盛本昌広『増補新版 戦国合戦の舞台裏:兵士たちの出陣から退陣まで』

 絶版になっていて残念に思っていたところ、増補新版が登場。購入。
 基本的には、戦争の決意から戦後処理までを、大名や武将の文書をもとに整理している本。逆に言えば、実際の陣場で、どういう生活をしていたかまでは踏み込んでいない。そういう部分に関しては、本書でも史料として引用されている『雑兵物語』あたりをじっくり読んだほうがいいのだろうな。微妙に物足りない感じも。
 しかしまあ、最小単位が10人程度の個々の武士だと考えると、戦国の軍隊って、相当雑然とした組織だったんじゃないかなあ。「備え」とか、ある程度の地位の武士の配下でゆるくまとまるのだろうけど。東国の有力戦国大名とか、織田・豊臣・徳川あたりになると、ある程度整理の試みが行われているけど、どこまで統制できたのだろうか。


 目次はこんな感じ。

  • 第1章 いざ敵地に出陣す!
  • 第2章 意外とままならぬ進軍
  • 第3章 兵粮・軍需物資の補給・確保
  • 第4章 陣地内での生活は規則正しく
  • 第5章 対陣と防御、そして決戦
  • 第6章 退陣の作法と後始末
  • 付論 合戦の後方支援と「陣取」



 第1章は、開戦の決意に至るまで。各地からの注進状などで情勢を把握。また、鐘や法螺貝の音は、変事を知らせ、人々を動員するための合図として利用されていたこと。出陣が決まると「陣触」が各地に知らせて廻り、軍隊が集結する。出陣の際には、武具類だけではなく土木作業の鍬やもっこ、まさかりなども用意された。


 第2章は、陣取りと進軍。陣取そのものよりも、それを避けようとして寺や村が発行を受けた制札が史料としては残っていると。このような制札を獲得するためには、平素から当該の大名と贈答などの付き合いを持ち、取次の人に尽力してもらわなければならないと。近世の宿場町にあった「本陣」のような施設が、大名など有力者の宿泊施設になった。
 あるいは、交通の不便さ。出兵に当たっては、道路の整備が行なわれた。また、川が、進軍の阻害要因になった。雪解けや台風などの増水時には、とくに大きな障害となり、必要な場所に援軍を送り込めないといった事態を引き起こした。いきおい、水が少ない冬場が軍事行動の季節になる。あとは、船橋をかけて、軍隊を渡したとか。


 第3章は兵糧の話。百姓から集める小荷駄部隊。馬と人間がセットで動員。どうしても、動きが鈍重になるから、襲撃されたり、逃げるときに放棄されたり。急ぎの時には、持てるだけというパターンも。穀物みたいなかさばって重いものは、船が良い。北条氏もよく利用している。あとは、商人からの購入が重要と。
 現地調達も行われ、敵所領の経済的破壊、威圧の意味も含めて、苅田は盛んに行われた。勝手にもっていくものではなく、組織的に行われ、大将のところに集められて分配される。もちろん、やられる側も黙ってみていなくて、戦闘になることも。麦が意外と重要で、麦が熟す初夏あたりの出兵もあるとか。
 とりあえず、「くろつちにする」というのがエグい。徹底的に耕地を破壊する。
 馬の飼料や燃料は、現地から徴発が基本。米・麦の徴発は禁じられても、他は「もらっていくで」で捕って行かれてしまうと。


 第4章は、陣内の統制のお話。合戦場で私語をするなとか、陣中で泥酔・踊り禁止とか、出されているってことは、そういうのが基本だったってことだよなあ。学級崩壊状態みたいな感じか。大声と太鼓・法螺貝が軍隊の統制手段だった状況で、この種の騒音は邪魔だったろうな。
 抜け駆けで一番乗りを図ったり、他の部隊に紛れ込んだり。一方で、忍や野伏といった小規模部隊が夜襲や部隊に紛れ込んで潜入したりするから、合言葉や目印で識別するといった手法がとられていた。
 多人数が集まる陣場では排泄物の処理は重要だったと思われるが、どうなっていたか不明。あるいは、陣中見舞いなど。


 第5章は合戦。普通はここがメインになるのだが、本書はかなり短い。
 陣城の構築。陣地は防御拠点にもなる。先鋒は、くじ引きで決めたりする。太鼓や法螺貝で、進軍や退却が知らされるなど。


 最後は、戦闘の後。陣地を引き払い、撤収。勝負がつかなかった場合は、相互に人質を出して、撤退する。付城は撤去する。勝手に帰っちゃう奴もいた。
 本能寺の変明智光秀を討ったような、一揆による落ち武者狩りは、勝った側からの指示されていることが多い。