われ、人類学者なり.こと人類に関するものにしてわれに無縁のものなしとす.
歴史家は常に、行動する者の背後にしか居れない。悪魔は、傑れた歴史家であり、社会学者である。
歴史家が語ることは、どれほど注意深く純粋に記述的な言語を使用としても、遅かれ早かれ彼の態度を伝えてしまう。
距離をおいた態度をとること自体一つの道徳的立場である。
言葉で片附ける、といふことは常に許容と、自慰とがある。もつと謙虚になることだ。
思索とは表現の可能性に対して行はれる精神の賭博である。可能性を掘り出すこと、それは賭博をすることだ。
言語とは思想家のためのルーレットである。 Mixed Berlin×Tozo
2005-03-24 予言と革命
■[思想][遊び]予言と革命
まったく小説じみているが、なんとなくそういう気分。
誰もが掴みうる真理が「たった一人の革命」だと思う。
文理の直交の交点にあるそれは自分なりに気に入っている。
私は発見したと思いこんでいる。
公表できるものかはわからない。
きっと誰もが納得するはずだが、余りにも危険な気もする。
を応用して、原理的に地球を消滅させることができたなら、全ての戦争と暴力は消滅する。また、あの世やハルマゲドンを信じる人々にとっても都合がイイ。
しかし、個人で何かを飛ばしたり、落としてみたりすることくらいはできるこの世。
生きたいのか殺したいのか、死にたいのかはっきりさせた方がそろそろイイ頃なのではないか。
オウムだと思ったあなた、正しい。
私はオウムでもアーレフでもないが、森達也さんの「A」と「A2」は絶対に見た方がイイとだけは言っておく。また、どこの宗教にも入っていないことを付言しておく。
危ない数式と図式はこの惑星の方々で共有されている。
エーテルの風が吹く。
ぷふい!
- 作者: ジェームス.アンドリュー・コールマン,中村誠太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1966/08/25
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世界は、愛で変えられる パッチギ!
私の読みは「ゴルディオスの結び目」を一刀両断にするような読み方とはずいぶん違う。
「ゴルディオスの結び目」というのは古代フリギア王ゴルディオスが作った複雑怪異な結び目で、それを解いたものはアジアの覇者になるだろうという予言と共に遺された。誰も解けなかったその結び目をアレキサンダー大王はばっさりとその剣で切り離し、予言通りアジアの覇者となった。
難解なる思想を解説するときに、多くの人は「アレキサンダー大王の剣」を持ち出そうとする。
例えば、レヴィナスを読むときにマルクス主義理論やフェミニズムのテクスト論を適用してみるのは、「アレキサンダーの剣」による解決に類するものであると私は思う。
文学にかぎらず日本の知的状況状は sauve qui peut 「逃れうるものは逃れよ」という前線崩壊状態になっているということを確認した上で、「前線から敗走してきた敗残兵たちが踏みとどまって集合する地点・難破船の乗組員たちが浮遊物を集めて組む筏」のような「次の時代の秩序」の起点がおそらくは2005年にその姿を現すであろうという希望にみちた予言で対談を終える。
予言は自己成就する。私は小説は書けないが暴れ狂うことはできる。私はグラムシの言葉を繰り返す。「英知においては悲観主義者、だが、意志においては楽観主義者たれ」と。英知なんて胡散臭いもんはハナから信じちゃいない。しかし、意志機械ではあると何となく思っている。戴冠せるアナーキスト。ぷふい!
「ニッポンの小説は再生できるか」は茂木健一郎さんのブログともリンクしているのでリンクを張る。詳しくはそちらをご覧になってください。
科学のいいところは、世間の人々が何を考えていようと、この世界を動かしている真実さえ掴んでしまえば、 たった一人で革命が起こせることである。
(中略)
たった一人で革命を起こせる、というところに科学者の栄光も孤独もある。 一方、文学(評論)の世界には、悪い意味でのポリティクスが多すぎる。反時代の栄光と孤独を貫くことは、「売れない」という淘汰圧の前に、あまりにも難しいことなのだろうか。
コメント欄より
「たった一人の革命」で思い起こすのは、埴谷雄高の「死霊」です。
しかし、確かに他者との関係性に依存しない科学を追求する者だけが、たった一人で革命を起こせるのかもしれません。
投稿者: なさ あすかい (February 2, 2005 10:48 PM)
・・・・・・・・・・・・・・
なさ あすかい様
そうか、死霊は、たった一人の革命を
志した作品でしたね。
たとえ失敗の場合でも美しい。
投稿者: 茂木健一郎 (February 4, 2005 08:56 AM)
「革命はブログに記録される」という言葉が妙に心に留まった。むなぐるまさんによると、"The revolution will be blogged." というのはandrewsullivan.comのトップページに掲げてある言葉なのだそうだ。
戦争や革命、あるいはクーデターなど統治をめぐる争いが起こると、当事者達はマスメディア、とりわけテレビやラジオの放送局を押さえようとする。情報の流通を司ることが権力を支えるからだ。
だが、こういうやり方は変わってきているのだなぁ、とつくづく思う。
ただ、誰にでも言えることの一つは、「今年は何かある」と言うことである。
黄色いスルタンガリエフになりたい。
以下も関係があるだろう。
