3 明言しなければならない

10位:いんもらりずむ/gumi555[ジーオーティー:GOTコミックス]

いんもらりずむ (GOT COMICS)

いんもらりずむ (GOT COMICS)

 毎年繰り返し言及している事であるが今年も繰り返すが、成年版ラブコメと近親相姦は相性がいい。なぜならラブコメという、「地味で平凡で冴えない主人公(=読者)」に「美人で巨乳でスタイルよくて」「最初から主人公(=読者)にぞっこん」な女(ヒロイン)が…の構図を描く場合、まず考えるのは「どうして美人で巨乳でスタイルのいい女がこんな地味で平凡で冴えない主人公(=読者)と相対するのか」という事であって、しかしそこで主人公を歯の浮くような美辞麗句を並べるアホにするわけにはいかず、かと言って俺のようなチビ・デブ・ハゲ等の欠点を受け継いだ主人公を描くわけにもいかない。またヒロインを頭のおかしい女(こんな美人で巨乳でスタイルがいいのに地味で平凡で冴えない主人公に股を開く→頭がおかしい)にするわけにもいかず男なら誰でもいい(棒ならなんでもいい)淫乱女にするわけにもいかない…という時に便利なのが近親相姦だからで、「地味で平凡で冴えない主人公(=読者)」にも家族・親族は必ず存在するのであり、家族・親族であるから幼い頃からお互い顔見知りであるしよほどの事情がない限り家族・親族特有の親しさがある。「美人で巨乳でスタイルのいい女」であっても「地味で平凡で冴えない主人公(=読者)」が家族・親族ならば親しみの感情が生まれ、それが悪魔の所業によって恋愛方面へ旋回すればいとも簡単にカップルが誕生しよう。
 そのような近親相姦物は一般ラブコメより成年ラブコメの方がより威力を発揮する。例えば「母VS息子」であれば二次元であるから母は10代20代と変わらぬ容姿となり、主人公(=息子=読者)は10代20代と変わらぬ女と性交渉をしつつ男女間の愛情プラス母性本能によって完全に守られ、更にタブーを侵した事による快楽まで感じる事ができよう。逆にこれが「妹VS兄」となれば幼い頃から自分(=兄=主人公=読者)を慕っていた女(=妹=ヒロイン)を性的にも支配する事で所有欲を満たしつつ男女間の愛情も感じつつ、同じくタブーを侵した事による快楽を感じる事ができよう。
 前置きが長くなったが本作はオール近親相姦(「姉VS弟」「兄VS妹」「父VS娘」「叔父VS姪」等)であり、エロ漫画本の宿命で短編集であるから玉石混交、ラブコメ的に不完全なものがあるが、おおむね共通しているのは性交渉前にヒロイン側がタブーを把握している事で、本来恋心を抱いてはいけない相手(=主人公=読者)に対して恋心を抱いている事が序盤で読者に伝わるよう仕向けられ、それぞれのきっかけによってその恋心が表に出るが、長い年月の間秘めていた感情プラス「タブーであること」をヒロイン側は意識しているので「表に出る」というより「暴発」に近い形でその恋心は発現され、そのまま勢いに乗って一気に性交渉まで流れるのでテンポがよく読みやすいのが高ポイントであった。近親相姦など今やエロ漫画では当たり前の材料であるが、それをうまく利用していると言えよう。しかし勢いに乗って性交渉までこぎつけたはいいがそれから先はただの恋人同士となってあまり近親相姦の香りがしないのがやや物足りなくもある。次回作も近親相姦ものを期待している。
   
