「ラ・ラ・ランド」(ディミアン・チャゼル監督)

出演 ライアン・ゴズリングエマ・ストーン

ユナイテッド・シネマとしまえん

評点・・・☆☆☆★★

以下、facebookからそのまま転載


【時代の保守化 「ラ・ラ・ランド」を批判する】

最近あんまりネット見てなくて出遅れた感じがしますが、久しぶりにレビューする腕が鳴る映画が現れました。どっしり書きます。ここまで書くのは、昨年の「怒り」以来です。

まず、以下原文のママ引用

「内容が薄っぺらだと否定している奴は、ミュージカル映画をてんで理解していない」「感動しない人とは友だちにはなれない」(キネマ旬報での落語家立川志らく氏の連載より)

だとさ。映画に、理解が必要なんだって。たかが、娯楽なのに。で、何の?しかし、何を理解しないといけないのかについては、どこにも書いてない。

ところで本作は公開前から絶賛の嵐なのは誰もが知ってる。アカデミー賞はご存知の結果で、週刊文春クロスレビューでは洞口依子氏を除いて全員満点。批判してる人はオレが知る限り、柳下毅一郎さんと菊地成孔さんくらいだ。なのに、何でこの人は否定的な人に最初から頭ごなしなの?これが「同調圧力」って奴かと、今になって思った。オレは、理解できてないんだってさ。別に良いけど。
オレは別に、例えば「マッドマックスに感動しない人とは友だちになれない。アクションが理解できてない」なんて思わないんだけど。

まあ、もう言うまでもないけど、この映画は過去の名作ミュージカル映画へのオマージュ。だから、みんなしてそれを言っている。何だか、情報社会が発達したら、右に習えも進んだのかなあ、なんて思った。「昔の映画はよかったなあ(オレの大嫌いな論法)」と懐かしむ人もいる。知らない人は、「古き良き時代の雰囲気がする」とか。ここら辺は、時代が保守化してるんだな、と感じた。

ちなみに、その辺りのミュージカル知らなくても何の問題も無いですよ。「シェルブールの雨傘」くらいで十分じゃないですか?

今の時代、音楽映画を手がけてる人と言えば、ジョン・カーニーだったり、ミア・ハンセン=ラブだったり、日本だったら山戸結希監督が「おとぎ話みたい」というとんでもないもの作ってるのに、それら無視しても「ラ・ラ・ランド」である。

パソコン壊れてるのでスマホでこんなこと書いてんだけど、ここまでで長くなって本題に入れない。この映画について言おうものなら原稿用紙で5枚は必要だ。

じゃあ、本題に入ろう。

まず、オレの映画に対する評価基準を言おう。そのひとつは単純で、腕時計を見た回数。没頭したら、最後まで腕時計で残り時間を確認しない。

この映画は、まだ半分も立たないうち(ジョン・レジェンドがまだ出てこない段階)に腕時計を見た。まだ半分も残ってんのかよ!内容が無いよう、この映画。立川志らくさん、この映画スッカスカですよ。

で、そのジョン・レジェンドについて書いてみよう。

この映画はご存知のようにライアン・ゴズリングがザックリ言って「ジャズヲタ」みたいな設定で出てくるんですが、その対抗馬みたいな感じで(何だか申し訳程度に、味付けみたいな感じで)ジョン・レジェンドが出てくんだけど、結局さ、ジョン・レジェンドがやってる音楽を否定してんの?認めてるの?彼は良い奴だったの?悪役みたいにしてるの?彼がやってる音楽は良いの?ダメなの?どっちなの?

そのヒントになり得るのが、ジャズヲタのゴズリングがエマ・ストーンに対してジャズ論語るシーンなんだけど、アレは本当にイラついた。おいエマ・ストーン!オマエ話だけでジャズがわかっちゃったのかよ!映画なんだから描写でやれよ!

そもそも、ジャズヲタゴズリングが「古き良きジャズ」にこだわるというのは、ジャズ好きはカチンとくるかもしれないけど(菊地成孔さんは既に怒ってる)、まあ百歩譲って良しとしよう。

で、結局彼はジャズの何を手に入れたの?ネタバレになるから伏せるけど、アレで「古き良きジャズ」を夢として手に入れたってこと?じゃあジョン・レジェンドのアレはダメな音楽ってこと?

で、そこでデミアン・チャゼルに疑問が湧くんだけど、オマエもしかして「そういうジャズ」しか知らないの?

ジャズが普遍的なもんだと思ってんの?

わかりやすく説明すると、じゃあ例えば、ローリング・ストーンズとオアシスとアーケイド・ファイアが、変化してない変わらぬ普遍的なロックだと思いますか?

んなわけねー。時代と共に塗り変わるんだよ。映画も、音楽も。時代を引き継いで。

だから、保守的だと思うんだ。

深夜にスマホで書いてて、こんな長いの誰が読むんだと疲れてきた。

で、あと、デミアン・チャゼルって、今を全然知らないで音楽の映画作ってるんじゃないの?

だってこの映画、今の時代に音楽の夢を掴もうとする若者描いてるのに、今の音楽まるで出てこないじゃん。ちょいと、打ち込みに嫌悪感を示すくらい。

前半の、あのプールだっけ?ゴズリングがバンドで演奏してるところでエマ・ストーンがリクエストするシーン。
あそこで思いましたよ。チャゼル!今の時代を描くチャンスだよ!で、結局それかい!なんでオレより若い映画監督の脳が80年代で止まってんだ。

この映画観て「音楽映画として優れてる」と思った人、てか、チャゼルも、うちに来なさい。オレ、普段テクノとかハウスとか全然聴かないから。色んな音楽あるから。「え!そういうの聴いてるの?」って驚かれたこともあるんだけど、ベース・ミュージックとかも大好きだから。

ああ、ここまで書いてというかスマホで打って本当に疲れた。オチに入ろう。

ここまで書いて、でも別にヒドイとは思わない。娯楽映画としては良いんじゃないの?立川志らく氏みたいに、ムキになる理由もわからないし、こんなに絶賛されている理由もわからないから、観た映画をすぐに忘れるオレは来年の今頃には、この映画のように季節巡り、忘れてると思うけど。

ただ、この映画がヒットして、心配になったことがある。

それは、映画の上映中に途中から入ってきて、スクリーンの前に堂々と立つオンナが今後出てきたらどうしよう、ということ。