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24アワー・キューティー・ピープル

2013-05-19

『16人のプリンシパル deux』という試みについて

5月4日(土)の昼公演と5月11日(土)の昼公演、計2公演観た。

『16人のプリンシパル』について語るには、まず「キャスティング参加型演劇」というシステムについて説明しなければならない。*1

(※観た人や知っている人は読み飛ばし可)

公演は2幕構成。第1幕は公開オーディションの体裁をとっており、メンバー一人あたり数分間の演技審査が行われる。そのオーディションを見て観客は第1幕終了後の休憩時間に投票を行い、その結果選ばれたメンバーが第2幕で上演される演劇作品『迷宮の花園』に出演する。

『16人のプリンシパル』は2012年の9月に第1回が上演され、今回の『16人のプリンシパル deux(ドゥ)』はその第2回にあたるが、今回はこのシステムに若干の変更が加えられている。

前回は得票の多かった順番に自動的に配役が決まっていたのに対し、今回はメンバーがまず事前に自分が演じたい役に立候補し、観客は各々の役ごとに立候補したメンバーの中から一人を選んで投票するようになっている。立候補者の中からもっとも得票数の多かったメンバーがその役を演じる。選から漏れたメンバーも、得票順に上位6名が女中1〜6の役を演じる。

オーディションは、『迷宮の花園』の演出を務める江本純子がローズパープルと称して「天の声」で各メンバーひとりひとりに指示を出して行く形で進められる。審査は基本的に、メンバーが立候補した役の劇中のセリフを実際に演じる「実演テスト」と、その場で与えられたシチュエーションや指示に従って即興で演技する「アドリブ審査」の2つが行われる。

(説明終わり)


ローズパープルから淡々と与えられる指示を受けて演技を行うメンバーの真剣な表情が醸し出すオーディションならではの緊張感と、アドリブ審査で沸きおこる笑いの弛緩した感じが混然一体となって、独特の雰囲気に包まれたままオーディションは進行していく。また、演技審査で満足に自分を印象付けられなかったメンバーの悔しさは観客にも伝わってくるものがあり、ただ座って観ているだけの観客もどこか消耗して行く感じすらある。

審査を受けているメンバー以外の他のメンバーはステージ後方に横一列に並んで座っていて、その姿を観客は見ることができるのだが、それもこのオーディションの臨場感に厚みを持たせている。メンバーは演技審査の様子を観客と同じように真剣に見守り、あるいは一緒になって笑う。オーディションという場をステージ上のメンバーと観客席にいる私たちが共有しているような感覚。

ローズパープルによる演技審査では、セリフ回しだけではなく、身体の動きについても様々に指示が出される。そこでは基本的に身体を大きく使った演技が要求される。普段のライブにおけるダンスとはまた違った、演技という面でのメンバーの身体性が舞台上に表れる。

アドリブ審査がミニコントやキャラクター勝負になってしまって純粋な演技の審査から離れて行っているということは言えるかもしれない。*2そのために、前半の実演テストでうまい演技を見せてもアドリブ審査で笑いをとって観客に印象を与えられなければ得票が得られないというきらいはある。これについての評価はいろいろあると思うけど、あまりスポットライトが当たることが無いアンダーメンバーが自分をアピールする場に結果的になっていたことも考えると、このアドリブ審査の意義は思わぬところにあったとも。

そもそもアイドルの演技に私たちは何を求めているのか、ということも考えてしまう。一般的に、俳優は演技をする時、役者個人としての自分を消してその役になりきる(俳優の「個性」というものは本来の自分を消し去った上で表現される)。それに対してアイドルが演技をする時、見る者(とくにファン)は演技者としてのアイドルを作中の登場人物として見ている同時に、自分たちのよく見知った元々のアイドルの印象/キャラクターも共に見ている。一般的な俳優が本来の自分を消し去って「透明な存在」として役に入り込むのに対して、アイドルはどこか「半透明な存在」として、役に入り込みながらも元々のアイドルとしてのキャラクターを同時に見せている。今回のオーディションにおける実演テストとアドリブ審査という二重の構成は、アイドルの演技に求められるこのような二重性、半透明性とどこか合致しているように思えた。

しかし『16人のプリンシパル deux』が興味深いのは、メンバーが全くタイプの異なった複数の役を演じることで、メンバーのキャラクター性が解体、複数化されることだ。前回は得標数の順位に応じて配役が自動的に決まっていたため上位の役が花形で下位になるほど端役になって行くような明確な序列があったわけだが、今回は配役の間にそのような序列は無い。物語の中心的登場人物が確固としてあるわけではなく、それぞれのキャラクターがそれぞれの特徴的な性質を持っている。そのため、メンバーは様々な役を演じることでいままで見せたことのない新たな魅力を見せることができる。立候補制になったことも含めて今回のキャスティングシステムは面白い。

