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ラブコメ政治耳鳴全日記(本館) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2018-07-15

[]一老政治家の回想/古島一雄[中央公論社中公文庫一老政治家の回想/古島一雄[中央公論社:中公文庫]を含むブックマーク

 さて古島一雄という人物がいた。子どもの頃は非常に激しい性格の持ち主で学校に入っては放校されまた学校に入っては放校され…を繰り返し、やがて国粋主義雑誌日本」の編集に加わって正岡子規を見出す等、なかなか愉快な人物だったらしいが、この人物の名が今でも残り続けているのはそんな事によるものではない。日本の近現代史を語る上で絶対に避けて通れない犬養毅(第29代内閣総理大臣)の側近であり参謀でありお守り役であったから残っているのである

 では犬養毅とは何か。一般的には「『憲政の神様』と呼ばれた」「五・一五事件で殺された政治家」で説明がつくであろうが、犬養を語るのにそれではあまりにも内容がなさすぎる。犬養は1890年の第一回衆議院議員総選挙から五・一五事件殺害されるその時まで衆議院議員であり、42年に渡って「国民から選ばれた政治家」であった。決して盤石とは言えない、大日本帝国憲法下の議会(と政党)を最後まで活動拠点として、藩閥や軍部と戦い、ついには軍部の手で命を絶たれた、それが犬養毅である。犬養の死後の大日本帝国軍部支配する暗黒の時代へと突き進んで崩壊するのであり、もし犬養が五・一五事件を生き延びていたら大日本帝国崩壊はなかったのではとも俺は思う。犬養は軍部が力を持つそもそもの始まりである満州事変を解決しようとしていたのであり、世界を敵に回すことになる満州国建国にも絶対反対であった。もちろん軍部軍部寄りの政治家が犬養を妨害しようと画策したが、藩閥と戦い続けてきた「憲政の神様である77歳の犬養には恐いものなど何もなかった。しかし憲政の神様は凶弾に倒れ、大日本帝国もまた倒れることになるのである

 とは言え本書は古島一雄の回想録なので犬養以外の政治家も多数出てくる。犬養ほどの大物政治家となると「どこに行って、誰と会ったか」だけでニュースになって周りが騒いでしまうので犬養が他の政治家官僚と連絡・相談する際は側近を通じて行わなければならず(これは今でもそうだが)、犬養の側近であった古島は「犬養の使い走り」と称して戦前日本の主要な政治家(尾崎行雄、松田正久、頭山満、西園寺公望、床次竹次郎、加藤高明、三浦梧桜、等々)の間を渡り歩くのであり、俺のような政治マニアにはたまらない面白さであったが、その中でも特に面白かったのが原敬と犬養毅との比較で、原も犬養も藩閥支配を憎み日本に政党政治を根付かせようという考えは一致していたが、それでもどうも噛み合わないのが人の世の不思議で、犬養はとにかく山県有朋を嫌っていたが原は山県に近づくどころか至れり尽くせりで政権を握ろうとしていた。憲政擁護運動で原が率いる立憲政友会と犬養の立憲国民党が共闘して藩閥と対決した時も、原にとって犬養の「断固妥協に非ず」など野暮の骨頂で、いつでも権力と手を握る用意ができていた。また原は地方鉄道建設するなどの利益誘導的手法で政友会の支持勢力を着実に固めていったが、犬養の主張はと言えば「普通選挙の断行、経済的軍備論、産業立国」で、とても政友会に対抗できるものではなかった。その犬養が原の死後に政友会の総裁となって原と同じようにテロに倒れるのだから、政治とはつくづく人間ドラマである

 犬養の死後、無欲で地位も名声も興味がなかった犬養と同じく古島政治的野心は何一つなく老いてゆくが、それでも戦後に幣原喜重郎や吉田茂が首相を引き受けるのに一役買ったところを見ると、この男もなかなかの政治家であったと言える。そして明治大正昭和の政治も決して悪いところばかりではなかったという事がこの回想録を読んで再認識できよう。そして再認識した後は、今の政治を生きる我々がどうするかである

   

