東日本大震災80

アセスメント調査継続中。
自分たちがこの調査に取り組むのは、困っている「今」を何とかしたいという思いから・・・。
阪神大震災の経験から、避難所から仮設住宅へのフォローは、多々問題はあったにしろ流れるように進んでいる。
しかし、阪神大震災の時には「在宅避難者」が数えるくらいしかいなかった。
だから、誰も在宅避難者を、どう支援したらいいのかわからない。
前例のない出来事に対応することが苦手な行政は後手後手を踏んでいる。
しかし、石巻市、女川町はそれを正しく認識しようとし、問題意識をもって取り組んでいるように思う。
「遅いんだよ!」というお叱りは当然覚悟の上だと思うが、何もしない、する気のない他の市町村に比べれば立て直していくだろうという期待ができる。

在宅避難者をどうするんだ?
在宅の人に支援が届いていないのは何故だ?
本当に困っているのは在宅の人たちだ!
連日、市議会や県議会、または地元新聞メディアの論調は日増しに厳しいものになっている。
各支援団体で構成される各地の復興協議会などでは、やっと「在宅被災者支援会議」が開かれるようになった。
しかし、誰も在宅被災者の情報を持っていないので、会議は空転、これから情報を持ち寄りましょうという状況だ。

自分たちが行っている在宅被災者向けアセスメント調査は、多くの支持を受けることに成功した。
まず、きちんとした調査データが集まってきているという点。
この調査の目的は、被災者の健康・生活の状況を正確に詳しく把握して、的確な支援につなげることにある。
そのため調査員の担う役割は、想像以上に大きい。
ここが駄目なら、この取り組みそのものが無意味なものになりかねない。
しかし、ここで2つの誤算が生じた。
ひとつめは、在宅被災者の正確な数は誰も把握していなかったので、チーム王冠が支援対象としていた2500世帯を基準に約3000世帯前後ではないかという予測で、調査スケジュールを立てたが、おそらく5〜6000世帯が対象となるのではないかという事態になった。その要因のひとつに、時間の経過とともにきれいになった町に避難先から戻ってきている人が増えている、それともともと在宅していて本当に何の支援も受けていなかった人が、ただただ大勢いたんだという事実。
もうひとつが、調査員を地元雇用という形で仕事につなげていただこうと考えていたが、お手伝いいただいた地元の方々全員が辞めてしまった。これは、調査をして他の方の被災体験にふれることによる精神的な苦痛、フラッシュバックが原因で、被災地で調査員を募る難しさを痛感した。
そこで、県外の方々にさらに協力を求めることにした。
調査を進めていくうちに、65歳以上の高齢世帯が平時の3倍、そして「孤立」が心配な独居老人世帯が非常に多いことがデータとしてはっきりわかってきて、この調査の重要性と緊急性が明確なものとなった。
それを受けて、山形県の危機管理に関わる方々の惜しみない協力の約束、栃木県の有志の方々の継続的な支援の約束など心強い援軍を得た。
それでもまだ足りない。
一刻も早く状況を把握することが急務なのに、、、。