話は逸れるが、山下敦弘が監督した「君の名は希望」のミュージックビデオと今回の『16人のプリンシパル deux』には妙に共通、類似する部分がある。ミュージックビデオと舞台公演というメディアの違いはあれど、どちらも映画や舞台公演の本番に向けての演技のオーディションという形式をとっている。前者は架空の映画作品のオーディションの模様を追ったフェイクドキュメンタリーであり、後者は本番の演劇作品とセットで上演されるという意味でフェイク性を持った疑似オーディション。舞台裏や過程、メイキングを見せるということについて、どちらもリアリティの位相をずらすような興味深いアプローチを行っているように見える。

とにもかくにも、オーディションを舞台で上演し、観客が審査するという『16人のプリンシパル deux』の試みはアイドルと演技の関係について、またアイドルの魅力を引き出す興行のかたちについて、一つの新しい可能性を提示している。


分析的な視点で見ると、『16人のプリンシパル deux』はこのオーディションないしシステムについて語るだけでよい。というか、舞台上のアイドルを見ることの楽しさはオーディションだけで十分達成されているので、演劇(第2幕)の部分はおまけ程度のものでも成立する(実際前回の第2幕『アリス in 乃木坂』はそのようなものだったのではないか。実際には観てないので憶測で言っているのだが)。しかし、今回は演出家と脚本家の名前を前面に出しているだけあって当然おまけ程度のものにはならない。

演劇に詳しくない人間がイメージで語っているのを承知で言わせてもらうと、キッチュ、ナンセンス、グロ、メタといった所謂「小劇場系」演劇に多く見られるであろう要素が散見される作品だった。こういう「前衛的な」演劇は保守性やオーセンティシティが魅力の乃木坂と相性良くないんじゃないか、とか序盤は思ったりしたのだけど、物語が進むにつれてそれもあまり気にならなくなった。単純に一つの演劇作品として面白かったということだ。2回目の舞台公演にしてここまで作品として質の高いものを見せてくれるとは思わなかった。

自分の印象として演技がよかったと思うメンバーを挙げると、衛藤、桜井、橋本あたりか。とくに橋本の演技には驚かされた。深夜のヤンキードラマ*3でヒロインを演じる彼女にはあまり魅力が感じられなかったのだけど、家政婦の栄役を演じる橋本の鬼気迫る演技は素晴らしかった。

そんなこんなで第2幕も終了し清々しい余韻に浸っていると、2期生お披露目が始まった。大いに沸き上がるヲタたち。しかしそんな中私は、お披露目会の間の抜けた唐突さに、『16人のプリンシパル deux』〜『迷宮の花園』がたった今私たちに見せてくれた達成や高みが早々に断ち切られてしまったような感じがして、興が醒めてしまった。しかしこのような凡庸な典型的アイドル現場の光景こそが乃木坂46の本来の「日常」であり、それでいいのだ。お披露目会の後のミニライブで、ビートが強調されたアレンジのいつの間にかライブ仕様になっていた「君の名は希望」を聴きながら、そんなことを思った。

*1:以下も参照のこと。
ナタリー - 乃木坂46プリンシパル東京公演はドラマとハプニングの連続
16人のプリンシパル - Wikipedia

*2東京公演の日程前半では、アドリブ審査があくまで劇中のセリフをローズパープルの指示に従ってオーバーにコミカルに演じさせたのに対し、後半では劇中の場面とは全く別のシチュエーションによる即興劇のようになっていた。

*3BAD BOYS J

2012-12-29

乃木坂46の、LIVE!

Zepp Tokyoで行われた乃木坂46のワンマンライブ(の夜公演)に行ってきた。このライブの素晴らしさを、あの場に居合わせなかった人に伝えるのは難しい。乃木坂46のファンでない人に伝えることはもっと難しい。いや、他ならぬこの自分にさえ確かな手触りを持って伝えることすら難しいのかもしれない。なぜなら、たった1年前にこの身を全て捧げてもいいと思えたアイドルが、いまやクソほどの価値も感じない、という経験を自分は過去にしているのだから……。なのでいまから1年後にも変わらずこの日のライブを素晴らしかった思える自分でいられるかどうか、何一つ確証はない……。愛は、瞬間の中にしか存在しない――そんな、広告代理店が考えそうな手垢にまみれた惹句には一つの真実が宿っている。

そんなことはさて措き、レポを書こうと思う。この日は、女性・親子席で観た。なぜそんな席で観たのか。自分は身長が低いのでライブハウスでは満足にステージを見られず悔しい思いをすることが多い。なので、スタンディングではなく座って見られる席の方がステージがよく見えるのではと思ったのだ。女性・親子席と謳っているのに成人男性の自分が行っても大丈夫だろうかとも思ったが、きっとハロプロで言うところの「ファミリー席」みたいなものだから大丈夫だろうと思った。ハロプロのコンサートの席種である「ファミリー席」は、実際のところオッサンばかりでとてもファミリー感は薄く、独り者の男が座っていても何ら浮くことは無い。しかしこの日2階にある女性・親子席に行ってみると、子連れはそこまで多くないものの、女性がかなり多くて焦った。自分のようなむさくるしい男がそんな席に陣取ってしまっていいのか、という場違い感に冷や汗をかいた。

