人とは何か 自分とは何か いつも心揺れる自分が問われている えーい未熟者めが。

4時40分起床。天気は曇り。昨夜のうちに雨が上がっており、しっとりとした空気が庭中に溢れている。雀達が激しく会話していた。

本日の予定は、資料作成に追われる。夕方から会議。


22時半現在。帰宅。
午前中から一心に資料作り。夕方から会議開催で会社を出たのが20時ちょっと前。
今日は、連れ合いが昔から永らく通っていた、お茶とお花の先生が亡くなられたとのことで、外食して帰ってきた。
何故だか、夕方から心が重い。自分の心は自分がよく分かっている。
その原因は、2つある。一つは富みに最近頭を占有していることだ。一喜一憂する自分が情けない。もう一つは、若人のことだ。昔自分が深い心の囚われをしたときと同じ悩みに陥っている。
自分の場合は、解決方法をひょんなことで教わったので、以来これまでこの手のことは克服できている。人間だから、時々は迷うこともあるけれど。一晩でスッキリすることができるようになった。これは有り難かったな。いまもその先生には感謝している。
今日も疲れてしまった。早く寝よう。
本日の車中読書は、”白石一文”さんの”僕のなかの壊れていない部分”だ。読み始めたばかりだが、これまでの作品より少し、緊張感が薄まって、落ち着いて読めるようだ。これまでの作品は、緊張感から開放されることなく、一心不乱に読まされるのだが、今回のはまだ仄々としている状況だ。しかし、いつものように”人とは何か”について考えさせられる。
人とは何か。自分とは何か。今もって、人は真理を求めて旅を続けているのだな。と、つくづく思う。