 犬養は憲政擁護会の宣言で「断固妥協を排す」と一本釘をさして置いたものの、政友会はきわどいところで、いつなん時妥協に宙返りせぬともかぎらず、九仞の功を一簣に虧く結果になるかも知れぬという点を常に心配していた。犬養はこの提携を一時のものとせず、多年希望する民党合同を実現したいと考えていたのである。そこである時ひそかに原、松田岡崎の三人と芝の三縁亭で会談し、「従来、政・国両党が連合すればかならず閥族を制圧し得たが、そうすると閥族はきっと両党を引き離し、一方と妥協して、命脈をつなぐという歴史を繰り返して来た。今度の提携もきっと離れる時が来る、よってこの際両党を併合して完全に共同の敵を倒し、政党内閣の基礎を固めようではないか」と民党大合同を説いた。原は口を緘して片言も洩らさず、松田は一席の座談で決められる問題ではないから、西園寺総裁意見を聞いた上で確答すると言った。その時原が犬養の年齢を問うたが、犬養は原より一つ年長なのである。原が特にこれを聞いた一事で、犬養は直覚的に合同のできないことを感じたと後日語ったことがある。原は松田が年長で、順序から言えば松田の時代になることを気にしていた。その上にまた年長の犬養と一緒になってはたまらぬと考えたのであろう。

    

 初め、政友会は当然山本(権兵衛)が援助を求めて来るものと期待していたが、山本シーメンス事件満身創痍の時、政友会の取った冷淡な態度に不満を持っているので、手を下げてまで入閣を求めようとはしなかった。一方、憲政会に対しては、山本第一次内閣の時加藤の入閣を勧めたくらいだが、シーメンス事件で彼を盗賊のように罵った者は憲政会の前身の同志会である。これに対して与党を要望するのは山本の誇りが許さない。だから加藤が身代わりを出すと言ってもそのままにしていた。その時僕は旧識の樺山資英(この内閣の書記官長となった人)から組閣情報を手に入れていたが、犬養にも入閣の交渉があったので、富士見高原自適している犬養に連絡を取ると、前年からの約束で名古屋福沢桃介に招かれていていない。そこで急電を打って帰京を促し、僕は犬養の帰京を沼津の駅まで出迎え、午前三時過ぎていたが、やっとのことで寝台に寝ている犬養を探し出し、喫煙室に誘い出して山本意向を伝えると、眠そうな目をこすりながら「普選で勝負しよう」とただ一言である。これは山本内閣が普選を実施する誠意があれば入閣するという意味だ。

     

 ところが、(犬養引退後の)その補欠選挙に当たって一番困ったのは岡山選挙区だ。選挙と言えば「犬養毅」とだけしか書いたことのない人達で、それが突然引退したとなると、自分らの国宝の存在がなくなる。これは真面目に驚いた。どうしたらよかろう。先生が言い出したことを我々が止めたって思い返すことはあるまいと、百方相談の結果、これは仕方がない、先生を再選しようじゃないか先生内緒でやればいい、我々が勝手選挙をしようとそういう段取りにした。ところが、困ったことには選挙承諾書が必要で、本人が承諾せぬ以上は駄目だ。選挙承諾書には判が要る。そこで選挙人が工夫して、どうせ先生に判を捺してくれと頼んでも先生が捺す気遣いはない。仕方がないから偽判をこしらえて、そして先生の所へ持って行って、先生の眼の前で捺そうじゃないか。そうするより仕方がないと言って、総代が偽印を持って十人ばかり連れ立って来て、「実はこういう勝手な事をしました。先生の御趣意に背くけれども、我々は何としても先生以外にない、この国宝的存在を失うことは我々の国の者が承知せん、我々は総代としてこうして参りましたが、承諾書の一件になって困ってしまって偽印をこしらえました。せめて偽印を先生の前で捺させて下さい。これは偽印だと言って先生承知せられんということになると、我々は仕方がないか監獄へ行きます」と言っておどかした。これには犬養も大弱りに弱り、それほどに言うならというのでとうとうそのままになってしまい、犬養はまた議員に選挙されたが、行くところがないから政友会に入ろうということになって政友会に留まったわけだ。