ライブ開始。自分はこのライブに数日前に買ったばかりの双眼鏡を持参して臨んだ。これが大当たりだった。いつものライブだと遠目にぼんやりとしか見えないメンバーの表情や挙動をつぶさに見ることができる*1。今までにないライブ観賞体験。私はこの時ほど双眼鏡というテクノロジーの存在に感謝したことはない。逆に、現場系アイドルオタクを4年くらいやっていてなぜ自分はずっと双眼鏡に手を出さなかったのか、その間抜けぶりに呆れた。

しかし、双眼鏡の素晴らしさと同時にその弊害にも気付かされた。双眼鏡で乃木坂46のステージングを見ていると、視覚情報のあまりの鮮烈さに、演奏や音楽といった聴覚からの情報に意識が向かないのだ。双眼鏡から覗けるステージ上の桃源郷に心奪われるあまり、日ごろ愛聴している乃木坂楽曲にノれていない自分に気づく。だから、これをライブで聴けたらもう死んでもいいくらいに思っていた「偶然を言い訳にして」も自分としては不完全燃焼に……。試しに双眼鏡を眼前に構えた体勢のままリズムに合わせて身体を揺らせてみたのだが、どこかしっくりこなかったし、多分傍目にも気持ち悪い人に映ってしまうと思ったのでやめた。

ステージ上のメンバーを近接性を持って眼で捉えることと、音楽的な快楽をフィジカルに発散させることを両立させるにはどうすればいいのか――。これはもう、最前をとれ、ということである。

そんなこんなでショウは進行していく。中盤、いくちゃんがステージ端に置かれたピアノに向かい、独奏を始める。ほどなくして、彼女が弾いている曲が「心の薬」であることに気付く。すると、メンバーたちが直立のままいくちゃんのピアノ演奏をバックに合唱を始めた。おお、音源とは違うこういう形で歌うのか。個人的にも「心の薬」は非常に思い入れがある曲だが、そういった曲をこのような特別なアレンジで披露してくれることがうれしい。そう思っていると、周囲の客の会話が耳に入り、このアレンジによる「心の薬」はミュージカル『16人のプリンシパル』ですでに披露されているということを知る。そんな重要なことすら知らない自分は一体なんなんだ。。。

曲中、ステージ後ろのスクリーンには、『16人のプリンシパル』の舞台裏、稽古風景と思しき写真のスライドショーが流れており、それを見ていると胸に迫るものを感じる。自分は件のミュージカルは観に行っていないが、「乃木どこ」で放送されたその舞台裏の模様を見て、いかに乃木坂46というグループにとって特別な経験/作品だったかは充分認識していたので、観に行っていない自分でも大きな感動を覚える。そういった相乗効果もあり、この「心の薬」は個人的にこの日のハイライトだった。大きな声では言えないが、思わず落涙してしまった。

MCについて若干触れる。この日のMCでは「ゆく坂くる坂」と題して、2012年の活動を1ヶ月ごとに振り返っていった。その中で、以前に乃木坂46が出演した明治製菓のチョコのCMでななみんが「そっちこそ」と言うシーンがあるそうだが(そのCMの存在すら知らなかったので後でYouTubeで確認した)、それをななみんがツイッターで検索したら「そっちこそムカつく」と書かれていた、というエピソードをななみんが話していた。すると生駒ちゃんが「(そんなこと書いたやつ)誰だー、誰だー」と軽くドスをきかせるような感じで言っていて面白かった。その後もどういう話題の時だったか忘れたがその「誰だー、誰だー」をまた言っていて、彼女のお気に入りなのだろうと思う。双眼鏡で見ていると、生駒ちゃんが時々見せるユニークな表情や動きをしっかり捉えられるので、「ますます生駒ちゃんの一挙手一投足から目が離せないなー!」と思った。*2

本編終了。アンコール。「WHITE HIGH」という、薬物による陶酔感を二重に連想させるような危険な名前を持つ4人組新人バンド(しかも、ボーカル×2+アクースティックギター×2という珍しい編成!)がステージに現れ、当惑する。しかしよく見ると、まいやん、かずみん、ななみん、まいまいの4人だった。*3そして、「渋谷ブルース」の演奏が始まる。このときの演奏については、かずみんの素晴らしさに尽きる。こんなに情感あふれた歌唱力を持っていたのか、かずみん、と畏れ入った。また、表情が素晴らしかった。いわゆるアイドル的営業スマイルとも、演歌的な「切な顔」とも違ったなんとも微妙なニュアンスを湛えた表情で歌っていて、終始目が離せなかった。まいまいとななみんのアコギ演奏もじっくり見たかったが、スポットライトが当たるのはボーカルの二人のみで、ギターの二人はステージの脇の方でほとんどライトが当たらないためよく見えなかったのが残念。

