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谷崎潤一郎全集を読む

2010-07-19

谷崎潤一郎全集第一巻

谷崎潤一郎全集第一巻 目次

口絵 写真(谷崎潤一郎明治四十三年冬 /「少年」鏑木清方

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月報 1  昭和41年11月 目次

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「誕生」  明治43・9「新思潮」(創刊号) 

 発表当時の事情については、谷崎自身による以下の解説が分かりやすいだろう。


作者が始めて発表した作品は第二次『新思潮』の創刊号に寄せた一と幕物の戯曲『誕生』であった。が、事実は『誕生』よりもこの『刺青』のほうが先に書けていたので、これがほんとうの処女作である。

 藤原道長邸を舞台に、后の皇子出産間際の様子を描く。悪霊とやらが邪魔をしてなかなか産声が聞こえない。そこへ頼通の弟せや君、妹威子が登場。


威子  兄上樣、妾は御産所の樣子が見たうてならぬ程に伴れて行つて下されや。

少納言 幼い方々は、御産所などへ入らせられるものではござりませぬ。

小式部 局へお出で遊ばして、兄上樣と御一緒に繪卷物など御覽じませ。

威子  妾も早う后の宮になりたいものやなう。(中略) 父上樣、いつ妾を后にして下さります。

道長  ほう、おもしろいことを申すなう。大人しうしてさへ居れば、やがて后にして進ぜよう。

谷崎にしてはなかなか微笑ましい作品である。

「象」明治43・10「新思潮」

 享保13年、江戸を練り歩く廣南国より幕府に献じられた象を見物に来た町人たちの会話からなる戯曲である。これもどちらかというと微笑ましい作品で、落語のような雰囲気が漂う。幇間、旦那、隠居、俳諧の宗匠、小僧、若旦那、医者、与力、若侍、出家、、、、といった様々な人物の会話が飛び交い、賑やかで明るい仕上がりとなっている。

俳諧の宗匠 けれども獅子には抗はないでせう。獅子は百獸の王だと云ひますからな。

町醫者   いや、獅子だって抗ひますまいよ。

町家の隱居 そんな獸を、不慣れな日本人が使ふのは物騷な話ですな。今に何か禍害でもなければいゝが。(中略)

町家の旦那 さう云へば、私のせがれも花車を挽いて居りますが、鼻で卷き上げられやしませんかな。

町家の隱居 それは御心配ですな。どうも子供衆は氣早だから、一寸も眼が放されませんよ。

出家    いや御心配なさることはござるまい。昔から象は普賢菩薩のお乘物になる位で有難い獸でござる。

町家の手代 獅子は文殊菩薩の御家來だが、普賢菩薩の御乘物になる所を見ると、象は女の臀が好きなんだな。

俳諧の宗匠 なる程な。諺にも「女の黒髮には大象も維がれる」とありますからな。

「The affair of Two Watches」明治43・10「新思潮」

刺青明治43・11「新思潮」

麒麟明治43・12「新思潮」

信西明治44・1「スバル

「彷徨」[未完] 明治44・2「新思潮」

「少年」明治44・6「スバル

幇間明治44・9「スバル


「飇風」明治44・10「三田文學」

 大変な美貌をもった画家・直彦は、二十四になるまで至って真面目に暮らしてきた。が、ふとしたきっかけで友人連によって吉原に連れ込まれた彼は、ひとりの遊女に熱烈なる恋をする。そのうち、神経を病んだ彼は、新聞社から前借をして、スケッチ兼療養の旅に出る。東北を巡る彼は、列車のなかで出会った癩病の家族を助けたりしながら旅を続け、とうとう期限の半年を迎える。東京に帰るなり吉原に向かった彼は、最愛の恋人と床に就くが… 衝撃的な結末を迎える。


男は撲殺される野犬のやうな樣をして、手に觸るゝものを鷲掴みにした。昏々と深い眠りに落ちた儘、いつ迄立つても直彦は再び醒めなかつた。頭が惱亂し、五體が痺れた刹那、一擧に凝結したやうに冷たくなつて死んで居るのであつた。屍體を臨檢した醫者は、恐ろしい興奮の結果、腦卒中を起こしたものと診斷した。


 この作品によって「三田文学」は発禁に追い込まれたという曰くつきのものである。○○○○○といった伏字が目立ったが、他の作品に比べてそこまで激烈な描写があるわけではない。どこか悪い意味で芝居染みた雰囲気に満ちており(シェイクスピア調の傍白など)、あまり好みではなかった。