9位:飲んだらヤレちゃう天然秘水/いのうえみたんジーウォーク:ムーグコミックス]
 はて成年マークがついてないが…電子書籍版の方はしっかり「18禁」として売られておるし…その内容からして本作は成年部門編が妥当であろう(双葉社竹書房のような「エロではないが、非エロでもない」レーベルならともかく、こちらのレーベルはエロ以外の何物でもない)。しかしそれよりも何よりも、本作には深みが感じられない、と言うよりは画力が平均以下であり(キャラクターはともかく背景など完全にやっつけ仕事)、エロ漫画に必要な淫靡さも淫猥さも感じられないので自慰の道具としては使えないであろう。しかし何度も繰り返すが今から評価するのはラブコメとして優れているかどうかであり、「エロいかエロくないか」はどうでもいい。エロ(=性交渉)を主とする舞台において、いかにラブコメ的展開(「地味で平凡などこにでもいるような男」VS「美人でかわいくて性格もいいヒロイン」)を無理なく無駄なく華麗に仕上げる事ができたかが肝要なのであり、それさえ満たせば画力など瑣末な事である。
 というわけで前置きが長くなったが電子書籍を前提にしている本作は非常にシンプル且つオーソドックスなもので、営業成績最下位の冴えない主人公が「珍宝山の湧水」「フェロモン香水」「淫語チェンジャー」という面白道具を自動販売機で買ったところそれらの道具のおかげで周囲の女達といとも簡単に性交渉ができるという、何とそれだけなのであるが、ただ女とヤって後はポイ捨て、ではなく「めっちゃかわいい同期入社のヒロイン」がその存在感を発揮している事で凡百の低レベル電子書籍エロ漫画から頭一つ抜け出しているのであった。そして普通ならば道具の力を使って強引に性交渉となれば「何て事してくれたのサイテー!」となるはずが「両想いだったんだ」という事で主人公(=読者)はヒロインという拠り所を得るのであり、そうなればその後いかに多くの女達(美人だが高飛車な先輩女、美人だが高飛車な同僚女1、美人だが高飛車な同僚女2、美人だが高飛車な上司女)とやっても主人公の安定は保たれよう。
 成年版ラブコメで必要な事の一つに「主人公(=読者)がリスクを感じないこと」がある。「自分に好意を持っているかどうかわからない」女と性交渉する事は「自分はこの女に利用された、快楽の道具にされた」と屈辱を感じるリスクがあり、また性交渉を経ても恋人になれるかどうかはわからないというリスクがある。しかし既に両想いの彼女を手に入れた主人公(=読者)は彼女以外の女を欲望の道具として使い捨てにできるのであり、それは男(=読者)の野望を大いに刺激しよう。但し派手に色んな女とヤり過ぎると本命ヒロインにバレるというリスクもあるが(「浮気は許さないからね」)、ちょうどいいタイミングで物語は終わりを迎えめでたしめでたしとなった。その昔、と言っても90年代まではこのような「サラリーマンが己のイチモツで周囲の女を獲得する」という官能小説が多数あったが、それをラブコメ的に、現代的に変形させたのが本作であろう。電子書籍と言えど馬鹿にできない、ラブコメの可能性は続くのである。
  
8位:じょしラク!〜2 Years Later〜/DISTANCE[ジーオーティー:GOT CO
じょしラク! ~2Years Later~ (GOT COMICS)

じょしラク! ~2Years Later~ (GOT COMICS)