制服のマネキン」、この日二回目の披露。この曲のダンストラックとしての強度を再確認。やはりスタンディングで踊りながら観たい、という衝動に駆られた。

全ての演目が終了。ワンマンライブの成功を祝福する大団円ムードが会場を満たした。玲香キャプが、ライブが成功したことの感謝や嬉しさを述べる。その中でふと生駒ちゃんが「嬉しいけど、悲しいね」とぽつりとつぶやいた。多分、楽しい時間は楽しければ楽しいほどそれが終わることの悲しさもまたひとしおである、という意のこめられた発言だったのだと思う。それはあの会場にいたファン全てにとっても同じだったろう。しかし、その発言に何かいろいろ考えさせられてしまうのは自分だけだろうか。楽しい時間、幸福な時間、それはこのライブを超えたスパンで見た時、どれだけ乃木坂46というグループを包んでくれるだろうか?2期生募集、5thSGの選抜メンバー発表、これらのニューズがアナウンスされる時のメンバーの厳しい表情(たとえ表情に表れなくてもその内心は推し量れる)は、彼女たちの道のりがそんな楽しさばかりでないことを伝えて余りあるものがあった。もちろん、そのような過酷な試練を乗り越えてこその楽しさや達成感があるのだ、という根性論的、ネオリベ的(?)な結論に落ち着いてもいいのだが。。。*4

また、この日会場に集った乃木坂46のファンたちはこの先も乃木坂46に変わらぬ愛情を注ぎ続けることができるだろうか?アイドルというものの厳しさや怖ろしさについて、生駒ちゃんがインタビューなどで語っていることを知るファンも多いだろう。おそらく、「現場」というものの比重の大きさや生身の人間の少女性によって成立するアイドルという文化は、現在進行形の刹那的な快楽をその体験の要とする。今が楽しければそれでいい、というのは消費者の立場としては間違っていないが、そうした立場が孕む暴力性について、思いを馳せずにはおれないのである。

*1:ちなみに、表情やダンスの動きという面で、この日一番魅せられたのは市來玲奈だった。

*2:たとえば生駒ちゃんがロマンスと思しき動作を一瞬見せるときがあり、自分の周囲のお客さんも「いまのロマンスじゃね?」とざわついていたが、しかしこの日ロマンスと言えば終演時にステージから掃けるときに中田花奈が全力で披露していたあれを置いて他にはない。

*3:実際にはWHITE HIGHというのはその名の通り白石麻衣高山一美の二人組ユニットの名称らしい。

*4:現代の日本において支配的なそうしたネオリベ的価値観は、秋元康の歌詞にも充溢していることは言うまでも無い。

2012-11-18

ハッピーMUSIC Live 2012 Day2

行ってきた。もう一週間経ってしまったけどアクトごとに感想を記す(出演順ではない)。


オープニングアクト。「ねぎねぎROCK 〜私もお家に連れてって〜」という曲を歌った。自分はこの人たちのことはあまりよく知らないんだけど、想像するに、ファンの人からしたらこの曲を名刺代わりに披露されるのは本意ではないのでは?


往年のビーイングを思い出させるコテコテの和製ロック。終わった後にベッキーがしきりに彼女たちを評して「ロックだね〜」と言っていた。


このときはトイレ休憩に立ってしまったこともあり全ては観ていないが、名前の最後についている「♪♯」の由来が明かされる一幕もあり、かなりスペシャル感のあるライブだった。ちなみにその由来とやらはもう忘れてしまったので各自で調べてほしいと思う。


けっこう楽しみにしていたのだが出音がイマイチだったせいかあまりノれない、、、と思っていたところに超名曲「PON PON PON」でいきなり音がバキバキになり、横浜アリーナはダンスフロアと化した――、かどうかはわからないけどかなり踊れた。きゃりーちゃんはMCも丁寧で好感度高し。


この間の<LiVE GiRLPOP Vol.1>の時のような興奮と感動は無かったけど、ステージ全体が見渡せたのでよりダンスのフォーメーションとかを見れて良かった。この日やった「音が出ないギター」は音源で聞いた時は全くピンとこなかったんだけどライブで観ていい曲だと感じた。

しかし、MC(トーク)はかなり厳しいものがあったというか、ベッキーや芸人たちとの絡みなどはうまく噛みあっていない感じで見ていて辛かった。とくに福田彩乃直伝のボビー・オロゴンのものまねで「ぐるぐるカーテン」のサビをみんなで歌うくだりでは、自分も心底いたたまれない気持ちになり、アイドルがやることならなんでも盛り上げてくれる会場の心優しいヲタたちもさすがにみんな冷ややかな反応だったように思う。

