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 泣ける2ちゃんねるがまた本になります。泣ける2ちゃんねる III (2ちゃんねるplusBOOKS)2007/5/25発売予定です。予約受付中。

 泣ける2ちゃんねる(旧サイト)復活しました。ケータイ版もあります。

 カワズ君の検索生活で流れていたKOKIAありがとう・・・がMAXIシングルで再発売中です。

 書籍版「泣ける2ちゃんねる (2ch+BOOKS(1))泣ける2ちゃんねる(2) (2ちゃんねるplusBOOKS)」増刷しました。 ネット書店(セブンアンドワイAmazon.co.jp等)でお早めの注文が確実です。

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  泣ける2ちゃんねる管理人 佐々木大柊 hiroshu29@hotmail.com

【コピペでも】夫婦・家族のジーンとする話を集めるスレ【オリでも】

734 :素敵な旦那様 :2006/02/11(土) 17:45:59
母は、僕を女手一人で育てた。
僕の幼かったころに、亡くなった父は、マンションの10階を母に残した。
そのマンションからは、夏に花火をみることができる。

父と母が過ごした街の花火。
毎年花火の時には、窓際にテーブルを移動して、母と一緒に父を偲んだ。
花火はいつもきれいで、母はうれしそうだった。
父は、母に素敵なものを残したなっと思った。

でも、それは長くは続かなかった。
僕が高校の時に、うちのマンションの前に、もっと高層マンションが建設されたのだ。
僕は、景観が悪くなるなぁって、思ってた。

その年の花火の日、いつものように、テーブルを移動して準備してた。
花火みれるかな?って、心配だった。

花火みれなかった。見事にマンションで見えなくなってる。
音だけの花火。
あんなに悲しそうな母の横顔を見たことがない。

僕は、母を連れて、川辺に歩いていった。
母と見上げた初めての花火。

父さん、心配するな。これからは僕が母さんを笑顔にする。

【コピペでも】夫婦・家族のジーンとする話を集めるスレ【オリでも】

254 :素敵な旦那様 :2005/12/17(土) 21:36:37
大学時代の同級生仲間で、1年の時から付き合ってるカップルがいました。
仲良しで、でも二人だけの世界を作ってるわけじゃなく、みんなと仲良くしてました。
私は女の方の一番の友達だったんだけど、彼氏とも仲良くしてたわけです。
大学を卒業しても交流があったし、何度か会った時も二人は一緒で、
本当に仲良しだなァって思ってたわけです。
最後に3人で会った時、「結婚しないの?」って聞いたら、「うん、まあね…。」とお茶を濁す様な返事。

その後、彼女が病気だった事がわかって入院して、
彼は仕事の行きと帰りに欠かさず彼女のお見舞いしてました。私も何度も行きました。
病名は水頭症(脳腫瘍の一種?)でした。
結局、治療も空しく、彼女はこの世の人ではなくなってしまったんです…。
私たちが25歳の夏でした。


255 :素敵な旦那様 :2005/12/17(土) 21:38:15
お通夜と告別式の手伝いに行った時、喪服を着てチョコンと座ってタバコを吸っている彼に、
「…、なんて言って良いか、わかんないよ…。」と泣きながら私は言いました。

すると彼は、
「そうだね。でも、これでアイツが他の誰の物にもなら無い事が決まったしね。」
と、ニッコリと笑顔で言いました。

私は耐えられなくて号泣。それでも彼は殆ど無表情で、まあまあと私の肩を抱いてくれました。
出棺の時、「これが最後のお別れです。」って式場の人が言った途端、彼は耐え切れなくなって、
崩れるようにボロボロと涙を流し始めました。

子どもの様に、大きな声をあげて。
その姿を見て、またしても私は号泣でした。


256 :素敵な旦那様 :2005/12/17(土) 21:40:02
数日後、少し落ち着いてから、彼と会いました。見て欲しい物があるって。
それは彼女が昏睡して意識を失う前に書いた、最後の手紙だったんです。

彼が、「俺はね、アイツを励まそうと思って、『結婚しようよ。』って言ったんだ。
そうしたら、アイツは『病気が治ったら結婚届けを出そうね。』って言ってた。
俺は『間違いなく治るからさ』って励まして、役所に行って結婚届け貰ってきた。
でも俺は本当はもう無理だって知ってたんだ。でも励ましたかったんだ。
アイツが死んだ日に、アイツのお父さんが黙ってこれを渡してくれた。」

