アイドルの歌う「ラブソング」をどう聴くか

勝手なイメージとして、熱心なアイドル・ファンというのは、アイドルが歌うラブソングを、アイドルが聴き手である自分に対する恋心を歌っているかのように、あるいは自分とアイドル本人との恋愛関係を歌っているかのように、聴いているものだとむかしは思っていた。つまり、アイドルが歌う「あなた」や「君」、「彼」を自分であると想像しながら聴いているのだと思っていた。
しかし、自分が所謂「アイドル・ファン」(を自認するように)になってアイドル・ポップを熱心に聴くようになっても、別に自分はそのラブソングをアイドルから自分への愛情の表明であるかのように、あるいはアイドルと自分の恋愛が描かれているかのように聴くということは全くとはいえないまでも、ほとんどなかった。
世のアイドル・ファンは、本当にそういう聴き方をしているのか。想像することは可能だが*1、はっきりとはわからない。だから、自分の感覚について書く。自分は、なぜそのような聴き方をしないのか、できないのか。一つには、ファンとしての熱意が足りない(「愛が足りない」)から、というものが考えられるけど、ファンとしての熱心さと歌の受容の仕方は無関係な気もする。もう一つ考えられるのは、自分がアイドルと恋愛関係になるという想像自体が、(ラブソングがどうとかいう以前に)現実的にあまりに荒唐無稽すぎて無理、という理由。これは自分の想像力の不足によるものだろうか。
そもそもアイドルが歌うラブソングを、自分=聴き手とアイドルの恋愛を歌った歌であるかのように受容するこの聴き方は、歌詞世界の主人公と、その歌い手であるアイドル本人とを同一視しており*2、そのような視線自体がアイドル・ポップ受容に特殊なものだといえる。自分の聴き方としては、アイドル本人と歌の中の主人公を切り離して、ラブソングの中に描かれる恋愛は、歌手であるアイドル本人とはまったく無関係の物語として捉えている、というのが実感として一番近い。むろん、そう捉えるように意識しているのではなく、無意識にそういうものとして受容する。現実に歌詞の主人公とアイドル本人は無関係なわけだから、至極普通の聴き方だろう。しかしこれは、ファンがアイドル・ポップを聴く時の姿勢として、「適切」なのだろうか。アイドルの背後にいる送り手、すなわち作詞者やプロデューサーも、アイドルのラブソングを、ファンとアイドルの想像上の恋愛の場として受容することを想定して作っているように思えてならない。そのような受容ができない私にとっては、アイドルはむしろ恋愛以外の事柄――友情とか親への感謝といった「無害な」テーマ――を歌ってもらった方がいいとさえ思えるときがある。



アイドルは、架空のさまざまな恋愛物語をさまざまに感情を込めながら歌う。だからアイドルは、楽曲内世界において、いくつもの恋愛を経験している。そういう歌を、私たちは楽しむ。しかし同時に私たちは、アイドルが歌の中ではなく現実において恋愛することに対しては、断固として拒否してしまう。

*1:アイドル=歌い手とは無関係に、聴き手である自分の過去の恋愛経験を投影しながらラブソングを聴くという人も多いかもしれない。これはアイドル・ポップに限らずラブソングの聴かれ方としては一般的なものだろうけど。

*2:歌詞世界の主人公とアイドル本人を同一視すると、アイドルと自分以外の誰かの具体的な恋愛関係を想像する余地が生まれてしまうので、ファンにとっては精神衛生上危険ではなかろうかとも思うのだが。