「秘密」明治44・11「中央公論

 浅草の松葉町辺の寺に一間を借り受けた「私」は、ふとしたことで女装を始める。長襦袢、羽織を始め、化粧までした「私」は街に出歩くようになり、三友館という映画館に入り込む。貴賓席に座った「私」の隣に座っていたのは、二三年前、上海へ向かう汽船のなかでしばらく関係を結んだT女であった。「私」はその後、すぐにT女を捨てたのだが、いま、ここで改めてその美しさに気がつく。女の袂に手紙を挟んだ「私」は、ほどなく返信をもらい、翌日雷門の前で待つように云われる。 さて、翌日、車に乗せられた「私」は、場所を知られたくないとの理由で目隠しをされ、彼女の家へ向かう。その後、毎日のように女の家へ行く「私」。ある日、ふとしたきっかけで周囲の景色を見てしまった「私」は、T女の家の場所を突き止めるべく歩きまわるが…

 なかなか面白かった。当時の東京の様子が何となく目に浮かんでくるような作品である。

「惡魔」明治45・2「中央公論

 名古屋から東京に出てきた佐伯。叔母の家の二階に世話になりながら、毎日を過ごしている。叔母の家には、従妹の照子と書生の鈴木が同居している。照子は、人を馬鹿にしたようなませた女である。鈴木は「馬鹿ではあるが、いやに陰険で煮え切らない」男で、始終ぶつぶつと不平らしく独りごとをいっている。ある日、鈴木が佐伯の部屋へ訪ねてくる。鈴木は照子と佐伯の関係を疑い、自分(鈴木)と以前に関係があったことを明かす。照子は頻繁に佐伯の部屋を訪れるようになり、佐伯は持ち前の神経衰弱をさらに進行させる。照子が部屋に忘れた水洟のついた手巾に異常な快楽を見出し、それを舐め始める… 

 後半部分に谷崎らしさが出ており、それはそれで面白い。大きな筋の流れは未解決のまま終わり、「續」に受け継がれることとなる。しかし、何よりもこの作品で感動したのは、照子の外見に関する描写であった。

大きいなりに豐艷な肉附きへなよ/\と餘裕が付いて、長い長い腕や項や脚のあたりは柔らかい曲線を作り、たつぷりした着物迄が美にして大なる女の四肢を喜ぶやうに、素直に肌へ纏はつて居る。重々しい眼瞼の裏に冴えた大きい眼球のくるくる廻轉するのが見えて、生え揃つた睫毛の陰から男好きのする瞳が、細く陰險に光つて居る。蒸し暑い部屋の暗がりに、厚みのある高い鼻や、蛞蝓(なめくじ)のやうに潤んだ唇や、ゆたかな輪郭の顏と髮とが、まざまざと漂つて、病的な佐伯の官能を興奮させた。

「蛞蝓(なめくじ)のやう」って。。。。それは反則でせう、谷崎先生。

「あくび」明治45・2「東京日日新聞」

朱雀日記」明治45・6-5「東京日日新聞」「大阪毎日新聞

「羹」明治45・7−大正1・11 「東京日日新聞」

「續惡魔」大正2・1「中央公論

 タイトルの通り「悪魔」の続編である。さらに神経衰弱の進行した佐伯は、地震恐怖症になり、少々の振動に気も狂わんばかりになる。照子はしきりに二階へ現れ、関係が深まる。学業もそっちのけに講釈本を読み漁り、照子と時間を過ごす佐伯。そこへ再び鈴木が訪れる。もつれる痴話に佐伯は憤怒を募らせ、鈴木は相変わらず粘着的な追及を続ける。その翌日、鈴木は置手紙を残し、忽然と姿を消すが…

 照子の描写の曖昧さもあり、谷崎作品に多く見られる異常な雰囲気は姿を潜めている。題名の強烈さとは裏腹に、完成度の低い作品だとの感想を持った。

2010-07-18 谷崎潤一郎全集第二巻

2010-07-17 谷崎潤一郎全集第三巻

2010-07-01

谷崎潤一郎全集第十三巻

口絵 写真(谷崎潤一郎兵庫縣岡本梅ヶ谷の自邸にて 昭和六年三月 / 「春琴抄」和田三造畫

谷崎潤一郎全集第十三巻 目次

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月報13 昭和42年11月

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紀伊狐憑漆掻語  昭和6.9「改造」

民話調の短い小説である。紀伊国で漆を掻き集めている男が三匹の狐に騙され、いろいろなところに引き回されたうえ、捜索活動までおこなわれて・・・ という滑稽なはなしだ。 谷崎のこのころの小説群とはまったく異なる雰囲気をもっていて面白い。