「死にたい・・・」そういう言葉を発する被災者には、行政経由で精神科医やカウンセラーなどで組織するからころステーションなどにつなげていく。
「セキがずっと止まらない」という人には、訪問医療のドクターや薬剤師、看護師さんにつないでいく。
「仕事が減って、収入も減った」ソーシャルワーカーが相談にのって解決の道をともに探していく。
「大工さんが来てくれなくて、家の補修が終わらず寒い」すぐに動けるリフォーム連合につないでいく。
「車がなくて、買い物が不便」「近所にお店がない」ヤマト運輸の宅配サービスを紹介したり、リクルートさんが安い車を用意してくれたり。
「隣の家は半壊指定なのに、もっとひどいウチは一部損壊」無料法律相談や、判定基準異議申し立ての情報提供。
「制限エリアに指定されたけど、意味がわからない」ボランティア政治家によるわかりやすい説明会。
「子供の勉強が遅れているけど、塾なんて無い」学習支援をしている団体を紹介して、勉強会場も手配します。
布団が無い、暖房器具が無い、隙間風がひどい、雨漏りが止まらない、水道がにごる、水道が止まった、灯油の配達に来てくれない、孤独に耐え切れない、身内が死んだのは自分のせいだ、病院に通うタクシー代が無い、手持ちのお金が2万円しかない上に無職で免許なし、お金がなくて大工さんに頼めないなどなど本当に色々な困ったことがたくさんあって、精神的なケアが必要な人たちが大勢います。
顕在化している人たちを数字で表すと約50%以上になります。
仮設で精神的なケアが必要な人たちは一桁台にとどまっているようですが、これは環境の差ではないのかと想像されます。もちろん、仮設の人たちも大変な思いをされていることはわかっています。
支援の無い住環境、生活環境、社会とのつながりといういくつもの要素が原因だと思います。

「来てくれてありがとう。」
「また来てほしい。いつでも来て!」
「誰にも相談出来なくて、ずっと悩んでいた。」
「誰かに助けて欲しくて、何回も何回も電話しようと考えては思いとどまっていたの」
「感謝してもしたりない。震災後はじめて支援された。」
ただのアセスメント調査です。
でも、真剣に考え抜いた調査です。
調査に伺ったお宅から、頂いたお電話でありがたい言葉をいただきました。
ほんの一部の紹介です。
まだ、こんな気持ちで過ごしている方々がたくさんいます。
お願いします。
調査を手伝って下さい。

http://311.yamagata1.jp/modules/con04/index.php?content_id=21

東日本大震災79

ボランティア政治家 大西恒樹さんからの告知


「被災地で活動する皆様方へ」


 日に日に寒くなりますが、いかがお過ごしでしょうか?
 皆様におかれましては、難しい状況の中、毎日必死に厳しい現実と向き合いつつ活動されていると存じます。
 さて、震災後8ヶ月が経過しようとしておりますが、状況は依然として厳しく、問題は複雑化しているように思えます。震災発生当初の水、食糧、物資などの比較的な単純なニーズから、一人一人違った状況から来るニーズの違いや、経済、雇用、制度、お金に関する大きな問題も絡み、毎日活動の方向性についてお悩みの方も多いのではないかと想像します。また、自治体、国の方針や施策についても十分に周知が進まず、住民の方々の不安に直面する機会も多かろうと思います。
 そんな状況の中、住民の方々の状況、各自治体の状況、政府予算の内容について我々が情報交換を行い、今後について話し合う機会を下記期日、場所にて設けたいと思います。これにより、各自治体の状況や今後の施策、政府三次補正予算の内容、各団体の取り組みについての理解が高まり、現在や今後の活動に役立つのではないかと考えております。また、こうした情報交換を通じて、相互の連携を強まる可能性もあり、最終的に住民の方々のお役に立てるのではないかと思います。まずはお気軽にご参加下さいますようお願い申し上げます。


日 時 2011年11月22日(火)午後1時〜3時
場 所 祐ホームクリニック内 YOUコミュニティルーム
    〒986-0801 宮城県石巻市水明北2丁目1番24号
発起人 大西恒樹(日本一丸代表)
協力  一般社団法人チーム王冠

東日本大震災78

チーム王冠の活動拠点を完全に移行します。
支援物資の届け先などホームページで確認して下さい。

アセスメント調査へのボランティア参加感謝します。
調査を通じて被災者の「今」を感じて、言葉にならない感情がこみ上げてきている人が多いと思います。
まだまだ、調査を必要としている人がいます。
忙しいとは思いますが、看護士、介護士、福祉士、また同様のスキルを持った方、良識ある人生経験豊富な大人の方の参加をお待ちしています。
被災地を、そこで暮らす人たちを助けて下さい。

