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2011-12-18

NHK「坂の上の雲」良いね。久松五勇士「敵艦、俺も見ゆ!」

■スゲーぞ、NHKドラマの戦争映画
 学芸会のような大河ドラマ(「江」のことです念の為)が終わって、ハイビジョンの解像度と画角をフルに活かした大活劇「坂の上の雲」が絶賛放映中だ。今日は最終回一個前「敵艦見ゆ」、つまり日本海海戦の直前まで、ということで奉天会戦が見られるな!とわくわくして見たのだが、なんだか“阿部ちゃん支隊の敵中突破によって敵司令官が情勢を見誤り勝手に退却して日本が棚ぼたで勝ちました”って感じでちょっと消化不良なのだった。残念!

 先週の「二〇三高地」は良かった。柄本明扮する乃木大将の融通の利かなさがなんともドラマチックだった。火を噴く大口径砲や塹壕を掠めて飛ぶ小銃弾も素晴らしい。日本の映像制作もやっと良いCGを使うようになったって気がする。何より大勢の俳優を泥土の上を走らせて撮ってるのが素晴らしい。はっきり言って乱戦シーンは観客には意味がよく伝わらないのでドラマには不向きなのだが、それでもしっかり撮ってる姿勢が良い。日露両軍の軍装とか小道具も素晴らしいし、戦争映画ファンとしてはけっこう嬉しい作品なのだった。東宝が戦争巨編を撮らないんだから帝国軍人が活躍する劇映画はもう未来永劫見られないと思っていたら、なんとNHKが頑張ってくれた、これは現在の不景気を考えると奇蹟のような出来事だと思う。

 僕は陸上戦闘シーンが大好きなので、二〇三高地の理不尽な塹壕戦も、奉天のぶつかり合いも、見ていてわくわくした。と同時に、これまで見た戦争映画の映像と無意識に脳内で比べて「ここは凄い、ここはイマイチ」なんて採点していた。映像が鮮明すぎるので、どっかでキューが出て兵士たちがぶっ飛んだりしてるのがわかるのだ。あるいは、被弾したときの斃れ方が俳優によってまちまちで、物理的にちょっとこうは倒れないだろって感じたりもする。やだね、おたくは。
 でも総じて「坂の上の雲」は今時ありえないリッチな映像で、しかも緻密に設計してあって、手が掛けてある、リキが入ってる、素晴らしい仕事なのはこの上なく確かだ。こんな作品の重箱の隅をつつくのはくだらないことだ。

 そして二〇三高地、旅順要塞が落ち、奉天会戦が終わると日露戦争の陸上戦闘は一段落する。あとは最大の山場・日本海海戦を残すのみ。これまで僕はこの連続ドラマをあんまりきちんと見てこなかったのだが、連合艦隊が波濤を蹴立てて進む映像ったら素晴らしすぎますね! 勇ましく、雄々しく、重々しく、かつ重苦しく悲劇的だ。しっかり作り込まれた甲板で体操する水兵たちの肉体と、分厚い鉄を感じさせる船体の対比を見ていると、ここで汗血を絞る彼らの悲劇性がじわっと伝わってくる。そして再び波濤を蹴立てる聯合艦隊、やっぱりかっこいい。しびれる。「皇国の興廃この一戦にあり…」が伝声管で次々と伝えられるところなど、軍艦・艦隊というシステムの巨大さと、それを人力で動かしていた凄みが存分に再現されている。いやー、いい仕事してるなNHK!と思う。陸上戦闘に比べると、格好良さのスケールが違いすぎる。阿部ちゃんが馬で雪原を疾駆してみせても、CGの戦艦が巨砲をぶっ放すのには負ける。残念だ。

 もう一つ素晴らしいのは、今日の回は本木扮する秋山弟中佐が帰宅するシーンがあったこと。路地のシーン、箱膳や卓袱台が出てくる食事シーン、井戸端のシーン、いずれも素晴らしい。ていうか明治維新から三六年しか経ってない、まだまだ生活は江戸時代と変わらない日本の町。これと、波を蹴立てる聯合艦隊の対比が素晴らしい。貧しい日本が一生懸命お金を貯めてやっと持てた艦隊が、ロシアの大艦隊と雌雄を決するのだ、という緊張感がしっかりと描写されている。良いと思います。

