初めての方へ

・概要
GameLogueは、ゲームデザインの分析サークルです。
在学中から日本のフリーゲーム・インディーゲームに関するフィールドワークを行い、フリーゲームゲームデザインなどを扱った論文で学位取得しました

こちらでは主にゲームに関する文章、ゲームデザインに着目したクリエイターインタビューなどの企画からライティングまでをしています。

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・学位論文

https://docs.google.com/file/d/0BxxUEcuEpiddcWFmdTF2NmlTSmFnd3NqSVlsYWZadw/edit

『四月馬鹿達の宴』や『seraphicblue』など、
フリーゲーム(インディーズゲーム)を作品分析として扱った大学の卒業論文です。
ゲームにおける物語性について書いてます。
恐らく、日本で初めてフリーゲームをテーマとして扱った学位論文です。
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・もぐらゲームス

編集長の一人として運営を行なっています。
http://www.moguragames.com


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・MMO-TRPG「Questnotes」

企画・シナリオ製作のディレクションなどを行っています。

http://www.questnotes.net/

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NYDGamer様に寄稿
RPGツクール』で創り続けた8年間――
コンテストパーク受賞作『Muspell』から
最新作『ACDC』まで ゲーム製作者巫女瓜氏、初インタビュー

■前編 http://nydgamer.blogspot.com/2013/09/rpg8muspellacdc.html
■後編 http://nydgamer.blogspot.jp/2013/09/rpg8muspellacdc_8.html

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ねとぽよにて執筆
ウディコン1位作品『帝国魔導院決闘科』制作の裏側に迫る――
ゲーム制作集団「川崎部」に1万字インタビューしてみた
(前編)http://t.co/TjOpfJhBUm

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power of gamesにて企画・編集
二次創作と物語、ゲーム性、課金…艦これプレイヤーたちが語りつくした「艦これ会議」http://www.powerofgames.org/2013/10/kancolle1/

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ゲームでビジネスを、そして世界を変える
――「ゲームのちからで世界を変えよう会議 Offline Meeting Vol.1」速報レポート
http://netpoyo.hatenablog.jp/entry/2012/02/22/162513

「ゲームのちからで世界を変えよう会議 Offline Meeting Vol.1」の取材記事を担当しました。

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ねとぽよ第一号
http://www.netpoyo.jp/sample/01/

「ぼくたちがかんがえたさいきょうのソーシャルゲーム」の座談会に参加させて頂きました。
実際のソーシャルゲームの作り手の方々とのお話は非常に勉強になりました。

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・論文素案
http://d.hatena.ne.jp/tapimocchi/20110102

ゲームの論文素案です。
「ゲーム」における「物語」とは何か?
一般的な文学などの「物語」とはどう異なるのか?
などを書いています。
上記の学会発表内容の元になっています。


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日本的RPGの見た夢のひとつ-『seraphicblue』

※この文章は『seraphicblue』のネタばらしを含みます。


プレイヤーに詰め寄る『 seraphicblue 』の魅力

『 seraphicblue 』は、2004年に発表されたRPGツクール2000製のゲームだ。公開当初から50時間を越える長編として話題を集め、2006年にはディレクターズカット版が公開された。今年2014年は、本作の公開から10周年となる。twitter上の #セラブル公開10周年祭 タグでは、いままさにファン主導による10周年記念企画が行われている(5/15 23:30現在)。

wikipedia:Seraphic_Blue
http://ja.wikipedia.org/wiki/Seraphic_Blue

『 seraphicblue 』をプレイしたのは2008年頃だった。難度の高い戦闘に挫折を覚えながらも、強敵に挑戦することのやりがい。そして伏線が複雑に絡み合うシナリオの、凶悪なまでの魅力。これらをモチベーションとし、ゲームを進みつづけていた。エンディングをむかえるころには、自分の中でゲームというジャンルにとどまらず、もっとも衝撃を受けた作品のひとつとなって、以来フリーゲームを集中的にプレイするようになった。およそ在学中の多くの時間はこの作品について考え続けていて、結局論文にまでしてしまった。

・『ゲームが語ること/ゲームを語ることの可能性』
https://docs.google.com/file/d/0BxxUEcuEpiddcWFmdTF2NmlTSmFnd3NqSVlsYWZadw/edit