 さて成年漫画で長編(連作)は難しい。刹那的な快楽であるエロは「勢い」と「パワー」によって成り立ち、勢いもパワーもなければエロは急速に萎んでしまうが、1冊丸ごと、決められた登場人物達と決められた設定という枠の中で勢いとパワーを持続させ、且つ読者を退屈させないためにはただエロ的描写に力を入れるだけでは息切れしてしまうのであって、やはりストーリーを展開させなければならない。しかしストーリーを豊富にすればエロは少なくなってしまう。そのため長編においては「登場人物を主人公とヒロインとその他少数に限定して濃密な人間関係を展開させた上でエロをやる」パターン(2015年1位「7×1」、2015年9位「エローライフ」他)か「豪華絢爛なハーレムを提供して突っ走る」パターン(2015年4位「僕の山ノ上孕ませ日記」、2014年3位「いきなり!ハーレムライフ」他)しかないのであって、しかし一口に突っ走ると言っても1冊丸ごと最初から最後まで見事な走りができるかと言えば途中でどうしても息切れをしてしまうので結局この順位となった。
 本作は過去紹介した「あねこもり」(2015年2位)の続編であり、本作から読み始める人は主人公とヒロイン達の関係(特に「前作までのヒロイン達」と「本作からのヒロイン達」)が把握できずやや混乱してしまう危険があるが、前作で見せた「膣内射精・妊娠」の見せ方は本作でも健在で、もちろん膣内射精などエロ漫画では当たり前であるが、最初は主人公(地味で平凡な高校教師)を意識していなかった本作からのヒロイン達は性豪・性獣ぶりを発揮する主人公によって征服され(「女を孕ませてきた猛者の腰振り」)主人公の子種を本能的に欲しがるのであり(「赤ちゃん孕んじゃう時のこの感じ、女の幸せを一番感じるこの感じ」)、それを見る読者は主人公(=自分)がヒロインの理性を征服し本能を剥き出しにする事に成功した事を体感し「征服」という野性的な感覚を知り、男としての自信を得るのであった。そのようにして女を征服し続けながら既に征服した女(前作までのヒロイン)も周りに配置する事で(「私も大学を卒業したら先生と結婚して」「ライバルは早期につぶしておかなくては!」)、「男(=主人公)1人対女2人以上」の性交渉描写がなくともハーレム感を醸成する事ができ、ハーレム及びエロに必要な「突っ走り(勢いとパワー)」がなくてもハーレムが成立している稀有な作品に仕上がったのが本作である。何度も言うように俺が求めるのはエロではなくラブコメの成年版であって、たとえハーレム性交渉描写(男1VS女2以上)がなくても、その気になればいつでも複数のヒロインと性交渉を繰り広げる事ができると読者が認識すれば勝負はついているのである。ヤるかヤらないかなど瑣末な話なのである。
 というわけで本作は素晴らしい。実はもう少し上位にする予定だったがストーリーがあまりにもスローな事(前作までのヒロイン達や本作からのヒロイン達と五月雨的に性交渉するだけで着地点が見えない)とレズが出てくる事もあり、総合的にはこの順位が妥当であろう。
  
7位:妹のおま○こ/潮風サンゴ[ティーアイネットMUJIN COMICS]
妹のおま〇こ (MUJIN COMICS)

妹のおま〇こ (MUJIN COMICS)

 即ち、妹とは何か、であって、近親相姦としての快楽については10位で説明したのでもっと踏み込んでみよう。というのも「兄VS妹」という構図はエロ漫画に限らず一般部門のラブコメに限らず世間一般に受け入れられており(時々少女漫画やトレンディドラマでも「兄妹」ものを見かける)、その他の近親相姦(「母VS息子」「姉VS弟」)とはだいぶ趣が違うからである。
 日本の夫婦は大体が「夫が妻より1〜5歳年上」である。正確な統計を調べたわけではないし最近は「夫と妻が同い年、同級生」という例も多いが、少なくとも「妻が夫より1〜5歳年上」よりは多い。つまり日本の家族は「父は母より1〜5歳年上」が一般的なのであって、そうすると父は母より人生経験が多い分、母よりも上の立場に立って家族を率いていかなければならず、子供はそれを当然のものとする。「兄と妹」の組み合わせ、つまり男が女より1〜5歳年上であるという組み合わせの普遍性はそこであって、近親相姦の中でも「母と息子」「姉と弟」よりはタブー感が少ないのであり、タブー感が少ないという事はそれだけエロ漫画の題材としても「一般的」となり、妹は頻繁に登場にするようになるわけだが、そうは言っても近親相姦、つまり禁じられた関係である事には変わりないため、
(1)「許されない関係」を終始意識しながらも惹かれあい性交渉を繰り返す。
(2)「許されない関係」については最初に少し触れるだけで、その後はお互い好き合っている者同士が自然と性交渉をするように性交渉を繰り返し、「許されない関係」そのものを消滅させる。
 のどちらかを選択しなければならない。もちろん①の方が淫猥さが強調され、且つタブーを意識する事によってより兄(=主人公=読者)と妹(=ヒロイン)の関係が強固となって深く濃いラブコメとなり評価も高くなるが、②でも優れた作品は多く存在し本作もその一つである。
 短編というよりは中編というべき各作品に登場するヒロイン(=妹)達は主人公(=兄=読者)のために朝から性交渉をせがむのでありビッチとなるのであり髪も茶髪から黒髪に戻すのであって、それをヒロイン(=妹)が当然の事として実行する事で読者は自分がヒロインを支配している事を自然に実感することができ、また妹側から性交渉を仕掛けたとしても(「朝勃ちのおち○ちんにおま○ここすりつけてたの」「やって帰ってきた、早くエッチしよ」)それが支配を揺さぶる事のないただの甘えである事が度重なる性交渉を通じて主人公(=読者)に伝わり、このあたりは中編(性交渉シーン→非性交渉シーン→性交渉シーン→非性交渉シーン、の繰り返し)である事をうまく活用していると言えよう。これで変なレズプレイ(?)的な描写がなければもう少し上位に食い込んでいたのだが、それはともかく妹ヒロインは兄に支配されつつ、その支配に安住して快楽を貪欲に求めるのであり、兄は妹のその求愛にやや戸惑いつつ常に応えるのであった。父と母のように、夫と妻のように。
  
