増田寛也編著『地方消滅:東京一極集中が招く人口急減』

 うーむ、読むのに時間がかかった。一週間以上かかったんじゃなかろうか。読み進まない状態で、他の本に次々と追い越されていくモードだった。なんというか、報告書的で読みやすいとは言えないことと、なんか奥歯に物が挟まったような突っ込みの足りなさが気になる。雇用の安定の問題に言及しているのは評価するけど、なんというか奥歯にものの挟まったような物言いだな。地域ごとに独自の施策を行うことが前提なんだろうけど、もう少し突っ込んだ政策メニューが必要なのではないだろうか。あと、本書では直接言明を避けているけど、小さい政府をますます小さくし続ける現状の政策を変えて、フランス程度には社会福祉政策を拡充し、政府の規模を拡大する必要があるんじゃなかろうか。あと、地方を「人口のダム」にするなら、産業政策、特に一次産業の、についての言及が必要だと思うが、それが欠如しているのが問題だと思う。
 あと、本書では地方についてメインに言及しているが、むしろ「東京」に自己改革を迫る内容なんじゃなかろうか。若者を地方から引き寄せて低賃金労働で使い捨て、結果として極端に低い出生率で、日本全体の再生産構造を破壊しつつある。独自に、貧困対策にリソースを注ぎ込み、子育てを支援する体制を構築する必要性があるのではないだろうか。「都市の集住のほうが経済効率が高い」と主張する向きもあるが、そもそも東京のパワーの源泉は、日本国全域の経済活動を背景にしているということであり、自らの根っこを腐らせたら、倒れるしかない。人口を外部からの流入に頼っている以上、国内の移動が限界になれば、数十万規模の外国人移民の導入しか方法がなくなるのだが。
 独自の産業を育てるにしても、国際政治経済に対する脆弱性の拡大が壁になりそう。独自の産業政策で、女性人口の拡大を実現しているのは、干拓地で大規模営農を営む秋田の大潟村のみ。その大潟村にしても、TPPでコメ市場が開放されれば、現在のような安定状況を享受できるのだろうか。工場誘致は、三重県亀山市のように企業や国際市場の変動で、工場が撤退してしまうリスクがある。地場の資本を核に製造業が育つ必要があるが、本書でモデルケースとなっている福井県鯖江市にしても、中国のメガネフレーム生産と競合して、衰退傾向にあるし。


 全体の構成は、第一章が人口の推計から予測される今後の動向。第二章が制度方面。第三章が地方中核都市にリソースを投入し、「人口のダム」による防衛線構築の構想。第四章は少子化対策。第五章が北海道を対象としたケーススタディ。第六章が若年女性人口の増加が予測される自治体が、どのような性格かを紹介する。残りは、編者の増田氏の対談が三編と将来推計人口。
 このままでは人口の減少が進み、再生産をになう若年女性の人口減少の結果、社会を維持できない自治体が出現する。また、人口が東京に集中する「極点社会」が出現するが、災害などへの脆弱性が高い。また、社会的な流入に頼る東京の再生産構造も早晩行き詰り、人口減少にさらされると指摘する。また、人口問題は、実際に影響が現れるのには時間がかかり、早い段階で対策が採られても、数十年にわたって人口減少が続く。
 第四章の少子化対策に関しては、社会的な障壁がなければ、既婚者が二人以上、さらに結婚したい人間がそれなりにいることから、合計特殊出生率1.8程度が見込めると指摘。非正規雇用の若者の婚姻率が低いことから、安定した職と年収が確保できる状況の必要性。さらに、結婚妊娠子育て支援。企業の働き方、特に長時間労働の改善。女性の社会的進出の促進などの必要性が紹介される。非正規雇用の問題や労働慣行の問題に言及したのは評価されるが、もっと強く指摘するべきなのではないだろうか。あと、「柔軟な働き方」というフレーズに近いものが見られるが、その種の改革は、企業による人件費削減に利用される恐れがあるのではないだろうか。ここ20年以上、労働に関する規制緩和が給与と待遇の切り下げに利用され続けてきた姿をみると、とっても信用できない。
 第六章の若年女性が増えている自治体の類型紹介。ふえている自治体の大半が、ベッドタウンなのに限界を感じるな。結局は、中心都市が衰退すれば、それにともなって衰退するしかない。縮む人口と経済活動からの奪い合いでしかない状況がなんとも。有効なのは産業開発だが、これもなかなか。成功事例としては大潟村と観光開発に成功したニセコくらいしかないのが。学園都市型も、今後少子化が進めば、縮小しかないだろうし。一部の自治体が大成功することはありえても、多くの自治体がそこそこ成功をおさめるようなモデルはないのだな。問題はそこで、後退局面では、プレイヤー間の格差が拡大していくことにある。一部が大成功しても、それを一般化できない。そこに限界がある。
 政策的な時間猶予から、道州制議論や婚外子促進などの時間がかかる問題は切り捨てているという、割り切り方も印象的。あと、一次産業や地場産業で、雇用を維持し、「外貨」を稼ぐ必要があると思うが、そのあたりの面がほぼ言及されていないのが問題だと思う。
 巻末の推計資料、熊本の分だけ読んだけど、荒尾市の減少率が意外に低いのが驚き。旧産炭地として、地域経済の衰退に悩まされてきた都市だが、もう底を打ちかけているということなのだろうか。