その後、演奏終わりにまたMC陣とメンバー数名が絡む場面があって、話題はやはり先ほどのものまねのことになった。そこでまた何名かものまねをやることになり、まいやんだかさゆりんごだかがやったボビーのものまねが「クレヨンしんちゃん」にしか聞こえなかったり、玲香様が綾瀬はるかをやったりしていた。で、どういう流れだったか忘れたが生駒ちゃんもボビーのものまねをやる流れになったのだが、いざ披露という段になって、生駒ちゃんは羞恥心のあまりものまねができずに近くにいたメンバーに泣きついてしまった(本当に泣いていたわけではない)。芸人たちのフォローはあったものの場はどっちらけな空気になって会場の温度はさらに下がっていった……。

しかし、これでいいと思うのだ。「乃木どこ」を観ているとよく番組の流れをぶったぎるようにメンバーが泣きだしてバナナマンが苦笑い、みたいな場面がよくあるけれど、こういうバラエティとかお笑いにおけるお約束みたいなのをアイドルがぶち壊すさまは見ていて痛快だ。いや、嫌いなアイドルが同じことをやったら苛立ちを覚えるかもしれないけれど、僕が言いたいのはこういうことだ。お笑いとかバラエティ番組というのは人間関係や社会的空間の縮図みたいなところがあるので、そういう大人のルールみたいなものをアイドルが無視して、それとは別の論理で動く、大げさに言えば脱社会的なユートピアを展開させるような状況が好きなのだ。どうやら自分はアイドルにそういうところを求めているふしがある。これはハロヲタだったときからそうだけど、メンバーがテレビ番組とかに出て空気を読んだ振る舞いや場のノリに合わせたおもしろ発言を強要させられたり、また、そこでうまく立ち回っているメンバーを見たりすると、ちょっと悲しい気持ちになったりする。もちろん、タレントや芸人相手にうまく振る舞えるメンバーが誰かしらいないと本当に場が成立しなくなってしまうので、そういったメンバーの重要性を否定するものではない。しかし、別にバラエティ番組でなにも面白いことを言えなくてもアイドルというのは全然OKなんだということが言いたい。まあ、こういうのもロリコン趣味に典型的なキモい思いこみにすぎないのかもしれないけれど・・・。

この日のライブでは新曲「制服のマネキン」が披露された。ややこれまでの路線とは変えてきてる感じで賛否両論あるかもしれないな、と思った。おおざっぱな印象で言うと、「ぐるカー」や「おいシャン」が80's以前のアイドル歌謡だったとすれば、今回はアーリー90'sのJポップ(Winkとかのユーロ歌謡など)という感じで、一応懐古趣味という路線ではまだ一貫しているとも言えるのでは……。

で、この日は衣装も新曲仕様だった。衣装はセーラー服で、スカートの下にスパッツを穿いており、なんで見せパンじゃなくてスパッツなんだ?と違和感ありありだったのだけど、あれは多分「制服のマネキン」のサビの最後になされる大胆なポージング(わからない方は各自YouTubeなどをご参照ください)で、あの時に見せパンだと卑猥すぎる(テレビの歌番組などで披露することも考えると一層)ということでスパッツにしているんだろう。


何気に48系グループのライブは初めて見た。会場の盛り上がりが乃木坂46の時とは段違いで、客はみんなNMB目当てだったのかと思えてしまうくらいだった。横浜アリーナクラスの大きい会場でも存分に威力を発揮するNMB48の華やかなステージングには、思わずゲップを催しそうになるくらいの満漢全席感があった。当たり前かもしれないが、パフォーマンスの質的に乃木坂46とはかなり別物だった。

楽曲については、正直どれも同じ曲のように聴こえてしまった。これは48系グループのシングル曲を聞くたびにいつも思っていたことだけれど、あまりにもテンプレート的というか、王道ポップのフォーマットをなぞって曲を作っているような印象が強く、むろんその中でも名曲はあるのだけれど少し食傷気味の感もある。乃木坂46のシングル曲がこれまでの全てにおいて(まだ3枚しか出してないけれど)それなりにコンセプチュアルな色を出しているのと対照的だと思った。その点でも乃木坂は他の48Gとは楽曲の面においても別の論理でプロデュースされているんだな、と改めて感じた。

2012-10-28

初めて乃木坂46のライブを見た感想

「NEXT ARTIST 乃木坂46」というアナウンスがスクリーンに映し出されるとピンチケどもの怒号にも似た歓声が沸き起こり、ペンライトとサイリウムの海が一斉に広がる。ステージへの集中を疎外するそれらの不純物に対して思わず不快感を催す。しかし、メンバーがステージに集結し、1曲目の演奏が始まると、耳障りな騒音や目障りな光り物は認識の埒外に追いやられた。

乃木坂46のメンバーたちを見る僕の眼は凄まじい集中力を得、まさに「観る機械」と化した。この時の自分の視覚の鋭敏さはアスリートが試合中に発揮するそれと同質だったように思う。むろん、傍から見れば僕は棒立ちしてステージを見つめるだけの怠惰な観賞者に過ぎなかっただろう。しかし、この時僕は視覚の上での全能感にも似た感覚を覚えずにはいられなかった。

