陸軍と性病/藤田昌雄[えにし書房]

陸軍と性病

陸軍と性病

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 「陸軍」と「性病」!

 何とも気になる、魅力的なタイトルではないか。栄光の大日本帝国の陸軍、大日本帝国を破滅へと導いた陸軍、志願制ではなく徴兵制だった事からどうしても野暮ったさというか田舎臭さが抜けないゆえに憎めない陸軍、において、非エリート達はどのように性欲及び性病を処理していったのか。大変興味深いが、本書の内容自体は無味乾燥というか、当時の統計資料や広告(性病の市販治療薬やコンドーム等)を淡々と紹介していくのみなのでやや拍子抜けしてしまうが、途中で「フォトコラム」として「慰安所内の待合部屋で、慰安婦を横に至福の表情を浮かべる将校」「定期の性病検査のため病院の前で待つ慰安婦達」というどぎつい写真が載せられてびっくりしてしまう。「2名の慰安婦と写真に映る将校」「三輪車のプレーを行う刹那の写真」など、当時の雰囲気がはっきりとわかる。写真では将校(男)がやや締まりのない顔をしている一方で慰安婦(女)はもちろん無表情だが、嫌で嫌でたまらないというわけでもなさそうだ。仕事の一環なのでいいも悪いもないというところか。

 気を取り直して戦前の日本は徴兵制の下、各地に陸軍の駐屯地があり、そこには多くて3千人、少なくても5百から1千人の将兵がいた。更に将兵の他に将兵家族や軍属もいれば、駐屯地の周囲に彼らを対象とした商店や歓楽施設が立ち並び、小さな社会が形成され、遊郭が発生するのも自然な流れであった。そして通称「花柳病」と呼ばれた性病(梅毒・淋病等)も広がる。比率としては将兵全体の10%程度が何らかの性病にかかっており(1905~1909年)、またドイツでは第一次世界大戦期の性病発生率が開戦前に比べて倍以上となった(20%→40%以上)というデータもあり、平時であれ戦時であれ、性病の予防は戦前日本の喫緊の課題だった事がわかる。

 そのため各種法律・条令等が制定されるが、それらによって当時の状況もまた浮かび上がってくる。「救急法及衛生法大意」(将校・下士官・兵を対象とした衛生マニュアル)の「第二章 伝染病の種類 その七 花柳病 第五十三」には、「壮年ノ人久シク性交ヲ断チ居ルトキハ健康ヲ害スト云フモノアレトモ誤リナリ信スルヘカラズ」と書かれている。また戦地の慰安所に関する「慰安所使用規定」には、「慰安所利用ノ注意事項左ノ如シ」に「女ハ全テ有毒者ト思惟シ防毒ニ関シ万全ヲ期スベシ」と身も蓋もない事が書かれており、いかに当時の軍当局が性病予防に神経質になっていたのかがわかる。特に慰安所施設は軍の指導の下にあるわけだから(野戦酒保規定 昭和12年9月29日 第一条「野戦酒保ニ於テ前項ノ外必要ナル慰安施設ヲナスコトヲ得」)、「実施単価及時間」として「営業時間 午前9時~午後六時迄」「使用時間 一人一時間を限度とする」、更に「検査は月曜及び金曜日」「毎月十五日は慰安所の公休日とする」等と細かい規定が記されているのであった。

 現代の我々の感覚では公の機関である軍隊が性風俗施設を運営するとは様々な意味で大変なことであるが、同時に徴兵制・苦しい軍隊生活を送る若い成人男性達の姿もそこには浮かび上がる。徴兵制とはそれほど過酷なものなのだ。

     

 陸軍士官学校生徒心得(昭和17年9月)

 第八章 休日及外出

 第八十六 外出先ニ於テ守ルベキ注意概ネ左ノ如シ

 将校生徒ノ品位ヲ傷クルガゴトキ場所(飲食店、喫茶店、映画館、寄席、劇場、等)ニ出入リスベカラズ、又新聞、雑誌、書籍、音楽等ノ選択ニ注意シ、軟弱ナル娯楽ハ之ヲ慎ムベシ

歴史への招待22 昭和編[日本放送出版協会]