6位:甘ったれバンビ/なるさわ景茜新社:TENMA COMICS JC]
甘ったれバンビ (TENMA COMICS JC)

甘ったれバンビ (TENMA COMICS JC)

 何度も言うように俺は世界のラブコメ王であってロリコン王ではない。と言うよりロリコンであろうが熟女だろうがラブコメであれば許容するので俺の方が偉いわけである(何のこっちゃ)。つまり主人公が「地味で平凡で冴えない男」であればヒロインが小学生でも結構なオバハンであっても許容するので俺は偉いのである(何のこっちゃ)。
 とは言え本作はJC、つまり女子中学生なので少々迷うところではある。そもそもロリコンの定義などあってないようなもので、「小学校低学年まで」という定義もありえよう(幼稚園以下になるとペドになるのかな。ま、犯罪さえしなければいいでしょう)。しかし中学生となると…ほとんどの女子は思春期を迎えて反抗期の生意気真っ盛りの時期に入り、やれジャニオタだ腐女子だと騒いで周囲の男達を侮蔑の目で見るはずである。ラブコメにおけるロリコンとは「まだ子供で幼いからこそ、主人公が世間一般から『地味で平凡で冴えない男』と評価されても気にせず、純粋無垢に主人公を求める」構図を確保することができ、主人公はその純粋無垢な勢いを借りて性交渉へと一気に持ち込む事ができるのである。
 翻って本作はと言うとなるほど中学生であるから小学生的な純粋無垢さはないが、代わりに「甘ったれ」という概念を持ち込んでいる。即ち中学生であるから性教育も受けており、性交渉をすれば妊娠して男女間で責任が発生する事は知っているものの、一方でこの年齢の女子にはよくある事だが「恋に恋する」「恋に憧れる」感情も強く持ち合わせており、理性(妊娠による諸々の問題)より「恋する」「彼氏ができる」「好きな人の子供を妊娠する」というロマンスを優先するヒロインを描く事で、「甘ったれ」なヒロインを表現している。特に表題作ではそのような「甘ったれ」なヒロインに対する男(=主人公=読者)は6人中5人が教師であり、中学生であり既にそれなりの知識(妊娠によって諸々の問題が発生する)を持ちながら主人公(=読者)の子供を欲するヒロイン達の姿は「甘ったれ」度を強くしており、そのまま性交渉へとなだれ込めば主人公(=読者)にもその甘ったれ度が伝播して共に甘い世界を享受できよう。また先程説明したように中学生であれば「ジャニタレ」「腐女子」等の余計な情報によって主人公及び読者を不快にさせる事が多々あるが、本作のヒロイン達はそのような気配すらなく、純粋に、教師であるという事以外は何の特徴もない没個性的な主人公(=読者)をひたすら求めるのであり時には主人公(社会人)からの甘えを母性的に包むのであり(「こいつの母性は俺には甘すぎる」「ちっちゃいおっぱいも大好きだもんね、このロリコン教師」)、それによって主人公(=読者)はその甘さに包まれつつ存分に欲望を放出する事ができる。またどれだけ主人公(=読者)がヒロインの膣内に射精してもヒロイン達は常に受け入れ、主人公(=読者)はそんなヒロインに癒されつつ愛情を認識し、妊娠その他の問題を背負って立つ覚悟までできてしまうのであった。「甘ったれ」を貫けば、その先に幸せが訪れる、これぞ成年版ラブコメの真骨頂である。
  
