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24アワー・キューティー・ピープル

2011-10-16

ハロプロとは何だったのか

10月9日に新宿ロフトプラスワンで行われた「ハロプロシングル大全集!! 1997-2010」結果発表イベントに行ってきました。ハロプロのシングル曲すべてを映像で振り返るという体験のマッシブっぷり(菊地成孔ふう)はすごかったです。投票結果については、あの順位は意外、とかあれはもうちょっと上でもいいんじゃないか、とかいくらでも言えるけど、それはキリがないのでやめときます。以下は、基本的にはあの日流れた映像を観て感じたことです。全然イベントリポートになってないのであしからず。。。


・自分は全盛期の娘。およびハロプロって思い入れなくて、むしろ嫌悪していたぐらいだし好きなメンバーとかいなかったのだけど、当時の映像見返してみたら、初期の辻ちゃんが可愛いくて可愛くて。驚いた。八重歯! 加入当時の6期メンもウットリするぐらい可愛かった。ロリコン

・『ASAYAN』で「モーニング娘。」というグループ名を命名する瞬間のつんくの映像が流れたんだけど、当時はVシネとかに出てきそうなチンピラみたいな風貌だったんだなー。

黎明期〜全盛期のさまざまな映像見ると、ハロプロがどうというより、自分が多感な時期を過ごした90年代末期の文化風俗の雰囲気を濃密に味わえて、甘酸っぱい気持ちになったりした。

・事務所の性格ゆえか、OGメンなどのソロ曲はいかにも演歌寄りの歌謡曲という感じで、現在のハロプロしか知らない自分には違和感ありありだった。

ハロプロMVのダサさは今に始まったことではないが、しかし90s末ごろのPVってカラオケのイメージ映像並のクオリティのものばっかりだったんだな。

・歌唱指導のオカマ先生のまとめ映像が流れたんだけど、誰だよ?みたいな。面白かったけど。そんな菅井先生を知らないぐらいの新参ヌルヲタな自分です。。。

・当時の『ASAYAN』でナイナイの横にいるアシスタントが永作博美だったことに場内若干のどよめきw

・全体的なメンバーのルックス平均値はどう見ても全盛期より現行のモベキマス以降の体制の方が上だよなあ。時代が下るほどルックスのレベルが上がっていくようにどうしても思える。これはメイクとかファッション、髪型の流行り廃りというのも大きいだろうけど。でも97年〜01年あたりはとくに娘。以外のユニットとか、「これをアイドルとして売るかね〜」ってルックスの人が多かった。

・近年になるほど、悪くはないんだけどどうしても小粒になっていく感じというか、インパクトやマスに訴える勢いがなくなっていくように感じた。やっぱりデビュー〜全盛期あたりは映像が流れるだけで笑いが起きるようなネタ的強度やキャッチーさがあるんだよね。その面白さはもちろん懐かしさというのもあるんだろうけど。ベリキュー娘。と匹敵するハロプロの主力になって以降はその小粒感が顕著で、低年齢路線という点でもお茶の間の支持から乖離し、「アイドルが好きな人向けのアイドル」という閉鎖性を帯びて行くのはやむを得ないとも言えるが、00年付近のブレイク期というのはこれなんだ?的なキッチュ感や胡散臭さ、B級感(シェキドルとかココナッツ娘とかに顕著)が濃厚だが、その反面インパクトは強い。近年はどのアーティストも全体的に小奇麗にまとまっているが、どれも似たり寄ったりになっている感はある。これは09年にハロプロからエルダや松浦、メロン等が抜けて、モベキマスにスリム化したことで同質性が高まったこと、の帰結でもあるだろう。良くも悪くも安心して楽しめる、予想の範囲内のコンテンツ――つまり、ハロプロが好きな人向けに作られた、ハロプロ的としか言いようがないコンテンツを、閉鎖的な村の中で楽しむ感じというか……。あえて意地悪く言うとそんな風に言えるのかな、と。