 さて知っている人は知っているNHKの歴史教養番組「歴史への招待」の書籍版が本書であり、収録されているのは「チャンバラ映画黄金時代」「永田軍務局長暗殺」「エンタツアチャコで漫才繁盛」「延長二十八回進め一億火の玉だ」「青い山脈 男女共学前夜」「北京原人はどこへ消えた」「緊急発信 敵空母本土に接近す」と、昭和を政治・社会・文化それぞれから取り上げた、昭和マニアとしてはどれも甲乙つけがたい垂涎ものである。やはり昭和はいいなあ、令和の現代に生きる我々と同じようで同じでない、しかし結局は我々と同じように嘆き悲しみ笑いつつ世俗にまみれながら醜く死んでいった人達の姿を見ていると普段の俺は何とまあ小さな事で悩んでいるのかと救われます。

 というわけで例によっておいしいところだけを紹介すると「永田軍務局長暗殺事件」では「陸軍史上最高の逸材」とまで言われた陸軍統制派の代表格・永田鉄山が白昼堂々と殺された事件当日の様子が解説され、誰もが疑問に思う「なぜ防げなかったのか」についての答えが一応は書かれている。軍務局長室には永田の他にもう一人、東京憲兵隊隊長である新見大佐が同席していたが、新見大佐には視野狭窄の症状があり、通常の人間の十分の一程度の視野しかなかった。軍務局長席で永田局長と向かい合った新見大佐は書類を見つつ報告の準備をしていた、つまり下を向いていたのであり、そこへ軍刀を持った相沢中佐が現れる。床には厚い絨毯が敷かれ忍び寄る足音は消され、新見大佐の視野狭窄の目には相沢中佐は見えない。逃げる永田軍務局長と軍刀を振りかぶる相沢中佐、その物音に気付く新見大佐、しかし時既に遅し…。永田は殺され、皇道派の天下が来ると思われたものの二・二六事件によって皇道派は衰退、統制派の天下になったはいいが結局日本は惨めな敗戦を迎える事になったのであり、所詮は永田が死のうが死ぬまいが日本の運命は決まっていたのかもしれない。

 「延長二十八回進め一億火の玉だ」では昭和17年5月24日に行われた名古屋対大洋の試合について書かれている。大東亜戦争が始まって半年、戦勝気分に酔っていた時期に行われたこの試合ではスコアボードに「進め!一億火の玉だ」の標語が掲げられ、軍部の「プロ野球の試合に引き分け試合があるのはけしからん、戦う以上、勝つか負けるかしかない、引き分けなどという生ぬるいのは戦意高揚にならん」という指導で4対4のまま延々と二十八回裏まで戦う事になるのであった。それ自体は戦時中の微苦笑なニュースであるが、翌年には「野球用語は全面的に国語を採用、従来の英米語は敵性語であるから一切使用を廃止」となり、「審判用語は号令である」という主張から、

・ストライク→よし一本、二本、三本

・ボール→一つ、二つ、三つ、四つ

・アウト→ひけ

・フェアヒット→よし

・ファウル→もとえ

 に変更、また「隠し玉は日本精神に反するから禁止」とされたのであった。

 「北京原人はどこへ消えた」は舞台が第二次世界大戦前の中国・北京であり、日本軍占領下とは言えアメリカ軍も進駐しており、次第に険悪となっていく日米の間で「二十世紀最大の文化遺産」と言われる北京原人に魅了された人々は北京原人を守ろうと奔走するのであるが、北京原人の在処はわからぬまま、関係者は戦中そして戦後の長い時間をかけて終生その行方を追うことになるのであった。五十万年前の人類は昭和4年の人類によって発見されたが、昭和16年に忽然と姿を消したのである。「五十万年後の子孫たちの様子を見ようと北京原人は地上に姿を現したが、彼らがかくも醜い葛藤を始めたのを見るに忍びず、再び地下に姿を隠してしまったに違いない」。