自分の眼はステージとスクリーンの間を絶え間なく往復しながらメンバーの表情、ダンスの動きを見つめ続けた。それらはどれも瞬間的にしか認識できず、一つの表情を捉えたかと思えばそれはすぐさま別のメンバーの表情へと移り変わっていく。あるメンバーのあまりにも魅力的な笑顔に打ちのめされた次の瞬間にはまた別のメンバーの、やはり素晴らしい表情と姿態に打ちのめされるのだ。この怒涛のような視覚体験に僕は文字通り「パンチドランク・ラブ」な状態に追い込まれフラフラになってしまった(これはアホな表現である)。

楽曲や音楽の話をしようと思う。まず、自分はこのライブを見て、<楽曲派>という現代において音楽に対する先鋭な感性と知見を備えた者だけが称することを許された名誉ある身分を放棄しようと思った。自分がこれまでアイドルのライブや楽曲に接する際に拠り所にしていた審美眼が、このライブを見ている最中は露ほども機能しなかった。「アイドルが我々に感動を与えるのは、そこに音楽があるからだ」などとしたり顔で言っていた(実際は誰にも言っていないが)自分だが、このライブ中果たして楽曲が耳に入っていたかどうかは怪しい。メンバーの姿を目で追うことに一心不乱なあまり、音楽に意識を向ける余裕などなかったからだ。何より僕は口パクというものをこれまでずっと許せないでいたのだ。暴力的なまでに可愛く魅力的なアイドルの前では、音楽などというものは添え物以上の価値を持たないどころか、完全な死に瀕する。今回のライブで<楽曲派>気取りの自称「音楽通」の僕が至った結論である。*1

とはいえ、ここで強調してもしすぎることはないのだが、乃木坂46が現在までに残した楽曲群には、早くもクラシカルな風格さえ漂うほどのものがいくつも存在する。この点については、<楽曲派>モードの自分を再び召喚し、項を改めて論じたい。

パフォーマンスについての印象を。16人(このライブでの出演メンバー数)という大所帯での「歌と踊り」は、当然だがこの日登場したどのアイドルのパフォーマンスとも決定的に異質なものだった。自分の受けた印象を誤解を恐れずに言えば、北朝鮮か何かで将軍様のために演技する女たちや子供たちの舞踊を想起させられた。あるいは、自分が見たことのあるアイドルの中から類似したものを挙げるなら、制服向上委員会になるだろうか(そういえば制服向上委員会には「クルクル・ハンカチーフ」という曲がある)。ゆったりとした振り付けと、牧歌的な音楽性(今日のJポップの中では)、そして何よりも歌い手の個性を殺すような徹頭徹尾のユニゾン*2は、合唱や舞踊のお披露目会的な雰囲気を思い起こさずにはおれなかった。

誤解しないでほしいのは、乃木坂46のパフォーマンスが素人くさいとか北朝鮮みたいに胡散臭いということではない。おにゃん子クラブ以来、アイドルの素人臭さこそが日本的な独自性で……とかそういうことが言いたいわけでもない。強調したいのはそこではなく、僕は今回のライブで乃木坂46楽曲のダンス振付の巧みさを痛感させられた。個々のダンススキルを見せつけるのではなく、一つ一つが組み合わさった時に全体として大きくゆったりとしたダイナミズムが発生するような、あまりアイドルのライブでは見たことの無い類の振付だと思った。清涼感と少しばかりの懐古趣味を湛えた楽曲にとてもマッチした振付だ。その点は自分にとって価値ある発見だった。


と、ここまで色々と好き勝手書かせてもらったが、僕は別に、乃木坂46は他のアイドルと異質だから良い、ということを主張したいわけではないのだ。他のアイドルと比べてこういう点が乃木坂46は優れている、などということは僕には書けないし、そんなことはどうでもよい。

僕が今ここに記していることは、乃木坂46が素晴らしい理由ではなく、自分がとくに明確な理由もなくただ何かのはずみで好きになった乃木坂46が僕に与えた感動を書いているにすぎず、それは端的に独りよがりなものだ。音楽について語るということ、美について語るということ、愛について語るということにはどこまで行ってもそのような非客観性や独善的な感じがついてまわるのだろう。

僕は絶望している。自分が好きになった対象をいくら説明してもそれが閉鎖された趣味の共同体の中でしか説得力を持ちえないということに。「とりあえず一度体験してみればわかるはず」などということを言うつもりも無い。一般人にはせいぜい、「白石麻衣っていうすごく美人の子がいてね…、」と及び腰で話しかけるくらいが関の山*3。よく名も知らぬ誰かがツイッターブログアイドルについて思い入れたっぷりに語っているのを目にするにつけ、「気持ち悪いなあこいつ、死ねよ」と思うだけでその言葉が自分に何ら影響を及ぼすことは無かった。しかし、乃木坂46を好きになり、それらはすべて自分に跳ね返ってきた。死ぬべきなのは僕の方だった。

まあとにかく、美というものについて、このような認識を共有できない人とは芸術や文化の話をしたくない。

*1:まあこれは大げさに書いてるだけで、とくに「ハウス!」とか「ぐるぐるカーテン」とか「せっかちなかたつむり」とか、涙ちょちょぎれるくらいに胸に響きました。

*2:これも大げさに書いてるだけで「せっかちなかたつむり」のソロ歌唱とかは素晴らしい歌声でもう萌えまくりでした!