お蔭でどうやら上れることは上れたけれども、上る拍子に脛を擦り剥いたんで、今度はそれが痛くつてたまらない。「痛い痛い」と云ふと「よし、よし、つばきを附ければすぐに直る」と云つて、つばきを附けてくれたらぢきに痛みが止まった。すると又咽喉が渇いて來たんで、「水が飮みたい」と云ふと、「ぢや、まあ、ここで休まう」と云つて、道ばたに休んで、何處から持つて來たのだか直ぐに水を飮ましてくれたが、なんだかその水が小便臭かつたさうです。

なんとなく個人的には傑作のような気がする。どこか心地よい小説だと思う。

覺海上人天狗になる事昭和6.9「古東多方」

覺海上人というのは、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての真言宗の僧である。その上人が天狗になったというのが話の筋である。たった五頁の小説であるから、これといった盛り上がりには欠けるが、さまざまに引かれる古文書の類などが独特の雰囲気を醸し出している。天狗というと悪者というイメージがあるが、そうではないようである。


紀伊風土記所載高野山の天狗の項に「是は鬼魅の類にし魔族の異獸なり」とあるが、「然れども感業の輕重に隨つて自ら善惡の二種あり、よりて佛塔神壇を寄衞して修禪の客を冥護するあり、また一向邪慢驕高にして惡逆に興し正路に趣ざるあり、當山に栖止するもの佛道を擁護し惡事を罰するの善天狗なり」ともあるから、魔界の種族ではあるが、必ずしも佛法の敵でないことがわかる。

最後に掲載誌「古東多方(ことたま)」について一言。 これは佐藤春夫主催の文芸誌であり、相互出版協社というところから発行されていた。谷崎潤一郎「倚松庵十首」や内田百随筆などが掲載されたそうである。

2010-06-15

谷崎潤一郎全集第十六巻

口絵 昭和二十一年 内田巖畫 /「少將滋幹の母」小倉遊龜畫

谷崎潤一郎全集第十六巻 目次

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月報16 昭和43年2月

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「少將滋幹の母」昭和24.12-25.3「毎日新聞

所謂、母恋ものの代表作である。今昔物語宇治拾遺物語、平中物語、古今和歌集、さらには架空の古典作品までを自在に織り交ぜた作品である。毎日新聞社刊行の単行本には短い序がついており、その中で作者は次のように語っている。


この作は、大體平安朝の古典に取材したもので,作者は一々それらの種本の名を掲げ、屡々原典の一部を引用して基づくところを明かにしてある。さればここに述べられてゐる物語は概ね遠い昔に實際にあつた事柄か,或はそれらを適當に配列し直したものと思つて貰つてよい譯であるが、中にただ一つ、作者が勝手に創作した『種本』、――つまり架空の書物の名が出て來る個所があつて、それに關聯した部分だけは作者の空想の産物である。その書物の名が何であるかは、分る人には分る害であるし、この作品の文學的價値には何のかかはりもないことであるから、一般讀者の興味を慮つて,わざとそれを指摘せずにおく。


句読点のすくない谷崎一流の文体はここでも絶大な効果をあげている。息を呑むような美しい言葉の世界が広がり、あたかも眼前に平安絵巻がたち現れるような感覚を覚える。美文美文といっても、高山樗牛にみられるような嫌味たらしさは一寸たりとも感じられない。見事というほかはない。個人的にこの作品は、傑作、だと思う。一部、芥川龍之介好色」と重なるエピソードが登場する。読み比べてみるのも一興だ。

まず、種本『今昔物語』から引用する。


恐づ恐づ筥の蓋を開けたれば、丁子の香極じく早う聞がえ、心も得ず恠しく思ひて、筥の内を臨けば、薄香の色したる水半許入りたり。亦大指の大きさ許なる物の黄黒ばみたるが、長さ二三寸許にて、三切許打丸かれて入りたり。「思ふに、然にこそは有らめ」と思ひて見るに、香の艷ず馥しければ、木の端の有るを取りて、中を突き差して鼻に宛てて聞けば、艷ず馥しき黒方の香にて有り。惣て心も及ばず、「此れは世の人には非ぬ者なりけり」と思ひて、此