■なぜ今、日本海海戦なの?
 赤井英和扮する鈴木貫太郎駆逐隊司令がちらっと出てきた。後の侍従長で大東亜戦争終結時の内閣総理大臣である。これも良い。
 つまり、日露戦争とくに日本海海戦は圧倒的な、ワンサイドゲームの大勝利で、この後の帝国海軍軍人のプライドの根幹となったのである。とくにこの海戦の現場に居合わせ、功を立てた者は建軍以来というか本邦始まって以来の大英雄たちである。彼らの後輩はみな、彼らのようになりたいと強く願ったのだ。戦で功を立て名を上げたいと。そうした人たちの意志が結集して、大東亜戦争が始まり、日本は大変な負け方をした。大東亜戦争の敗戦は、日露戦争(なかんずく日本海海戦)の大勝利によって胚胎された。この鈴木中佐がチラと出てくるのはまことに象徴的である。

 NHKは今なぜこんな大金を掛けて素晴らしい劇映画を撮って放映するのか。日露戦争、あるいは小説「坂の上の雲」に著しい今日性があるから、なんだろう。それって何なのか。NHKが企図するのは何か僕にはよくわからないけど…。

 今日、世界は金融システム方面に大変なストレスが集まり、壊れてしまいそうである。世界中で金融を動かしているのは、物凄く賢い人たちばかりなのだが、なぜか昔と同じ轍を踏む。日本は課題先進国で、他の大国たちが経験したことのない事象だの状況だのをつねに最初に経験している。大規模テロ、巨大自然災害、長期不況、デフレ、政府債務の巨大化……。ここから世界各国の諸賢はぜひ多くを学んで、世界が不幸にならないよう舵取りしてもらいたいものだが、どうも世界の諸賢は日本の官僚や政治家よりも莫迦が多いのか、全然日本に学んでない感じだ。いや日本の官僚と政治家は風采はいまいちでも実はとびきり優秀なのかもしれん。イタリア人男性とかみんな格好良いけど、トップはベルルスコーニだもん、ひどいもんだ。

 話が逸れたので舵を戻すと、日露戦争の奇蹟の勝利が太平洋戦争の決定的敗北を用意したように、世界各国の繁栄が同じ各国の没落や崩壊を準備している。いつもいつも。長期不況にあえぐ日本は、たった二十数年前には世界を制覇したみたいな有頂天にあった。そこから転落したのは「油断したから」なんかじゃなくて、人口減などは繁栄していた当時から準備されていたのだ。アメリカの長期の繁栄も、赤字国債による購買力の先取りでしかなかったし、EUの繁栄も、南北格差を不可視にしていただけだった。全部、昔から、今日の危機の種が用意されている。

 歴史というのは皮肉なものだ。こうしてわかったようなことを書いてる人も、判断すべきときには必ず間違う。残念なことだ。明治維新から三十七年で日本は日本海海戦勝利の美酒を味わった。そこからたった四十年、原爆二発を含む爆弾・ナパーム弾で町々を焦土にされた。そこから四十年でプラザ合意(バブルの始まり)、そこから今は四半世紀。まだまだ決定的な状況には遠いかもしれない。さて来年はどんな歳になりますかな。

 なんて悲観的で吝い物の見方をしなくても、「坂の上の雲」は映像的な快楽がたっぷりある(つまり見ていて楽しい、美しいということ)素晴らしい作品なので、見てない方は見ると良いと思います。あと一回だけだしね。

