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2011-10-11

[]浜田宏一「そして官邸は財務官僚に乗っ取られた」in『正論』11月号 浜田宏一「そして官邸は財務官僚に乗っ取られた」in『正論』11月号を含むブックマーク

 浜田宏一先生の最新時論です。政府の「円高対策」の検討からはじめて、いまの政権と官僚たちの権力的な構図を分析しています。

1 政府の円高対策には経済原理が不在

 政府の「円高対応緊急パッケージ」は、外為資金会計を利用して基金をつくりそれで円高不況企業に融資、また基金は国際協力銀行を通じて融資され、日本企業の海外企業や資源買収に利用、というものです。これを浜田先生は、まったく円高対策ではなく経済原理に即していないと両断。

 なぜならいまの円高は、簡単化すれば、「円高が生ずるのは、円資産に対する需要が供給を上回っているからである」からだ。これは円が希少であることの裏返しでもあり、そのため円高とデフレはほぼ表裏一体の現象である。この現象を招いたのは、物価安定に責任を持つ日本銀行の問題である。日本銀行デフレ志向的な政策によつていまの円高はもたらされているといっていい。

「円高とそれに伴うデフレ基調は、新聞各紙の論調が言うように日本に降りかかってきた災難ではなく、日本が自らの金融政策によって招き寄せたものである」。

2 政策レジーム転換が必要

 もちろん金融緩和するだけでは不十分であり、円とドルなどのほかの資産の期待収益率の差によっても円高は規定されているために、その金融緩和がこれまでの日本銀行デフレ志向の金融政策の在り方を改めるというシグナルを送ることが必要である、と浜田先生はいう。全面的に賛成だが、このデフレ志向の日本銀行金融政策の姿勢を転換させることこそ、昨日来このブログでも話題にしている「政策レジームの転換」そのものであることはこのブログの読者の方々には明らかであろう。

 そしてこのような自国の金融政策の選択=政策レジームの転換は、ほかの国の顔色をみる必要はない。まさに自国の望ましい物価、為替レート、失業率の組み合わせを選択すればいいので。国際的な協調介入は、純粋に政治的なもの、一時的な危機対応以上の意味を持ちえない。

 しかしいまの政府の円高対応パッケージは以上のような政策にまったくなっていない。そればかりか、円高による産業の空洞化(円高によるコスト増加を嫌う企業の海外移転など)を促進するものである。これをおそらく促進しているのは、官僚、政治家、マスコミの経済的知識への無知であり、また同時に彼らの無知を支えているであろう経済的な利得の存在でもある。例えば、無知の産物としての円高対応パッケージが採用されれば、官僚たちはその天下り先である国際協力銀行などの権限が拡大することになる。

3 無知と利害

 またこれは浜田先生が示唆しかしていないことだが、官僚、政治家、マスコミが、無知でいるほうが波風がたたなくていいからかもしれない。いままでと違う発言を経済的な知識を採用していうことは、それまでの人間関係を崩す可能性がある。ましてや円高対応パッケージが経済的に意味がないとか、円高は日本銀行の責任である、と無知なる仲間うちでいうことはかなりな覚悟が日本という閉鎖社会では必要だろう。それが真実と真理の採用を遅らせる。そう浜田先生の論説は述べている。

正論 2011年 11月号 [雑誌]

正論 2011年 11月号 [雑誌]

[]週刊『エコノミスト』(10月18日号)連載「温経知世:経済学者の思想と理論」グンナー・ミュルダール 週刊『エコノミスト』(10月18日号)連載「温経知世:経済学者の思想と理論」グンナー・ミュルダールを含むブックマーク

 『エコノミスト』で始まった経済学者の思想史的紹介コーナー。二回に分けてアダム・スミスをやったあとに、今度は時代は一気に下り、20世紀の代表的な経済学者のひとりグンナー・ミュルダールです。執筆者はミュルダール研究の第一人者といっていい藤田菜々子さん。