 最後の「緊急発信敵空母本土に接近す」は、洋上に浮かぶ「人間レーダー」として、アメリカ軍の機動部隊を発見し直ちに無電で司令部に連絡する監視艇に乗る事になった漁師達の物語である。兵隊は「赤紙」で召集されたが、カツオ船、マグロ船などに従事する漁師達は白い紙一枚で船ごと召集され、任務は北太平洋上で十日から二週間に渡って定められた地点を漂流して米軍機動部隊を発見する事であった。武器は七・七ミリ機関銃一丁に数丁の小銃のみ、しかも無電で発信できるのは「敵艦見ゆ」だけであり、その他の場合はたとえシケが発生しても急病人が出ても助けを求める事は許されなかった。もし発信すれば敵から位置を確認される恐れがあるからというのがその理由だが、唯一許された「敵艦見ゆ」を打電する時は、敵を発見した時、つまり敵に発見された時であり、敵の攻撃に曝される事になる。「黒潮部隊」と言われたこれらの隊員は最盛期4千人いたとされるが、そのうち半数から3分の2が犠牲となった。だがその実態と被害の全貌は、今も明らかにされていない。

日本史リブレット 人 94 原敬 政党政治の原点/季武嘉也[山川出版社]

 原敬。「はらたかし」というより「はらけい」と言った方がすっきりするが、明治・大正の偉大な政治家である。同じく「明治・大正の偉大な政治家」としては犬養毅もいるが、犬養がいなくても政党政治はそれなりに発展したであろう。しかし原敬がいなければ、日本の政党政治がここまで盛り上がる事はなかったといっても過言ではない。日本政治史、いや日本史におけるスーパースターこそ原敬で、戦後日本政治のスーパースター・田中角栄原敬の前では平身低頭するであろう(ちょっと見てみたいな)。

 とにかく黒船がやってきて、明治時代が訪れた。天下泰平の江戸時代の夢が突然終わり、日本及び日本人は弱肉強食の植民地支配の近代社会で生きなければならなくなった。その中で何とか形だけは整えた大日本帝国、政治プレイヤーは「元老」「薩長閥」「官僚」「軍人」、そして「政党及び議会」である。原はその中で「政党及び議会」に軸足を置き、大日本帝国において立憲政治を導く事になる。また原は「朝敵」となった東北諸藩で育ち、薩長藩閥政府への復讐に燃える。まずはジャーナリズムの世界に飛び込み、やがて明治政府に見出され、官僚として(獅子身中の虫として)明治日本を支え、頭脳明晰な原は大日本帝国の危うい均衡、即ち薩長閥の元老、薩長閥の軍人・官僚が政府の上層部に跋扈している事を見抜き、また一方でこれに対する反発は国民世論のみならず政府内にも根強いものがあり、更に欧米列強が虎視眈々と中国を狙っているため今のところ日本に目が向いていないがいつの日か必ず欧米列強が日本に牙をむき、抜き差しならぬ対決の日が訪れる事も見抜いていた。ではどうするか。原は議会、及び議会に根拠を持つ政党を舞台に立ち回る事が、自分にとっても日本にとっても適切であると判断する。1900年(44歳)に伊藤博文(元老には珍しく政党の重要性を理解していた)が組織した「立憲政友会」に馳せ参じるのであった。

 やがて首相となった原は「平民宰相」と言われる一方で「今日主義者」と言われ、当時から世論一般で原に対する判断は分かれる。藩閥軍閥勢力と妥協する事を優先し、鉄道事業を代表とする公共事業を推進する立憲政友会の総裁・原の姿勢は、理想主義的な若者やジャーナリズムにとっては格好の敵となり、他方で犬養毅のような理想主義者もいるのだから、原への批判はますます大きくなる。しかし原は自身の政治力に絶大な自信を持っており、且つ頃合いを見計らって政権を辞す事も考えていた。現在の日本国憲法の時代と違い、首相を辞めても再度務める事に抵抗がなかったのが大日本帝国である。首相に就任して3年が経ち、原にとっては短絡的にしか思えない「普通選挙」の世論は大きくなり、内政では摂政問題、外交でもワシントン会議の問題がかまびすしい。「桂園時代」のように、一旦下野して藩閥軍閥勢力などの敵対勢力と調和策を練り、徐々に藩閥軍閥勢力が牛耳る政治を立憲政治へと転換させよう…と考えていた原は暗殺によってあっけなくその生涯を終えてしまった。享年65歳、実に惜しいというかもったいないというか、もし死なずにあと10年、いや5年生きていたら、その後の大日本帝国があっけなく滅ぶ事もなかったかもしれない。