本作は、いまでは多くのユーザーに楽しまれている。この作品にプレイヤーが感じた魅力とはなんだったのか?
ひとつは物語だろう。『seraphicblue』は、批評的な物語を提供する。シナリオとしてみた場合、表現上・ビジネス上の観点から商業作品では出せない、露悪的で、チャレンジングなものだ。人間の生きている社会、そして人間が生きることについて、徹底的にプレイヤーに詰め寄ってくる。これら物語分析については、本作の主要キャラクターであるヴェーネについて語った2万字の文章を公開しているburningさんがまとめられているので、こちらも読んでほしい。

・「ヴェーネ論」
http://dailyfeeling.net/vene2014.pdf
本作の主要キャラクター「ヴェーネ」について語った2万字の力作


・「クルスク家のテーゼの再考 ―絶望と希望の隙間で―」
http://blog.livedoor.jp/burningday/archives/51699110.html
本作の要となる、クルスク家の思想を読み解く文章


・「堀越二郎とヴェーネ・アンスバッハの辿り着いた地平」
http://seftyburning.tumblr.com/post/56996915759
宮崎駿さんの映画『風立ちぬ』と本作の関連について語る文章


・Seraphic Blueはポストモダニズムセカイ系作品か?
https://note.mu/seftyburning/n/n0cd9c02cabc7
下記の三浦玲一氏の著作などと絡め、本作を読みとく


burningさんとも話すなかでオススメさせていただいたのだが、『seraphicblue』を物語面から読み解くためには、三浦玲一氏の著作『村上春樹ポストモダン・ジャパン: グローバル化の文化と文学 』を参考とすることができるだろう。

amazon:村上春樹とポストモダン・ジャパン: グローバル化の文化と文学


『seraphicblue』がつたえたかったこと

結局、『 seraphicblue 』が伝えたかったことはなんだったのか。
作中では、ことあるごとに、生と死について描かれたり、語られている。とくに、多くは死について描かれているように思える。では、本作は死について描いた作品なのかというと、実はそうではないと感じる。死を描くことによって、一転して生を描こうとしていたのではないか。なぜなら、生きることを考える、ということは、生きることの真逆にある死を見つめ、そこからいかに離れるかを考える、というプロセスだからだ。

それに関して、seraphicblueの動画実況を行っている方の発言がとてもしっくりきたので、ここで引用したい。本作を語る上で、これ以上、言うべき言葉はないと感じている。

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日本的RPGの見た夢のひとつ-『seraphicblue』

『 seraphicblue 』が、ゲームの表現として革新的であったかというと、そうではないと思っている。
たとえば『 NieR Replicant / Gestalt 』のように、ゲームがプレイヤーの爪跡を記録するストレージであることに自覚的ではなく、『 四月馬鹿達の宴 』のように、プレイヤーとキャラクターの関係性について批評的であるという面はない。

それでもなぜ本作が、説得力をもってプレイヤーの印象に残っているのか。それはゲームシステムやレベルデザイン、シナリオ、それら全ての錬度を徹底的に高めることによって、比類ない体験を提供してくれるに他ならないからだと思う。
事業戦略の比喩で語ろう。未知の市場を創出するか、既存の市場で頂点をめざすか?
seraphicblueは、後者を選んだ。日本のRPGという成熟したジャンルの中で、パワーゲームの勝者を目指した。そして実際に、その頂点の一部をつかんだ作品ではないかと思っている。日本的RPGの見た夢のひとつとして、かつてコンシューマRPGの目指していたものを現実とするべくして誕生した結果なのかもしれない。
機会があれば、制作者の天ぷら氏や、Digraの発表でseraphicblueを扱った伊藤憲二さんへのインタビューは、ぜひ行ってみたいと思いつつ、10周年を祝いたいと思う。

【告知】コンテストパーク受賞から『ACDC』までの8年間ー「space not far」巫女瓜氏 初インタビュー

2013/09/08更新
インタビュー記事を本公開しました。ご協力頂いた皆様、ありがとうございました。

NYDGamer:
RPGツクール』で創り続けた8年間――コンテストパーク受賞作『Muspell』から最新作『ACDC』まで ゲーム製作者巫女瓜氏、初インタビュー