■「敵艦、俺も見ゆ!」久松五勇士のこと
 宮古島の久松という地区のとある公園に、五人乗りカヤックを模した記念碑が建っている。「久松五勇士」記念碑である。ちなみに同名の銘菓もあり、美味しいです。
 久松五勇士とは、1905年の五月、つまり日露戦争最大の山場・日本海海戦の直前にあった小さなエピソードである。
 ドラマで本木・秋山弟中佐が「バルチック艦隊はどっから来るんだ!」と苛々していたように、当時最大の懸案はロシア帝国太平洋艦隊の増援がどのルートでウラジオストックを目指しているか、ということだった。聯合艦隊は最短距離の日本海側・対馬沖で待ち受けている。しかし長駆、太平洋側を通って津軽海峡なり宗谷海峡なりを通って出し抜くことだってできる。だから聯合艦隊は当時としては破格の規模の哨戒艦隊を浮かべて敵艦隊の捕捉に努めた。飛行機もレーダーもない時代のことですから、艦隊決戦の準備が万端整ってても、会敵できなくて戦えませんでしたごめんなさい、ということがあり得るのだ。
 五月二三日、宮古島の沖合で那覇の帆船が操業していると、北上する大艦隊を目撃した。日本の艦隊ではない! 帆船は宮古島に寄港し、露国と思しき艦隊目撃の一報で島は大騒ぎになった。日本中がバルチック艦隊の動静に注目しており、宮古島も例外ではなかったのだ。しかし宮古の人たちは日露戦争の成り行きとか情報をどうやって得ていたのかな。宮古毎日も宮古新報も当時はなかったしな。
 そして残念なことに、宮古島には電信施設がなかった。この、日本中が知りたがってる、とくに聯合艦隊が喉から手を出して欲しがってる情報なのに、報せるすべがないのである。困った。そこで宮古の人たちは、久松(松原と久貝)の勇者五人に日本の運命を託したのだった。すなわち松原の垣花善・垣花清・与那覇松・与那覇蒲と久貝原の与那覇蒲である。彼らはサバニという手漕ぎの刳(く)り船に乗り、百七十キロ離れた石垣島を目指したのである。そして見事、五月二七日に石垣島の郵便局から電信を打ち、貴重な情報は那覇から大本営へと届いたのだった。
 残念ながら、タッチの差で哨戒艦・信濃丸が「タタタタタ(敵艦見ユ)」を打電した後だったのだけれど。
 すごい頑張ったけど最初の通報者にはなれなかった。ちょっと残念だ。でも、彼らの偉業と勇気は何ら曇るものではない。なにしろ、波の彼方の石垣島へ手漕ぎの(オールじゃなくて櫂だし!)カヤックで漕ぎ着け、さらに山道を三十キロ走破して、朝の四時に郵便局に駆け込んだというのだ。そう、石垣島は広い上に山あり谷ありなのだ。よく道がわかったよね! 僕は平坦な宮古島ですらカーナビ付きの車で道に迷うよ。
 もしかすると、サバニで八重山へ行くのは最初じゃなかったかもしれない。太陽と星で航海することができたのかもしれないし。でもやっぱり凄いよ。秋山海軍中佐も凄かったし秋山陸軍少将も凄かった。けど、久松の五人も凄かった。何が凄いって、帰りはどうしたんだろうね!? 電信を無事打電したってわかったら、彼らは「あ、ありがとうございます。じゃ、ワンらはこれで」なんて言って、また三十キロの山道を歩いて、サバニ漕いで宮古へ帰ったんじゃないかな!? それとも八重山の人の帆船に曳航してもらったんだろうか? いやー、どうだろう。
 宮古島では毎年トライアスロンが開かれるけど、どうだろう、五人チームの手漕ぎ舟で宮古→石垣を漕破して、さらに三十キロのクロスカントリーで八重山郵便局を目指す、ってレースをやったら? 鉄人レースより過酷で危険だと思うよ!(こういうのオーストラリア人とか好きそうだよね。そして、ロシア人チームが勝ったりしてねw)
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銘菓・久松五勇士はここで買えます。

2011-11-22

重要かつ面白い映画!「サウダーヂ」(日本、2011)

 ずーっと銀幕で映画を見てなかったのだが、「スケッチ・オブ・ミャーク」以来ちょっと勢いがついてしまってまた見てしまった。
 今週見たのは渋谷ユーロスペースでもうすぐ上映が終わる「サウダーヂ」。インディペンデントで、ミニシアター系で、舞台は不景気な地方都市で、ドカタ・移民・ヒップホップがテーマで、上映時間は2時間半くらい……というので先週見た「ゴモラ」のように重たくてちょっと辛い映画なのかな?と思いながら道玄坂脇のラブホテル街へ足を向けた。ラブホが並ぶ地域だがライブハウスやクラブもいっぱいあって、夜なんか超イケてるお兄さんお姉さんがたむろしてる、僕なんか足早に通り過ぎるだけのSTREETにコンクリート打ちっ放しの瀟洒なミニシアターがある。

 この劇場も狭い。1フロアに二つの銀幕を配置してるから客席は映画会社の試写室くらいしかない。しかし客席はしっかり傾斜しており前の席が埋まっても鑑賞にまったく支障はない。ていうかこの映画、混んでる! 平日の昼なのに。百席くらいあると思うのだが、最前列なんてぱつんぱつんだよ(最前列は遅れてきた人が座りやすいからかもしれないが)。
 それはこの映画「サウダーヂ」が、面白いから、みんな見に来るのだった。