 以下、メモ:

 金融政策や経済政策といった「マクロ政策」だけでは不十分である。マクロ政策の推進は、経済力が突出した東京圏の力をさらに高め、地方との経済・雇用の格差を拡大する方向に働き、「地方消滅」を加速させるおそれすらある。したがって、今求められているのは、地方に着目した政策展開である。
 ただし、従来の「地方分権論」を越えた議論が必要である。今日の人口減少、大都市集中の事態を招いた点で国の政策責任は免れないが、だからといって、この課題を単純な「国vs.地方自治体」の構図に落としこみ、国の権限を地方自治体に委譲しさえすれば解決するというものでもない。小泉純一郎政権における「三位一体改革」による地方への財源委譲が自治体の税収格差を助長する結果となったように、単純に地方へ権限委譲するだけでは、大都市圏への集中を速めることはあっても、それを押しとどめる効果はない。p.38

 「地方分権」の問題ではないと。そういえば、ヨーロッパの主要国では、地方自治体の財政って、どういう風に組み立てられているのかね。

 現在日本で最も高い沖縄県出生率が二〇一三年で一・九四であり、OECD経済協力開発機構)加盟国の約半数は出生率が一・八を超えている。また、スウェーデンでは一九九九年から二〇一〇年の一一年間で出生率が一・五〇から一・九八まで約〇・五ポイント上昇した。こうしたことを勘案すれば、一・八という基本目標は、困難ではあるが実現不可能なものではない。p.70-1

 うーん。
 かなり難しそうだけど。スウェーデンを引き合いに出すなら、それだけのリソース投入が必要なことも考える必要があることも浮かび上がってくるし。つーか、OECD加盟国の約半数が出生率1.8越えって、日本のディストピアぶりを明らかにしているな。

 「希望出生率」を実現するためには、まず若年世代が希望どおりに結婚し、子どもを産み、育てられるような経済的基盤を有していることが必要となる。二〇歳代で独身ならば三〇〇万円以上、三〇歳代後半ならば夫婦で五〇〇万円以上の年収が「安定的」に確保されていることを目標とする「若年・結婚子育て年収五〇〇万円モデル」を作成し、目標年次(たとえば二〇二五年)までの実現を図ることが求められる。そのためには、非正規雇用など結婚するうえで厳しい環境にある若年世代の雇用安定化を目的とした施策を推進しなければならない。p.75

 しなければならないのは確かだけど、残業代ゼロ法案をホイホイ受け入れてしまうような現政権の状況を見ると、当面、動きはないだろうな。「五〇〇万円モデル」はいいけど、どこまで実現の可能性があるのかというところも。