       

 彼はまた常に「順境とか逆境とかいうことは他人から見たことで、自分で順境が楽しいとも思わず逆境が苦しいとも思わぬものに取っては順境も逆境もないはずだ。鳥から見れば水中の魚は逆境であろう。魚から見れば空中の鳥は逆境であろう。目的さえしっかりと立っておれば、その目的に突き進んでいく途中の難関を突破することはむしろ愉快である。登山をしたものはこの気持ちはすぐ分かるはずだ。自分は多年世間のいわゆる逆境におった時代が多かったが、別に苦しいと思ったこともない。自分目的を定めて一心不乱にやっておれば家族自然その感化を受くるものだ」と言った。

 彼は道義にもとづく信念を行動の基準としておった。この物指にあてはめて判断するから如何なる大事が起こっても、如何なる咄嗟場合にもピタリピタリと決してゆく。彼は党員離合集散のある場合に「利害の打算に迷って居る連中は打っちゃっておけ」と言った。殊に彼が天賦の聡明は直ぐに問題の核心をつかむと同時にその落着の見透しをつけておった。従って彼は天下の大事を茶呑話の間に決したり、問題多寡をくくって至極無造作に片付けた。これがために知らぬ人からは本気かしらとあやぶまれたり、中にも入念者は頼りないように感じて不平を訴えたものさえあった。政友会の総裁になってからはなるべく多数の意見を聞くようなふりをしておったが、それでも腹の中では、政党の総裁ほど実際専制のものはないと思うておった。平素はただウムウムと聞き流して好々爺然としておったが、いざ最後の一点となると頑として聞かなかった。久原が協力で失敗したり、軍部が警戒しだしたのもこれがためであった。

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2018-05-20

[]公共図書館冒険 未来につながるヒストリー/柳与志夫・田村俊作編[みすず書房公共図書館の冒険 未来につながるヒストリー/柳与志夫・田村俊作編[みすず書房]を含むブックマーク

公共図書館の冒険

公共図書館の冒険

 何度か書いた事だが俺は司書になって図書館で働きたかった。そのため大学はわざわざ司書資格課程のある大学を選んで、司書資格を取るために夜間入学のくせに昼の授業にも出てずいぶんと嫌な思いもした。とは言えその図書館司書課程の授業で教授達は「図書館司書はただ黙って本の整理をすればいいのではない、あらゆる利用者ニーズに応えなければならない」「今後は本のみならず様々なメディア特にコンピューターインターネットを駆使して情報専門家とならなければならない」「情報が社会を支配する中で、図書館司書は社会の先頭に立つ事になる」等、兵庫県田舎に生息する半ひきこもりの人間にとっては恐ろしい言葉を投げかけ、俺は早々に図書館司書の道を断念する事になった(但し司書資格は取ったので、俺は有資格者なのですよ)。

 それから月日は流れ俺も社会人サラリーマンとしてそれなりの経験を積みつつ日本図書館協会の会員になったりこのブログツイッターを通じて現役の図書館員の方とやり取りをしてわずかながらも図書館と関わりを持っているわけだが、一方で図書館地位は低下し続け、日本図書館協会その他の図書館業界地位低下に反発しつつも有効対策が打てず現状に甘んじている…というのが「普通図書館利用者図書館好きよりも図書館全般について詳しい、しかし純然たる外部の人間」たる俺の印象であるしかしこのまま図書館地位が低下し続ければ人口減と財政難によって図書館がなくなってしま可能性も否定できず、それはかつて図書館青春の一時期を過ごし、癒され、今もなお居心地の良さを感じて各図書館を訪れる俺にとって他人事ではない。

