今日は通院の日。ついでに今年初外出。いくら寒いからって、どんだけ引きこもってるんだ、自分。ついでに先月の23日に、思わずバーサークして借りまくった図書館の本、16冊を返却。年末年始、読書三昧だったな。結局、14冊クリアして、2冊借り換え。プラス6冊借りて、結局相当な重量をお持ち帰り。


 年末年始をはさんだために、手持ちのアモバンがなくなって、2日ほどまともに眠れなかった。明け方まで眠れない上に、4時間ぐらいたつと、一時間おきに目が覚めるという。寝不足で、気分はハイなのだが。


 障害報告@webryの一番最初に紹介されていてちょっとびっくり。憑かれた大学隠棲氏が好きそうな本だとは思っていたけれど。
 私自身は、コンテナターミナル観光なんてあるなら、喜んで参加したいですけどね。近所にあったら日参しそうだ。六甲アイランドとかうらやましす。去年の夏に別府に滞在した時は、さんふらわあの出港のお見送りに毎日通ってたし。

東島誠『選書日本中世史2:自由にしてケシカラン人々の世紀』その2

選書日本中世史 2 自由にしてケシカラン人々の世紀 (講談社選書メチエ)

選書日本中世史 2 自由にしてケシカラン人々の世紀 (講談社選書メチエ)

 昨夜は時間切れで積み残した分のメモをば。

 では、この「親」が「国家」であったとすればどうであろう。〈国家からの自由〉と〈国家による自由〉である。教科書的に言えば、中間団体、自発的結社の発達したトクヴィルアメリカ型の自由と、〈個人〉の自立のために、中間団体を否定し、「国家それ自体を〈アソシアシオン〉的なものとして仮構する」ルソー=フランス型の自由は、その代表的なモデルであろう。「国家」か「中間団体」か、という議論は喧しいけれど、結局のところ、それは質の問題であって、共同体(ムラ社会)的ではなくアソシエーション(自由な個人の結社)的に機能するなら、私にとっては「国家」、「中間団体」、どちらの自由でもよい。「公共性の帰属から公共性の質へ」と私が主張してきたのも、それがどのように機能するか、にこだわり続けているからにほかならない。ただ、歴史的事実を参照するかぎり、〈国家による自由〉にはなかなか信頼を置きづらい、というのが率直なところであろう。p.121-2

 うーん、「政治」の磁場を過小評価しすぎなのではないだろうか。なんでも最初はアソシエーション的に始まっても、だんだんと重くなってくる。しかし、何らかの影響力を作りだそうとするなら、組織化・安定性を求める必要もある。

 村請制が導入されるということはつまり、〈領主対百姓〉から〈領主対村〉プラス〈村対百姓〉の関係に移行するということである。村民にとってそのことにいったいどんなメリットがあるのかと言えば、何といっても年貢の納入が困難な時に、領主の下っ端の〈怖いお兄さん〉たちに責め立てられなくて済むということだろう。村が防波堤になってくれるのはやはり心強い。で、確かに心強いのだが、メリットと言えば、ひょっとしたらそれぐらいかもしれないのであるまいか。逆にどんなデメリットがあるかというと……。
 その第一は、まず番頭に頭が上がらない、ということだ。個々の農民は領主ではなく村に年貢を納めればよくなったが、村の年貢を領主に差し出すには、まとめ役が必要になる。そのまとめ役が村の番頭(乙名・沙汰人・名主等、村によって呼称は異なる)だ。で、その番頭がとってもいい人だったりすると、つい思いもよらずそこに権力関係が発生してしまうのである。「年貢が払えない? しょうがねえなあ、俺が立て替えといてやるよ」という番頭の一言にもし下心がなかったとしても、いったん貧しい農民の課役を肩代わりしてやったが最後、債務の抵当として土地が流れ、有力農民は地主かする。そうなると結局、〈怖いお兄さん〉にかわって番頭がその場を仕切っているだけだったりするわけだ。
 デメリットの第二は、どうも最近村の行事が多くて何かと金がかかるということだ。村の自治はいいけれど、一献料には礼銭、厨雑事、飯酒振る舞い、諸行事に灌漑施設の維持と、村の諸経費が馬鹿にならない。個人としてでなく村としてやるのだから、村でプールしている山野や田畑からの収益で賄えばいいのだが、ところがそうゆう財産だけでは足りないとか何とか言って、村から金を徴収される。で、その名前がじつにふるっていて、やれ段銭だ、家役だ、棟別だと、それってむかし領主に取られた税と、名前まで同じだったりするわけだ。
 デメリットの第三は、あまり大きな声では言えないが、領主帳と村帳簿の二重帳簿になってしまうということだ。村が上納すべき年貢は千八百石のはずなのだが、村民が村のまとめ役に納めなければいけないにはなぜか三千石以上になっている。残りの千二百石っていったい……、ということになりかねない。p.124-5