  D予告編です。

 今回は【ネタバレ】なしでザクッと内容紹介します。

■主人公・堀精司(鷹野毅。ポスターなどでシャベルを使ってる男)は土建業。山梨県甲府市で、社長とその息子と、あと同僚一人の小さな組の一番下っ端。36歳。妻あり、34歳元キャパ嬢で今はエステティシャン。彼は子供は作る気はない。タイ人スナックのホステス・ミャオに嵌まっている。
■ラッパー天野=UFO-K(田我流)。地元で人気のアーミーヴィレッジのクルー。意識が高い曲を書くのに客は盛り上がりたくて来てるだけでちゃんと聴いてくれないことに苛立っている。ていうかいろいろ苛立っている。親は自己破産してて、弟と同居しているが弟は精神病のようだ。堀の働く土建屋に派遣されるが作業服でなく鳶の格好で行くので悪目立ちしてる。
■冒頭シーンで堀の土建屋に派遣されてきた保坂(伊藤仁)は長期滞在していたタイから帰国したばかり。36歳でぶらぶらしていて、タイ語でホステスと会話できるのが堀は羨ましい。
■美人のまひる(尾崎愛)は、以前天野と関係があったが上京して不在の後、最近甲府に帰ってきた。特養で働きながらカポエラ道場(?)を運営したり、レイヴとかイベントのオーガナイズをしてる。天野を誘ってアーミーヴィレッジとブラジル人ラッパーとのイベントを仕掛ける。
■タイ人ホステスのミャオ(ディーチャイ・パウイーナ)は日本人とのハーフで、一家で日本に来た時期もあるが今は一人だけ日本に残っている。
■出稼ぎブラジル人たち。県営団地に大勢入居しており、フィリピン人女性と結婚して日本育ちの子供がいたり、すっかりコミュニティができている。しかし彼らを雇っていた企業が業容を縮小しているのでどんどん解雇され、やむなく帰国する仲間が多い。ブラジル人相手のコンビニやクラブもあり、“スモールパーク”は人気のブラジリアンラップグループ。

 以上のような人物たちが、だいたい3本くらいのラインで物語を進めます。途中、宮台真司扮する衆議院議員候補とか出てきて、胡散臭さが超楽しいです。

 僕の説明だとあんまり楽しそうに見えないでしょ。ああ、気取ったやつが好きそうな社会派っぽいインディ映画なんでしょ、と思うだろう。
 ところがぎっちょん、この映画は観客を裏切るのだ。なぜなら「普通に映画として、すごく面白い」から。
 正直、先週見た「ゴモラ」は好きな映画なんだけど、意識が遠のく瞬間がけっこうあった。観客の意識をつなぎ止めておくのが下手な作りだったのかも。
「サウダーヂ」は、編集がすごく巧い。観客の意識のアップダウンを制御するのが巧い。眠いシーンがまったくない。2時間半も観客の緊張を途切れさせずにおくなんて凄いよ。

 甲府市街の描写がいい。僕の田舎(広島県)とさほど変わらない田舎感が漂う町、安ホテル(ドーミーイン、実は好きです。夜泣きソバとか)、安居酒屋チェーン、百均、あとは延々シャッターの降りた商店街。ラップを口ずさみながらシャッターの続くアーケードを歩く天野。どん詰まりの風景なのになぜか高揚するのだ。
 堀たちが現場に出ているシーンは、中上健次「枯木灘」や柳町光男「火まつり」を強く連想する。あるいは「さらば愛しき大地」の根津甚八がトラックを運転するシーンを。描写が太い感じ。エンドロールに柳町光男って名前があちこち出てた。協力者なのだ。

 叙情的な映画でもある。サウダーヂとは、ポルトガル語で憧憬とか郷愁らしい。でもこの言葉、映画では一回しか出てこない。その一回が奇妙に叙情的で、泣ける。
 まひるの浮ついた喋りもイイ。ゴアやイビサでイベントやって、意識がすごく高くて、ラブ&ピースな感じ?って自分の言葉がどこにもないよって感じがイイ。堀の妻が甘えた声で子供をせがんだりマルチに嵌まったりするのもイイけど、まひるの上滑りっぷりは都会というアイコンへの底意地の悪い復讐みたいで好きだ。

 この映画は、社会派映画ではない。むしろ柳町の「十九歳の地図」のような労働の真実を描いた娯楽映画であるとか、崔洋一「月はどっちに出ている」と同じ血が流れている気がする。切実なリアリティがあるので社会派として見ることもできなくはないけど、それ以前に面白すぎて社会派なんて神棚に祭られてくれない感じ。