 しかしながら図書館は今や社会的認知されている。どこの地方の市町村にも図書館は当たり前にあり、これらを廃止するとなれば、今まで当たり前にあったものが急になくなるのだから反対の声は上がろう。しかし例えば「図書館に係る経費・人件費を削減する」「民間に委託してコストを下げる」であれば逆に反対の声は上がらず「図書館が存続するためにはそのような事はどんどんやって欲しい」とすら言われる。なぜなら図書館管理運営する司書重要性が認知されていないからであって、それについて今までは主に制度的な側面から言及されてきたが(司書一定の授業を受ければ誰でもなれる、そもそも図書館長が司書資格を持っていなくてもよい、等)、本書第5章では「小説漫画・ドラマ等で描かれた図書館員」について言及され、その中で図書館員は「本が好きなら誰でも楽しくできる」「司書資格を持っていて専門的な能力があるから務まるとは描かれない」のであり、そのようなイメージ図書館に詳しくない人間の目に触れ、再生産され、「それなら(司書など)いらない、人件費アルバイト並みに安くていい」という考えに繋がるのも容易な事である

 ではなぜ「(図書館仕事は)誰でもできる」と一般の人々から見えるかと言えば、戦後図書館サービスが「貸出サービス中心」となったからで(第6章)、図書館資料地域郷土資料含む)の整理・保存、住民からの調べ物相談、といった専門性必要サービスよりも「貸出サービス」を優先するべきという考えが打ち出され(「中小レポート」「市民図書館」等)、この思想理念業務運営においても効率的(「本を開架で揃えておけば後は住民が本を選択するだけであり、戦前のように書庫へ本を取りに行く手間はいらない」「本を借りるだけなら、閲覧室はいらない」等)であった事もあり、日本全国の各図書館で受け入れられ、図書館はまず第一に「本を無料で借りられる」ところとなった。しかしそうなると「図書館仕事イコール「本の貸し出し業務」と住民には映り、レンタルビデオ手続きスーパーマーケットレジと同じに思われる事も自然であった。そして「レンタルビデオ手続きスーパーマーケットレジ」と同じ(と思われている)であればそのようなものに売上を奪われている(もしくは売上を奪われる原因の一つになり得る)出版業界が黙ってはおらず、「無料本屋論争」となって地位の低下に一役買っているわけであるが、一方アメリカでは図書館大会時に「出版社が来場した図書館員に本を売り込んでいる」(第1章)ほどの図書館文化が花開いている。戦後日本図書館(及び司書制度)がどこで間違えたかを考えなければならない時がそろそろ来ていると言えよう。

 しかし、繰り返すになるが、今の図書館社会的認知されている。なぜなら利用者必要な本を必要な時に読む事ができ、それによって健康文化的生活を送る事ができるからである。もしくは「図書館」という空間で、日常喧騒を忘れ、静かに時を過ごす事で、やはり健康文化的生活を送る一助となっている。図書館必要なのであるしか図書館に何を置いて司書は何をするのか(図書館及び司書がやらなければならない事)、図書館に何を置かないで司書は何をしないのか(図書館及び司書がやる必要のない事)を整理する事なく、ひたすら「貸出サービス」を推し進める事でここまで来てしまった事は否定できないのではないか。戦前において図書館は「図書」の館であり娯楽雑誌大衆雑誌は読めず「雑誌回読会」などに頼るしかなかったし、「大衆迎合する俗書(雑誌の他、小説漫画)」は選書から排除されていた(第2章)。それが戦後は一転して「利用者のどんな求めにも答えなければなりません」となったはいいが、ではベストセラー小説やどんな種類の漫画も(俺がラブコメ大賞で言及するような「エロではないが、非エロでもない」漫画全面的に受け入れるのかと言えば中途半端状態現在図書館に置かれ、一部の図書館ではリクエスト制度の暴走といった事態にまで発展し、出版社が言いたい放題できる隙を与えてしまっている。一方で図書館における本の物流システム書架に並ぶまで)は効率的に整備されたが(第3章)、その成功体験が身についてしまったのか、電子書籍デジタルコンテンツへの動きは鈍い(特に地方中小図書館)等、等、図書館のみならず経済・社会そのものが大きく変わろうとしている現在図書館が「何をやろうとして、何ができて、何ができなかったのか」そして「何をしなかったのか」を整理してくれる本書は、必ずや未来図書館のヒントとなるだろう。

shomotsubugyoshomotsubugyo 2018/05/20 23:06 や、どうもです(´・ω・)ノ
明治この方、いろいろやろうとはしてきたんですわ(。・_・。)ノ
そんで、できたこと、できなかったことがあったんですが、【できすぎて路線変更ができなくなっちゃったこと】で平成―ももう末期ですが―の日本図書館界は構成されてゐるのでした(σ・∀・)σ