5位:M系彼女調教性活/かたせなの[ジーオーティー:GOT COMICS]
M系彼女調教性活 (GOT COMICS)

M系彼女調教性活 (GOT COMICS)

 繰り返しになるがラブコメとは「男が女の上に立つ思想」であって、地味で平凡で冴えない男(=主人公=読者)が特に何もしなくても美人でスタイル抜群なヒロインが言い寄ってくる、股を開いて進んで奉仕する事を言うのであるから、構造的にラブコメのヒロインはMである事が必須(自ら股を開いて奉仕する女がSなわけがない)となるが、そこに強制があってはならない。ここが大事なところで、ヒロインが性的嗜好的にマゾである必要はない。求めるのは「地味で平凡で冴えない主人公(=読者)」に性的に積極的に奉仕し、それ自体に喜びを見出すヒロインの姿であって、性交渉の実際はヒロイン側が上位であっても(例えば騎上位)いいわけである。しかし美人でスタイルがいい、更には社会的地位が高いヒロインが、容姿的にも社会的にも劣る男(=主人公=読者)に奉仕する事を無上の喜びとしており、しかもそれが「男なら誰でもいい」ではなく「主人公(=読者)にのみ」奉仕する事に喜びを見出しているのならば、ヒロインは自らの地位を自らの意思で放棄している事になり、且つ「男なら誰でもいい」というような病的な理由からではなく「主人公(=読者)にのみ」という信じられない理由がより実態を深刻化させ、結果的に読者はヒロインの奥底にある深いマゾ性を見出す事ができる。それを認識した時、読者は無敵となり、欲望のタガを外し、無限に快楽を追求する事ができるのである。
 そこで本作であるが、タイトルに「M系」と銘打ってはいるものの性交渉自体は特段変わったものではない。しかしヒロイン達は主人公(=読者)に特に好意を持っていなくても性交渉を経て主人公の虜になるのであり、以後進んで性交渉に応じるどころか主人公が喜ぶよう積極的に快楽を追求しつつ愛をも告白するのであった。またなぜこれほどまでに主人公に夢中になったのか(「私のお仕事は…先輩のおちんぽを…いつでもどこでも気持ち良くする事です」「私をあなたのドM奴隷にしなさい」「私…先生の性処理係だから」)を明確に説明しない事で、先程説明した「より深いマゾ性」へと結果的に繋がっているのであった。一般部門でも同じ事が言えるが、制作側が「都合のいい展開」を描写する事の戸惑い・恥じらいから逃れるために「なぜこのような性交渉が行われたのか」「なぜヒロインは主人公に対して股を開いたのか」を説明する事が多々あり、大抵の場合その理由は「ヒロインの危機を救ってくれたから」「主人公がヒロインにとってヒーローだから(つまり地味で平凡で冴えない男ではないから)」といった陳腐なものとなる。しかしそれではいかんというのがラブコメのスタートであって、それらの戸惑い・恥じらいを振り切って性交渉へ突入する本作の思い切りの良さと勢いは大いに見習うべきであろう。そして日本ラブコメ大賞の常連である作者(2013一般・13位「いけない二人とはじめての罰」他)が描く、少女漫画のような細い線によって描かれた愛らしいヒロインたちが積極的に性的に奉仕しつつ性的に奉仕する事の幸せを全身から醸し出す姿は、読者を性欲処理から一歩進んだ幸せな気持ちにすらしよう。至れり尽くせりとはまさにこの事であった。
   