*3:実際自分が登場当時の乃木坂46について持っていた印象はほぼ白石麻衣の美貌に集中していた。

2012-10-14

乃木坂46「走れ!Bicycle」全国握手会@幕張メッセ

今年の8月くらいから乃木坂46良いな、と思うようになってCDを買い集めたり、出演番組を見たり、まとめブログを見たりして、それなりにハマっていった。で、現場があるなら行こうかな、と思っていたら幕張メッセで全国握手会があるとのことなので、行ってみようと思った。

しかし握手会といってもメンバーに言いたいことがあるわけでもない。かつて自分はハロプロの現場に足しげく通っていて握手会にも幾度となく参加したが、ハロプロの握手会は「高速」なのでメンバーと相対できる時間はほんの数秒くらいなのが常であり、一言言ったらもう流されてしまう感じなので、事前に話すことなど考えなくても済んでいた。しかし各所の伝聞から、AKBの握手会は結構メンバーとちゃんと話せるらしいという印象を持っていたので、これは事前にメンバーと話すことをある程度考えておかないとまずいだろうと思った。しかしとくに話したいこともない。日々アップされるメンバーのブログに書かれた内容を話題にするのが無難かとも思うが大してブログとか読んでいないのでそういうことも話せない。メンバーのブログをはじめ一番の情報源であるところのネットでの情報収集を自分は大してしていないし、そういうことを教えてくれるヲタ友がいるわけでもない。結局はハマったと言ってもその程度のものだ。

だからこの握手会も数日前までは行かないでおこうと思っていたが、公式サイトの握手会の詳細情報を見るとミニライブがあるとのことで、これは見たいと思った。なんならライブだけ見て握手せずに帰るのもアリか、と思った。


当日。この日は早朝から仕事で所用があって出発が遅れた。電車で向かいたかったが電車だと到底間に合わなさそうなので自家用車で向かうことにした。一般道が渋滞していたことも影響し、結局着いたのは11時すぎだった。会場に入る。ハロプロ現場では考えられないくらいの人の数にビビる。AKBの客は女性や一般人が多いのだろうと思っていたが、この日の印象ではそうでもないと思った。いかにもアイドルオタクらしい風貌の人が多数派で、その点ではハロプロ現場とのギャップをあまり感じなかった。

ステージではスペシャル抽選会が行われていた。ステージとの距離が遠くてメンバーは米粒くらいの大きさであり誰が誰だかまるで判別がつかない。マイクの声もよく聞き取れない。ちゃんとライブを見ようと思ったら早いうちに会場に乗り込んで前方の位置をキープしとかないとだめなのだ。自分はすっかり意気消沈して、メンバーのお決まりの自己紹介に合いの手やらコールを入れる会場の群衆のノリにもついていけず、また、自分のすぐ後ろにいたヲタがずっと大声で意味不明のことを叫んでいるのでどんどん気分が塞ぎこんでいく。と、ステージ上で曲が始まりそうな気配になり、MCに耳をこらすとMCの話していることの中に「ピチカート・ファイブ」という単語が聞こえる。「え、なんでいきなりピチカート・ファイブの曲やるの?レパートリーにそんなのあったっけ?東京は夜の七時でも歌うの?バニラビーンズみたいだなあ」と困惑していると「せっかちなかたつむり」の演奏が始まる。いまだにこのとき「ピチカート・ファイブ」という単語として自分に認識された音声の正体がわからない。「せっかちなかたつむり」はとても好きな曲だ。観ているうちにだんだん気分の高まりを覚える。しかし、演奏はワンコーラスで終わった。えー!テレビ番組でもないのにフルでやらないのー!?その後いくつかの告知とさいきんメンバーとして復帰した秋元真夏ちゃんの挨拶があり、最後に「走れ!Bicycle」が披露され、ミニライブは終わった。握手会が始まろうとしていた。

懸念事項であるところの「メンバーと話すことが無い」という問題と、なんとなく気分が萎えてきてしまったのもあり、もう帰ろうかと思うが腹が減ってきたので帰る前に昼食を取ろうと外に出た。<ワールドビジネスガーデン>という飲食店などが集合的に入った建物があり、その中の<酒・菜ざんまい 甲子>という店に何も考えずに入る。「あなごどんぶり」というのを食べた。穴子天ぷら天丼だ。しかし穴子が異様に生臭くて、めったに飯を残さない自分でも食べきることができず、ひと切れまるまる残した。