 ミュルダールの特に戦後の貢献は、およそ3点に凝縮されると思います。

1 価値判断の明示化という方法論

2 循環的ならびに累積的因果関係の原理

3 福祉国家から福祉世界へ

です。1についてはすでにこのエントリーでふれたので省略します。

2について藤田さんの簡潔なまとめを以下に。

「この時期の代表的議論が「循環的ならびに累積的因果関係の原理」である。市場諸力は、貿易・移民・資本移動などを通じて、開発地域には有利に、低開発地域には不利に働く一般的趨勢があるとされた。彼は、先進諸国では福祉国家のうえに平等と高成長の好循環が成り立っているが、低開発諸国では腐敗や汚職が横行する「軟性国家」のうえに不平等と貧困の悪循環が生じているのであって、世界レベルでは市場諸力を通じた格差拡大がみられるとした」。

この上で、3の福祉世界論をミュルダールは要求するわけです。

福祉国家は現状の自己満足にとどまってはならず、福祉社会と福祉世界の両方向へと越えられなければならない。グローバル化や福祉国家の再編が論じられる現在、その考えはかなり「現代的」である」。

 この福祉世界論がどのような射程をもつのか、正直、僕にはまだ不透明なところがあります。自分でも少しこの話題については考えてみたいと思っています。

 ミュルダールについては以下の著作を参考ください。

 藤田さんのミュルダール論は以下に

ミュルダールの経済学―福祉国家から福祉世界へ

ミュルダールの経済学―福祉国家から福祉世界へ

 ミュルダール自身の著作で興味深いのは以下のものが代表

[]政策レジーム転換とピーター・テミン『大恐慌の教訓』 政策レジーム転換とピーター・テミン『大恐慌の教訓』を含むブックマーク

 2011年のノーベル経済学賞は、トマス・サージェントらが受賞したが、その功績の一部については昨日エントリーを書いた。そこでサージェントのレジーム転換の重要性について説明をした。サージェントらでは、ハイパーインフレーションや緩やかなインフレーションイギリスの経験)に適用したものが初期の業績で著名である。このサージェントの政策レジーム転換を、デフレーションデフレ)の経験に応用したのが、経済史家のピーター・テミンである。テミンの代表的な業績『大恐慌の教訓』は翻訳も出ている。

 故・岡田靖は、かってこのテミンの『大恐慌の教訓』に意義について、私たちが編集した『エコノミスト・ミシュラン』の中で解説している。以下ではそれを逐次引用して、本書の意義とサージェント流の政策レジーム転換との関連をみていく。

「1930年代にアメリカ経済を襲った大恐慌と、それに前後して世界の主要国の大部分で起こった世界大恐慌は、そのあまりに悲惨な現象(例えば、アメリカの失業率は25%にも達し、実質GNPはピーク時から半減した)ゆえに社会主義運動やファッシズムなどの全体主義運動を活性化させ、ひいては第二次世界大戦の重要な原因となり、さらに戦後の冷戦や局地紛争の遠因ともなった。大恐慌という経験からいかなる教訓を読み取るかが、経済学の最重要課題のひとつであることは明らかである」。

しかし問題は困難を極める。なぜなら経済学は「市場機構がなぜ機能するのか」を中心に組み立てられており、「市場機構がなぜ機能しないのか」、機能しないことによってなぜ大恐慌のような経済危機が発生するのか、を中心的な命題にしていなかった。それは特に大恐慌以前の経済学では一般的な事態だった。

 これに風穴をあけたのが、ケインズの『一般理論』であった。ケインズのこの本については、読みやすい山形浩生さんの全訳がある。またケインズの不況脱出方法については、このエントリーを参照のこと。

 しかしケインズの努力は長期不況からの脱出方法に絞られていて、そもそもなぜその長期不況に陥ったのかは関心の埒外であった。

 この長期不況の原因をめぐっては、これも主要部分の翻訳が利用できるミルトン・フリードマン&アンナ・シュウォーツの『合衆国貨幣史』が、金融政策の失敗と断定してから激しい論争が生じた。他方で、80年代以降、アイケングリーンらの貢献によって、国際的な規模からの大恐慌の発生と伝播が論じられ、そこでは金本位制の足かせ、という新たな視点が採用された(もっとも20年、30年代でも金本位制の足かせは事実上の論争ポイントであった)。