 パンフが売り切れだったので「シナリオ」12月号を買った。富田克也監督と脚本相澤虎之助インタビュー、そしてシナリオが掲載されている。この映画はインディなので寄付を募って作られた。甲府は富田監督の出身地でもあり、地元から寄付も集まったようだ。なのに「この街も、もう終わりだな」なんて台詞が堂々と入ってたりする。地元に営業しにくい映画だ。それに対して監督の言葉が素晴らしい。

富田 (前略)今こういうご時勢のなかであまた作られてきた、いわゆるご当地映画ではありませんと。甲府にはこんなにいいところがあって、こんなふうに私たちは慎ましく生きていますみたいなことを主張する、そんな映画にはなる予定はございません、目を背けたくなるようなものばかりが並ぶものになると思いますが、これを踏まえた上でないと次には進めないと思いますので、あえてそういう映画を作りますので、ご協力お願いしますって言ったんですけど。(後略)

 うーん、凄い。この監督の言葉、最高の解説ですね。そして、こんなにも面白い映画を作ってしまった。
 甲府の人は「サウダーヂ」があって羨ましい。誇れるよね。心からそう思う。
 瘡蓋を剥いで塩をなするような映画かもしれないが、このリアリティと面白さは並じゃない。
「SRサイタマノラッパー」からほんの数年で、日本語ラップを取り上げた映画がこんなに遠くまで歩いてきたんだ、という感慨もあった。ラップを描くために人物たちにラップさせてた頃から、今はついに、ドラマを描いてるとラップが入ってきて当然でしょう、というくらいになったのだ。
 辛い仕事や人生を紛らわせる、そういう意味では甲府の彼らのラップは、ブルーズだ。

 いやー、日本はぼろぼろかもしれないけど、日本映画はバブルで大変なことになってるかもしれないけど、「サウダーヂ」は素晴らしい。「サウダーヂ」を日本語で楽しめる環境に生まれて、幸運だったよ。と思ったよ。
 エンドロール(インディなので短め)が終わると、場内から拍手が起きた。そうだろう、拍手モンだよ、と僕も思った。

表紙はタイ人ホステス“ミャオ”ちゃん。

2011-11-20

重要な映画「ゴモラ」(イタリア、2008)

 先週、渋谷のシアターイメージフォーラムで映画「ゴモラ」を見た。イメージフォーラムは宮益坂を上がってR246を渡った路地のミニシアターだ。ロビーなんて猫の額しかない狭い劇場だが、なかなか盛況だった。
 この作品、何年か前に飛行機の機内で見ていたのだが、そのときはイタリア語音声に英語字幕で細かい部分がよくわからなかった。河出書房新社から出ている原作(映画以上に複雑で長い)を読んだりしてずっと待ってたのが、ついに日本語字幕で公開された。嬉しいことだ。

 この映画は全然爽快じゃないし、見ていて楽しいものでもないけれど、僕は圧倒された。エッ、と思う展開ばかりなのも上手いが、描かれていることが南イタリア(ナポリ)の現実であること、そしてそれはもしかすると僕たちが住む日本の未来ではないかという予感がしてて、怖いのだ。画面から目が離せなくなるのだ。

■映画「ゴモラ」が描くナポリの日常とは
 ストーリーをちょっと紹介する。ここから先の記述は【ネタバレ】もあり得るので、まっさらな状態でご覧になりたい向きは閲覧しないでください。
 まずは、公式サイトのストーリー紹介にちょっと付け加える。
「ゴモラ」は5本の物語ラインが次々交錯する作りになっている。ハリウッドのインテリ脚本家が好きな作風やね。でも「ゴモラ」は謎解きとかじゃないしバラバラの人物たちが最後に出会って大団円、なんてロマンチックな話でもない。淡々と、カモッラ組織とその周辺の人たちの日常が描写され、淡々と終わっていく。