             

鵜崎鷺城「機略、権謀術数というマキャベリズムの面から見れば、原は決して凡庸な政治家ではないが、彼には政治的信念はない。私利を離れて国家に尽くすという高尚な野心もない。内治、外交、財政と言う大枠についても、彼はいまだかつて自分の抱負を表明した事はない」(「日本及日本人」1914年7月)

前田蓮山「原は理想に乏しい。国家百年の大計などというのは彼には『痴人の夢』でしかない。しかし、今日この場での計画という点では様々な奇策、妙計がたちどころに浮かび、その実行においても遺漏なく電光石火に実現する」(「太陽」1914年6月15日)

特別企画・調べる技術/小林昌樹[皓星社]を使って調べる

 さて本書については既に書評等も出尽くしており、その文章の丁寧さ、わかりやすさ、親しみやすさは読んでいて非常に心地よい。本作者による編著書(「近代出版研究 創刊号」)と同様、いくらでも複雑に表現できる題材を平易に調理しながら、しかし薄味になることなくそのおいしさを凝縮する事に成功している良書であった。

 という事で、せっかくの機会なので本書を元に俺も調べる事にしよう。本ブログの読者はご存知のように俺は「世界のラブコメ王」であると同時に政治好き・政局好きであり、特に「三角大福中」だとか「経世会支配」だとかに興奮するのでそっち方面で調べる事もあるわけであるが、「三角大福中」とはつまるところ田中角栄、「経世会」とはその田中角栄に反旗を翻した竹下登による派閥である。その竹下登という歴史的政治家に隠れて今では知る人ぞ知る存在となったが金丸信という政治家がいて、竹下も面白い政治家だが金丸は更に面白い政治家であった。浪花節や義理人情を前面に押し出しながらも天性の勘によって日本政治を左右し君臨し、自民党幹事長・副総裁、或いは副総理まで歴任した、見方によってはとんでもない政治家なのであるが、実は長年気になる事があった。それは何か。まずはインターネットで調べる一番簡単な方法であるウィキペディアを見てみよう。

図1

 ここで俺が気になっているのが「金丸語」(エピソードの6ポツ目)というもので、金丸信による有名な言葉と言えば防衛庁長官時代の「思いやり予算」、もしくは政局の節目でよく聞く「さすっているようで叩いている、叩いているようでさすっている」があるが、ここには、

リニアモーターカーを「リビア」、パラボラアンテナを「バラバラ」と呼ぶなど、非常に独特な言い回しをする』

 とある。そう言えば俺も何かの雑誌か本で「金丸は独特の言い回しをする。レベルをラベルと言ったり…」と書いた文章を目にした記憶がある。自民党幹事長等の要職を務めながら、或いは闇将軍・田中角栄に戦いを挑むという型破りで得体の知れない政治家でありながらそのようなエピソードがあるのは非常に面白い、他にどんな「金丸語」があったのか調べてみよう…となるわけだが、まずは自分の本棚から政治関係の本を探し、そこから更に金丸信のエピソードや人物評が書いてある部分を探すと以下が出てきた。

図2

図3

 「リビア」「バラバラ」以外に「ビッグサービス(リップサービス)」が出てきた。一つ追加である。リップサービスを「ビッグサービス」というのは言い得て妙というか、リップサービスというのは大抵大げさなものだから、「ビッグサービス」でも意味している事は同じで、しかしやや下品な表現のような気がするが、それこそ金丸流である(もっと下品な表現に「大便より小便の方がましだ」がある)。

 ちなみに俺は政治・歴史関係の本は100冊以上所持している。そのうち戦後政治史、それも金丸信が活躍した80年代~90年代前半の政治状況を追った本も50冊以上は持っているが、それらは「政治状況」についての記録であるから、金丸個人、もしくは政治家個人のエピソードを集めた本など当然ないわけである。ごく稀に「新たに政調会長に就任した〇〇氏は個性的な人物として知られる。例えば×××の時に△△△で…」といった挿話が文章に添えられる事があるが、それは本当に「添え物」でしかないので、そんなものを探して50冊の本を血眼になって頁をめくるのは時間的に大変で、また探せば必ずあるというわけでもない。

