手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

お 盆

 お盆になると、都会に住んでいる多くの人々が故郷へ里帰りし、日本民族の大移動が見られます。慌ただしい雑踏の都会から離れ、久しぶりに戻った故郷の山や川は、昔の懐かしい日々を思い出させてくれ、また一時の心の安らぎを与えてくれます。さらに親・兄弟姉妹・親族・友人との楽しい語らいがあり、お墓や納骨堂へのお参りを通して、亡き親や先祖を偲ぶ光景が見られます。


 盆は「盂蘭盆」の略で、その由来は『盂蘭盆経』によります。
盂蘭盆経』はインドの『目連救母説話[もくれんぐもせつわ]』に中国人が重んじる孝養の徳目が付け加えられたものです。六世紀中頃の僧侶である竺法護(じくほうご)の訳と伝えられ、中国で撰述されたものといわれています。
 前半は、釈尊の教えに従い、自恣[じし]の日(修行者の自省する日)に衆僧に供養することによって、餓鬼道に落ちて苦しんでいた亡母を救う話です。また後半は、自恣の衆僧に供養するならば、現世の父母や親族、また七世の眷属[けんぞく]も、皆三途(地獄・餓鬼・畜生)の苦しみより救われるという内容になっています。
 また「盂蘭盆」とは「烏藍婆拏[うらんばな]」が訛ったもので、「倒懸[とうけん](さかさづり)の苦しみ」と訳されます。さかさまにつり下げられますと血が上ってしまい、とても苦しいものです。私たちの生き方にも、この「さかさづりの苦しみ」が見られます。


 私たちは、恵まれたこのかけがえのない尊い命を大切にして、世のため人のために生きなければなりません。この私の命は自分だけの命ではなく、父母の命を通して多くの命に繋がっています。過去七代の父母は128人にものぼります。私が今日あるのは、多くの祖先がいたからであり、その点からも、その祖先を敬うことは大切な習慣です。しかし、それ以上に大切なことは、そのことを通してこの私がいかに聞法し、ご信心の世界に生きる念仏者にさせていただくかということです。
【お盆(冊子) 林 知康 本願寺出版社より 抜粋】



「お盆」を縁として
何故(なにゆえ)、このいま・ここに・この私が、存在しているのか(生かされているのか)、ということを考えてみたいものですね。
今日も、なまんだぶつ