黄昏時の街の日記(ブログ)をタンブラーに移転しました

ブログ移転しました★

前にも一度同じことやった気がするけど、いい機会なのでまたチャレンジ。


移転先 → 黄昏時の街の日記


こちらのブログは消えない限り残しておきたいと思います。過去分とか読んで僕をネットストーキングするといいと思う。
 
 
 
 
 
 

実装しやすそうなプログラムへの親しみ

パソコンとかスマホとか使ってて、アプリケーションの動きについて考えることは誰しもあることだと思う。とくに仕事として僕は、コンピュータ・プログラマ/システムエンジニアとかという仕事をしているので(実際にはサポセンみたいなことをしているんだけど……)、アプリケーションがどんな動きをするのかっていうのは、けっこう興味がある。

仕事が暇なときに About Face3 という本を短期間でひといきに読むという幸運に恵まれて、今では僕にとっての聖典なんだけど、でもすでに内容は忘れちゃった★ なんにせよコンピュータプログラムの振る舞いということに関して問題意識を持つというのは、パソコンなんかを仕事で使っていても嫌いにならずにいられるとかそういう斜め方向の特典もあるので、パソコンを仕事で使ってる人にみんなに読んで欲しいなって思う。

それで、僕がとくに思うことっていうのが、実装しやすそうなアプリケーションへの親しみについて。

ひとつ断っておくと、「実装しやすそうなプログラム」として僕が言いたいのは、べつに、実装しやすそうに見えるだけで裏では泥臭いことだってやってるんだぞっていう、「良いデザインは簡単に見えるTaste for Makers」とか、そういう話ではない。

ユーザーの側に、コンピュータ的な操作や認識を求めるようなプログラムというのはよくある。既存のコンピュータのシステム、OSとか開発環境とかを日常的に使っていると自然に思えるけど、一般的にはあまり通じる人の居ないような振る舞いをするアプリケーションだ。

ここで具体的な例を上げるとかできれば僕も文章力があるなって自画自賛できるんだけど、例を考えるのめんどくさいので省く。何となく納得してくれる人もいるんじゃないかと期待。

そういうものに親しみを感じるということ。本来こういう動きをすれば、このアプリは親切になるだろうなと思いながら、何となく「どうしてこんなふうに実装したのか」が透けて見えてしまうような。なんとなく怠惰さみたいなものが見えるアプリケーションのほうが親しみ安い。

まぁ、たぶん職業・職種への贔屓なんだろうけど。飲食店に務めていた人が店員に前より優しく接するみたいな。もちろん逆もあって、僕は auAndroid のキャリアメールを送受信するアプリがとても嫌いで、こんなものを作った人間を許すことはできない! というほど憎んでいます。見栄えもダサいし、正直耐えられないのでezwebのメールは gmail に転送する設定にしています。

そんなわけで僕自身も比較的怠惰にプログラミングをするクセがあります。あんまり人に使ってもらうようなものを作った経験がないので、今はまぁそれでもいいかなぁと思ってる。


たまにまじめに書こうとすると文章が書きにくい。下書きレベルだと思う。

近状

日々の雑事に追われて、したいことができないのならいったい、いつ僕はやりたいことをやるのだ。そのような問題を僕は何度も尋ねられてきた。多くの創作物、僕の憧れるものに問いかけられ続けてきた。僕は死ぬ。このままでは僕は、このまま死んでしまう。いつか僕は僕のしたいことをして生きられるだろうか。僕は僕の本当にしたいことを見つけることができるのだろうか。

休日が終わろうとすると僕は憂鬱になる。僕はまた出勤する。そしてさらにミスを重ねて、その記憶だけを残してしぼんでいく、ような気がする。言葉を濁すのは、きっとそのようなミスによってでも僕は成長しているのだと思いたいからで、そう思えなければ僕は、とっくにこんな仕事やめている。僕はとにかくミスをする。つまらないミスが無くならない。注意深くあれば無くなるようなミスをする。怠惰さに起因したミスをする。そして僕は嫌になる。書いてみれば分かる。それでいったいどんな成長が得られるというのか。ミスしても気にしないような、そんな気持ちの悪いストレス耐性だけが成長するのだ。