 最後にもう一度問おう、惣村は住みやすいか、と。この問いへの答えは、いささか微妙な言い方にはなるが、おそらく人によるだろう。私はそれを住みにくいと感じるが、上位権力の支配システムに慣れきった上層の人々にとっては、決して住みにくいものではない。かつて自分たちを支配していた〈中間層〉の後釜の位置に、今度は自分たちがまんまと入り込むことさえできれば、あとは前任者のやってきたことを反復すればよいだけなのであるから。だが惣村は新しいものを作り出したか、と問うならば、躊躇なく即答できる。否であると。新しいものを生み出す可能性を持っていたのは、『日葡辞書』の言うとおり、村民から見て「軽んずべきつまらぬ人、または、物の数にも入れられない人」とされた、江湖散人の個であろう。p.127

 ものすごい印象操作だな。確かに村請だけを取り出せば、メリットは少なく見えるかもしれない。しかし、惣村というのは軍事団体であったことも忘れてはいけない。生計のための資源を実力で確保し、水利などのインフラを管理し、集団の力で構成員の権益を擁護する。確かに惣村というのは住みにくそうだとは思うが、それでも自力救済の世界の中では、生存可能性を確保するためには避けがたいコストだった。中世には、個人と言うのは存在し得なかった。何をするにも、他人との協力、逆に他人に協力するというのは避けがたかった。現在のように、各種の機械や設備で家計維持のための労働量が激減し、必要な用益は貨幣で市場から購入できる状況から、前近代を計るのは、歴史を見誤るのではないか。
 引用はしていないが、近世にはいってから、村落の会計をめぐって紛争が頻発するようになるのは、「平和」によって軍事的な必要性が緩んだことと無関係ではないだろう。ここに既に重要な変革の芽が見える。乱世もだが、太平の時代にも、変革は猛烈に進んでいる。戦後60年で起こった変化は、それこそ明治維新や太平洋戦争といった目に見える混乱と変革の時代を超えたものではないだろうか。
 あと、杉本仁の『選挙の民俗誌』(ISBN:4787763199)内で描写される村落内の親分・子分関係を見ると、村落社会の上層部も「前任者のやってきたことを反復すればよいだけ」ではないことがわかる。村落社会内の対立を調停し(もめごとの解決)、困っている人がいれば私財を投入して救済することを、逆に要求されるということでもある。その対価として、威信を買う。そこにはかなりの緊張感を伴うだろう。それを怠れば、村落内の他のプレイヤーからの攻撃をうけ、財産を維持することも難しいし、没落して集落にも居られないくなり生存可能性を失う危険すらある。本書の惣村の見方は過度の単純化という誹りを免れないのではないか。

 だが、こうした国家対個人、官対民の対立構図を軸に公共性を考える見方に対しては、近代的な公私二元論の枠組みを出ていない、という批判もないではない。序章で述べたように、近年ではヨーロッパ近代の二元論的思考を脱ぎ捨てて、公―公共―私の三元論へとシフトすべきだという議論もあるくらいだ。ここで言う「公共」とは、ハーバーマスが意図した〈市民的公共圏〉とはもはやまったくの別物であり、官と民が対立するのではなく、むしろ共同歩調のもとに公共的な政策を打ち出していくべきだ、といった考えに近い。見方を変えれば国家と社会の〈再癒着〉を容認する考えにもつながっていると言える。p.167-8

 先の引用も含めて、何というかずいぶんナイーブな感じがする。「個」の脆弱さというものに無頓着なのではないか。
 先日の東京都青少年健全育成条例をめぐる対立から明らかになったことは、アソシアシオン的な個の共同では、自身の「公共」観念を押し通そうとする他のプレイヤーに対抗できないということだ。組織化し、「共同体」化した集団が執拗に自己の思想を押し通そうとすれば、片手間のボランタリーな結合は対抗できない。他の可能性は圧殺される。(表現の自由、あるいはオタク的な表現空間という「公共圏」と風紀の矯正という「公共圏」)
 つまるところ、重要だと思う価値を擁護するなら、徒党を組み、組織化し、本書の言い方をすれば「共同体」化し、国家と〈再癒着〉し、そのアリーナで戦うしかない。「江湖散人の個」は無力だ。
 本書が目指した〈可能態〉から歴史や思想を見ていくというのは、非常に魅力的ではある。しかし、「江湖散人の個」はあまりにもはかないものでしかない。中世の禅林の「公論」が、禅林という温室の中から出ることができず、著者の主張する自由が大学と言う「国家による自由」の中でしか今のところ存在していなく、「明六社」の理想はすぐに打ち砕かれて政治結社として戦わざるを得なかった。そこに限界があるのではないだろうか。