 では次に、Yahooで検索しよう。もちろん「金丸信」で検索したら膨大な検索結果となってしまうので、「金丸信 AND リビア」で検索する。

図4

図5

 当たり前だが先程のウィキペディア情報の二番煎じである。理想は『「リビア」以外にも、こんな金丸語があった』という情報が載ったホームページ等が検索できる事だが、そう簡単にはいきません。

 ではいよいよここから本書を使用して調べる事にしよう。とは言えできるだけ簡単に、短時間に調べてしまいたいので、本書における「Googleブックスを使った調べ方」を実践する。ツールバーを「期間限定なし/21世紀/20世紀/19世紀…」から「20世紀」にして、更に「限定・全文表示」をして…

図6の1

図6の2

図6の3

図6の4

 出てきた出てきた(図6の4)。「環境アセスメント」を「環境セメント」、「ご託宣」を「ごせんたく」。ほうほう…とは言え出典の雑誌名が「言語」(第18巻 213~216号)? 何だそれは、有名人の言語を集めた雑誌か? そんなもんがあるのか…でまたしてもYahooで「言語 雑誌」で検索すると…大修館書店によって2009年まで発行されていた雑誌で、言語の本質にせまる雑誌…ははあ、だから有名人(政治家含む)のちょっとした言葉も紹介されているのか、有名人の言葉がTV等を通じて言葉として既成事実化する事もまた言語をめぐる現象の一つですからな。

図7の1

図7の2

 というわけでこの「言語」という雑誌に紹介されている金丸語も信用できるので、現在のところ金丸語は以下である。

リビアモーターカー(リニアモーターカー

・バラバラアンテナ(パラボラアンテナ)

・ビッグサービス(リップサービス

・環境セメント(環境アセスメント

・ごせんたく(ご託宣)

 「ごせんたく」も言い得て妙である。ご託宣を頂く事で心が洗われる、つまり洗濯(せんたく)なのである。

 また以上の言葉を探す過程で、「金丸語」が載っている本は以下がある事もわかった。ウィキペディアより「ニューステーション政治記者奮闘記/三田園訓」、Googleブックスより「金丸信 寝技師の研究/仲衛」、「教科書では教えない日本政治/栗本慎一郎」、そして雑誌「言語」。ではこれらの本を国立国会図書館に行って閲覧したら、「これ以外の金丸語は~」等の記載があるだろうか。多分ないだろう、もしあれば、またその新しい金丸語が今までにわかったもの以上に面白いものであれば既にどこかに出ているはずで、つまりこれは何のパラドックスだ? 「誰も知らない(或いはごく少数しか知らない)、しかし有益で貴重な情報」など存在しない、なぜなら有益で貴重な情報を誰も知らないわけがないからだ…。

 まあそれはそれとして再び「調べる技術」に戻って別の調査方法を使ってみよう。「レファレンス協同データベース」である。俺以外の誰かが「金丸信という面白い政治家がいて、その政治家は独特の『金丸語』を駆使していたようだが、その『金丸語』とやらを具体的に知りたい」と質問して、それを記録に残してくれていればいいが、「金丸信 リビア」で検索しても結果はゼロであった(当たり前だ)。

図8の1

 そこで単に「金丸信」だけで検索する。

図8の2

 「金丸四原則」というものが出てきたが…大した事はない。こんな事は政治家であれば誰でも言う事である。↓

図8の3

 というわけで「レファレンス協同データベース」では芳しい成果はなかったが、なに次がある。「件名」である。「NDL典拠」で「金丸信」を入力…おお、出てきました。

図9の1

 1914年から1996年なので間違いない、これが俺の知りたい金丸信である。この「金丸信」をそのまま件名検索すればいい。

図9の2

図9の3

図9の4

 11件。いい感じに絞り込まれた。更にタイトルを見れば…「金丸信のめざした日朝国交正常化」「権力の代償」「政治腐敗を撃つ」といった本に金丸信の微笑ましいエピソードが載っているわけがないし、載っていたとしても上記の「リビア」や「バラバラ」が紹介されて終わりだろう。金丸信の人間的エピソードが満載された本…という事であれば「昭和の信玄 人間金丸信の生涯」「金丸信:最後の日本的政治家 評伝」「金丸信 全人像」あたりが良さそうである。特に「昭和の信玄 人間金丸信の生涯」は2010年発行で、没後14年が経っているのだから人間的エピソードも期待できよう。「金丸信:最後の日本的政治家 評伝」「金丸信 全人像」となると発行年が1992年、1984年であり、まだ金丸が現役政治家だった時の発行で、味方も多いが敵も多かったこの政治家の人間的エピソードがふんだんに盛り込まれている本とは思えない。