何度問いかけられても僕は変わらず、怠惰に過ごす。怠惰に過ごすための対価だとするなら、この怠惰さなどというものはまったく忌々しいものであり、もちろん僕が望んでいるものなんかじゃない。僕が望むのは僕に都合の良い怠惰さであって、いずれしわ寄せの来ると知っていて放置する夏休みの宿題のようなものではないのだ。たとえその宿題を放置したまま新学期が始まって、結局提出すること無くウヤムヤになったとしても、その、しわ寄せが来るのだとと知っていて過ごす怠惰な生活になんて、まったく何の魅力もない、どころか、いっそ死んでしまったほうがマシだと僕は思う。

そうして僕は日々の雑事のせいだと言い、また書いてもしかたないような文章を書く。このまま死んでしまうのなら先に死んでしまいたいと思う。とはいえ、概ね僕は人生に満足してるから、よほど面倒な事がない限りは自殺しようなんて思わない。ただ僕は今日の夜に布団に入って入眠したら、そのまま目がさめなければいいのにと思う。

明日も僕は通勤する。それが嫌でこんな文章を書く。明日も仕事をする。僕でなくてもできる仕事だ。たまたま僕にあてがわれた仕事だ。そしてミスをする。それを僕は謝罪する。嫌な気分になり、死にたいと思う。それをまた忘れる。そしてまた通勤する。文章にしてみるとよほど気持ちの悪い人生を送っているのだと思う。もちろんこの中には日常があって、嫌な気分になった分だけ給料もある。いや、これは労働した分だけ払われるものであって、苦痛に払われるものではない。?。

しかし苦痛だ。働きたくない。働かなくてもいい世の中が来ることを祈る。そのために人間はもっと進化するべきだと思う。人間はもっと進化して、僕を自由にするべきだと思う。僕だけは何もせずにぼんやり暮らしてもいいってことにすればいいと思う。僕だけでいい。僕以外のことはどうでもいい。自殺すればいいし、車にはねられてもいいし、台風に吹き飛ばされてもいいし、戦争で殺しあってもいい。僕は何もしたくない。僕以外がどうなっても知らない。

部屋が暑い。

日曜日。

書きたいことは全部書いたように思う。というか、自分に書けることの範囲というのが、これくらいだっていう感じがする。もちろん文章を書くことを勉強すれば、もっと違うことが書けるかもしれないけど。こんなことを書くのもきっと、今まで読んできた文章からの影響だろうし。

だからって書く意味が無いとか、そういうことを言いたいわけではなくて、なんにせよストレス解消にでも、作文てのは役に立つ。

借りた DVD がおもしろくて、何かすごく嬉しかった。ネットの評判で選んだ。

  • アドレナリン
  • キンキーブーツ
  • 海辺の家

という、並べてみると取り留めない感じの三本なんだけど、どれもまぁ言ってみれば人生をテーマにしてる。なんて言うと、じゃあ人生をテーマにしないお話なんてあるのかって気もする。SF とか?

どれもおもしろかったのでおすすめです。

休日が休日として機能しているという気がする。そうなって欲しくないとも思う。この先ずっと僕はこうやって休日を楽しみに生きていくのかと思うとうんざりする。働きたくない。ずっと寝ていたい。業務を覚えるのもめんどうだし、覚えておかなくちゃいけないというプレッシャーも嫌だ。そして不定のことが起こるのも不安だし、イライラする。

どうして働かなくちゃいけないんだなんて言うのは、確かに恥ずかしいことだとは思う。だけど僕の一番の本音っていったらそれだ。どうして毎朝起きて、会社に行かなくちゃいけないのか。もちろんそうしないでも済むように努力しなかったからそうなってるのかもしれない。僕は自分には甘いので、努力したからこそこうやって働いていられるのだって自分を褒めたい。でもそんなのも嫌だ。とにかく嫌だ。