さういふことがわかる図書館史の本なのでござる〜(*´▽`)

tarimotarimo 2018/05/20 23:25 そうなんですよね。
第6章に書いてあった、「「貸出カウンターモデル」から外れる要求が「正当な」要求とはみなされず、「あるべき姿」を攻撃する敵対意見しか見なされなかった」というのが、日本の図書館の行き着いた姿なのかなあと思ったりしました。
しかし、この本、読んで良かったですね。

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2018-05-12

[]生涯忘れられない日 生涯忘れられない日を含むブックマーク

3月25日

  • @shomotsubugyo 女子会ですか? まさかまたデート? posted at 11:27:14
  • 新橋古本まつり準備中pic.twitter.com/iEF0DvUIQC posted at 18:33:07
  • 昨日買った本やら何やらを整理中、置き場所はないぞ、どうするんだ pic.twitter.com/VDVYlHgrFL posted at 21:07:36
  • 会社での話。 先月末、めでたく60歳で定年退職となった人で、割と仲がいいのにサシで飲んだ事はないのでと飲みに行きまして、その人のサラリーマン人生について話を聞いてきました。 posted at 21:48:06
  • その人曰く「昔、30年くらい前は、皆残業なんかしてなかった。定時の17時半とか18時には帰れていた。今思えば、とにかく人が多かった。でもそれが当たり前だった」 「残業なんて月に一度か二度くらいで、その時は会社からパンとか弁当が出た。だけど皆、それが当り前だと思っていた」 posted at 21:52:51
  • 「ところが20年くらい前から、徐々に残業というか、帰りが遅くなってきた。たぶん、1人1台、パソコン支給されだした頃だと思う。今までは部に1台か2台、共通パソコンがあったんだけど、1人1台になって、終わりというか、どこまでやればいいかの境い目がなくなってきた」 posted at 21:56:22
  • 「変な話だけど、残業が当たり前になってくると、それまで注文してきたパンとか弁当とか、頼みづらくなって、なくなってしまった」 「いつの間にか、残業するのが当たり前になっていた。それも何となくだよ。何となく、定時に帰るのが当たり前だったのが、今度は残業するのが当たり前になったわけだ」 posted at 21:58:49
  • 「昔は定時で帰れたっていうのは、別に生産性が良かったからとか社員が優秀だったからじゃなくて、人が多かったのと、今みたいに消費者とか投資家へのサービスがあまり意識されなかったから適当にしてれば良かっただけ。でもそれが当たり前だったから、当時は何とも思わなかった」 posted at 22:02:53
  • 「年頃で独身社員が男女で多数いたら、彼らが話したり飲んだりできるように、さりげなく場をセッティングしてやろうという雰囲気が昔の会社にはあった。でもそれも20年くらい前からなくなってしまった。セクハラとかが言われ出した頃だと思う。とにかくどんどん窮屈になっていった」 posted at 22:09:33
  • 「会社に限らず、社会全体が若い人にものすごく不寛容になっている。昔は若い人はとりあえず飲ませて遊ばせとけ、いずれ彼らも中年になったらちゃん仕事するんだし、その時のために今は遊ばせておけって感じだったんだけど、今は若いうちから勉強だの英語だの仕事だので見ているこっちが辛い」 posted at 22:17:33
  • えっと…風呂からあがって歯磨きして、そろそろ寝ようとしたら…リツイートが30?いいねが40? こういう時どうするんだ、誰か教えてくれ。 posted at 00:13:32
  • 追加。 「例えば定時が17時半だとすると、17時半で終業のチャイムが鳴る。そして次に17時40分にチャイムが鳴る。残業開始のチャイムだ。つまり、17時半から10分は休みという事で、そういう事もチャイム一つで工夫していたわけだ。もちろん、皆それが当然だと思っていた」 posted at 00:57:25

  

3月26日

  

3月27日

  

3月28

  

3月29日〜

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