手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

破れ傘

(浄土)真宗阿弥陀如来様ってのは南無阿弥陀仏という言葉となって私のところへ私を目覚ます働きとして現れ出てくださっている、というのが南無阿弥陀仏という名号ということなんですよ。
 だからそのことがご縁あって聴聞さしていただいて「なるほどなぁ。仰る通りの私でございました」と頷けた時に「長い間ご無礼しておりました」と返事をする時が仏恩報謝の称名ですよ。これは私なりの受け止め方でございますけれどね、どうもそのね、ありがたいとかお慈悲を喜んでとか言うけれど、そんなの出来過ぎですよ。出来過ぎの信心なんてやめたほうがいい。本当に破れかぶれくらいがいい。破れ傘になったほうがいい。破れ傘なら雨水が私に染みてくださいますでしょ。立派な傘なら雨が降っても弾きとばしちゃいますからね。だから悲愛のまなざしは破れ傘のほうが受け止めやすいですね。
【ナンマンダブツの中の人生になる 響流書房 近田昭夫 より】



破れ傘という表現、非常に分かり易いです。
私の計らいや私の思い込みといったものは、立派な傘なんですね。
南無阿弥陀仏の法水を浴びるには、わたしの計らいといった立派な傘は不要です。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏



Business man holding umbrella against dollar rain concept