■前編 http://nydgamer.blogspot.com/2013/09/rpg8muspellacdc.html
■後編 http://nydgamer.blogspot.jp/2013/09/rpg8muspellacdc_8.html



RPGツクール』の販売元であるエンターブレインのゲームコンテスト「コンテストパーク」で受賞したRPG『muspell』や、ノンフィールドRPG『ACDC』の製作者であるゲーム製作者の巫女瓜さんに、初インタビューを行いました。













作者webサイト:space not far(http://muspell.raindrop.jp/)















インタビューは、現在Playismでも配信されているフリーゲーム『ふしぎの城のヘレン』のさつさんインタビューや、多くのインディーゲーム紹介記事でお馴染みのNYDgamerさんに載せていただくことになりました。
運営のハヤニエモズさん、ご協力ありがとうございます。

NYDgamer(http://nydgamer.blogspot.jp)

内容としては、巫女瓜さんのゲーム製作の「8年間を振り返る」企画という、『muspell』時代のファンも、『ACDC』で初めて氏のゲームをプレイした人も楽しめる記事に仕上がったと思います。
8年間『RPGツクール』に携わり、フリーゲームからインディーズゲーム製作までをカバーしている作者としてのお話は非常に貴重で、聞き手である私も、とても興味深く聞いていました。

















インタビューの中では、


(『ファイアーエムブレム』から得たゲームデザインを語り)「ゲームを作る上で、楽がしたかった」
(ノンフィールドRPGの製作について)「マップが無くなったらもう勝ったも同然ですよ」
「プレイヤーへの嫌がらせが、コミュニケーションとして盛り上がってくれたら嬉しい」



という意味深な言葉も聞くことができ、ゲームプレイヤーのみならず、ゲーム製作、ゲームデザインに興味のある方も興味深く楽しめると思います。


















そんな8年間を振り返る記事ですが、そのゲーム製作の膨大な時間を、全てを掘り下げきれたとは思えません。

そこで、この告知を見ている方!

もし巫女瓜さんに質問したいことがあれば、ぜひブログコメントに残して欲しいです。記事公開後に、集まった質問を改めて聞き公開したいと思います。
















インタビュー記事自体は、8月末〜9月初旬に公開する予定です。
よろしくお願いします。
















下書き:いまさら、モバゲーFFの話。

【未完成のメモ書きです・・・】

さいきんモバゲーのFF(FINAL FANTASY BRIGADE:以下FF)をやっていて、初めての課金を奪われました。
ソーシャルゲームとしてのFFには「ゲームをいかにビジネスと繋げるか」という点の設計面で試行錯誤している部分が非常に伝わってきて面白いなと思ったので、それを書きます。

僕自身、ゲーム製作にはいくつか携わってますが、で働いてるわけではありません。専門的なノウハウも無いので、基本的には一介のヌルソーシャルゲーマーの言として、「週間少年ジャンプを読み終わっても未だ残っている潰すための時間」を潰すために読むくらいのゆるゆるスタンスで読んでもらえると幸いです。(ソーシャルゲームは50作品くらいしか触ったことがないので、「FFの他にも似たようなのがあるよ」というのがあったら教えてくださるとありがたいです)


まず、ソーシャルゲームは、

「数値」
「物語」
「ストレスレス」

の三つの要素が重要になっていると思います

A.「価値」の低さ
FF BRIGADEは、「価値」が低いです。

それはたとえば、
1.キャラクターレベル・武器レベルといった「数的」価値。
2.ポーション類・レアアイテムなどの「物的」価値

のことです。

まず1.について、
RPGの「レベルアップによる成長」など「目に見えた数値が変動すること」は、ゲームプレイヤーにとって楽しみの一つだと思います。
FFでは、経験値が0の状態でスタミナを使い切った場合、LVによらず基本的に40〜60%くらいまで貯まる印象です。通常は成長するにつれてLVUPの速度が鈍化していくデザインが多い気がしますが、スタートからLV50後半現在まで安定して成長速度が一貫している印象です。つまり前提として、「レベルアップ」しやすいゲームデザインになっていると思われます。

「レベルアップ」という目に見えた変化のインターバルを上手く設計することで、ユーザーをモチベートさせやすいと思われます。
たとえば、どんなに戦ってもなかなかレベルがあがらないRPGだと、ユーザーのプレイモチベーションは下がっていきます。
FFでは無いですが「レベル○○ごとに新しい特技を覚える」という頻度をどのくらいかに設計するかという別の軸も組み合わさるはずです。

