業績主義の採用、労働基本権の付与、「人材バンク」という再就職センターみたいなものの設置など。この「天下り斡旋禁止」や「人材バンク」はもともとは安倍政権の知恵袋高橋洋一首相補佐官付き内閣参事官の暗黒ボイスであるの知恵である、とのこと。シュゴー。だから政府系金融機関の統廃合で天下り先をなくしたとして放逐された暗黒卿。安倍政権でも予想された?復活劇。さらに今回の闘いの継続とその思わぬ間欠泉的財務省反応w。財務省との徹底抗戦は続くよどこまでもw 財務省ちょっと(本間陰謀カードも含めて)脊髄反射しすぎ(2ちゃんねらも驚くよ) 笑。

 ところで同誌の記事に戻ると

1 安倍政権で権勢をふるってるのは、坂篤郎内閣官房副長官補。記事読むと事実上、政権を牛耳りはじめている印象。もちろんこういうゴーマンしますかタイプは予想通り財務省出身w

2 本間愛人同居リークは、公務員宿舎を所管している財務省理財局関係者、同誌では理財局長の丹呉泰健を「真犯人」に指名している。理由は天下り先をなくすことに直結する本間氏の政府試算売却案阻止狙いや財務省内の出世競争(丹呉vs杉本官房長との次官レースゆえの財務省功名合戦など)ゆえとか。

 ふ〜ん、財務省、こんなにゴーマンな人ばっか集めていいのかしら、おージャパン。下の朝河貫一へ、ゴー!

 来年は朝河貫一没後60年


 昨日、偶々知ったのだがイェール大学で国際シンポジウムが企画されているらしい(伝聞)。朝河貫一の業績は『日本の禍機』程度しか知らないのだが(これは専門研究の弊害かもしれないが、福田徳三や私が関心をもつ経済学者がなぜかこの人物を議論していないのが一因かもしれない。不勉強だなあ)、うかつだったのだが太平洋戦争中、イェール大学でアービング・フィッシャーとの書簡のやりとりで、日本の将来と現状について以下のように書いている(阿部善雄『最後の「日本人」 朝河貫一の生涯』(岩波現代文庫)より引用)。


東条英機内閣辞職、小磯ー米内内閣成立をうけて)「中略 今日、日本を大きな破壊に導きつつある国家方針の誤りについて、目覚めようとする動きがあるとはいえ、日本の政治思想はなお悲劇的に未熟であるため、そうした自覚も、まだ十分な平明さと確信までは達していず、権力にたいする人々の正当な反対の権利はないに等しい。およそ日本人は、自然の変化や他人の感情にたいする繊細な理解力に恵まれているが、その反面、たくましい政治的な度胸をもった自由主義者ではない」。