と言って、私に手紙を渡してくれました。中には見慣れた彼女の筆跡でこう書いてありました。


257 :素敵な旦那様 :2005/12/17(土) 21:41:31
「うそつき。でも凄く嬉しかった。
 本当にそうなったらなって何度も思いました。
 私にはあなたの代わりはもう見つからない。
 だから私はずっとあなたの物。
 だけどあなたの代わりはいるんだよ。
 気にしないで良いからね。
 落ち込んだあなたを、きっと一番励ましてくれるだろう人が誰なのかは、わかってるから。
 その人にこの手紙を見せてあげて下さい。
 本当にありがとうございました。じゃあね!」
って。

私はその手紙を見て、人前なのにまたしてもボロボロに号泣してしまって。
彼が、「それは多分、君の事なんじゃないか?」って。

うん。私は前から彼が好きだった。
あれからずーっと引きずってる彼と仲良くして4年。
今度結婚します。

たった一人の妹へ

1 :Mr.名無しさん :04/06/01 20:33
一昨日妹が死んだ。
原因は居眠り運転の車にはねられての事だった。
年齢はまだ23歳と若くこれから楽しい人生が待ってたはずなのに。

小さい頃両親が交通事故で無くなり兄妹離れ離れで暮らさなければ成らなかった
生活能力の無い俺達にとってそれはごく当たり前の事だったと思う。
俺はその当時17歳妹は12歳だった・・・・。

俺は父親方の親戚に引き取られ、妹は母親方の親戚に引き取られていった。
2人とも引き取られたのは良いが、やはり他人が家に来ると言う事は
受け入れがたい部分も有ったのだろう、俺はそれ位の事は重々承知している。

ただ12歳と幼かった妹にとっては非常につらかったと思う。
俺は何とか我慢をして生活していく事は出来たが、
ある日俺の親代わりの親戚の父親が妹は親戚を盥回しされているんではないかと
夫婦で話をしているのをふと耳に入れた。


10 :1 :04/06/01 20:47
いてもたってもいられず、その親戚の家に電話をしたらもう他の家に預けたと言う。
俺はその親戚に「何でちゃんと見てくれないのか?」と問いただしたら
大人には大人の事情がある!その一言でかたずけられてしまった。

そう言われた俺は、ただただ悔しくて悔しくて泣いた。自分の無力さを恨んだ。
両親が交通事故で亡くなり、唯一の肉親がたった一人の妹だった。
そんな妹を毎日毎日「泣いてはいないか?」「元気にしてるのだろうか?」と毎日思っていた。

そして俺が高校を出て21歳に成り就職を機に一人暮らしを始めるとともに妹を
「俺の借りているマンションに一緒に住まないか?」と言ったら、妹はすんなりと受け入れてくれた。
こうして一緒に住むことが決まりその日の夜に、これからとこれまでの生活の事を話し合った。
妹はやはり親戚の家ではあまり良くない扱いを受けていたそうで、俺のこの話を聞いた時
その家で嬉しくて泣いていたと言う。やっとこの生活から開放されるんだと。


31 :1 :04/06/01 22:06
それからの俺の生活は大変だった。
お金が無く公立高校にしか行かせてやれなかったが、普通に高校生として生活させてやりたいと、必死になって働いた。

毎日毎日働いた。
やりたい事もせず、俺の事は置いといて何よりも妹のために頑張って働いた。
こうして妹が高校を卒業して就職が決まり、その日は2人でささやかなお祝いをした。
あの小さかった妹が、大きくなりこうして俺の前で笑ってる。俺は涙が出そうになった。

その時妹が、小さく小さく聞こえるかどうかの小さな声で、「ありがとう」と言ってたと思う。
本当にそう聞こえたかどうかは分からないが、その時俺はそう聞こえたと思いたい。
そしてある日妹が父の日だからとネクタイをプレゼントをしてくれた。
俺は、なんで父の日にプレゼントなんだよ〜って笑って聞いてみたら、妹が
「両親が亡くなって代わりにここまで育ててくれたお兄ちゃんがお父さん代わり」なんだと。
俺はそれを聞いて嬉しかった。両親が亡くなり妹のために何も考えず必死に働いてたから・・・
そういった心から嬉しがる事が無かったから非常に嬉しくてトイレで
妹に気付かれないように声を殺してクゥクゥ泣いた。