例えば、床張りが終わっていない、壁が無いリフォームの済んでいない自宅避難者の一人暮らしのおばあちゃんの家では、支援物資でもらったストーブで部屋を温めても、室温が1〜2度しか上がりません。
夏前にもらった数枚の薄い洋服に身を包みながら、「あったかい洋服がほしい」と骨折で痛めた足をさすりながら、津波に濡れたグチャグチャの布団で、それしかないから毎日乾かしながら他人に借りた毛布にくるまりながら、すでに賞味期限が切れてしまったインスタント味噌汁を、大丈夫、大丈夫と言いながらすすっています。

仮設住宅に行かずに暮らす自宅避難者は自宅を応急修理する助成金を使うことが出来る。ところが、肝心の建築業者、大工が捕まらない。4ヶ月待って「受注は無かったことにしてほしい」と大工さんサイドからキャンセルされているのが現実。途方に暮れる。
自分の家が建築制限エリアから外れて、住める自由が選択できる事実を知らずに耐え忍んでいる人が多数います。
これから大工を頼んでも最短でも半年待ち、それどころか3年待ちというのが被災地の現実。何回このまま冬を越さないといけないのか?
生死に関わる大問題に行政は動く気配なし。
いったいどれだけの国会議員、県会議員、市町村の議員が認識しているのかはなはだ疑問だ。
震災前は大工さんの日当相場は1万円〜1万5千円だった。バブルの時代でも2万5千円前後。被災地では3万円でも大工さんが集まらないと頭を抱える。この現実は被災者にすべて跳ね返ってくる。通常300万円で終わるはずのリフォームが約1千万円かかってしまう。
応急修理制度や生活再建支援金制度はこの事態を想定していない。

建築会社は大工さんを集めるのに躍起になっている。
関東を越え、関西を越え、九州からも人材を集めている。
もう、大工さんじゃなくても、セミプロ程度の人材でもどんどん集めようとしている。
しかし、被災地に人材を集めても、そういった人たちを宿泊させる施設が無い。
ホテル、旅館、民宿などの宿泊施設は通勤1時間圏内は半年先まで予約で埋まっている。別の手段を考えているが、ほぼ打つ手無しの手詰まり状態だ。

この負の連鎖を断ち切るものは、使命感しかない。
まず、被災地の仕事を奪うな!とか、被災地は困っていない!などツイッターでチマチマつぶやいている野次馬の戯言に惑わされること無く真実を知ってほしい。
河北新報ではすでに実態に近いことを記事にした。フジテレビでも緊急取材に来た。読売新聞も興味をもった。
各メディアの人たちに、真実を見極め正確に報道してほしい。そしてもっと問題を深く掘り下げ、問題提起をしてほしい。ボランティアの人、災害救助に携わる人たち、政治家、報道マン、それぞれの立場で社会貢献の役割を果たしてほしい。
使命感をもって。

東日本大震災77

準備にひと月以上かかったが、いよいよ石巻地区の自宅避難者向けのアセスメント調査を開始します。
この調査は、行政などが仮設住宅の方々に向けて行っている健康調査と同等以上の物で、学術的なデータ取りの調査では無く、困っていることに迅速に対応するために行う調査です。
「それって、行政がすることじゃないの?」と、説明するたびに同じ事を聞かれますが、行政がやらないから、でも同じ被災者でありながら支援の輪から取り残されて困っている現実を自分たちは知っているから、きちんとした実態を把握して、民が民を助けるという新しい仕組みづくりをしようとしているのです。
予備調査の段階で、様々な問題が浮き彫りとなりました。
リフォームが進まない、仕事のマッチングが上手くいっていない、精神的な不安、精神的に不安定、将来に対する不安、被災判定への異議、不便な買い物、経済的な危機、布団が無い、冬服が無い、暖房器具が無いなど抱える問題は様々です。

