手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

向かうは阿弥陀さま

ある日ある男が庄松に会うために遠隔の地を旅立ちました。
当時は鉄道も飛行機もなかったので、彼は数百マイル歩かねばなりませんでした。
ついに彼は庄松の住んでいる土地に到着しました。彼は庄松がせっせと米を搗いているのを見ました。庄松は誰かに人夫として雇われていたのです。
昔は、といってもまだ私自身が米搗きをおぼえているのだからそう遠い話ではないのですが、米は大きな臼と杵で米を搗いて精製しなければなりませんでした。
米搗きはかなり重労働ですが、その人が疲れはててやっと到着したとき、庄松はせっせとこの仕事に励んでいたのです。


彼は庄松に、「どうぞ教えてください。どうしたら浄土に生まれることができるのですか。どうしたらアミダは私に慈悲をかけてくれるのですか」と尋ねました。
しかし、庄松はまったく注意を払わずに米を搗き続けていました。しかし、遠方から来た人は、庄松に熱心に懇願しました。それでも庄松は頑固で一瞥もくれません。
すると、庄松を米搗きに雇っている家の人たちがその哀れな旅人に同情して、そんな無礼な無頓着な態度を取らないでくれと庄松に頼みました。
それでも庄松は米を搗き続けたのです。それで、その家の人々は、その男の人に上って一服してお茶を飲むようにすすめました。
しばらくすると、落胆絶望したその旅人は悲しげに、「大変遠いところから来たのですが、もしアミダとその救済について教えてもらえないのであれば、私は故郷の家に帰るしかありません」と言いました。彼は惨憺たるあり様でした。


その人が出発する間際になって、
庄松は
「それほど絶望的な心境であれば、そんなことを私に尋ねるのが大間違いです。なぜアミダさま自身のところへ行かないのです。そういうことを扱うのはアミダさまです。それは私の仕事ではありません」
と言ったのです。
旅人はこの思想に感銘を受けて立ち去りました。
真宗入門 鈴木大拙 (佐藤 平 訳) 春秋社 「庄松のはなし」より抜粋 P29より】
※この書は鈴木大拙先生が1958年の春ニューヨークのアメリカン・ブディスト・アカデミーにおいて英語で真宗を語られたその一連の講義の和訳である(同書P138より)


【手品師コメント】
向かうは阿弥陀さまです。
善知識だのみではありません。
ましてや教祖さまだのみは尚更です。