4位:義理の妹なら溺愛しちゃう?/志乃武丹英富士美出版:富士美コミックス]
 さて、懲りずにと言うべきかあきらめずにと言うべきか、義妹シリーズも4冊目、まずは作者に敬意を表して今までの順位を書いてみよう。
・2014「義妹処女幻想」→2位
・2015「義妹禁断衝動」→3位
・2016「義理なら兄妹恋愛してもいいよね」→5位
 という事で4冊目も見事5位以内に入ったのでまずはおめでとうという事だが、内容はと言えばエロさ自体は従前の3作よりも薄くなっているというのが第一印象で、もちろんこの義妹シリーズの最大の特徴である「清楚な雰囲気を持ちながらもその台詞から仕草まで全ては『お兄ちゃん(=主人公=読者)が好きで、お兄ちゃんに抱かれたい』を表現している」「義理とは言え妹であるため躊躇している義兄(=主人公=読者)を何とか誘惑しようと健気に拙い努力をする」「義兄に全力でぶつかりつつもキュートさを失わないその愛くるしさは遊んでほしそうに寄ってくる子犬か子猫のよう」は本作でも健在であるが、ヒロイン(義妹)の社会的地位にあまり言及されていない(誰もが羨む美人か否か、周囲から「ヒロインの兄である」という事で羨ましがられているか否か)ので性交渉に至った時の盛り上がりが少ない(「誰もが羨む女」と性交渉した時と「そうではない女」と性交渉した時の違い)、つまり性交渉を描きながら勢いがなく平坦なのであるが、それが欠点になっているかと言えばそうではない。
 10位・7位で説明したように、妹とは生まれた直後から自分の下に位置するため常に自分(兄)は上の立場にいる事ができ、時には自分の意のままに操ることができ、優越感に浸る事ができる存在である。と同時に家族であるから自分(=兄=主人公=読者)に対して好意を持っている事は保証され、そのような都合のいい存在が自分(兄)に惜しげもなく身体を開くのだから、妹とは天使であり女神である。しかし重要な事はこのシリーズはオール「義理」という事で、いくら家族と言っても血が繋がっていないのだから主人公とヒロインの関係にはどこか脆いものがある。しかし脆い事が逆にお互いを離さないよう性的な関係にのめり込ませ、しかし作者の描く清楚で一途な義妹ヒロインはたとえ性交渉において過激な行為を行おうとも清々しさを感じさせるという稀有な世界を構築しており、シリーズを続ける事でその稀有な世界はより深まっているのであった。言わば「性交渉を描く」のではなく「性交渉を通じて深まるヒロイン(義妹)と主人公(義兄)の絆」を描く事にベクトルが向いているのであって、その分エロさ(興奮度)が薄まってしまうが、もちろんラブコメ的にはそちらに向くのが正解である。成年版ラブコメにおいて性交渉とは「主人公とヒロインの愛の対話」としてあるべきで、それによって成年版ラブコメは読者の救いとなり癒しとなり希望となるのである。ますますディープに進化するこのシリーズに来年も期待している。
  
3位:好きに使っていいよ/いとうえいワニマガジン社:WANIMAGAZINE COMICS S
 さてここで基本に返ろう。一般部門だろうが成年部門だろうがラブコメとは男(=主人公=読者)は「地味で平凡で冴えない青年」であるから、対する女(美人で巨乳なヒロイン)が主導して性交渉へと持ち込まなければならないが、だからと言って逆レイプ的な事はしてはならない(騎上位ならいいだろうという問題でもない)。ラブコメとは「男が女より優位に立つ思想」であって、所詮は男(=主人公=読者)が女(=ヒロイン)を組み敷くのである。つまりヒロインに求められているのは呼び水的な役割であり、いざ性交渉の現場となれば攻守交代しなければならない(これを俺は「ラブコメとしての節度を守れ」と言っている)。
 そしてここからが成年部門特有の説明となるが、男(=主人公=読者)側が女(=ヒロイン)を攻める時に女側は快楽を表現しなければならず、その快楽の表現が過激であればあるほど男(=主人公=読者)の欲望は燃え上がりプラスになるが、しかしその過激さはあくまで「主人公と繋がっている」を起点にする事が重要、というより守らなければならない大原則であって、それを守らなければヒロインは「主人公じゃなくても快楽を表現する人間」となり、ただの淫乱のキチガイとなってしまう。例えばヒロインが主人公の肉便器になる事は大いに結構であるが、それは「(主人公専用の)肉便器」である事を明言しなければならない。
 しかしエロ漫画とはそもそも女が快楽にあえぐ姿を描く事であり、そこを強調するとその原則から外れる事が多々あるが、そんな時は本作を参考にすればいいというが俺の最も言いたい事である。日本のエロ漫画の宿命・短編集であるから例外はあるものの本作のヒロイン達のほとんどは自ら進んで主人公に抱かれる、或いは主人公が興奮するよう誘惑するのであり(「こんなエロい下着買っちゃった」「恥ずかしい写真、撮ってほしい」)、期待通りにいざ性交渉へと移動すれば攻守交替でひたすら主人公(=読者)からの攻めに歓喜の声を上げ、しかしそこに淫乱さが微塵も感じられないのは「主人公(=読者)に抱かれている」から「快楽が提供されている」事をヒロインが絶えず発信しているからであり(「主人公君のお嫁さんになりたい、だからどんな恥ずかしいエロ事だってしてあげるよ」「あなたとしかエッチな事はしたくない、私にしかエッチな事はしてほしくない」「昔から好きだし、今も好き、きっとこれからも間違いなく好き」)、それによって主人公(=読者)はより激しく、もっと激しく快楽を感じる事ができよう。成年ラブコメともなれば読者の性欲処理も大事な役割であり、本作はその点からも大いに役に立つだろう(立った)。
 作画力やストーリー展開のそれぞれの点数が飛び抜けているわけではなくても、このようにラブコメの基本を守り、その基本を強固にする事で3位になれるのである。やはり基本が全てだ、ラブコメは色々な事を教えてくれる。
   