■少年トト(ENGLAND 7のシャツを着た痩せた子)は中学生くらいなんだが、劣悪な公営団地で暮らしている。学校には行ってない。仕事は雑貨屋の配達。ナポリを牛耳るギャング団“カモッラ”の一つに入りたい。ギャングの仲間になればもっと良い仕事を得られるから。
■ドン・チーロ(鼻の大きい、ジャンパー姿の初老の男)は公式サイトでは「帳簿係。組織のメンバーの家族や遺族に給料を届けるのが仕事」と説明されているが、彼が届けるのは給料というより「不在手当」「死亡手当」だ。刑務所に収監された構成員の家族や、抗争で死んだ構成員の遺族を毎月訪ね歩く。そういった家族たちも公営団地に住んでいる。団地は荒(すさ)んでいて、イタリアというよりアジアか中東のようなガサガサした雰囲気だ。チーロが手当を手渡しするのは、そういう慣行なのもあろうが、不安定で裏切りやすい家族たちを組織から見張るよう命じられている節もある。手当は高騰する物価と比べると雀の涙だ。
■ロベルト(優しそうな青年。ちょっと背が低い)はドン・チーロから手当を受け取る老人の家族。なかなか仕事に就けなかったがこの度、産廃処理会社で働き始めた。この会社の社長(白髪で黒いグラサン)が非常にうさんくさいのだが、実はこの人カモッラの構成員。石切場の跡地にEU各国から引き受けてきた毒性の強い廃棄物を何の処理もせずに埋める。必要な処理を一切しないから非常に儲かる。産廃は日本でもそうだけど、黒社会の人たちの大きなシノギになっている。
■パスクワーレ(痩せた中年男。ちょっとピーター・バラカンに似た柔らかい物腰)は腕利きの縫製職人。縫製工場でマエストロと呼ばれており、彼が仕立てたプレタポルテはアンジェリーナ・ジョリーなどハリウッドスターが赤絨毯を歩くときに着るほどだ(※ここ、原作ではこうなってます)。だが社長はダンピングしまくってやっと受注してくるので残業ばかりで金にならない。そこに中国人の工場主が「うちのお針子を指導してくれないか」とこっそり誘いをかけてくる。
■マルコとチーロ(二十歳くらい。ガッチリと痩せっぽちのコンビ)も学校にも行かず仕事もしてない。「スカーフェイス」が大好きでアル・パチーノ演じるトニー・モンタナの台詞をしょっちゅう真似ている。彼らはカモッラの大人たちが牛小屋に違法な火器を隠したのを目撃し、それを盗んでしまう。拳銃(銃種がよくわからないが、ベレッタM93Rとデザートイーグルか?)、UZI短機関銃、M203グレネード発射器付きM16、AK47などを水辺で撃ちまくる。ここで彼らがパンツ一丁なのは、硝煙が衣服につくと、警察に掴まったとき検査でバレるからだと思う。

 この5通りの人物たちが入れ替わり立ち替わり登場する。わかりにくいでしょ。
 彼らには共通点がある。彼らには仕事がないか、仕事してる場合は“組織”と関係がある。誰もが貧しく、公営団地で暮らしており、団地の住人は老若男女問わず“組織”と関わっている。麻薬が売買され、子供たちが見張りに立つ。組織と関われば仕事がもらえる。だが安心して暮らせるような報酬でもないし、明日の仕事も保証されていない。
 僕たちは“ギャング映画”というと、僕たち一般人から隔たった所にいるギャングたちが繰り広げるサスペンスとかドラマと思ってしまう。しかし「ゴモラ」は、そんなことない、本物のギャングというのは一般人のすぐ隣にいるのだ、と教えてくれる。この映画の登場人物たちは一人残らず、カモッラという組織のエコシステムに組み込まれて逃れられない人生を送っているのだ。だから悲劇もすぐ身近で起こる。

■「共同体が私たちを生かす拠り所になる」社会って?
 もしかすると、十年後二十年後の日本はこんな風になってしまうんじゃないか、と思う。
 政府はあまり機能せず、税は集まらず、警察はじめお役所は機能不全。金を持ってるのは非合法も厭わないハードな企業家(つまりギャング)だけで、仕事を得よう、金を稼ごうとすると、彼らと関わりを持つしかない、他の選択肢はない社会になるんじゃ、と。

 今年の正月、田舎に帰ったとき深夜のNHKでマイケル・サンデルの「ハーバード白熱教室」を見た。学生たちに政治哲学を講義するサンデル教授。どうも彼の議論は現実的ではないんじゃないか、と思うのだが、彼の語りを聞いていると一生懸命彼に追従せねばならぬような気にさせられるから不思議だ。
 マイケル・サンデルの思想は「コミュニタリアン」(共同体主義)というらしい。そして彼の敵は「リバータリアン」(過激自由主義者)のようだ。リバータリアンである副島隆彦は、サンデルの政治哲学を“衒学的なタルムード思想の一種”として論難している。
 僕は思想家同士の闘いに容喙するようなことはできないが、「共同体主義って何?」と考えると、毎度毎度、どうも同じイメージへと辿り着いてしまう。
 それは、映画「ゴッドファーザー」やこの「ゴモラ」のように、マフィアやカモッラが牛耳る社会のイメージだ。政府は何もしてくれない、けれど“我々”の仲間になればお前も生きていけるよ、という社会。