・この10年余りあれだけの才能と資本をアイドルに投下しつづけたハロプロはやはり偉大にして唯一無二だ。しかし、同時にこの「歴史」はある「切なさ」を孕んでいることも認識できた。この10数年を振り返った時に感じる何とも言えない切なさは、そこに数多くの若い女性たちの人生が投じられたことがまざまざと感じられることに由来する。彼女たちはまさにあそこに自分の人生を費やした。いまはまた別の女性たちの人生が現在進行形で投じられている。安全な場所からあれこれ言って楽しんでいる我々は、気楽なものだ。

・テレビの一企画としてデビューし、ラブマでブレイクして社会現象になり、2002年あたりから凋落の兆しが見え始めたが、その後キッズが登場して希望が見え始めた、とか、○○年は誰々の年だった、とか、この日MCの方々からもそういう語られ方がされてたけど、ある対象についてそういう時代の変遷とか紆余曲折を振り返って回顧することができるという楽しさは貴重だと思った。そういう楽しみ方ができるコンテンツ、文化現象ってそう多くあるものではない。これは単純にキャリアが長いと言うだけではなく、ハロプロアイドル/芸能という、時代の空気/風俗を色濃く反映するものであるからこそ生じる歴史性だ。そういう意味ではアイドルとはある固定的なコンテンツ/作品であると同時に、メディアとしての性格が強いということがここからもうかがえる*1



というか、この十数年で登場したすべてをハロプロというくくりで捉えるという認識がいかにして可能になっているか、ということこそがいま問われるべきだろう。というのもあの映像に出てきたのは確かにすべてハロプロという意味では同じなんだけど、そういった前提、フレームを取り払って、質的なもの(それは想像的なものだけど)を見た時に、それこそハロプロという前提を全く知らない人でも認識可能な同一性がそこにどれだけ見いだせるというのか?*2分かりやすく例えると、メロン記念日スマイレージを同じ枠内で捉えるのってどうよ?的な問いです。これは映像で観たときにより際立つことなんだけど、十数年前のハロプロと現在のハロプロって、全く別物とも言える*3。このような問いを発するのは、上でも述べたようなハロプロの「歴史性」をして、たとえば現行の他のアイドルに対する優越の根拠とすることの妥当性を問いたいからだ。「ハロプロ」というフレームの曖昧さ、恣意性。

アイドルファンという営みが、「戦国時代」というタームに象徴されるように一種の文化闘争の様相を呈してきているいまだからこそ、ハロプロとは何だったのか、という問いの重要性は増している。たとえば、同じハロプロであるモーニング娘。スマイレージより、スマイレージ東京女子流との間のほうが質的に近い、と見ることもできるわけで。現行のアイドルの各個体を対立的にとらえる際にハロプロという枠を持ちだすことにどれほど正当性があるのか。「ハロプロってこれだけ懐が広いし歴史的な厚みがあるんだぜ」的「勝った」感*4に、いかほどのリアリティがあるのか、ということについてはほかならぬハロヲタこそが考えるべきだろう。

この、ハロプロに全体性や同一性を見出すことはできるのか?できるとすればその内実はどのようなものなのか?という問題については今後もしつこく考えていきたいと思う。

*1:いま思ったけど、実はプロ野球とかJリーグとかのスポーツチームを応援する感覚に近いのかもしれない。アイドルプロレスとの類似とかは従来からよく言われることだけれど。たとえば読売ジャイアンツという外枠、くくり、フレームは一定で、それに所属するメンツ/メンバーが入れ変わっていく、という点とかすごく似ていないだろうか。

*2同一性を示す具体的根拠としてはつんくとかアップフロントとかが挙げられるわけだけど。ではハロヲタとは突き詰めればつんく的世界観やアップフロントのコンテンツを愛好する人、ということになるが、これは否定できるのか?

*3:これは、リアルタイムでずっと追いかけている人と、自分みたいに比較的近年にはまりだした後追いの人間とで感じ方が違うのだろうけど。

*4:ここではあえて否定的な文脈で書いたけど、自分としてもハロプロを支持できるのはそういう蓄積された歴史性の部分に因るところがやはり大きいのだけれど。

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