予備調査を手伝ってくれた看護師、介護士の人たちも震災や津波被害を知らない人たちで、はじめは戸惑いながらも、何故、自分たちがやらなければならないのかという必要性や住民たちが抱える悩みにふれて、明確な使命感をもって取り組んでくれるようになった。また、多くの被災体験を聞くので、精神的な2次被災で苦しむ多くのボランティアの二の舞にならないように、毎日グループセッションで負担を軽減する工夫も自然とするようになった。
調査を拒否する被災者も、ごくまれにいますが、多くの人は「気にかけて、話を聞いてもらえただけでも気が楽になった。」と傾聴ボランティアとしての効果もあることが、認識することが出来た。
人手はまだまだ足りません。
看護師、介護士、福祉士などのスキルを持つ人が望ましいが、冷静に人の話を聴ける大人の人に是非お手伝いして欲しいです。

床や壁が抜けたままの状態の家が多いことに驚かされます。
むき出しの地面からの冷気は、確実に体と心を痛めつけます。
そんな部屋を温める暖房器具が無い。あったかい服が無い。
そんな中で、布団無しで寝ている人を2週間で300人見つけました。
不安定な足場から落ちて骨折している人多数。
まだまだ復旧が終わっていない。
うわべだけの復興騒ぎをしているのは、モノを知らない県外の人。
先週やっと電気が通った市街地があります。
未だに水道の無い暮らしをしています。都市ガスの復旧を待っていましたが、あきらめてプロパンガスに切り替え中です。
台風で崩れた道路は春まで直りません。
毎日、毎日冠水で床下浸水しています。
そんな地域は、三つ股、浦屋敷、黄金浜、荻の浜、梨木畑、みんな石巻市です。

レアなケースを取り上げて被災地は困っていないと言う人がいます。
確かにそういう人もいるかもしれません。それでも被災地は困っている、多くの支援を必要としている。
8000人の自宅避難者を知っているチーム王冠が言っているんです。
困っていないと言う人は、何人知っていますか?

東日本大震災76

台風15号
もう、言うのが嫌になった。
宮城の被災地の多くは、振り出しに戻りました。
新しい犠牲を生んで。

半年過ぎて、行政にイラつく前に、目の前の現実に押しつぶされそうです。
台風の置き土産で、雄勝の浜には3.11の犠牲者の遺体が数多く打ち上げられました。
直視することの出来ない状態でも、遺族の方にとっては「おかえり」と声をかけられる場所に迎えられるので、心のありかたも変わってくるでしょう。

津波の被害がなかった地区も床上浸水をくらい、「津波をかぶった人の気持ちがやっと理解できた」と、涙ながらに語ります。

津波、余震、台風と全ての被災をした人は、笑いが止まりません。
「笑ってないとやってられねえよ。」
家を失くして、やっと入居した仮設も失くして、避難所に戻った彼に住む場所はありません。
今回の台風で被災した方へ、仮設住宅は用意されないと行政は判断しました。

常に前向きだったコミュニティリーダーから表情が消えました。
リフォームに数百万円。津波で3台の車を失くし、悪路で1台の車をつぶし、台風で2台の車を失いました。
支援でそろった家電も全滅。綺麗にした家に泥水が流れ込み、掃除する気力もなくしました。かける言葉が見つかりません。

停電、断水、陥没、がけ崩れ、土砂なだれ・・・・。
好き勝手に方々を散らかした台風の後片付けを懸命にボランティアが支えています。
まったく人手が足りない。
自衛隊は人命救助のみで当てにならない。
長期化した支援活動に、前線にいるボランティア団体は、例外なく資金難でつぶされそうです。
チーム王冠もガソリンを入れる金さえなくなってしまいました。
学校給食、あったかい布団、暖房器具、生活家電、食糧、水。
待っている人の顔が思い浮かぶのに、届ける物資もあるのに、ガソリンを買うお金がなくて届けられない状況に頭を抱える毎日です。

