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手 品 師 このページをアンテナに追加

2015-11-02

宗教と言葉の本質 宗教と言葉の本質のブックマークコメント

大峯 師(1)

人間にとっての言葉は、魚にとっての水のようなもの。魚は水がなければ死ぬ。それほど切実だから、かえって見えない。宗教も突き詰めて言えば、本当の言葉に生かされているという感覚のことだと思う。浄土真宗では、名号(みょうごう)「南無阿弥陀仏」自体が仏です。仏が語る言葉はお経、仏である言葉が名号です。

【語句】 南無阿弥陀仏:阿弥陀(あみだ)仏に帰依しますとの意味


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南無阿弥陀仏という言葉は、単なる概念や記号ではありません。

このいま・ここで・わたしに、はたらいているおはたらきなのです。

今日も南無阿弥陀仏




大峯 師(2)

それにしても、歌の「千の風になって」じゃないが、死んだ人は墓の下にいません。遺体や墓ではなく、魂という言葉で表されるものがある。浄土真宗の教学者に言えば、「仏教は魂という言葉を使わない」と怒りますが、人は死んでも消えたりしない。生きている人に影響を及ぼし続ける。浄土真宗の教義にある還相回向(げんそうえこう)も、そうとらえていい。

【語句】 還相回向:阿弥陀仏の力で往生した人が現世にはたらきかけること


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このいま、南無阿弥陀仏のおはたらきに気付かされている人は、今生の寿命を終えると浄土に往生(即成仏)し、南無阿弥陀仏のはたらきとなって、再び、この迷いの世界(娑婆)に戻り衆生救済の仲間入りにさせて頂けるのです。

こんな素晴らしいことはありません。

自分さえよければよい、ではないのです。

今日も南無阿弥陀仏




大峯 師(3)

宗教において、超越的なものから自己への垂直線が見失われています。まっすぐ垂直に貫かなければ、宗教はないのに。


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阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のはたらきかけを

「超越的なものから自己への垂直線」という表現でコメントされていると推察します。

「垂直線」という言葉に、『南無阿弥陀仏のはたらき』の力強さを感じます。

今日も南無阿弥陀仏


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http://mainichi.jp/shimen/news/20151024ddm014040015000c.html

注)ネット上(毎日新聞)では、池田晶子さんの回想(記事後半:大峯 師3)はカットされています。