僕が望むのはバカバカしくも、宝くじ当たれっていう、ただそれだけだ。ただ僕は宝くじを買わない。そのことだけが僕を支えているようにも思う。宝くじは当たらないのだ。だから僕は月曜日に会社へ行くだろう。

宝くじは買わなければ当たらないと言う人がいるけど、僕は宝くじは買っても当たらないと、思ってる。宝くじは買っても当たらないと信じられるからこそ僕は働いている。当たると信じられるなら、僕はきっと働かないだろう。いや、そこに夢を見る事さえ働くことに邪魔なのだ。当たるかもしれないと思うことそのものが僕を働かせないようにすると思う。

働きたくない。会社勤めしたくない。別に大した問題があるわけじゃない。自分の中途半端さとか、そういうのが気に入らないだけだ。いいかげんな仕様書とか、いいかげんなマニュアルとか、いいかげんなソースコードとかを見るたびに、自分のような中途半端な人間がこれを作ったのだと思うと、自分が責められているような気さえする(言ってみただけ。嘘)。

そんなわけで、僕は引き続き会社を辞められるように努力する努力する努力をする。また、そのための努力をする。努力だけではダメなので、工夫もしなくちゃいけない。努力する努力する努力する努力のための工夫のための工夫もしなくちゃいけない。道のりは長い。長すぎて頭がおかしくなりそうだ。気持ちが悪い。眩暈がするし、働きたくない。寝ていたい。

突然、妹を名乗るお嬢様から「もう働かなくていいんですよお兄さま」って言ってもらえる日を待っています。早く来い妹。

はじめて RAW から現像するから画像比較する

とりあえずプリセットと目分量で調整した RAW 画像からの JPG と、初期設定で何もせず P7100 から JPG 出しした画像を比較する。これで良い感じなら、今後は RAW モードで撮影していこうかなって思う。

http://tmblr.co/Zab_YyO0BI-D

左がカメラから、右が RAW からの現像。

何となく、僕のカメラの腕のせいという気はするけど(露出をあまり理解してない)、あとで適当に補正するだけで違いが出るんだから、RAW で撮ってもいいかも知れない。処理もそれほど重くないと思った。使用ソフトは RawTherapee Blog

問題はメモリ容量と HDD 容量、さらに Eye-Fi の意味がなくなる(RAW に対応してない)という点。このへんはおいおい考えていくことにする。


なんか fotolife のアップロードがよく分かんなかったから Tumblr 使った。やっぱブログそのものをタンブラーに移転したほうが楽かも。

英語学習に興味を持てない / それと近状

僕は英語ができないし苦手意識があるから、これはただの言い訳なんだけど、たまには日本語を書かないと英語がどうとか以前に作文能力が無くなってしまうので書きます。

僕は英語学習というものに興味がない。英語を勉強しなくちゃっていう気持ちにならない。僕の中で英語を勉強しようという気持ちの優先順位が低い。これはなぜかというと、英語の楽しさよりもつまらなさやめんどくささの方を刷り込まれているからだと思う。中学・高校・大学と何年間もかけて、僕は僕自身の手で(または日本の教育制度のために)、英語嫌いというものを植えつけ育ててきた。

ホッテントリの各種エントリを僕は、下らないと思うことはあっても興味がないとはあまり思わない。これはうぬぼれだけど、僕は比較的何にでも興味を持とうと思えば持てる知識に寛容な人間だと思う。けど英語学習のエントリとなると、とにかく目をそらす。僕には関係のない話だと切り捨てる。とにかく興味が持てないし、こんな文章を書いてまで英語を否定しようとさえ考える。

頭の悪い中学生のように、僕は言う。英語なんて役に立たないじゃないかと。役に立つ・立たないで物事を判断することが嫌いな人は多いと思うし、僕もそうなんだけど、やっぱり英語に対する悪口ということで最初に浮かぶのが、英語は無用だという言葉だ。日本に行きている限り、英語は不要だと。

