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2016-06-28

小さな魔女と縁側の時間――アニメ「ふらいんぐうぃっち」

快い。縁側で足を伸ばし、新鮮な外気に触れながら、横にうずくまる猫のふんわりとした毛を撫でる。そうこうしているうちに、見慣れぬ「あっち側」の訪問者がプレゼントを携えてやってくる。となりの小さな魔女が目を輝かせ、突然の非日常を感受する。そんな様子が快い。『ふらいんぐうぃっち』はいつまでも眺めていたくなるアニメだった。

既視感はある。あずまきよひこの漫画『よつばと!』、スタジオジブリの劇場長編アニメーションとなりのトトロ』『魔女の宅急便』『天空の城ラピュタ』ら、「流通量の多い既視感」がいくつかの要素を埋めているのはたしかだろう。しかしそれは本作の彩りのひとつにすぎない。魔女見習いの千夏が空想だと思っていた事象や人に会い、半歩だけ非日常に歩み寄る。深入りはしない。すぐ家に戻り、母親に今日体験した不思議な出来事を話すのだ。その体験談がじつは、視聴者にも馴染み深い意匠であるという関係になっている。

そうした一方で、新米魔女の真琴は魔法をあまり使わず、東北の日常に染まっていく。野菜を育て、漬け物をつくり、果樹園の手伝いをする。普段目にする一般的な風景だ。つまり視聴者からすると、「未知の光景」はほとんどないと言っていい。とはいえ、当人たちには未知への挑戦。料理をしてこなかった那央が、圭にフォローされながら料理の仕方を覚えていくように、ひとつずつ知っていく。ときには失敗もするけれど、その描き方は心憎いまでにプロフェッショナルだ。たとえば第5話でチトの散歩を追った千夏の小さな冒険。ここで必要とされたのは、猫の軽やかな身のこなしとすばしっこい動きを説得力あるアニメーションにすること。「チトすごい!」を目に見える形で描かなければ、後に待つ「泥だらけになりながらも宝物を手に入れた千夏」の余韻が薄れてしまう。

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結果は見ての通りだ。作画・演出共に練達な猫好きの仕事であろう、と伝わってくる仕上がり。千夏と同じく、胸をすく「ちょっといいものを見た」気分にしてくれる。このように、本作は小さなこだわり、「ちょっといいもの」の連続で出来ている。生活感ある仕草、猫や虫の所作、ほんのり香るエロス、縁側の小規模な非日常……ひとつひとつの彩りはささやかだが、いつしか既視感が塗り替えられていく。爽快だ。世界を飛び回る奔放な魔女に弟子入りした小さな魔女はまだ何も魔法はつかえない。けれども、魔女の箒で浮遊する心地良さを知った。日常に存在するささやかな魔法、未知を知ってしまった。その抑えきれない好奇心を縁側の時間で穏やかに移ろわせる。玄人の仕業なのだ、この快さは。でなければ、こんなにも猫を撫でたいアニメにはならないだろう。教えてほしい。どうやってあの縁側の気持ちよさをアニメにできたのか。自分の知らない秘密が、まだまだあるはずだ。


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2016-06-16

宮崎駿を語る、スカートとハンカチ

スタジオジブリ発行の小冊子「熱風」。今月号(2016年6月号)のある連載で「これは!」と思うエピソード披露されていた。

ある連載とは、奥田誠治プロデューサーの「もうひとつのジブリ史」。現在は『千と千尋の神隠し』と奥田プロデューサーの娘・千晶さんの関係について、本人の声も交え、掘り下げられている。今月はアカデミー賞受賞にまつわるエピソードを奥田プロデューサーの視点で回想されているのだが、宮崎駿監督に怒られたという話に興味をそそられた。以下に引く。

取材もすべて終わり、日本に帰る朝、ロサンゼルスのホテルで食事をしていたときのことです。清々しい気分でいたら、宮崎さんが不意に怒りだしました。

「そういえば、奥田さん、もう僕の過去の映像を使うのはやめてください」

唐突だったから、最初はわけが分かりませんでした。よくよく聞いてみると、日本テレビの番組で流した再現映像のことだと分かりました。「魔女の宅急便」制作中、公園で女の子のスカートが風でフワッとめくれるところを宮崎さんがスケッチしているというシーンが流れたんですね。役者を使った再現ドラマで、宮崎さん自身ではないんですけど、誰かが「宮崎さんのこんな映像が出てましたよ」と話したようで、「それじゃまるで僕が変態みたいじゃないか」と怒ってしまったんです。

実はこの映像、今でも観ることができる。『風の谷のナウシカ』DVDパッケージに「ジブリはこうして生まれた。~再現映像で綴る誕生物語~」という映像特典が付いていて、再現ドラマもちゃんと収録されている。確認のためDVDを再生してみたら、たしかにへんな人に見えなくもないが、それに対して怒るのは紳士的な宮崎さんらしい態度だなと思った。

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ところで、『魔女の宅急便』のスカートのはためきと言えば有名なエピソードがほかにもある。漫画『シャーリー』のあとがきで告白された、作者・森薫メイドスイッチだ。キキの「犯罪的なスカートのひるがえり」を見たことが少女メイドへの閃きになり、『シャーリー』を描き上げてしまったという、あの逸話。再現ドラマにされるほど熱心にスケッチしたスカートへのこだわりが、後にメイド界を賑わす漫画家を生んだ。イイ話である。それに、森薫の慧眼が「もうひとつのジブリ史」によって証明された格好だ。客観的に眺めると宮崎駿本人でさえ、あんな風に言ってしまうエピソードの成果を「犯罪的」と表現し、着想を得る非凡な資質。奥田プロデューサーには申し訳ないけれど、何かに“触れる”情熱は異なる才能の呼び水になるのだなあとつくづく思わされる。

