河野淳吾引退

かつて横浜に在籍しサポから愛され、そして旅立っていった選手の現役引退が発表されました。

河野 淳吾選手 引退のお知らせ(徳島ヴォルティス)

徳島ヴォルティスの河野 淳吾選手が引退することになりましたので、お知らせいたします。

コメント
『ケガをしてから苦しいリハビリをしている時でも、いつもアツイ応援をしていただいてありがとうございました。最後の2試合、ピッチに立つことができて、監督・選手・スタッフ・チーム関係者・サポーターのみなさんには、本当に感謝しています。
プロ生活8年での経験を活かして新しいステージで、自分らしいチャレンジをしたいと思います。今まで本当にありがとうございました。』

1982年生まれのまだ26歳。最後の2年間はとにかく怪我に苦しんだ淳吾。
ラスト2試合はピッチに立つことが出来たようですが、やはり怪我が原因で引退を決めたようです。

横浜ではとも呼ばれたパワープレー時のFWもこなし、GKからSB、ボランチ、FWまであらゆるポジションを経験したマンマークの鬼。


ナビスコのみの出場経験で広島に3年間在籍した淳吾は2003年に横浜期限付移籍で加入し、

  • 2003年 22試合出場1得点 天皇杯3試合出場
  • 2004年 18試合出場 天皇杯2試合
  • 2005年 19試合出場2得点

と通算59試合出場3得点、天皇杯5試合出場の成績を残しました。
2005年には完全移籍したのですが、残念ながらシーズン終了後契約非更新で、2006年から1年間は水戸に期限付き移籍し、ミトナチオの一員として40試合に出場して2得点。
2007、2008年は徳島に完全移籍して2007年のウズナチオの中核として20試合1得点。
しかし2007年途中から怪我に苦しみ、2008年はシーズン終盤の2試合のみの出場にとどまっていました。


横浜での初得点は2003年10月11日横浜ゴール裏が統一された水戸戦でのCKからのヘディングでのゴール。
7月26日大宮戦では開始1分にエリア外に飛び出して相手を止めて現日本代表GK菅野が一発退場、当時リティ監督は控えGKをおいていなかったため彼がGKとなってゴールマウスを89分守りました。
カウンターとFKから3失点したものの本職顔負けのプレーでした。

2004年からはトゥイードの加入でサブでの出場が多くなり、2005年には当時の足達監督の迷采配で左SBでプレーさせられるなど苦しいシーズンでしたが、4月2日のアウェイ仙台戦では、2-2の場面でCKからのポストの跳ね返りを地を這うようなヘディングで勝ち越しゴールを上げる、という素晴らしいゴールを決めています。
しかしシーズン終了後、水戸へのレンタル移籍が発表されたのでした。
シーズン最終戦後、「来年はいないんです。」と泣きべそ顔でぼくの観戦仲間に移籍を伝えたというエピソードもあります。


ディフェンダーとしてのプレースタイルはとにかくマンマークに優れ、一度食いついた獲物は逃さないタイプ。今時珍しいマーカータイプのディフェンダーでした。
2004年4月10日アビスパ戦でのベンチーニョへのマークは彼のディフェンダーとしてのハイライトでした。
リードした局面でベンチーニョ(当時福岡)、バロン(当時仙台)、バレー(当時甲府)、アレモン&パウリーニョ(当時京都)といったキーマンをマークさせると大変心強いプレーヤーでした。

そして彼がゴールを決めた3試合はいずれも横浜の勝利に終わるという結果を残した強運の男でした。びっちりとがっつりとそしてひたむきにがむしゃらに。そのプレースタイルが彼の選手生命を短くしてしまったとも言えるのですが、記録に残らなくても記憶に残る熱い男、河野淳吾


8年間のサッカー選手人生お疲れ様でした。
第2の人生もひたむきにがむしゃらにがんばってください。