調査2日目

昨日とは異なる1時20分発阿見公民館行きのバスを終点まで乗りました。
公民館には図書館があったので、調査のための調べ物をしました。
そしたらなんと、1981年発行の『阿見の民俗』に

こんな写真が。
どうやら「藁宮」といって、あちこちの神社の境内に供えられているらしい。
ああ〜・・・なんか「ガラガラ」やら「閼伽棚」やらによく似ています。
加えて、その対象は「不明」とする神社も多いが、「○○氏の氏神」だの「姥神」だのとしている神社もあるらしい。
宮、というからには神様が降りるところでしょう。
ならば、類似による連想から「ガラガラ」に「藁宮」の役割が付加されて、「ガラガラ」に個々の家の「先祖が腰掛ける」という意味合いをもたせるようになった、というストーリーが可能かもしれない。
そのためには、

  1. 現在の神社で「藁宮」が供えられている状況を検分する必要がある
  2. 「藁宮」がある神社を抱える集落での墓前装置を調査する必要がある

ということで、当初市役所近くの若栗を調べる予定だったのを、急遽「藁宮」がありかつ「ガラガラ」があると記されている廻戸*1、およびその近くで同じく「藁宮」があるとされる青宿を調べることに変更しました。

*1:はさまど と読みます・・・読めねーよ

しかし雨

図書館を後にして、公民館から土浦へ向かうバスに乗りました。
行きと同じ運転手さんで、すっかり顔を覚えられてしまいました。
調査中、また同じ運転手さんが運転するバスとすれ違いましたが、挨拶されてしまった・・・
それはともかく。
阿見坂上」バス停で下車。そこから廻戸の十握神社へ向かう・・・途中・・・
霧雨がひどくなり小雨に。
今回もキックボードを使っていました。
こいつを使うと傘が持てない。畳んで傘を差すと両手が塞がって効率が悪い。
なので調査中は傘なんか持ち歩きません。
で、結果は、かなりぐっしょり濡れました・・・ああ・・・
そんな思いをしたのにもかかわらず!
辿り着いた十握神社では、かつての「藁宮」と稲荷社が合祀され、小さな祠になってました〜・・・ダメじゃん・・・
おまけに、廻戸集落内の墓地に向かうも、道路が新しくなり、方向感覚にまったく自信がない自分はぐるぐると迷ってしまいました・・・そこにも「ガラガラ」も「閼伽棚」も「藁宮」状物件もなし。
かなりぐったりしながら坂を登って青宿へ。
2箇所ある墓地には供え物や笹すらありませんでした。
集落内の鹿島神社へ向かうも、今度はあまりの道の曲がり具合にひたすら彷徨い、ようやく急坂の上で神社へ辿り着きました。
ここもない・・・ううむ。
なんかことごとく打つ手を失っています・・・