2位:TEEN・XXX/にしまきとおるエンジェル出版:エンジェルコミックス]
 毎年言っているように、優れたエロ漫画はラブコメよりもラブコメ的である。一般のラブコメ作品では性交渉描写があったとしても淡白にせざるを得ず、結果として主人公とヒロインがどこまでお互い依存しているか、お互いを欲しているかを強調する事ができないが、エロ漫画は性交渉シーンを描かなければならないのだから遠慮なく性交渉描写を盛り込む事ができ、その性交渉描写を激しく濃密にする事で主人公とヒロインがいかに愛し合っているかを表現する事ができ、性交渉を重ねることによって2人の絆を深くしてゆき、恋愛と人生そのものをも描き切る事ができるのである。
 というわけで本作だが8位で言ったように1冊丸ごとを決められた登場人物達・決められた設定という枠の中でエロ漫画としての勢いとパワーを持続させ、且つ読者を退屈させないためにはストーリーを展開させなければならずしかしストーリーを豊富にすればエロは少なくなってしまう。そのため長編においては「登場人物を主人公とヒロインとその他少数に限定して濃密な人間関係を展開させた上でエロをやる」パターンか「豪華絢爛なハーレムを提供して突っ走る」パターンしかないが、本作は「主人公とヒロイン」のみで成立しており、しかもお互い「童貞と処女」からスタートするから当初の盛り上がりは欠けるものとなるが、読み進めるうちに今までの成年ラブコメとは一味も二味も違う事に気付く。何とその「童貞と処女」同士の性交渉描写に80頁、全体の4割も費やしているのであり、その長丁場の性交渉描写がとにかくムーディで、流れとしては
(1)ヒロインが「子供の頃約束したように、18歳になったから、私の処女をもらって」と告白
(2)主人公→ヒロインへの前戯(キスからクリトリス攻め)
(3)ヒロイン→主人公への前戯(フェラチオ
(4)シックスナイン態勢でお互いの性器へ愛撫
(5)挿入→射精
(6)射精後の小休止の後、パイズリ→再び射精
 となり、その合間に主人公とヒロインは「主人公に私の初めてを捧げる事ができて幸せ」「ずっと離さないでいて、私一生、主人公の女でいたい」といった歯の浮くような台詞が飛び交うが、読んでも恥ずかしさを感じないのはそれだけ二人の世界を確立できているからである。かくして主人公(=読者)はヒロインを手に入れたのであり、このヒロインがまた日仏のハーフのモデル且つ大変なスタイルで(上から112・58・88)、にも関わらず幼い頃から主人公一筋、しかしその主人公はやたらと蘊蓄を披露する以外は特に特徴もない(「父親の稼ぎで食わせてもらっている」「レンタルビデオ屋でバイトするただの学生」「自称天才の救い難いナルシスト」「車の免許もない分際で性欲だけは一人前以上」)にも関わらずこの大変なヒロインとデートを繰り返し、愛を囁き、性交渉を行い、処女だったヒロインは次第に女の顔となっていき、二人の関係は精神的にも肉体的にもより深くなるのであった。
 つまり主人公(=読者)は人生の勝者となったのであり、この先どんな困難があろうとも美人で巨乳で自分にぞっこんで性的な要求は何でも応えてくれるという夢のようなヒロインと人生を歩んでいく事が読者にはっきりとわかるのである。そこまで二人の世界を築き上げた本作は大変なものであるが、1位の作品と競った結果僅差で2位となりました。しかし素晴らしい。主人公(=読者)はヒロインを支配し、人生に勝利する事で、無限の快楽を手に入れたのである。
  
