不況対策に役立ちそうなことは「すべてやれ」

 一足早く読んでる『週刊東洋経済』。ブラッド・デロング教授の「米国は景気回復に向けあらゆる政策を講じよ」は、実践マクロ経済学のエッセンス濃縮。僕の師匠はその昔、「すべてやれ」ということを深い不況に直面したときの経済政策のコツである、と教えてくれた(90年代真ん中で!)。

 いままでも特に『経済論戦の読み方』なんかはその「すべてやれ」主義を徹底した著作だったし、このブログでもクルーグマンについてふれたこことか、デロングの教科書をふれたこことかでこの文句を使っている

 では、なぜ「すべてやれ」なのか。デロングは理由をふたつ書いている。ひとつは、政府はどんな状況の下で、どんな順位で不況対策を発動するか十分に理解してない。もうひとつは、不況対策といわれる政策の組み合わせは、混乱し、危険なものであっても何もしないよりはましだ、ということをあげている。例えば「失われた10年」論争では、「無害無益」だか「微害微益」だかを理由にリフレ政策を否定した人がいたと記憶しているが、そういう態度はおそらく実践的なマクロ経済学の立場からは程遠いことになる。

 デロングは、政策の割り当てだけはしっかりしていて、不況対策のメニューは、金融の量的緩和、銀行保証、資本再編成、国有化、直接的な歳出拡大と国債発行などを「すべてやれ」と主張している。

 日本でも同様に行うことが望ましいだろう。どうも現政権は、財政をちょこまかやっただけでもうすべてのことをやったと、その脱力感から余計な外交だとか官庁改革だとかうだうだだとか、いっているようだが、思い出してほしいが、バブル崩壊直後も急激な落ち込みの時期がすぎて、「先が明るい」「最悪を脱した」などといいながら、そこから10年以上も大停滞した過去の教訓を。楽観は重要だが、それは国民が抱けばいいだけで、政策を論じ政策を行うものに楽観は時に不用である。

経済学史学会全国大会

 最後の若田部・片岡報告のみ拝聴。かなり実証的な部分があったのが驚く。マネーがこの時期効いてて、鈴木淑夫氏ら当時の日銀「異端派」ともいえる人たちと、日銀の伝統的なダム論みたいな主張、それに政治的ファクターのからみみたいなところが興味深かった。塩野谷祐一先生が質問されてて、これは面白い内容だった。さすが、70年代の大インフレ論争の当事者であるだけ洞察力が違う。若田部・片岡報告とは異なる視点からのもので、資本主義体制論と絡ませていた。もう少し時間をかけて、2時間ぐらいは報告してもらい、討議すべき内容があったと思う。その前にもライオネル・ロビンズの報告なども聞きたかったけれども、打ち合わせや原稿締切のからみで日中に時間が割けなかった。まあ、土曜日は毎週、日中はわりときつい時間設定なんだけど。

 報告の後の懇親会に出たのはたぶん10年ぶり? 前世紀の終わり以来かな 笑 先輩やお世話になっている人たちと挨拶するだけで時間をあっという間に消費してしまう。しかしだいぶ人間が入れ替わっている感じがした。今度、10年後に懇親会に来たら「どなたですか?」といわれそうなので(もちろん冗談だけど)これから経済学史研究者の人たちともより活発に交流していかなくちゃいけない、と思った。とりあえず塩野谷先生の本を読んでみよう。