藻谷 では、東京にはそういた若者を受け入れる能力があるのか? 答えはノーです。今でさえ、若者たちを低賃金で「使い捨て」にしているのが、東京という都市でしょう。そこにさらに職にあぶれた地方の人たちが、大挙して流入してきたら、どうなるか。そんなところに若者を集めれば、少子化にますます拍車がかかるのは必定。家賃の高さ、地域のサポートの希薄さ……。東京などの大都市は、地方に比べて格段に子育てが難しいのですから。
増田 二〇一二年の出生率が一・四一と言いましたが、東京のそれは一・〇九。四十七都道府県中、ダントツのワーストワンであることが、そのことを如実に物語っています。p.146-7

 「都市墓場効果」再び。歴史人口学で指摘されていた、大都市の人口維持が社会的流入に頼っていたという姿は、実際には今でも妥当する。で、人口減少局面になって、それがクローズアップされる形で再び現れたと。東京を外国人移民特区にでもすればいいんじゃね、もう。
 しかし、通勤電車でベビーカーへの感情的な反発なんかを見ると、確かに東京は子育てが大変そうだよなあ。社会的に子供が嫌いみたいな感じ。

 その場合にも、やはりベースとなる自治体が、まちづくりに対するしっかりした考えを持つことが必要ですね。私は、人口増による乱開発の規制を目的とした都市計画法は、たぶん不要になると考えています。これからは、各自治体の条例によって、中心部の活性化などの課題を実現していく時代になる。従来の法体系をガラリと変えるわけです。ただし観念的に変えるといっていても、事態は動きません。地方からいろいろなアイディアが出てきて、それをやろうとしたら今の規制が邪魔になる、という事例が積み重なって初めて、じゃあ抜本改革に手をつけよう、という話になるわけだから。p.176

 そもそも、旧来の「都市計画法」が機能していないのが問題だったように思うのだが。不動産に対する私権の強さが大きすぎるのが問題なのだと思う。あと、現状のままだと、中心部活性化どころか、遠心力が働き続けるんじゃないかな。

 同時に私がここで申し上げたいのは、少子化対策は国や地方自治体だけでは成果が上がらないということです。大事なのは、企業であり、男性を含めた働き方、そして暮らしを変えることまでが求められているということです。日本はこれまで、仕事のためであれば、家庭生活は犠牲にしても仕方がないという面がありました。労働時間にしても、転勤の問題にしてもそうです。単身赴任がこれだけ多い国は、世界中でも珍しい。もちろん、企業にとっては、社員が子どもをたくさん持ったところで、将来その子どもたちが自社で働いてくれるわけではありませんから、一見、何のプラスもない。社会的責任として、それを求めても、競争の激しい社会においては、おのずから限界があると思う人も多い。だが、最近の研究では、むしろ長時間労働を見直し、働き方の柔軟性を高めるといった人事制度改革が企業の生産性を高め、ワークライフバランス(仕事と生活の調和)を推進し、男女や年齢にかかわらず誰もが意欲と能力を発揮できるようにすることが企業の持続的な競争力を高めると強調されるようになった。男女を問わず社員の働き方を変えていかないと、少子化の流れは切り替えられないと思いますね。p182-3

 つまるところ、労働基準法の厳格化が求められているのだが、現状、財界の要求にしたがって緩和する動きしかない。

 先ほど増田先生が、三人目の子どもの企業にとっての難しさを指摘されましたが、三人目を産む・産まないという選択には所得が大きく影響するという分析結果があります。第一子出生には雇用の安定や女性の働き方、企業でいえば社内の雰囲気や育児休業などの制度や保育サービスの充実が有効で、第二子には男性側の育児参加や家事への参画が効く。要は、第一子を産んでから女性にばかり負担がかかっていると、当然第二子は産みたくないということになるわけです。ですから、地域によって出生率が違うだけでなく、第一子、第二子、第三子の出生についても、有効なサポートが違ってくる。p.185-6

 へえ。それぞれでサポートが違うか。第三子に関しては、経済的サポートが重要と。育児給付や高等教育の学費無料化なんかも、第三子出生に対する所得のハードルを下げるという意味で重要なのではないだろうか。