自宅出産を経験しての感想

第一子は病院で産まれたので、今回第二子の自宅出産と病院での出産を比べてみる。

父親にとって、出産というのはなかなか実感を伴いにくいプロセスである。急にカミさんが痛みを訴え苦しみ始め、そうすると慌てて病院に向かい、カミさんの痛みはどんどん激しくなり、初めて訪れる病院で密度の濃いケアが様々な初対面の人達によって行われ、(事前にいろいろ勉強していても)わけがわからず一種のトランス状態の中で出産を迎える。出産後も何時間かで子供ともカミさんとも別れて家路につき、寝不足の頭で「あ〜うまれた」とかうとうと考えながら家で一人寝る。その後もたまに非日常の場である病院に訪れ、カミさんと子供に会う。その訪問を何日か行うと、退院の許可が出て、そこで初めてカミさんと子供は自分の家にやってくる。子供が自分の家にやってきて生活(とはいえないが)をし始め、自分と彼(彼女)が一緒に暮らし始めることでだんだん「ああ、おれって父親」実感が湧いてくる、第一子の場合はそういうプロセスを辿った。

一方自宅出産では、全てのプロセスが断絶せず私の目の前で繰り広げられた。

カミさんが陣痛を感じ始めると助産師さんが自分の家に来てくれ、ケアを開始してくれる。といっても陣痛監視装置を付けたり分娩台の上に寝っ転がったり点滴したりとか特別なケアではなく、陣痛の進みが遅いから近くを散歩しようとかお風呂に入ろうとか。そうしてだんだん陣痛が強くなり、居間でカミさんは歯を食いしばって陣痛に耐え、私は彼女の後ろで体をさすったりもんだり汗を拭いたりし、助産師さんは赤ちゃんの出具合をチェック&コントロールする。赤ちゃんが出た。へその緒もつながったまま、カミさんの胸の上にペチョ、と乗っけてくれる。「男の子?女の子?」カミさんが聞く。「私はまだ見てないわよ。見てあげて。」と助産師さん。カミさんが見てみる。女の子。

「赤ちゃんが出たよーっ!」愚息を起こすが熟睡中で一瞬起きてもそのまま寝てしまい、赤ちゃんを見ることはできない。

へその緒はまだドクドク脈動していた。出てきた最初は紫色だった赤ちゃんがみるみる赤くなる。静まり返った夜更けに大きな声で泣く。へその緒の脈動が止まってからへその緒を切る。胎盤が出る。カミさんは初めてのおっぱいを赤ちゃんにあげている。私は安心し、冷蔵庫から発泡酒を出して飲む。

その後カミさんと赤ちゃんはカミさんの布団に移動。私の布団の隣。赤ちゃんが泣く。昨日まで3人が静かに寝てた部屋に今日から4人寝る。愚息もうるさいのだろう、寝にくそうにしている。助産師さんは器具を掃除して詰め、朝方帰る。雨が降っている。

私も寝る。泣き声がうるさくて目を覚ます。そこには昨日まで存在していなかった赤ちゃんがいて、頭にくるほど元気に泣いている。

その後も私が会社を休み、家族4人だけで新しい家族と過ごす最初の一週間を濃密に楽しむ。そこには不連続性は全くなく、家族は誕生の瞬間からずっと一緒。ずっと家族4人でご飯を食べ、枕を4つ並べて寝る。これが本当に自然な家族の増え方なんだなあ、と感じた。お祭りのような高揚感はないが、ズシリとしっかりした実感を伴う濃密な時間。


カミさんがしたい、といった自宅出産。私は特に思い入れなくその時を迎えたが、経験してみて、本当によかった。

自宅出産を経験し、自分が死ぬ時も自宅で死にたいなあ、と思った。非日常の中ではなく日常の中で人生を始め、また人生を終わることができたら幸せだろうなあ、と。


このような経験をさせてくれたカミさんに感謝。それを現実のものとしてくれた助産師・山田美也子さんに深く感謝。そして自分たちのもとに元気に産まれてきてくれた子供に感謝。最後に、こんな私の行動に理解を示し受け入れてくれた皆さんに感謝。


ありがとう。


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