手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

とんぼ安心

 今日も又「親のこころ子のこころ」の中の『とんぼ安心』というところを読ましていただきたいと思います。

 これは、ある人の手紙でございますがそれを読んでみます。
「ご無沙汰いたしています。いつもご教化ありがとうぞんじます。私はいつも『とんぼ安心』で救済されています。数年前当地にお越しの折りに聴聞させていただいたのです。

 先生はこうおっしゃいましたね。
「とんぼがガラス戸に頭をぶっつけて外に出よう出ようとするが、とんぼの頭ではガラス戸を破ることが出来ない。とうとうとんぼは力尽きて死んでしまう。一生懸命に頭をぶっつけている時に後ろから仏さまが、阿弥陀さまがよんで下さる。後ろに広い世界があるよ。向きをかえなさい。

 とんぼは言う。私には後ろの世界が分かりませぬ。向きをかえることも出来ません。

 阿弥陀さまは仰せになる。そんなら私の名前をなむあみだ仏と呼びなさい、呼べば必ず向きがかえられる。

 とんぼは仰せのままにお念仏をしたら不思議に向きがかえられて、こんな広大無辺の世界のあることが知られた。

 お念仏を申すと、こんな効用(ご利益ですね)のあるものですよ」と、あれから私は四苦八苦している時に、ふっと先生の『とんぼ安心』のお話を思い出すのです。すると私の口から自ずからお念仏が流れて下さいます。

 そうして私はいつも方向を転換させてもらっています。私の身の上のこと、あるいは心の上に起こること、他人様のことなどで私が苦悩する時、私はいつもお念仏があらわれて下さって、私はいつも方向転換させてもらって私は救済されています。

 「念仏は無碍の一道」と仰せになることはこのことと了解させてもらって、ほんとうにありがたい、ありがたいお慈悲でございます。あれからお聖教を拝読いたしましてもその内容が了解されてくるのでございます。まだあとが続きますが、時間が来ましたのでこれだけにいたします。

南無阿弥陀仏


http://access-jp.net/amida/houwa/syoon1/syouon-103.html
【『とんぼ安心』(八月十五日) 藤原正遠 師 (光源寺テレホン法話)より】


藤原正遠
明治38年  6月11日生まれ(福岡県甘木市秋月町)
昭和5年  大谷大学卒業
昭和7年  横浜小学校の教員となる。後に、横須賀高等女学校の教員となる
昭和9年  藤原利枝と結婚し、浄秀寺へ入寺。
昭和23年  真宗大谷派浄秀寺住職に就任。
昭和38年  浄秀寺住職を辞任。日本各地へ晩年まで布教の旅に赴く。
昭和59年  「親のこころ子のこころ」(法蔵館)発行。
平成元年  NHKテレビ「こころの時代」に出演。
平成9年  1月9日逝去(92歳)。
【藤原正遠講話集 第一巻 法蔵館 より抜粋】



「とんぼがガラス戸に頭をぶっつけて外に出よう出ようとするが、とんぼの頭ではガラス戸を破ることが出来ない。とうとうとんぼは力尽きて死んでしまう」
「どうすれば、どうしたら」と頑なに救いを求めている姿と重なります。結果は目に見えています。
発想の転換、方向転換が大事です。そこには広大無辺な世界が開かれています。
発想の転換、方向転換といっても自分の力でするように思いがちですが、大きな力によってそうなさしめられるのです。
その大きな力が「南無阿弥陀仏のおはたらき」なのです。
今日も南無阿弥陀仏。