1位:純愛リリシズム/美矢火[文苑堂:BAVEL COMICS]
純愛リリシズム (BAVEL COMICS)

純愛リリシズム (BAVEL COMICS)

 エロ漫画は性交渉シーンを描かなければならない。その性交渉描写を激しく濃密にする事で主人公とヒロインがいかに愛し合っているかを表現する事ができ、お互いの絆を深く繋ぐ事ができ、恋愛と人生そのものをも描き切る事ができよう。
 しかし本作(表題作「私の好きなおじさん・俺の好きな家出少女」)はそれをもう一歩進ませて男女の出会いとその先にある人生そのものを描き、それに成功しているというもので、こんなエロ漫画は今まで見た事がない。とにかくすごかったのであるが内容を紹介すると人生に疲れた中年(40〜50歳、「どっかにエロエロな美少女が落ちてねえかなあ」)が気ままな家出少女を何となく家に入れる事から話は始まり、家出少女は泊まらせてもらう代わりに身体を提供しようとするが中年主人公はそれを拒否、なぜなら主人公は「そんなつもりではない」からで、戸惑う家出少女ヒロインだが本当に主人公にそのつもりがないとわかるや驚き、反発し、時に泣き、その過程で今までこのヒロインがどんなひどい生活を送ってきたかを主人公は悟り、一方今まで男にひどい目に遭わされてきたヒロインは主人公の行いが偽善であるとしてますます苛立ち反発し、目の前で自慰行為を行う等挑発はエスカレートするが、それでも主人公がヒロインに手を出さないのは主人公は「俺はお前(ヒロイン)の特別なものになりたい」からで、そのような主人公のセンチメンタリズムに反発しながらもいつの間にかヒロインも主人公を特別な人として想うようになるのであった。このようなセンチメンタリズムはそれこそ主人公のような、いい歳をして「どっかにエロエロな美少女が落ちてねえかなあ」と妄想する俺や諸君にとっては非常に魅力的であるが、この連作短編のすごいところはそのようにして回り道を繰り返した主人公とヒロインが遂に想いを遂げて性交渉へとなだれ込む場面であって、これほどエロさと崇高さを両立させたものは見た事がない。お互いの反発から中途半端な快楽行為しかできなかった二人はその想いを到達させ爆発させ、互いの身体を押しつけ互いの欲望を放出しつつ愛し合うのであり、その性交渉によって今までの人生で失ってきたものを取り戻すのであった。つまり二人は出会い、結ばれた事で救われたのであり、性交渉の中で「救い」を表現しているのである。これは「恋愛と人生」などではなく人生そのものであり、このようにして救われたのが40〜50歳の人生に疲れた中年であるというのがまた俺を含めた30歳以上の読者にとっては何とも素敵な事であり、心から「良かった良かった」と思える素晴らしいものであった。
 またその他の短編もヒロイン側から積極的に主人公に告白する事で(「こんな可愛い娘に告白され、肉体関係になり」「交際を申し込まれた時はびっくりした」)主人公(=読者)の人生を彩り豊かにしており、読者は救われ、癒され、希望が持てるのであった。これが1位となった決め手であり、ラブコメとはそのために存在すると再認識させてくれました。来年もこのような素晴らしい成年ラブコメに出会えると思うと救われ、癒され、希望が持てると言うものである。ラブコメ万歳。