「レベルアップのしやすさ」といえば、武器・アビリティのレベルもかなり上がりやすくなっています。武器を鍛える合成アイテムは特に手に入りやすく、LV100あたりまでカンストすることも容易で、一回に数十レベルくらいアップしたときはユーザーに爽快感があります。

つぎに2.について、
他のソシャゲにおけるスタミナやバトルポイントを回復するアイテム的な立ち位置の「ポーション」「エーテル」類は、従来の100%回復以外に、50%、25%回復といったように分化させ、下位の回復アイテムを作り出しています。これら下位の回復アイテムは、なんとログインボーナスでタダでもらえます。つまり通常なら100モバコインほどで購入した回復アイテムが「もらえてあたりまえ」のレベルにまで価値下落していることと捉えることが出来ます。

ここで上記の経験地テーブルのゆるさが活かされます。無料で支給されるアイテムをつぎ込むことで、無課金でも「あと少しでレベルアップだけどスタミナが切れてしまった…まあ回復アイテムはまた明日手に入るし、使ってもう少しプレイするか…」といったように、ユーザーに長い時間遊んでもらう工夫として機能していると思います。ボーナスは毎日手に入るので、スタミナの数値にアイテムの効果値が自動的に上乗せされることを前提に設計されているといってもいいかもしれません。

つまり「アイテム」という形で「量的な数値」を「質的なモノ」として拡張することによって、「アイテム」を「自分の意思」で「使用している」という能動的な満足感を与えているとも考えられます。

そこには「無料」という「お得感」もあります。

課金強者のブルジョアたちがスタドリを飲みあさる光景を、僕ら低/無課金集団のために無料の下位アイテムを設定することで、ユーザーは喜ぶはずです。

FFの設計的な面白さのひとつかなと思います。
またレアアイテムは、通常レアはそれこそ山のように、SRですら無課金でもそれなりに手に入ります

対象の「価値」が低ければ、当然それを取得するための「労力」が少なくなります。
また、「価値」は「数値」として、分かりやすく可視化されています。
そこでなにが生じているかというと…

「目に見える変化の起こる頻度が、安定して高い」

ということです。
ソーシャルゲームにおいて「目に見える変化」の頻度を多くし、ユーザーにプラスの刺激を与えることは、

ユーザーを喜ばせ、心を掴んだ状態なっていてはじめて、ビジネスチャンスが生まれる
ことにもつながります。
つまり、無料の回復アイテムをガンガン使って、ガンガンレベルが上がったり、ガンガンレアアイテムが手に入ったりすることで「おいらっち強くなってるんやけど〜www」という爽快感を喚起することに成功しているということです。

B.「価値」の設計

「プレイヤーの行動を、いかに数値として可視化するか」という問題です。
FFでは、「探検ドリランド」における「キング」的なモンスターを攻撃するごとに「ジョブレベル」を上げるためのポイントが手に入ります。
これは現行のソーシャルゲームの枠で考えるなら、なかなか面白いことだと思っています。

例えば「ドリランド」では、ただボスを攻撃するだけでは得がありません。
FFの面白い部分は、「ボスを殴ること」のモチベーションとして、「物語性」を帯びた「ジョブ」という要素を作り出し、それに付随する新しい価値基準(ジョブポイント)を作り上げたことだと思います。

また、特別なボスと戦うことで「CP」というポイントが入手でき、これも景品と交換できます。(初回のみ少ないCPで入手可能というのがまたニクイです)
「あらゆる行動に価値を与え、可視化する」というメソッドを徹底している。

ゲーム研究者である井上明人さんの 「GAMIFICATION」でも触れられていますが、プレイヤーの行動を測定するセンサーを張り巡らし、数値として可視化することはゲームにおいては有効な手段です。手前味噌ですが、「ゲームのちからで世界を変えよう会議」さんを取材させていただいた際の、こちらのゲーミフィケーションの記事をどうぞ

