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2009-07-01

享保元年(1716年)建築の民家『長谷川邸』


新潟には平野部から豪雪の山間部に至るまで、多くの古民家が存在します。

平野部では海からの強い風、そして山間部では大雪と決して条件は良くないのに、なぜそれほど多く現存しているのか。

焼失によるものをのぞけば、それはしっかりした家屋の軸組と使用している木材に尽きるのではないでしょうか。

今までもいくつかの古民家を見てきましたが、今回の『長谷川邸』(国の重要文化財に指定)は焼失後に再建された母屋でさえすでに築200年近く。

県下では最も古い建造の中に入っています。


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この『長谷川邸』、実は以前にも見学をしようとして訪れたことがありましたが、2004年10月に発生した新潟県中越地震による損傷の修復工事中ということで見ることができずにいました。

あまりに長い修復工事と思えば、それにはいろいろな訳があったようです。

その1つは修復工事が中盤にさしかかったころ、2007年7月16日に再びおこった大きな地震新潟県中越沖地震)によって修復中の各部が再び損傷をしてしまったことによるものです。

ようやく修復をおえ、公開となったのが直近の6月14日のことです。


『長谷川邸』は現在長岡市塚野山の所在ですが、市町村合併前は越路町で長岡からみれば南部にあたります。

渋海川にそって山間部に入った少しのところ、夏場はほたるの里となるのどかな地にありました。

敷地は間口70m、奥行きが120mと広く、周囲には低い擁壁や堀が巡らされています。


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表門の前から。


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表門を入って、正面に主家、左手に中門と庭塀。

正面の入り口は土間に通じ、上客はその左手の玄関から入り、上段の間に通されたようです。

主家は折曲り寄棟造、茅葺。


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主屋入り口の受付で入場料(420円)を払おうとしたところ、なんと8月一杯までは無料公開だとのこと。

以前、わざわざ見に来て入ることができなかったので、有り難く入場です。


土間の口からはいれば、そこは想像以上に広い土間。

何カ所かに竈が設えてありますが、他にここでは納められた米の検収を行ったようです。

火器を使わない料理用の台所は欅の分厚い一枚板から上がった奧にあります。

写真の手前左側は囲炉裏のある居間となっています。


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別方向からみた土間(手前)と奧の居間。

小屋組は暗いために良く見えませんが、大きな材を組んだものです。


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内部は決して贅を尽くした豪華華美な作りではありません。

それはもともとこの長谷川家が武士の出自だったからかもしれません。

この地に住んでから、治水や土地水田の開発といった、今でいえば地域の都市計画開発を行った庄屋だったのでしょう。

180町歩から4,000俵の小作料をあげていたということですから、かなりの豪農です。

内部の建築様式から、ある一定年代では縁起の悪いとされた様式を取り入れてあることから、その年代よりはるか以前に建築されたと推測されています。


台所にはこのような木の頑丈そうな箱がありました。


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銘板には○に越のロゴと、「MITSUKOSHI SPECIAL SELECTION」という文字。

どうも氷をいれて冷やす冷蔵庫のようです。


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主屋の裏口をでると、裏門までの間の広い裏庭には、いくつかの種類の蔵がありました。

井籠蔵(せいろうぐら)は主家建造の後、寛政5年(1793)に建築された新座敷からつらなり、その通路にはいざという時(火災)に備え、蔵の隙間を覆い隠すための砂・土が用意されています。


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ところで最初にこの『長谷川邸』の修復に非常に時間がかかったと挙げましたが、その理由の2つめは、主家下の地盤面が液状化現象をおこし、基礎ごと傾いてしまったことにあると思います。

こうなると他所へ移設するか、または建物をジャッキアップして、基礎工事から行うという大規模な方法をとらざるを得ません。

結局、後者の方法で、部分的にはげ落ちた壁をすべて綺麗におとし、地盤にソイルを敷き強化して整地した上で再び建物を載せて、壁を塗るという大々的な工事になったのでしょう。

主家の中には工事当時の状況の写真が何枚かありました。

ちょうど上の裏門前から主家を臨んだ写真と同じようなアングルで、修復工事中の写真がありました。


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現在の住宅であればおそらく、軸組ごとすべて壊れ全壊してしまうところ、大きな地震にあっても、壁は落としても軸組そのものは何の損傷も受けずに残ります。

新潟県中越地震の震源に近かった小千谷の慈眼寺然り、守門の目黒邸(1797年:寛政9年)然り、これが建物が長年存在をしつづけてこれた大きな理由です。



『長谷川邸』

長岡市塚野山773番1

開館:6月14日〜11月30日(午前9時〜午後4時30分)

料金:大人420円(団体360円)

   小人210円(団体150円)

   ただし、2009年8月一杯までは無料。

問い合わせ先:越路支所産業課商工観光係

       0258-92-5903(FAX 0258-92-6942)



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こしくわこしくわ 2016/06/18 08:32 とても興味深く楽しく拝読し、リンクさせていただきました。
http://koshikuwa.info/?p=6817

tangkai-hatitangkai-hati 2016/06/18 15:35 こしくわさん、
リンクいただき、どうもありがとうございました。
広田峠越えの長谷川邸までの道のりも、興味深かったです。
これからもサイト内、いろいろ拝見させていただきますね。

山田 隆山田 隆 2017/03/02 10:03 初めまして。札幌の山田と申します。私のひいおじいさんが新潟の出身で旧姓が長谷川でした。幕末か明治の頃、沼垂の山田家に養子に入ったそうです。その当時、長谷川姓のひとはけっこういたのでしょうか。私も興味深く拝読しました。

tangkai-hatitangkai-hati 2017/03/02 13:33 山田さん、はじめまして。
長谷川の姓、当時は判りませんが、今は東日本、特に新潟や東京に多いようですね。

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