徹夜かしら

凡庸な毎日を過ごしていますゆえ、これといって書くこともないのですが、他愛もない話をいたしますと。昨晩は福田和也氏がラジオに出演しなくて非常に残念でした。急いで帰宅して風呂掃除をして、風呂に入って、途中からドキみきを聴いて、いざといって発泡酒に手を出したら、なんだか趣が違うんですもの。番組のコーナーに「トンカツ部」というのがありまして、福田氏がトンカツについて熱く語るのですけど、あれを聴きたかった。ちなみに先週は、かのヨーロッパ軒を絶賛されておりました。
今日は井出薫さんの誕生日なんだそうですよ。もうほとんど思い出せるものもないんですが。なんだかもう「元タレント」じゃなくて「片岡監督の奥さん」のほうがしっくりくるんですもの。まだ20代だということが若干驚きです。などと考えながらぷーらぷらしてたら、あら、スクリーン復帰してたんですね。「インストール」で。ちなみに、AB型だそうです。また仲間が増えた気分。
これから徹夜かもしれないです。いちおう目標というものがありまして、論文を書き始めるまで、寝ない。これを達成したら、ちょっとでも寝に帰ろうと思ってますけども。

ポストアイドル

ちょっと調べた限りではまだこの言葉を使用している人がいなかったので、僕が造ったことにしちゃうかもしれません。先日思い浮かんだことですが、90年代から00年代にかけて、「アイドル」から「ポストアイドル」への形態移行があったという説を提案いたしますよ。
要するに、プラグマティックなアイドル像(テレビ出て、歌うたって、ドラマ出て、ドリフのコント出る、というお定まりのパターンによる商品としての)が、人数の多数化(およびカップリングの無限性)と登場媒体の多様化、ファンの"きっかけ"の多様化によって、表層化不可能なアイドル像へと変化する。進化というよりも変化。で、この形態に移行すればするほど、マニアックな存在に見えてしまうのは否めない。取っ付きづらくなる反面、ファンの深化は止まらない。
というような概念の提示だと、モーニング娘。をとても理解しやすくなるということに気づきました。それどころか、ローカルなアイドルとかVNIとかも説明可能だと思う。逆に言うと、「(ポストでない)アイドル」として売り出してもいかに売れないかという説明も可能かも。誰かこの概念、流行らせませんか。僕は忙しいのでそれどころでないよ。いや、誰かがとっくにやっちゃった気がしてますけど。うん、やってるね。