熊谷市籠原:夏祭り 〜消えてしまった牛頭天王の系譜〜

hobbyland.sakura.ne.jp
 熊谷市籠原の諏訪社では、夏祭りのときだけ八坂神社になるという摩訶不思議な現象が起きる。それがなぜかを解説したもの。
 要は、明治政府の神仏分離によって、牛頭天王スサノオに読み替えられてしまったという話。明治政府の暴挙だよな。

法政大学エコ地域デザイン研究所

eco-history.ws.hosei.ac.jp

 陣内秀信氏が所長を務めている。基本的には建築史的な都市研究を中心にしているようだが、社会学などの他分野との共同研究によって「都市と地域の再生」を目指した研究を行う研究所、ということのようだ。
 年末年始にかけて読書ノートを書いた黒田暁他編著『用水のあるまち:東京都日野市・水の郷づくりのゆくえ』(ISBN:4588780034)や岡崎哲志・日本の港町研究会『港町の近代:門司・小樽・横浜・函館を読む』(ISBN:4761524308)はここのプロジェクトの成果。他にも、ヨーロッパや日本国内のさまざまな報告書が紹介されていて興味深い。
 しかし、日野の用水路といい、日本やヨーロッパの港湾といい、見事に実用的価値を失っているものが並んでいるな。それにどのような価値を再付与するか。ものすごく難しい課題に挑んでいる。

写真で見る阿久根市の現状−独裁政治の悲劇−

http://d.hatena.ne.jp/akune_genjo/
 デイリーポータルZで紹介されているのをみてまあシャッター商店街に彩りを添える試みかぐらいにしか思っていなかったが、現実は恐ろしいほど病んでいた。なんか空白恐怖みたいな感性だな。消防署の訓練用の壁なんか、完全に訓練の邪魔だろう。あと、レンガ色だった市役所を塗りたくっている感性も凄いな。
 「政治権力を使ってなんでもかんでも、この空疎な絵で塗りつぶそうとしている」という行為そのものを、壮大なグロテスクアートとして見ることができると思うが、面白がる以上にうそ寒い。個人空間や美術館なんかのそれ用の空間でやるならともかく、普通に公共的な空間にはみ出してくるとな…


 描いたのはこの人らしいが、このサイトを見ると、他にも逗子商店街や厚木東町商店街でも同じようなことをやっているみたいだな。あと、幼稚園に壁画を描いているみたいだが、子供の人格がゆがみそうな気がするな…


 もう手遅れ/比べることすら失礼だが、くまもとアートポリス最強ってブコメがあるけど、アートポリスの方も大概なんだけどね。東稜高校の後者が死ぬほど暑いとか、どっかの公営住宅は風呂場への通路が吹きっ晒しで外から丸見えとか、いろいろと問題ありらしい。
 まあ、阿久根のようなキッチュを通り越したフェイク感、浮いた感じというのはあまりないけどな。


関連:阿久根市はインターネット「ネタサイト」の見世物小屋か!?


メモ:メキシコ壁画運動

スパイ?:ハゲワシ拘束 サウジ「イスラエルの偵察要員」

http://mainichi.jp/select/world/news/20110106k0000e030021000c.html これはさすがに生態調査用のために付けたものだと思うけど、イスラエルならやりかねないって感じがあるのがなんとも。実際、生物の軍事利用ってのは進んでいるし、デバイス次第では怪しまれずに情報が得られる可能性もある。虫を使ってなんて実験をアメリカでやっているんだっけ。

TBS大晦日“手抜き特番”に大ブーイング (ゲンダイネット)

http://news.www.infoseek.co.jp/entertainment/story/05gendainet000134272/ 下手なバラエティよりも、こっちの方が面白かったのがなおさらイタい。紅白に変えられたけど。つーか、今から再放送したらどうよ。

21世紀の『タイムリープ』になれるか? ―『サクラダリセット』のすすめ―

d.hatena.ne.jp
古い世代だけでなく新しい世代のラノベ読みにも――『サクラダリセット』


 メモ。『タイムリープ』って釣り針に見事に引っかかった人が一人。ラノサイ杯でも上位に入っていたことがあったような。縁があったら読んでみようかな。