ゲームの力で世界を、そしてビジネスを変える

1.価値の適度なデフレーションを起こす
2.パラメータを「アイテム」という形で拡張する
3.ユーザーの行動を効果的に数値化する

というのが、モバゲーFFにおける、ユーザーを意識したシステムの基本的設計思想だと思います。
貴重なアイテムを入手したときの喜びや、プレイヤーが能動的に参加している感が強まっているのかなと思います。
レベルなど数値上昇の基準を低水準にすることで、モチベーション維持を強めていると考えられます。

C.チョコボ
たぶん散々いわれてますがあえて。

これまでのソーシャルゲームの多くは、
静的なシステムとして備え付けられている「ガチャ」にお金を投入すれば、レアでクールなべリナイス☆強者(つわもの)カードをいつでも入手できるというものでした
FFは、そこに「チョコボ」という動的な要素を導入し、出現を偶発性に委ねています。

お金を「ガチャ」に入れて、めでたしめでたし…そして世界はレアカードの炎に包まれた…
というわけでなく、まずチョコボのエサ的なサムシングを購入して、それからチョコボ本体を見つけなければなりません。

つまり、「ガチャ!課金!レアカード!ドヤァ!」的な方式ではなく、「チョコボが現れた!→餌付けしろよオラァ!」という物語性を挿入することで、「課金に対する妥当性」を生み出しています。

ユーザーからの「情報提供」という形でも、餌付けの権利を得ることが出来ます。
しかし、ガチャマシンとちがってチョコボはナマモノだから、そりゃどっかいったりもするでしょう。
だから情報にも「48時間」という取得制限があります。このように課金機会を時限性にすることで、「やばい!早くエサをやらないと逃げる!」という背景から、気がついたら購入画面でクレジットカード番号16桁を入力している自分に気づくはずです(ぼくはそうでした)

日本での課金モデルは海外ではウケが悪いらしく(やはり「課金への妥当性」を筆頭に文化的な問題があるらしいです)、海外向けの対策の実験場としても機能させているのかな
物語をビジネスに用いる「ナラティブマーケティング」という概念がもてはやされた時期もあったそうですが、チョコボの事例は、ナラティブマーケティングの新基軸として位置づけられるのかなと思います。

http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%8B%E4%BE%8B%E3%81%A7%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B%E7%89%A9%E8%AA%9E%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0-SeriesMarketing-%E5%B1%B1%E5%B7%9D-%E6%82%9F/dp/4820744542/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1331187462&sr=1-1

いままでのオンラインゲームのようなアイテム課金の形に近づいていくのかなと思ったりします。
GREEさんはMMOっぽいソーシャルゲームをリリースしてたのでそれなのかな(まだやってないのでわかりませんが)

海外展開に向けた試金石として、システムによる「必然性」から、動的な「偶発性」に設計思想をシフトしたプロダクトの実験をしているのすることで、課金機会を物語的に自然と創出しているのではないでしょうか。

D.ストレスレスな設計
上記3点は、あくまで「ユーザーがプレイしてくれる限りにおいて」有効なポイントです。
これです。
FFは、あらかじめまとまった分の進行をダウンロードしている方式らしく、通常のクエスト進行における画面遷移がスムーズです(しかし相対的に、チョコボ出現→餌付け結果までの画面遷移がとんでもなくだるく感じる人が多いという話を多く聞くので、さらなる改善の余地があるのかなと思いました)

ストレスレスに関しては、インディーズゲーム製作者であるモスーさんのゲーム設計思想を、現行のソーシャルゲームに当てはめられる部分もあるかなと思います。
ゲームを作るときに力を入れている所はありますか?http://theinterviews.jp/mos_taro/71972
「ゲームプレイヤーは一秒でも長くゲームに干渉していたいのです」

ーー

上記とはずれるのですが、

FF以外でも思うのですが、クエストの合間に出現するボスが現状ただの生きたサンドバックと化していることが多く、存在の必要性が薄いと感じるので、なにかしら修正を入れることもできるんじゃないでしょうか。

たとえば経営学の文脈において、様々な事業部門が共同して営みを行う企業体において、機能していない部門は、

1.活性化させる(ボスに何らかの意味を持たせる)
2.撤退する(ボスをなくす)

のどちらかだと思うので、なにかしらの処置をとってもいいんじゃないでしょうか。

ーー

多くのユーザーに楽しみながら課金してもらうためには、上記の「数値」「物語」「ストレスレス」の3つの要素が、今後のソーシャルゲーム設計において重要になってくるのではないかと考えます。