台風だけじゃない。
アパートを仮設住宅代わりにしていた、借り上げ仮設の人たちも悲鳴を上げている。
県が家賃を負担してくれることになっていたが、90%が未払い状態となっている。
しかも、借主である被災者が立替払いをすることとなっているので、多くの財産をなくした生活困窮者が数十万円を支払い、または、払えない人は家賃滞納となり、いつたたき出されてもおかしくない状況の中暮らしている。

困ったときに国が何とかしてくれるという幻想は捨てたほうがいい。
少なくとも日本とはそういう国だということは覚えておいたほうがいい。
日本人は、いい人が多いが、政治家を見る目がないという自覚をしないといけない。

自立ではなく、独立を考えた方がよさそうだ。

2011/9/28 11:34

東日本大震災 75

8月末に担当ボランティアより、引継ぎのレポートが提出されました。
ほぼ、原文のまま紹介します。


雄勝調査レポート

味噌作
1チーム二世帯2名
味噌作チーム周辺はほぼ全壊でのこっているのはこの2つの世帯。
津波の被害が酷く、買い物も不便。
また、子育て支援センター(全壊している)裏手の味噌作地域は、津波の被害はあったものの支援は必要ないとの住民の声。


明神
1チーム6世帯15名
海沿いの住宅は全壊。
支援チームは高台にある住宅が中心。
リーダーの住宅の前に道をあがっていくと、名振につながっている。


大浜
1チーム2世帯4名
大浜チームの住宅は高台のため津波の被害はなかったものの、地震の影響があり。
大浜の海沿いの住宅はほぼ全壊。
震災当初は、海沿いに住んでいた人たちは高台の住宅で生活をしていたとのこと。


立浜
1チーム2世帯5名
津波のあり。
リーダーの住宅にも津波の被害はあったが、リフォームをして住む様子だった。
立浜は2世帯以外は、全壊。


桑名浜
10世帯23名


羽坂
海沿いの住宅に津波の被害あり。
区長と会長は自立を望んでいる。
一人暮らしの高齢者も住んでいる。
高齢者や本当に困っている人のみ集めたチームを作るとおっしゃっていた女性からの名簿まち。


熊沢
1チーム約7〜8世帯25名
約40世帯ほどあったうちの沿岸部の8世帯が全壊。
海に携わる仕事をしている方も多く、仕事を失った方もいた。
リーダーは、鮮魚の移動販売をしている。
リーダーの仕事が忙しいため現在名簿待ち。


大須雄勝
6チーム
大須会長がリーダー。
1組から6組に分かれていて、全てをまとめいているのが会長。
ほぼすべての世帯が名簿に入っている。
津波に被害は少ない。
残っている住宅で津波の被害があるところは少ない。
物資は憩いの家(消防団の向い)でおろし、町内放送で呼び、取りに来てもらうというシステム。



1チーム候補あり。
津波の被害はあったものの、海沿いに立っていたのは納屋(漁業の機材などをしまっていた)だったため流された住宅は少なかった。
しかし、海に近い住宅には床上まで浸水した。
漁業の機材が流されたため仕事を失った人も多く、日給1万2000円の仕事をして生活をしている人も多い。(1ヶ月に10日くらいしか仕事をさせてもらえない)
現在リスト待ち。


船越
1チーム5世帯17名
集落はほぼ全壊。
また山と山に間に集落があるため地震による土砂崩れの被害の多く受けた。
リーダーの中里さんは、自ら船越にまた再度戻ってきてもらおうと活動していて、メディアへの呼びかけやチームSAKEというボランティア団体とも連携して活動していた。
全壊した船越小学校には泊り込みで瓦礫撤去にボランティアが生活していてた。


名振
1チーム候補あり。
海に近い家は全て全壊。
のこっているには11件のみ。
コミュニティーセンターに仮設住宅がたっている。
リーダー候補の武山さんは、元は漁師だったが震災後は仕事が出来ない状態に。
現在は日給1万2千円の仕事をしている。(間も無く無くなる)
現在船越から名振へ続く道が土砂崩れのため通行止めとなっていて、名振へ行くには明神から入っていく道のみとなっている。
現在リスト待ち。