 所謂狭義のマフィアは、長く異民族支配の続いたシチリア島で、虐げられる側の人たちが自衛のために構築した非合法組織が発祥だという。ナポリのカモッラもおそらく同様の縁起を持つと思う。
 いや世界中の犯罪組織・ギャング組織は大同小異、いずれも弱い側・虐げられる側が集まり、強者・権力者の裏を掻いて生きていこうとして生まれている。日本のやくざ組織だって社会からはみ出した人たちの互助組織だ。中国の秘密結社バンもそうだ。「ゴモラ」に出てきた中国人縫製業者は蛇頭ではないかと思う。もっと言えば、共産ゲリラやイスラム過激派など政治的な武装集団もそうだ。アフリカや南アジア・中南米の国々の反政府勢力・武装勢力も。犯罪行為をせねば生きていけない人たちはギャングになり、政治闘争をせねば生きていけない人たちがゲリラになる。どっちも為政者から嫌われる。

 ナポリの問題は、とにかく仕事がないことだ。やるべき仕事があればトトは学校へ通って少しでも良い仕事に就けるよう勉強しただろう。仕事で給料を稼げればマルコとチーロは盗んだ銃で強盗やるよりそっちの方が分が良いってわかっただろう。パスクワーレ氏はその腕に見合った給与で、堂々とセレブ御用達の服を縫い続けられただろう。ロベルトはいんちきな産廃処理業者にこき使われ、毒物を埋めたりせずに済んだはずだ。諸悪の根源は、仕事がないこと、あってもそれは犯罪がらみなことだ。

 マイケル・サンデルのような立派な人が率いる共同体なら、「ゴモラ」みたいな無残なことにはならないよ、と思いますか。どうでしょうか。哲学が高潔なことと、仕事を創れることは全然関係ないよね。

■社会と暴力、暴動を起こすか否か
 311で地震被害の収拾がつかず、原発事故もとてもシリアスだった頃、「なんで日本の僕たちはこんなに辛抱強いのだろう、どうして暴動が起きたりしないんだろう」と不思議に思った。いやこれは暴動が起きてほしいという希望のつもりじゃないんだけれど、無意識にカタストロフや暴動に惹かれていた自分がいたことは否定できない。
 あれからずーっと考えていたけれど、日本の僕たちは、何があっても暴動など起こさない、という選択をしたのだと気づいた。暴動で世界を変えられるなんて嘘だ、とみんなが知っていたのだ。
 ジャスミン革命とか、フェイスブックやツイッターで繋がった大衆が独裁者を引きずり下ろしたとか言うけれど、革命の後あの国々の人たちは幸せになれたんだろうか。暴力で権力者を引きずり下ろしたらスカッとしたかも知れないけれど、その後の国の経営は前より良くなっただろうか。
 今日、サハラ以南アフリカの多くの国が「崩壊国家」と呼ばれている。恐るべきことにネルソン・マンデラに導かれて民主化を遂げたはずの南アフリカ共和国も、どうもアパルトヘイト時代より悪くなってるらしい。ナイジェリアは産油国なのに精製施設が稼働しないので石油を輸出できない。ボブ・マーリーがその誕生を祝福したジンバブエの惨状たるや。
 これらの国々は、誕生した時、独立した時、世界中の人々に希望を与えた。遠くの北の国から来た白人の侵略者たちに不当に支配され、豊かな実りを収奪される暮らしから、自分たちの収穫を自分たちが享受する、自分たちの生き方を自分で決められる社会へと踏み出したはずだった。しかし、そうした素晴らしいスタートを切った国の多くが迷走し、内戦に疲弊し、崩壊していっている。
 サハラ以南アフリカ諸国の戦争は、ほとんどすべて「内戦」であるのが特徴だという。外征戦争はしない、身内で争ってばかりなのだ。多くは、どの部族集団が国の権力を握るかの闘争。
 日本は、「自分たちで勝ち取った民主制じゃないから」「マッカーサーに与えられたものだから自分たちで権力を倒すといった意志が弱い」、と言われたりする。それが本当かどうかわからないけれど、どんなに不満を言う人が多くても、暴動を起こしたりしないのは偉いと思う。
 暴力で勝ち取ったものは、なかなか身につかない。悪銭身につかずじゃないけど、世界には自ら革命を成し遂げた国、独立を遂げた国がいっぱいあるけれど、その後暴力を封じ、弱い者が暴力にいたぶられることのない社会を築き上げた国は少ないと思う。フランスは暴力革命をした国だけど、それについて物凄く考え続け議論を深めた努力があり、今の状態を作り得たと思う。アメリカが暴力革命で生まれた結果、今に至るまで銃を制御できないのと対照的だ。(TPPが発効すると日本などの銃規制は非関税障壁だってことになるんでしょうか?)
 僕は、諸外国のように暴動や実力行使で政治的主張をしない日本の市民は尊敬できると思う。