非常に質の高いソーシャルゲーム分析などを行っているgigirさんやrikzenさんのような記事を書きたかったのですが、専門的アプローチが出来ないノーバリュー文系ゴミ人間パーソンの僕にはこれが限界でした。

とりま、FFは、一般的に思われているソシャゲの「ガチャ☆ウハウハ」なバブリーイメージとは裏腹に、プロダクトとして堅実に作りこんでいるものだなと思いました。既存のソーシャルゲームのノウハウをぎっしりつぎ込んだ、という所感です。徹底した価値のデフレにより、初動でプレイヤーを掴むことに成功している印象ですが、今後にどういったアプローチをするのかが気になります。レアアイテムが出すぎは、有り難味の無さに繋がり、ユーザー離れに繋がるかもしれません。

モバゲーの「アリス大戦」とかちょっと触ってみると、物語性を重視した設計や時間別ログインボーナス(ランチボーナス、イブニングボーナス)、デートイベント(これはギアスにもありますね)など、新しい設計の形を模索しているんだなと感じることが出来ます。DeNAさんの今後のプロダクトを楽しみにしたいですね。

「まよなかゲーム夜話」/第一回・porologue×sagipenta「クロノ・クロス」

クロノクロスクリアを機に、職業ゲームプランナーのsagipenta氏と話しました。

参加:porologue,sagipenta 編集:porologue

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sagipenta:じゃあ、そろそろクロスの感想を聞こうかな。

porologue:クロノ・クロスかー。ぼく土台がないと語れない系男子なので、もうしわけないんだけどちょっとクロノクロスに関するシゲキ'sインプレッションを聞かせてもらえますか。いろいろと話したいことはあるんだけどまとまらなくて。

sagipenta: しげき、しゃべります。俺の中では思想的に最高に充実したゲームなんだよね。何か思考を掘り下げて語りかけるではなく、滔々と湧きでる加藤さんのイマジネーションをただただ受け止めるだけのテクスと群やカットを眺めて、こちらの方で意味を補足したりする。なんか言ってることはよく分からないし、整合性も悉く破棄されて、99%は夢の中にあるような状態。今ドラマで「プリズナーNO.6」ってやってるけど、ああいう夢の中のような浮遊感の中で五感の絶頂を楽しむ感じだなー。思想的とは言えないかもしれない。前後矛盾するけれど。

porologue: 思想的といった面では、意味としてはあってると思う。「失われた未来からの復讐」みたいな、平行世界の存在を大切なものとして描いて、SF小説的なテーマを取り扱ってるよね。統一感を欠かす、というのはとても感じた。意味深なことをちりばめたりしてたり。こういうのはやりかたによっては有効だと思うんだけど、残念ながらクロノクロスに関してはそれが悪い方向に作用してたと思う。あくまで個人的な印象だけど、テクストやカットもそこまで斬新な切り方とは思えなくて、ただただ断片化されているな、という

sagipenta: 悪い方っていうと?

porologue: 個人的な考えとして、意味深な言葉がゲーム内容に伏線としてあまりにも寄与しないのがちょっと違和感があった。例えば「炎」の部分のニーチェのもじりも、逆になんか安っぽく感じてしまった。意味深な部分とは対照的に、例えば以前に君が言ってたヒドラ関係の話とか、あれひとつでも意味のある内容として深められる(というか、最終的なテーマはそこに帰着するんだと思ってた)はずなんだけど、そこまで突き抜けないというか、ぶつ切りになってしまってたのがとても残念な気がする。

sagipenta: 伏線と回収がゼロサムにはならないよね。エンターテインメントとしてツメが甘いという点には確かに同意せざるを得ない。はてしない物語みたいに「だけどこれは別の物語だから、いつか語ることにしよう」っていう形である程度伏線を潰しながらいけたらよかったのかもね。ただ、「夢」っていう隠し主題に固執する限りにおいて、身体の浮遊感については未だゲームとして追究を加えたいところが残っていると思ってる。光田康典の音楽は(環境音だけのところも含めて)効果的に使われていて、全体のイメージとして楽園的な情緒を醸し出すけれど、ただその夢とどう対峙していくか、っていう点でプレイヤーに問いかけるもの。夢はいつまでも続かない、現実に戻れ、って最後に言ったりとか、メッセージ的な部分と、それこそゲーム体験としての"インプレッション"が、俺の中ではよく分からないけどとても強烈に結合して強くひしめいてるんだよね。個別要素に眼を向けることを徹底して否定するから、最後の最後に全体のイメージだけが漠然と映し出されるんだと思う。ある意味ストーリーを放棄して、印象に頼り切ったやり方を、印象主義と呼ぶか投げ遣りと呼ぶかはもうその人任せでいいやというのが俺のクロス論。