 ちなみに「金丸信 全人像」はデジタルコレクションの個人送信サービスで目を通したが、いわゆる阿諛追従本、饅頭本みたいなものであった。

図10

 というわけで「昭和の信玄 人間金丸信の生涯」を国会図書館に行って借りてしまえばいいわけだが、そう簡単に国会図書館に行けるわけではない。国会図書館は日曜休館なのだ、しかし俺は土日休みという事になっておるが土曜は大体仕事をしておるのだ、何で日曜に休館なのだ…などと言ってもしょうがないですね、地元の公共図書館なら日曜にやっとるのでそこにこの本があれば…で「国立国会図書館サーチ」「Cinii」にて確認するも、もちろんこんな特殊な本が一般的な公共図書館にあるわけがありません。金丸ゆかりの山梨の図書館に行かねばならない(拓殖大学八王子図書館なら行けない事もないが)。

図11

図11の2

 ところでその公共図書館ではよほど小規模な図書館でない限り新聞DBがあろう。本書によれば読売新聞(ヨミダス)がお勧めという事なので日曜日に地元の公共図書館に行って、使用手続きをして(指定管理者なのでまたしてもちんぷんかんぷん…いやこの話はやめておこう)検索、もちろん「金丸 AND リビア」で検索すると…おお、出てきた。

図12

 読売新聞の2002年9月30日の夕刊に「新日本語の現場」という連載記事があり、そこに「リハーサル」を「リサイタル」、「タイムリミット」を「タイムメリット」と言っていた事が語られている。また記事では「リハーサルとは言え、一世一代の舞台。リサイタルの方が本質を言い当てている」「タイムリミットをタイムメリットと言い間違えたのも、与野党対立も時間が解決するという、国会の実態を知り抜いた氏ならではの言葉」という好意的な解釈もあり、やはり時間が経てば罵詈雑言を浴びせられた政治家の評価も変わってくるのだなあ…と思った次第。

 ちなみに朝日新聞クロスサーチにも同じように「金丸語」の記事があった。やはり新聞というのはすごいですねえ。

図13

 ここまでの「金丸語」を整理すると、

リビアモーターカー(リニアモーターカー

・バラバラアンテナ(パラボラアンテナ)

・ビッグサービス(リップサービス

・環境セメント(環境アセスメント

・ごせんたく(ご託宣)

・リサイタル(リハーサル)

・タイムメリット(タイムリミット)

 となった。7つの言葉が国立国会図書館に行かずとも調べる事ができたわけで、まあ7個もあれば調べものとしては十分だが、しかしもっとあるかもしれない(ないかもしれない)。そのためには調査の過程で見つけた本を実際に読んでみよう…という事で何とか土曜に国会図書館に行ってきて、以下の本を確認する。

・ニューステーション政治記者奮闘記/三田園訓」

金丸信 寝技師の研究/仲衛

・教科書では教えない日本政治/栗本慎一郎

・言語(雑誌)

・昭和の信玄 人間金丸信の生涯

金丸信:最後の日本的政治家 評伝

図14

図14の2

 確認したところ、やはり上記7つの言葉しかなかった。それも7のうち1か2しかなかったり、7のうち5はあったりで、しかし7つ全てを網羅した本はなかった。

 それとは別に驚いたのは雑誌「言語」の当該箇所で、

図15

 何と「1989年7月29日の毎日新聞から拝借」していたのである。そんな事はGoogleブックスには表示されていなかったぞ(図6の4)、まあ待て、せっかく国会図書館にいるのだから新館の新聞資料室に行って確認しよう、俺にとっては「永神秋門攻防戦」以来、国会図書館で一番親しみやすい場所だからな…というわけで急いで新聞資料室に入って、1989年7月の縮刷版を手にした。