しかし、僕はコンピュータ・プログラマなので、英語は避けては通れぬ道であるのも本当のところだ。というより、避けて通ると遠回りになることがある、という方が正しいと思う。これも僕が積極的に英語を学ぼうとしない理由だ。遠回りになったとしても……具体的に言うと、たとえば英語のドキュメントや洋書の電子書籍が安価に手に入るとしても、日本語訳が出るのをじっと待ってしまうとか、そういうのもひとつの遠回りだと思う。だけど多くの人はその遠回りを続けているし、日本語が分かる人間にとってみれば、遠回りの道が残されているのだからと、むしろ洋書を読むなんて「先回り」だと感じる。これはたぶん、良くない姿勢だとは思う。

日本語しか分からなくても何とかなってしまうからいけないのであって、英語ができないと死ぬとか、仕事にならないとかなれば、もっと多くの人が英語を学ぶだろう。まぁ多くの他人の話しなんてどうでもよくて、僕個人がその中の一人で、たくさんいる中の一人ならまぁいっかみたいな、そういう怠惰な気持ちなんだと思う。

問題意識は無いでもないけど、それでもやっぱり、英語を学習する時間があるなら、日本語の良質な情報に充てるほうが現実的なんじゃないかって思う。何だか、書けば書くほど言い訳臭くなっていくわけだけど、これもひとつの、本当のこと、だと思う。言い訳くさいのは、日本語の良質な情報というものを本当に、きちんと選別して知識として得ようという意識が自分にあるのかっていう自問から来るのだ。今日も今日で下らない情報ばかり集めている気がする。

なんにせよ僕は事なかれ主義というか、怠惰な生活を遅れればそれでいいと思う。色々なことを後回しにして、いざというときに困ってしまって手足が震えて顔面蒼白、だけどそんなのひと月もすれば忘れるし、そんな生活でもまぁいいかって思う(思わねぇよ! 殺すぞ!!)。


ついでなので近状を書く。

とは言ってもとくに変わったこともないです。職場が変わって通勤時間が四倍になったとかくらいです。あと百合熱が再燃しているので、誰かおすすめの百合作品があったら教えてください。僕は古いのから新しいのまで、ほとんど知らないのでおすすめしがいがあると思います。

創作関係はまったく。ギターをちょっと練習して、いいかげん鍵盤もやらなきゃってことでしばらく前に買ったシンセ(KORG P-60)でピアノの練習してる感じです。

プログラミング関係は、少しは活動しなきゃって思っても、やっぱり家でやる習慣がないので進まない。とりあえず仕事中の暇な時間を使って vim を再入門して、便利だなって思うくらいには使えるようになった。ちょっと何書いてあるのか分からないって避けてたRubyも、やってみたらすごく分かりやすくて感動。簡単なスクリプトは今後Rubyで書こうと思ったりした。それと正規表現も同じような理由で好きになれそう。やっぱり広く使われている技術っていうのは、それなりに魅力があるんだなぁって思った。今後は食わず嫌いせずに何でも取り入れていきたい(英語は?)

なんかこうやって書くと楽しく日常を生きていると思われるかもしれないけど、実際には毎日、罪人のような気持ちで通勤して、帰ってきたら布団の中で怯えて暮らしています。死にたいです。だけどこの梅雨の時期に半袖のまま眠って朝寒さで目を覚ます、なんてことをしても身体に異常が出ないほど、身体的には健康そのものです。よく考えてみると、僕は二十代後半男性であって、これはたぶんヒトの中でトップクラスに健康的な時期なんじゃないか。こんな健康的な時期に、やれ仕事がうまくいかないだの、死にたいだの言っているなんてまったく無駄もいいところだ。じゃあそれに気づいたからって何かを変えるかって言ったら何も変えないし、結局のところ死にたいって口癖をつぶやき続ける。死にたい。

とくにオチも付かないし適当にこのへんで。