tana record diary

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「どちらの立場もわかる」的ポストモダンなもの謂いに、何の意味もなくなってしまった。
ポスト・ポストモダンはどうなるんだろうと思ってたら、まさか野蛮な時代に帰るとは!
揺り戻しであり退化だが、退化も進化の一形態か。


「熱狂する群衆は思考をしないし倫理観も無くなる」という研究があるんだけど、それはこの現在の日本においては、まず政府与党(およびそれを信じている側)の人間に当てはまる。

国民の意見をハナから聴く気がなく、「国体だ」「信念だ」とかなんだか、全くなにかにとりつかれているとしか思えない。

南京大虐殺はありませんでした、などと、カルト宗教にハマっていないと、言えないだろう。。


デモとファッショは「大衆が個を越えて団結する」という面では同じ原理かもしれない。
ところが行ってみれば分かるけど、いま行われているデモは"熱狂"とは違う。もう、やむにやまれず、ということだ。

誰だって、あんな面倒くさいことしたくない。

しかもデモ終わったら、ゴミ拾いするんだよ。

熱狂してる人間は、ゴミ拾いなんて、しない。


いまだに「体制側とデモの強制的な感じは同じように思える」という意見を見るんだけど、今、現に権力を持っているのはどちらか?
そしてその権力を使って、じわじわと国民の首を絞めているのは誰か?
あまりにゆっくりと絞められているから、鈍い人間はまだ気がついていない。
絞まりきってからでは遅い。
輪がギリギリ首が抜ける大きさのうちに、戦略的に、確実に有効な手段で、その輪を取り除かないと。

音楽で何とかしたいとか、もはやそういう段階ではない(もちろん音楽、するけどね!)。

向こうはかなり手駒をすすめている。

実はもうなにもかも遅いかもしれないけど、それでもやんなきゃ。