図16

 うへえ。よりにもよって新聞の1面に書いておったのか、という事は金丸のこの独特の言い回しというのは広く世間に認知されておったのだなあ。

 で、ここまで調べてわかった事だが…ウィキペディアの記事にある「リビア」「バラバラ」よりも、「ビッグサービス」「ごせんたく」「リサイタル」「タイムメリット」といった金丸語の方が、より金丸という政治家の面白さや奥深さがわかるわけで、なぜこれらが載っていないのだろう。結局はウィキペディアウィキペディアでしかないという事でしょうね。

 というわけでだいぶ長くなりましたが、この「調べる技術」によって、わざわざ永田町の国会図書館に行かなくても、公共図書館ぐらいで目的は達成する事が証明せられたのであります。今後も本書を片手に色々と調べる事にしよう。

   

おまけ:国会図書館で「調べる技術」を読みながら調べる↓

図17

イラスト事典 生殖・交尾大全/中川士郎・アニマル探偵団[同文書院]

 いやはや。読み終わった時のこの感じを何と言ったらいいか。衝撃? 打ちのめされた? 世界が変わった? 目から鱗が落ちた? 生きるのが嫌になった? …強いて言うなら「人間をやめたくなった」が一番近いか。なぜなら本書を読んで様々な動物達の生殖・交尾行動を知ったからで、連綿と続いてきた「種」を保存するため・子孫を残すために、快楽を排除した生殖・交尾行動を行う動物達に比べ、我々人間はやれセックスの相性だセックスレスだ、イケメンだブサイクだ、金があるだないだと騒ぎ立てたあげくに子供を作らずに死んでいく者もかなりの数になるわけで(俺もその一人だ)、どうして人間の一定数は生殖・交尾ができずに死んでいくのだろうか…と非常に憂鬱になったのであった。

 とは言えもちろん動物達も手当たり次第にオスとメスが生殖・交尾をするわけではなく競争があるわけだが(競争がない場合もあるが)、その競争に何の迷いもなく、動物達は持てる力の全てを費やしオスはオス同士の闘争を乗り越えてメスを捕まえる、メスはオスを誘惑する(皮膚がツヤツヤになる、放尿する、等)、つまり強い者が生殖・交尾に到達できるのであって、世の中は生存競争・優勝劣敗なのである。そうだ強い者は生殖・交尾に到達できる、そうでない者は到達できない。人間も同じだ。容姿が魅力的、社会的に有利(金持ち)、セックスが上手、等といった武器があれば生殖・交尾に成功するのだ。そうかそうか、人間をやっているとそういう当たり前の事を忘れてしまうなあ。では俺も…金持ち云々は無理だが容姿を魅力的にするために何かしてみようか(整形?)、或いはセックスが上手になるために何かしてみようか(ペニス巨大化?)。

 まあ…こういう本を読んで一喜一憂しておこう。

      

[コウモリ]

 オスのペニスには、特殊な筋肉がついていて、ペニス自体が前後に動き、腰を振る必要がない。

 但し、目が見えないせいか、時にはメスの膣ではなく、肛門に挿入してしまうオスも。

 また、メスは膣の中に精子の貯蔵庫を持っていて、交尾を済ませたメスはその中で精子をゼリー状に固めて、冬眠に入り、春になって冬眠から目覚めたメスは排卵し、ゼリー状に固められた精子が活動を始めて受精となる。

     

マガモ

 メスは追いかけてくるオスの中から1羽のオスを選び、しばらく2羽は寄り添って生活する。

 マガモはオスの数が多いため、他のオスとツガイを形成しているメスを見つけたオス達は強制交尾を試みる。しかしレイプされているメスをオスは黙視しているだけ。

 オス達が去った後、夫(?)のオスもそのメスと交尾する。鳥類の交尾は、後から交尾した時の精子の方が、先に入っている精子よりも受精する確率が高いからである。

     

[ソードテール]

 ソードテールのオスには、生まれつきのオスと、メスから性転換したオスがいる。

 後天的なオスは、先天的なオスに比べて体が大きくふっくらとしており、尾びれの剣も短いため、すぐにわかる。

 この魚は成長も早いので、自分が産んだ娘と、オスに性転換した元母親が交尾する事も珍しくはない。