Seasons In The Sun

訂正と補足。

・8月28日付けの当Nag3に於ける立ち飲み屋は「政宗」ではなく、正しく「将軍」でした。ということで提灯の「将軍」も至極真っ当な(しかしどこかズレてる感は否めないのだが)ものでした。ただ「伊達な立ち呑み屋」という表記があったり、依然として客が少なかったり、「酒で天下を取れ」フレーズ、などくすぐられる要素は満載なので今後も要注意かと思われます。

・8月29日付けの当Nag3に於けるTwo Lone Swordsmenの話ですが、「II」はインストもあれば打ち込みもある、ということで誤解を招いてしまったかも知れません。ただいずれにせよ、セクシーなロックンロール(しかも胡散臭さプンプン)を奏でていることには間違いありません。ちなみにAndy Weatherall氏は「ロックとロックンロールは違う」という発言をなさっており、これはまさに私が日頃感じていることでもあります。私も「ロックンロール」という言葉は全面肯定で「ロック」という言葉は半信半疑です。彼氏はそこで明確な違いを訴えてはいないのですが、その猛烈に感覚的な「違う」という意識には賛同せざるを得ません。

ちなみに極私的な話であるが、Weatherall氏はイビザムーヴメントで浮かれていたようなイヴェントで「ダークなニューウェーヴをスピン」して脅迫されたり暴力沙汰になったそうであるが、泣けるエピソードである。私も7年位前にイヴェントで、意気揚々とA Certain Ratioの「Shack Up」を回していたら客に「もっとポップなのないの?こんな暗いの踊れないよ!」と言われ、全くその発言の意味がわからないままに「ねーよ!!」と言い返してThe Raincoatsをかけた、という苦い経験があり、Weatherall氏には勝手にシンパシーを感じた次第である。大体にして「Shack Up」が「暗い」だの「踊れない」というその神経が全く分からない。これ以上のダンスミュージックがあるのだろうか。

と酒で勢いづいて天下を取る勢いの私(缶ビール1.5ℓ空けました)は思うのだった。Spellの「Seasons In The Sun」を聴く。NONというかBoyd Riceというか、という彼と元Strawberry SwitchbladeのRose嬢によるユニットの唯一のアルバム、1993年リリースである。何かこの組み合わせは当時意外な気もしたが、考えてみればRose嬢はCurrent 93に参加したり、Into A Circleのアルバムに参加したり、とかなり危険なダーク世界の住人だったわけだし、Boydさんは実は女性ヴォーカルポップスマニアで自分でコンピなんかリリースしちゃうくらいなので実は両者ともに無理なく歩み寄った結果のユニットだったのかも知れない。曲は全てカヴァーで、どれも名曲と呼んで差し支えない、主に60年代ポップスナンバーばかりである。しかし。だがしかし。ここで取り上げられているのは「愛と死」をテーマにした曲ばっかりで実は何だかやり切れないテーマの曲ばっかりなのである。それでもちょっとチープなドラムマシーンと素朴な演奏をバックに2人が歌っている様は実に愛らしく、上記情報等で重々しいイメージを期待していたリスナーには肩透かしだったのかも知れない。しかしこのアルバムの優れた点は上記情報など全く関係なしに素晴らしいポップスとして成り立っている点なのである。まるでLee Hazlewood(合掌)とNancy Sinatraのアルバムをもっと安っぽくしたような2人の掛け合い、そして疑いようもないメロディアスなポップスナンバーは、抗うことのできない見事な世界を現出させている。第二弾もあればよかったのになあ、と思うのは私だけではないはずだ、と無駄に同志を募ったぐらいにして。ちなみに大滝詠一「さらばシベリア鉄道」元ネタとしても著名な「霧の中のジョニー」のカヴァーには号泣必至、な筈である。まあNONとCurrent 93やらDeath In Juneやらのメンバーのユニットによるものなのだけれども。