宮崎駿とメビウス

 現実、作品世界の現実、選択アーキテクチャーとしてのアニメ論、『耳をすませば』とマクドナルドの椅子の類似など。いまの僕のアニメ論のすべてを濃縮してもいる。


宮崎駿メビウスを比較して面白いなと思ったのは、宮崎駿は「人間のいない自然」を優位にもつ倫理観をもっているが、メビウスは「読者の消失したマンガ(バンドデシネ)」を最終的には夢想していたと思う。宮崎駿のアニメも見る人間そのものがいなくなり、廃墟と化した映画館で無限にアニメだけが劇場で映写されている。見ている??のはオームの末裔か、人間とも機械ともさだかではないモノたちだけ。その意味では、読者も書き手も消失したB砂漠をみたいたメビウスのマンガ世界と同じかもしれない。

アレハンドロ・ホドロフスキー&メビウス『天使の爪』

 まさかの翻訳の登場。ホドロフスキーメビウスの性的な妄想大全とでもいうべき一書なのか、あるいはそれ以上の何か倫理的なメッセージなのか? それはこの日本のいまの出版事情の中では異例ともいえる大判さらに決して一般的とはいえない中味のアンサンブルを自ら体感するしか知ることはできない(読んでもできないかもだがw)。巻末にはホドロフスキーのインタビュー、斉藤環小野耕世両氏の解説、さらに訳者の原正人さんのいつものように周到なあとがきもふされていて本書の理解いやさらなる迷宮入りに貢献することだろう。

 また、僕はこれのフランス語原本と英訳版の二冊を所有しているが、この日本語訳が一番いいと思う。