れを見るに付けても、「何で此の人に馴れ睦びむ」と思ふ心、狂ふ樣に付きぬ。筥を引き寄せて少し引飮めるに、丁子の香に染み返りたり。亦此の木に差して取り上げたる物を、崎を少し嘗めつれば、苦くして甘し。馥しき事限無し。平中心疾き者にて、此れを心得る樣、「尿とて入れたる物は、丁子を煮て其の汁を入れたるなりけり。今一つの物は野老・合はせ薫をにひちくりて、大きなる筆に入れて、其れより出ださせたるなりけり」。此れを思ふに、此は誰れも爲る者は有りなむ、但し此れを涼して見む物ぞと云ふ心は何でか仕はむ。然れば、「樣々に極めたりける者の心ばせかな。此この人には非ざりけり、何でか此の人に會はでは止みなむ」と思ひ迷ひける程に、平中病み付きにけり。然て惱みける程に死にけり。

次は、芥川龍之介好色」より。

 平中は殆氣違ひのやうに、とうとう筐の蓋を取つた。筐には薄い香色の水が、たつぷり半分程はひつた中に、これは濃い香色の物が、二つ三つ底へ沈んでゐる。と思ふと夢のやうに、丁子の匂が鼻を打つた。これが侍從の糞であらうか? いや、吉祥天女にしてもこんな糞はする筈がない。平中は眉をひそめながら、一番上に浮いてゐた、二寸程の物をつまみ上げた。さうして髭にも觸れる位、何度も匂を嗅ぎ直して見た。匂は確かに紛れもない、飛び切りの沈の匂である。

「これはどうだ! この水もやはり匂ふやうだが、――」

 平中は筐を傾けながら、そつと水を啜つて見た。水も丁子を煮返した、上澄みの汁に相違ない。

「するとこいつも香木かな?」

 平中は今つまみ上げた、二寸程の物を噛みしめて見た。すると齒にも透る位、苦味の交つた甘さがある。その上彼の口の中には、急ち橘の花よりも涼しい、微妙な匂が一ぱいになつた。侍從は何處から推量したか、平中のたくみを破る爲に、香細工の糞をつくつたのである。

「侍從! お前は平中を殺したぞ!」

 平中はかう呻きながら、ばたりと蒔繪の筐を落した。さうして其處の床の上へ、佛倒しに倒れてしまつた。その半死の瞳の中には、紫摩金の圓光にとりまかれた儘、てん然と彼にほほ笑みかけた侍從の姿を浮べながら。……

最後に、谷崎先生。


この逸話は故芥川龍之介氏の著書にも紹介されてゐるさうであるから、讀者の多くは既に知つてをられるであらうが、それを讀まない人々のために、今その大要を物語ることにしよう。

さて平中は、何とかして侍從の君のアラを搜し出してやりたい、いくらあの女が非の打ちどころのない美婦人でおるからと云つて、結局は普通の人間に過ぎないのだと云ふ證據を見たら、これほどに迷ひ込んだ夢もさめて、愛憎を盡かすこと、か出來るであらう、と、さう思つた末に考へついたのは、あのやうなみめうるはしい女であつても、その體から排泄するものは、われわれと同じ汚物であらう、ついては何とかしてあの女のお虎子を盜み出し、中にしてあるものを見屆けてやりたい、さうしたら己も、あんな顏をしてこんなむさい物を出すかと思つて、一遍に厭氣がきすであらうと云ふことであ.つた。ついでながら、筆者はその時分のお虎子がどんなものであつたかを知らない。今昔には、ただ「筥」と云つてあるが、宇治拾遣には「かはご」とあるので,皮で造つた筥が普通だつたのであらうか。何にしてもさう云ふ地位の女房たちは、筥の中に用を足して、それを時々召使の女に捨てに行かしたのであつた。で、平中が例の局のあたりへ行つて物蔭にひそみながら、筥の始末をする召使の出て來るのを待つてゐると、或る日、年の頃十七八の、可愛らしい姿形をした,髮の長さは袖の丈に一寸足りない種なのが、瞿麥重ねの薄物の袖を着、濃い袴をしどけなく引き上げて、問題の筥を香染めの布に包み、紅い色紙に繪を書いた扇でさし隱しだから出て來たので、こ.つそり跡をつけて行つて、人目のない所へ來た時、不意に駈け寄つて筥に手をかけた。

