ビル・マーレイの名演技に乾杯 『ブロークン・フラワーズ』

およそ2年ぶりのアメリカ映画でした。その前もたぶんかなり時間が空いているはずだから、今世紀に入って、アメリカ作品を片手で数えられるぐらいしか観ていないのです。それでも、日本映画の評価のためには、外国作品も必要ですね。
初老の男(公式サイトでは中年になっていますが)が、かつて付き合ってきた数え切れないほどの女性のなかから、突然ピンク色の手紙をよこしてきた主を探す、というロードムービーです。手がかりは、ピンク。
劇中には、さまざまな「ピンク色のもの」が登場して、主人公のどぎまぎを一緒に体験できます。どの空間にあっても、ピンクはつねに鮮やかで、まるでピンクのためにあつらえた風景のようです。いや、実際にそういう作り方をしているわけですが。それがなんとも美しい。
それからカットに関しても。タイトルまでの数分間、ピンク色の手紙が主人公の家に届くまでの過程、その描き方にしびれます。同じ風景をトラックが、最初は左から右に、あるいは前からバックしてきます。その後仕分けられた手紙を空港に運ぶため、それとまったく逆の動きを捉えます。この手法は、のちにハイウェイを走る車の車窓でも用いられます。この作品、カットがシンプルで、似たような視点が繰り返されます。それもゆったりとしたテンポで。ついでに言えば、会話のテンポもゆったりしていて、ああきっとリスニングの練習に持って来いだろうと。
もっといえば音楽もそうで、このシンプルに繰り返される、一貫した雰囲気の作り方のお陰で、安心してスクリーンに身を委ねることができます。安心しすぎてちょっと退屈になりかけるという部分も捨て切れませんが、この際気にしないことにします。作品自体は2時間を切っていますし、ちょうどいいぐらいだと思います。
さて、最後にどうしても言及したいのが、ビル・マーレイの演技のすばらしさです。顔の機微の変化で感情を見事に表現していて、ストーリーを追わずに彼だけを見ていても充分に楽しめそうです。格好よく決めて、ものすごく渋いのに、いつもポーカーフェイスなのに、間抜けなんですよね。友人ウィンストンとの関係は、ほとんど熊さん八つぁんです。ほんとすばらしい。

最期の授業

出かける前から、タイトルはこうつけようと決めていました。僕にいろんなことを教えてくれた、紺野先生の最期の授業にいってきました。でも、いまは余韻を愉しんでいるので、詳細はできれば後日で。思い出せたら、の話ですが。
とにかく、いっぱい名前を呼び続けました。アンコールまでの束の間もずうっと。誕生日のお祝いも、大きな声でしました。大団円のいいお祝いでした。あんなにたくさんの人から名前を呼ばれたのって、初めてかもしれませんね。
けれども、こんこんは泣きませんでした。そこには、誰が見ても分かるような、強い意思をもった眼差しがありました。こんこん、本気なんだな。その姿は、ものすごく格好よくて、かわいくて、しゃんとしていて、いつも通りなのでした!
そして、僕も泣きませんでした。「愛あら」のときにちょっと危なかったけれど、まだ、頭で分かっていることが、本当のこととして染み渡ってこないからだと思います。きっと、泣けてくるのは、もっとずっと後になってからなんです。映画『東京日和』の主人公のように、ずっと後になってやっと、いないということに本当に気付くのだろうと。
今日は思い切り楽しんでしまいました。こんなにいいコンサートは滅多にない。いまはまだ、その余韻しか味わえないのです。