 テミンの業績は、大恐慌の原因とその長期的な波及効果に注目しているものである。それはサージェントのいう政策当事者のレジーム(ゲームのルールの束)の中で適応してる人々の行動に焦点をあてるものである。より単純にいえば、大恐慌の顕著な特徴であった猛烈なデフレーションを許容する政策のルールの束(=政策レジーム)が、不況が長期に継続した理由となるということだ。不況の長期化をとめるには、このデフレを許容する政策レジームを変更(転換)する必要がある。この大恐慌でいうデフレを許容する政策レジームとは、当時の金本位制度であり、それに従う各国の中央銀行(日本は日本銀行)の金融政策の在り方である。

「ここで注目に値するのは、こうした大恐慌研究が80年代以降において発展したマクロ経済学(サージェントの昨日のノーベル賞受賞理由の貢献など…田中注)の新たな成果を活用していることだ。つまり、政策当局の行動ルールあるいは政策レジームに関する知識を有する民間経済主体の期待形成が、大恐慌という大規模な経済変動を説明するとにき決定的な役割を果たすことが明らかにされているのである」。

 テミンの描く大恐慌からの脱出の説明は、財政再建増税路線にひた走るいまの野田政権を考えるときに重要な示唆をもつ。以下、テミンの本から引用する(一部訳語修正)。

「1932年の大統領選挙戦の間、ルーズベルトが政策レジームを変更するつもりかどうかはっきりしなかった。その直前、彼は州予算を均衡させるためにニューヨークに於いて増税していたしそれと同様に連邦予算も均衡すべきだと強調していた。そして選挙期間中ルーズベルトは、ウォール街、実業界、そして公益事業を強く批判し、全体的に反ビジネスのレトリックを使った。これらの言動は、ビジネス状況を救うことを期待される候補者にふさわしいものではなかった」

 しかし当選後、ルーズベルトはまずドルの平価切下げ、つまりドル安政策を採用する。これは米国中央銀行による緩和的な金融政策を促すものであった。

「このレジーム変化は、サージェントがいくつかのハイパー・インフレーションの終結を説明する際に述べたタイプのものであった。それは、明確に記述し理解できるような劇的変化であり、その変化は、財政政策、金融政策によって調整されたおのであった。新しいレジームは、明らかに物価上昇と経済活動活性化を同時に狙っていた。略 平価切下げは、多面的な新しい政策レジームのほんの一面にすぎなかった。ルーズベルトの『最初の100日間」で、フーバーの消極的なデフレ政策は、積極的で介入主義的、そして景気拡大的なアプローチによって取って代わられた。略 矛盾のない金融政策への大きな一歩が踏み出されたのは、ユージン・メイヤーが連邦準備制度理事会議長を辞任したときであった。ウォール街の正統派金融家である筋金入りの国際派であったメイヤーの後任は、アトランタ連邦準備銀行総裁のユージン・ブラックである。彼はルーズベルト政権の要求をなんでも受け入れた」

ブラックは金利を引き下げ、いまでいう量的緩和の手法を大胆に実施した。平価切下げという金本位制からの脱退が、金融政策のスタンスの変更にまで帰結し、政策を行うゲームのルールは変わった。これが政策レジームの転換として認識された。

「平価切下げで始まった金融レジームの変化は、連邦準備制度の諸改革によってさらに広がり、それらの改革は当時の観察者が新しい金融システムと名付けたものを作り出したのである」。

 これを今日の日本への教訓として応用しよう。詳細は上念司氏との共著『震災恐慌!』にも書いたし、いままで書いたおよそすべての本や論説に書いてあるのでそれを参照してもらいたい。

 いまの日本の増税主義、財政再建主義という政策レジームを転換することが、デフレと不況を同時に脱出するまず第一の発火点になるだろう。日本銀行の政策スタンスが政府のレジーム転換と同時に協調して変化すればいいが、それができないときは、日銀総裁の自主的交代、あるいは現行法では日本銀行法の改正によって、デフレ脱出を明示的に示す目的の設定=インフレ目標の導入が考えられる。

 日本のこのような政策レジームの転換が行われないかぎり、おそらく長いデフレとそれにかなりの頻度で伴う不況の長期化は避けられないであろう。それがテミンが示した大恐慌の教訓であり脅威でもある。

エコノミスト・ミシュラン

エコノミスト・ミシュラン