porologue: 「夢」が隠された主題というのは、なんというか「失われた並行世界」に思いを馳せるのと同じように、「夢」としての「ゲーム」も、いつかは失われる。だけど、それでも現実は続く(エンディングムービーが示すように)ということかな。アルティマニアにおける加藤さんのインタビューがまさにそれを示唆してるか。

sagipenta: シナリオについてはそんなところだと思う。ゲームの身体性(?)としては、南国ビーチに幼馴染と穏やかな村人に囲まれた楽園世界から、不気味なレーザー光で彩られた古めかしい砦の中に恐る恐る入っていき、そこで綺麗な17歳の少年の身体に移入していた感情が、醜くて獰猛な獣の外見に強制的に移し替えられる違和感と不快感とか。

porologue: その点に関してとと、あと全体的にすごく言いたいことがあって、例えば、たぶんぼくはクロノクロスよりも前にキングダムハーツのハートレス化を通ってしまったから、セルジュのヤマネコ化にそこまで膨大な違和感を受けなかったんだと思う。おそらく発売当時にこれをやっていたら、その印象は確実に変わっていた。

sagipenta: ヤマネコのあれねー、俺12歳だったからマジで泣きそうになったのよー。キングダムハーツ1と似てるところは確かに少なくない気がするなあ

porologue: スクウェアだしね。あとやはりゼノギアスとスタッフがかぶってるせいか演出が凄く似てる

sagipenta: 雄臭い部分は大体ゼノギアスっぽいかも

porologue: ところどころ印象的な部分はあったんだけど、願わくば10代にプレイしたかった。バトルシステムに関してはかなり良かったと感じる。選択と責任と平行世界に関しても、テーマ的にあの時期にここまでやってたのってこの作品くらいだと思う。

sagipenta: バトルねー。突然敵が割り込んでくるのが緊張感あっていいと思う。コンボをリソース管理的に、ゼノギアスよりナラティヴできれいに取り込んでるのも評価できるはず。でも、イーグルアイ使うと紙ゲーになってしまうのが少しお粗末だった。

porologue: そう、敵の行動が絡んでくる分ゼノギアスより複線的だし、敵が弱ってきたらスタミナを全消費して攻撃→エレメントで畳み掛ける、みたいな戦略性もある程度あって、この部分はとても参考にしたいです。バランスは、そもそもRPGである以上まだ明確なバランス取りのデザインがないきがするから、仕方ない気もするかな。このシステムはもう少し洗練された形で、どこかしらでリメイクする価値があると思った

sagipenta: それはいわゆるJRPGの文脈ってことになるのかな?さっき思ったんだけど、ああいう数字を見せてリソース管理させるのって、いわば(判断までの)時間の流れを遅めるものだよね。対してFPSは時間の流れの速さを追求していて、KHはリソース管理をTPSに上手く食い込ませて、JRPGならではのテンポを実現してるって言えない?

sagipenta: FPSのスピード感でプレイしてても、ヤマネコ化、ハートレス化の不気味さを一々噛み締めてるだけの情緒感が生まれるか、かなり怪しい気がする。

porologue: たしかに。おそらく(多くの)JRPGにおける操作感って、FPSとは対称的に身体性とダイレクトに結びつきにくいものだよね。身体性を切り離すことで逆に「ヤマネコ化の不気味さ」みたいな身体性が生じる可能性はあるはず。

sagipenta:どこで繋いでどこで切るか、そこら辺のツボを押さえられればゲーム特有の表現矛盾は回避できるはず。つまり、「インタラクション」が情緒的なものを指しているのか、行為的なものを指してるのか、お互い話が噛み合わないまま制作に入るっていう、ありそうな事態。