飯を食いながら握手会をどうしようか改めて考えてみた。考えているうちに、まだ乃木坂に復帰して間もない秋元真夏ちゃんなら握手できるかも、と思った。けっきょく自分は、新参丸出しの見当外れなことを言って恥を書きたくなかっただけなのだということに気付く。きっとこの子ならまだ情報も少ないだろうし、当たり障りの無いことを言っても大丈夫だろう。また、携帯で真夏ちゃんのブログにざっと目を通し、とりあえず質問も考えてみた。


握手する決心が固まり、会場に戻る。握手会は17のレーンに分かれて行われ、一レーンあたり2人のメンバーが配置されていた。まず驚いたのが、レーンによって列の長さに歴然と差が出ているということだ。会場から入って奥のレーンに行くにつれて、列が長くなる。手前のレーンはほぼ列が無いくらいのところもあり、大して並ばずに快適に握手できそうだ。で、奥に行ってよく見てみると第2レーンと第3レーンがずば抜けて列が長い。奥に行くほど列が長くなるようなメンバーの配置の仕方をしているらしい。しかし、一番奥の第1レーンを見てみると、ほとんど列が無い。これは……。握手レーンの列の長さはそのままメンバーの人気の度合いだろう。それがこうも目に見える形で差が付いているというのはさすがにシビアというか……。メンバーの心境を考えると複雑な気持ちになる。

秋元真夏ちゃんのいる第17レーンは一番手前に配されていたが、これは3番目くらいに列が長かった。やはり今日が初握手のメンバーというだけあって、とりあえず握手しとこうという人が多いのだろうか。自分も列に並ぶ。列に並びながら握手の様子を見てみると、大して真夏ちゃんと相対する時間は長くなさそうだ。二言三言言ったらもう流される、という感じ。列が長いレーンは流れを速めるようスタッフが誘導しているのだろうか。順番が来る。事前に見たブログ県庁所在地に詳しいということが書いてあったので、とある県の県庁所在地を聞いてみる。彼女は正答を述べた。「おー」と間の抜けた返ししかできない自分。「がんばってね」と言って手を振り、短い握手は終わった。県庁所在地については、しょうもないこと聞いちゃったな、と後悔したが、秋元真夏ちゃんは可愛くていい子そうだった。というか、モーニング娘。石田亜佑美にちょう似ていた。「乃木坂って、どこ?」で見た時にもそう思ったのだが、間近で見たらやっぱり似ていた。

握手が終わるとなんとなくテンションが上がってきて、もう一レーンくらい握手してもいいかなあ、と思う。でも、推しメンと握手する勇気はない。推しメンに対しては話すことをちゃんと準備して握手したい。で、まあいろいろ検討した挙句、市來玲奈ちゃん(れなりん)と衛藤美彩ちゃん(みさみさ)のいる第13レーンに決めた。携帯で二人のブログをそれぞれチェックし、話すことを決める。速攻で並ぶ。列が短いのですぐ順番が来た。

れなりん。まず、自分が今日初めて来たのだということを話す。そして、「ブログの文章がすごい知的ですね」と言ってみると、「いえいえそんな〜ありがとうございます〜」みたいな反応で、何か物腰がすごく上品というか大人びてる感じで、良かった。

みさみさ。また、自分が今日初めて来たのだと告げると「え〜ほんとですか!」みたいなやたら大きいリアクションが返ってきたので面喰う。それから「今日どうでしたー?」と向こうから質問が来たので動揺して「いや、遠くてよく見えなくて、、、」というあまりにも気の利かない返答をしてしまうと、みさみさが「あーそうかー…」と残念そうな反応を示したので、これはまずい、と思ってすぐさま「「開運音楽堂」観てます!」と言うとみさみさはとびっきりのスマイルを見せてくれたのでした。終わり。


握手券はもう一枚残っていたが、二度の握手でいっぱいいっぱいになっていたので帰ることにする。次こそは推しメンと握手しようという決意とともに……。

会場を後にし、幕張メッセの駐車場へと向かう通路を歩いていると、通路の外から何やらドラムスというかパーカッションというか、打楽器のけたたましい演奏音が聞こえてくる。なんかジャズの路上演奏でもやってるのかと思い、外に出てみると、その演奏者を見つけた。駐車場の敷地から道路一つ挟んだところの歩道脇で、一人のおっさんスティールパンのようにも見えるドラム缶ぐらいの大きさの銀色の物体をスティックで一心に叩いている。遠目に見える風貌は、ドラびでおによく似ているが、まさか本人ではないだろう。

歩行者は全くいなく、自動車しか通らない道なので誰もギャラリーはいない。どうも誰かに見せるためにやっているわけではなく、単に練習しているようだ。あるいは密かにUSTやらニコ生で配信しているのか?しばらくその演奏を見ていると、ジャズっぽい小洒落たアドリブ感もあるしアフリカ音楽みたいなトライバル感もあって、けっこうイケていた。私はツイッターにその孤独な中年演奏者のことを報告する書き込みを残して、帰路に就いた。私は自分自身を、その演奏者と同じくらい孤独な、惨めなアイドルオタクだと思った。


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