「あれ!何なさいますの」

「ちよつと!ちよつとこれを………」

「あれ!これはあたた………」

「いいんだよ、分つてるよ!ちよつと寄越し給へ」

{女が呆れてゐる隙に、平中はすばやく筥を奪ひ取つて一目散に走り去つた。

後生大事にその品物を挾のかげに抱へながら、我が家へ逃げ歸つた平中は、一と間のうちに閉ぢ籠つてあたりに誰もゐないのを確かめてから、先づそれを恭しく坐敷にすゑて、とみかうみした。これが自分の深くも心を打ち込んだ人の物を入れてある容器がと思ふと、直ぐには蓋を開けるのが惜しい氣がして、なほよく見ると、普通にあるやうな皮籠ではなくて、金色の漆の塗つてある立派な筥であつた。彼は改めてそれを手に取り、上げて見たり、下げて見たり、廻して見たり、中の重みを測つて見たりしてゐたが、やがて恐る恐る蓋を除けると、丁子の香に似た龍郁たる匂が鼻を操つた。不思議に思つて中を覗くと、香の色をした液體が半分ばかり澱んでゐる底の方に、親指ぐらゐの太さの二三寸の長さの黒つぽい黄色い固形物が、三切れほど圓くかたまつてゐた。が、何しろさう云ふものらしくない世にもかぐはしい匂がするので、試みに木の端きれに突き刺して、鼻の先に持つて來て見ると、あの黒方と云ふ薫物、――沈と、丁子と、甲香と、白檀と、麝香とを煉り合はせて作つた香の匂にそつくりなのであつた。「中を突き刺して鼻にあてゝ嗅げば、えも云ばず謹しき黒方の香にてあり、すべて心も及ばず、これは世の人にあらぬなりけりと思ひて、これを見るにつけても、いかで此の人に馴れ睦びんと思ふ心狂ふやうにつきぬ」とは今昔の描寫であるが、要するに、ただの入間に過ぎないと云ふ證據を見てあきらめようとしてかかつたのが、却つて反對の結果を生み、なかなか愛憎を盡かすところではなかつたのであつた。でも平中は、あまり不思議てたまらないので、その筥を引き寄せて、中にある液體を少し啜つて見た。と、やはり非常に濃い丁子の匂がした。平中は又、棒きれに突き刺したものをちよつぴり舌に載せて見ると、苦い甘い味.がした。で、よくよく舌で味はいながら考へると、尿のやうに見えた液體は、丁子を煮出した汁であるらしく、糞のやうに見えた固形物は、野老や合薫物を甘葛の汁で煉り固めて、大きな筆の欛に入れて押し出したものらしいのであつたが、しかしさうと分つて見ても、いみじくもこちらの心を見拔いてお虎子にこれだけの趣向を凝らし、男を惱殺するやうなことを工むとは、何と云ふ機智に長けた女か、矢張彼女は尋常の人ではあり得ない、と云ふ風に思へて、いよいよ諦めがつきにくく戀しさはまさるのみであつた。人間の運は、一遍惡い方へ曲り始めるとどこまで曲るか分らないもので、さすがの平中も、侍從の君のお虎子の句を嗅いでからと云ふものは、どこへ行つても色事が成功せず、悉く失敗つづきであつた。まして侍從の君はますます驕慢に、殘酷になり、彼が熱を上げれば上げるほど冷かな仕打をし、もう少しと云ふ所へ來ては突つ放すので、可哀さうな平中は、とうとうそれが原因で病氣になり、惱み死にに死んでしまつた。

物語の運びも、円熟の極みである。以下の場面は、母との劇的な再開の前触れとして描かれる場面である。超越的な美しさを醸し出している。

(前略)かう云ふ無人の境にあつて靜かに咲き滿ちてゐる此の夕櫻には、何か魔物めいた妖麗さが付き纏ってゐるやうに思へて、彼は我が眼を疑ひながら、左右なく近寄らうともせず、遠くから眺め渡してゐた。櫻のある崖はそれが殆どひとかたまりの大きな岩の苔蒸したもので、川のおもてから一丈程抽んでゝゐるのであるが、ひとすぢの細い/\清水が、何處からか出てきて、その崖の下をめぐつて、下の溪川へ流れ落ちてゐ、崖の中途から一と叢の山吹の花が、清水の方へしなだれかゝつてゐるのである。でも、さう云へばさつきから餘程の時が過ぎてゐるのに、滋幹の彳んでゐる所から、向うのこま/゛\とした景色がこんなに鮮かに見えるのは、――花が雪あかりのやうなさ用をして、あたりの物象を暗まぎれから浮き上がらせてゐるのであらうか、――と、ちよつと滋幹はそんな氣がしたが、それは花のあかりではなくて、花の上の空にかゝつた月が、今しも光を増して來たのであつた。土の上はしつとりと濕つてゐて、空氣の肌ざはりはつめたいのだけれども、空は彌生のものらしくうつすらと曇つて、朧々と霞んだ月が花の雲を透して照つてゐるので、その夕櫻のほの匂ふ谷あひの一郭が、幻じみた光線の中にあるのであつた。