小浜
名振から続いている30世帯ほどの集落であったが集落の住宅全てが全壊。
現在住んでいる人はいない。


水浜
津波の被害があり、現在自宅で生活している世帯は約15世帯。
集落内の高台に仮設住宅があり。
仮設との関係をとても気にしていた。
リーダーの自宅は津波の被害はなかったものの地震の影響が酷く、玄関の入り口の段差などに亀裂が入っている状態だった。調査結果は一部損壊だったという話だった。


分浜
水浜とつながっている集落。
津波の被害がひどく、集落全世帯が全壊。
現在住んでいる家はなし。


波板
1チーム4世帯8名
海に近い住宅は全壊。
高台に建っていた4件の住宅のみが残っている。
4世帯8名の全ての人が70歳以上の高齢者。
買い物や病院へ行くことも非常に大変ということ。
今まで物資の支援などはほとんどなかった。


竹浦
1チーム一世帯2名
リーダーはもともとは避難所で暮らしていたが、世帯数が減り、閉鎖することになったので、工事途中の自宅に戻ってきた。
周りの住宅の瓦礫などは、ほぼ手付かずの状態でひっくり返った状態の家が転がっているような風景だった。
買い物にはとても不便な場所で、大体渡波のイオンあたりまで出ないと欲しいものは手に入らない。
渡したエンゼルボックスを非常に喜んでくれていた。

2011/9/18 23:05

東日本大震災 74

8月末に担当ボランティアより、引継ぎのレポートが提出されました。
ほぼ、原文のまま紹介します。


北上調査レポート

北上大須1〜5班について
北上町大須はもともと1班から5班までに分かれていて、区長が二人いる。
震災当時は、区長の家に物資が届き、それをみんなで分けていたようだが、大須全体にはうまく行き届いてはなく、区長に対する不満の声が多くあがっていた。
また、警察や消防署が壊滅したため行政の管理をする管轄がなくってしまったことで大須全体も混乱したという話もいくつか聞いた。
大須全体が津波の被害はあったが、家が建っている場所によって被害状況が大きく違っていた。
特に、津波の影響が強かったのが1班のリーダー宅周辺と、5班の住宅(住所的には行人前)が床上40センチ以上になる家もあった。
北上大須では瓦礫撤去のボランティアが長期で入っていて、8月の中旬まで生活改善センターで生活していた。
物資支援のボランティアもいくつかはいったらしいが、全て単発の支援だった。
現在1班から5版全てにチームが出来ている。


行人前
1チーム10世帯あり。
床上50センチ以上浸水した地区。
リーダーの方は、物資は避難所や家をなくした人が優先といわれたので、もらわなかった。
自宅が残っているのに物資をもらうということに後ろめたさを感じたと言う。
最近、家を離れていた人が帰ってきたりしているという話だった。


長尾下
1チーム38世帯102名
橋浦小学校周辺の地区。
津波の被害はないももの、地震の影響があった。
また今回の震災の影響で仕事を失った方もいた。
リーダーは長尾下の区長。


二丁谷地
1チーム7世帯
津波の被害が酷く、のこっている住宅は七世帯。
津波の床上50センチ以上。
子供もいておむつなどの需要もある。


吉浜
津波の被害が酷く、全壊した家も多くあった。
今までまったく何の支援もなく、何もかもながされてしまったのでちょっとした日用品(ノートやペンなど)も必要とのことだった。


小室
1チーム5世帯
津波の被害有。
海沿いの家は全壊。かなりの広範囲にわたって津波の被害がでている。
漁師の多い地区なので仕事を失った人も沢山いた。
リーダーのお宅では新しく船を買い、もう一度仕事を始めていた。

2011/9/18 21:44