 ところが、グローバリズムの世の中では、この辺も世界標準に合わせなければならなくなる。仕事は海外に流出していき、安い産品や猛々しくがさつな価値観が流入してくる、それがグローバリゼーションだ。暴力には訴えない、という素晴らしい価値意識も、国際競争に晒されて変容する。他の諸国並に政府の行政サービスが低下し、警察という暴力装置(暴力の抑止装置)がうまく機能しなくなる。民間の暴力装置が自然発生し、警察力の空白を埋めようとする。つまり、暴力を内包した自治が始まる。
 これこそ、映画「ゴモラ」が描いた世界にほかならない。

■「ゴモラ」の暴力描写を直視せよ!とくに銃撃シーン
 映画「ゴモラ」に特徴的なのは、あられもない、剥き出しの、色気もロマンもない暴力描写だ。開巻早々、日焼けサロンで寛いでいた若者たちが、侵入してきた何者かに射殺される。カモッラ同士の抗争は、このように唐突に、あっさりと、日常生活圏の中で突発的に起きているらしい。
 カモッラの抗争が恐ろしいのは、「女子供は殺さない」という古き良きマフィアの伝統などまったくないことだ。「ゴッドファーザー」が描いたマフィアのルールでは、銃後の家族は抗争の対象から注意深く外されていた。だがカモッラの抗争に例外はなく、女性も母親も殺されるらしい。たぶん妊婦だって見逃されないだろう。状況にもよろうが幼児も赦されないと思う。アル・パチーノ演じるトニー・モンタナは子供と一緒にターゲットを爆殺しようとする暗殺者に怒って殺してしまったが、カモッラの構成員なら顔色も変えずに爆弾のスイッチをひねっていたろう。マフィアを起訴しようとして何人もの特任検察官が殺されているが、家族もろとも爆殺されたケースもあった。
 とくに「ゴモラ」では銃を撃つ描写が秀逸だ。銃器・火器は偏愛の対象などではなく、金属片を人体に撃ち込む道具に過ぎないことがよくわかる。ロマンのない単調な銃声、美しさのない銃火、半ズボンなどだらけた服装の暗殺者たち。これは良い描写だと思う。銃による暴力の真実が描かれているから。

「ゴモラ」は不愉快な映画だ。だが無視できないものがある。直視しなければいけないものを提示した映画だ。
 何か大きくて旧いものが音を立てて崩れようとしている。世界中で。その動きを機敏に捉えた映画だ。
 こういう映画が立て続けに現れているようだ。ユーロスペースでやってる「サウダーヂ」もそんな匂いが濃厚にするし、園子温監督の最新作「ヒミズ」はまさにそうだ。前にエントリで書いた「悪人」も、同じ文脈で成立した映画かも知れない。日本のメジャー映画の文脈で撮られているけれど、世界中で起きているある動きとシンクロしてると思う。
 その動きの正体が何なのか、僕たちをどこへ誘おうとしているのか、まだわからないのだけれど、注意深くありたいと思う。

 とりあえず、銃器描写だけでも見る価値はあるので、好きな人は要チェックだと思います。この映画の殺伐とした射殺シーンを見ずして二十一世紀の暴力映画を語ってはいけないと思います。


原作です。読みにくいけど凄い本。
参考書。新書なのに重たい読み味です。
これはただ単に好きな本。
この教授、胡散臭い。
おお、これだこれ。
これだけでも売ってるんですね。
これもチラッと出てきました。