とはいえ、だ。再現映像の話を聞いて、事実と違うぞ、と怒るのではなく、自身のある種「紳士性」を傷つけられたことに怒りを表明する――宮崎駿は「ハンカチを持っている人」なのだ。改めてそう思った。ジブリで長らく動画チェックを担当していた館野仁美さんの「エンピツ戦記」に、宮崎さんがハンカチを差し出すエピソードがある。感情が昂ぶって泣き出した女性にスッと清潔なハンカチをあてがう優しさ、身だしなみ、心配り。なかなかできることじゃない。

「熱風」に全文掲載された宮崎駿講演「全生園で出会ったこと」(2016年1月28日)でも、最初の挨拶で「今日ぐらいは折り目のついたズボンをはいていかないとと思い、今朝慌ててズボンをはきかえたものですから、財布からライターからハンカチからすべて忘れてしまいました」と言っている。日用品なのだから持っているのがふつう、と見る向きもあるかもしれない。けれど、その真率さは宮崎アニメに流れる精神だ。女の子のスカートをスケッチする一方で、女性の涙にハンカチを差し出せる――それは『カリオストロの城』のルパンが白髪まじりになっても若い女性の尻を追いかけるかたわら、“どこか”のクラリスに白いハンカチを渡しているだろう、と想起させる事と同じに思える。宮崎さんは「憑依型」だ。いつまでも、そうあって欲しい。


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2016-06-14

「ふらいんぐうぃっち」のチラリズム

健全な日本男子たるもの、そこに目が向くのは仕方のないことであって。

ふらいんぐうぃっち』は生活芝居に特化したアニメだ。詳しくは以前書いた記事を読んでいただけるとありがたいが、人の動きだけでなく、動物の仕草も非常によく観察されている。何気ない所作にほお、と思う。それは軽トラックの荷台に乗って風を受けるチトとケニーの“耳なびき”*1だったり、小さな舌を出してチロチロと水を飲む様子だったりする。気にしなければそのまま見逃してしまいそうな細部に、きちんとリアリティが込められているのだ。

さあ、そこで本題に移りたい。本作のチラリズムについてだ。

アニメに偶然はない。原則として偶発的に、たまたま、意図しないものが映り込んでしまうことは起きない(アニメーターの遊びや撮影で足された反射などの例外はある)。ちょっと上段に振りかぶった書き方になってしまったけれど、つまりは真琴がハシゴから飛び降りる際の「へそチラ」や那央の健康的な太股のチラつきが、アニメには本来ないはずの原義的な意味でのチラリズムを生んでいるのではないかという、真面目だか不真面目だかわからない話をしたいわけで。

ふらいんぐうぃっち』の世界は素朴で慈愛に満ちている。だからだろう、本来淡い色気であるはずのものが、色濃く感じられる。具体的に言おう。第9話Aパートの犬養に占いをして貰っているシーン、千夏の脚を描写したカットを見て欲しい。

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ご覧の通り、秒数は短いが、力の入りようは伝わってくる。千夏の露出度は高くない。ショートパンツの膝下から足首までの肌が出ているだけ。なのに、ドキッとしてしまうこの感じ……動きに色気がある。カット終わりのふくろはぎやつま先立ちのポーズに残るほんのりとした色香。これはチラリズムの原理だ。生活の自然な一場面を装い、“たまたま”カメラを振ったらこんな風に見えた体をとっている。高度な手わざだ。サービスであると視聴者に手を振りながら、大げさなアピールをしない。料理でいう「適量」のむずかしさに通じるものがある。ひとつまみ、パッパッと振りかけただけに見えるのに、素材の味を引き出す塩加減。絶妙の塩梅だろう。

翻ってこの巧妙なチラリズムが動物の仕草と同様に、作品の肌触りへと転化されているところに、静かな称賛をおくりたい。意外と類例が思いあたらないのだ。しいて挙げれば『苺ましまろ』(2005)や『かんなぎ』(2008)、『あいうら』(2013)などが近い性質を持っているが、いずれもチラリズムというよりはフェティシズム寄りではないかと思う(両者の差は説明しづらいのだけど)。『ふらいんぐうぃっち』は身振りの小さいアニメだ。だから尚更、そう感じさせるのかもしれない。

今回調べて知ったが、チラリズムとはもともと浅香光代が女剣劇界を賑わしていた頃、立ち回りで乱れた裾から見えた太股や肌を称したことが語源になっているのだとか。なるほどやはり、男子は昔から脚とハプニングに滅法弱いのだなと共感した。期待なのだろう。裾がめくれるかもしれない、肌が露になるかもしれない……そんな期待感に甘える心境がチラリズムを支えている。たしかに『ふらいんぐうぃっち』に登場する女性陣は揃って脇が甘い。納得である。侮りがたし、チラリズム道。


アニメ「ふらいんぐうぃっち」オリジナル・サウンドトラック
出羽良彰
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*1:「本家」のひとつと言えるだろう『魔女の宅急便』でも猫の耳はちゃんとなびいている。