porologue:情緒的・行為的という区分は、RPG的な(というと誤解を招きそうだけど)「ヤマネコ化」のようなインタラクティブな情緒感と、FPS的な、身体→ゲーム的身体というダイレクトなインタラクションかな。

sagipenta:インターフェイスによって喚起される身体的な部分を行為的って読んで、ストーリーとかムービーとか、視覚・聴覚的なものを情緒的。まあ、ある種のトロンプルイユだよね、「変身」劇は。俺がやたらダリにお熱なのは、そういう錯視効果に、ダリがある種の身体性を見出していたから興味を持ったからなんだけど。あたかも自分が変質したかのように思ってしまう錯視効果のゲーム版が変身劇で、これはマグリットが描いた目の絵と似てる。これって、手前から見ているようで、あちら側から見ていると錯覚させる手法ってのは見れば分かると思うけど、これのゲーム版みたいな感じだと思うのよね、変身劇って。で、その時流行りの「由緒正しい絵画」っていうのは、こういうギミックに頼らずに、構図とか色使いとか筆致とかで情緒とか感情表出を提示しようとしていたけど、マグリットがこういうのを始めて、ダリはしめしめと乗っかっていってお株を奪ったという。で、こういうギミック的なやつを、ダリは「生理学的・スポーツ的」っていうダリ語で読んでたんだけど、つまり「身体的」っていうわけで、何かを「解釈」「理解」「究明」することではなく、見れば分かっちまうやつをこう呼んでいたと。解釈とか、理解っていうのは一番情緒的な部分の楽しみだけど、それをギミックを使うことで引きずり下ろしてきたというのが、マグリットとダリの第一の仕事だった。で、時は下って、ゲームによって更に身体化されていったというのが俺の中で整合性を持っている考え方。

porologue: それが例えば、ゲームに置き換えるとヤマネコとか、ハートレスにも通じると。

sagipenta: 通じるっていう言い方がどこまでコンセンサスを提供してくれるのか分からないんだけど、たとえば変身劇は、ゲームの中で一番目を引くポイントになるけど、それを全体の中でどう扱ってやればいいのか考える一つのヒントにはなると思う。

porologue: うーん、錯視の部分からどうもコンセンサスが取れてない気がする。理解ではなくギミックが感情移入を誘発するという筋は分かったんだけど。

sagipenta: 変身劇という、ギミックによる盛り上がりが陳腐にならないために、その他の部分で補強を加えなければいけないと思うのが一つ。いつまでも「変身劇」という型を繰り返せば、簡単に飽きられてしまうから、そのオルタナティヴを考えなければいけないというのがもう一つ。この2点を錯視の絵画における、ギミックとその他の技法(構図とか筆致とか)の緊張関係から考えなければいけないなと思いましたと言いたかったです。言えてなかった。いきなりソラがハートレスになっても「ハア?」って感じだから、そこに至るまで何があって、そのギミックが有効に作動したのかということを考えることと、変身劇以外に有効なギミックってなんかないのっていう話が、錯視画を巡る芸術家間の騒動から見えてくるということっす。

porologue: なるほど。たぶんそれって、例えばとてもざっくりとした構図で言えば、なぜ「このシステム」に、この「ストーリー」を乗っける必要があるのか、というように、ゲームデザイン全般にも適用できそうな問題定義に感じた。例えば『四月馬鹿達の宴』で言えば、エンディングの後の「おしまい!」というメッセージを普通に肯定(決定ボタンを押す)すれば終わるけど、そのメッセージに隠された、システムとしての「選択肢」を否定(キャンセルボタンを押す)すればもう一周最初から始まる。それはゲーム内テーマである「没入への欲望とそれへの抵抗」というふたつの方向性を持たせることによって、システムを活用しつつゲームテーマを自己言及しているといったような。

sagipenta: あー、ギミックとしてのシステムか。とりあえずこれは、ギミックっていうそれ単体だと安っぽいものに実体を持たせるべく存在している、対になるものが何かを考えましょうっていう感じで結論すればいいのかな?

porologue: イエス!コンセンサス! これブログにのせよう。

sagipenta: なんのブログ?ポロログ?

porologue: そうだねポロログにのせよう。なんか更新するコンテンツが無くて寂しかった

sagipenta: いいねー。

porologue: なんかレスポンスあればフィードバックにもなるでしょう。

【おしまい】