ネクタイを締めて見せてくれとせがむ妹に恥ずかしいからと必死に断わった事を今更遅いが悔やんでいる。
何故あの時妹に見せてやらなかったんだと。
今でも妹のふくれっつらが目に浮かぶ。


132 :1 :04/06/01 23:21
妹の事故に遭ったと連絡を会社で聞いた時、最初は何がなんだか理解できなかった。

病院に駆けつけた時には既に息を引き取った後だった。
眠るようにベッドに横たわる妹の顔見た時、俺は嘘だと思った。
何でなんだと。両親が亡くなり兄妹離れ離れに暮らすはめになり
挙句の果てに親戚に盥回しにされ、邪魔者扱いを受けて暮らしていた妹。
こんなにも不幸な暮らしを受けて生きてきた妹にやっと見つかったと思う幸せな日々。

妹が「お兄ちゃん、今まで見守ってくれててありがとう。
 私は十分幸せだから今度はお兄ちゃんが幸せになってね」と
言ってくれていた優しい妹に、何でこんな仕打ちが有るんだと!!
俺の幸せなんかお前の後で十分なのに、何でお前が先に逝くんだと・・・・・。
何で両親ならずたった一人の妹までこうなるんだと、俺は病室で妹の顔を見ながらそう思った。
俺の幸せなんかお前の後で十分なのに、何でお前が先に逝くんだと・・・・・。

葬式には俺の友人・妹の友人とその彼氏。あと優しくしてくれた親戚の者だけで静かに行いました。
たらい回しにした親戚も来ていて「残念な子を亡くしたね」っと言った時に俺は怒った!激しく怒った!
小さい頃に邪険に扱っておきながら何を今更と、何であの時優しくせずに今そんな言葉をかけるのかと。
それを言うとその親戚の人達は何も言わずその場から離れた。
今思えば少し言い過ぎたかもしれないけれど、その時優しくしてくれてれば
妹はもっとましな人生を送っていたかもしれないと思うと、俺は悲しかった。


176 :1 :04/06/01 23:47
友人や親戚には言えないのでここで妹の事を少し話したい。

妹は俺が病気のと時に必死で心配してくれていた優しい子だった。
妹はつらくっても中々俺に相談しない繊細な子だった。
妹の高校の卒業式には両親の遺影と一緒に参加した
妹がご飯食べて帰るなら連絡しろって事を忘れて外で食って帰った時には怒られた。
妹に怒鳴りつけて泣かせた事もあった。
妹の帰りが遅いと怒りその事で喧嘩もした。
妹に彼氏が出来たと聞いて複雑な気持ちになった。
妹が泣いてた時も一生懸命話を聞いてあげた。
妹との色々と書き込めないくらいの思い出が一杯有った。

これからも喧嘩もしながら兄妹仲良く暮らして行きたかったけど妹はもう居ない。
結婚の挨拶に妹の彼氏が来たら追い返そうと思ってたけど、それすらもう出来ない。
それでも俺は当たり前の事だけど、これから妹の居ない生活を生きていかなければならない。
妹の言葉通り精一杯生き、そして幸せになる事が妹への最高のはなむけになると俺は信じている。


188 :1 :04/06/01 23:53
俺は無神論者だけどこれだけは言わせて欲しい。
この世に神様が居るとしたらあの世で妹が幸せで有る事を切に願う。
来世でも妹に会え、その妹が人並みの幸せな暮らしが出来ることを願う。
今度生まれ変わってもまたあの頃と同じ家族で出会いたいと俺は願う。

最後に俺の家族へのメッセージを言わせてください。

お父さんへ
「こんなに立派になりました。妹の事よろしく」

お母さんへ
「あなたの息子は精一杯生きています。先に逝った妹を可愛がってください。」

妹へ
「いろいろと迷惑かけたけど、安心してください。そちらに逝った時にはまた兄妹として仲良くしよう」

最後になりますが皆さんへのメッセージを大きな声で言わせてください

「ありがとう」

相手に死なれて終わった恋愛

899 :名無しさん :03/02/16 21:58
お前との5年の付き合い、とても良かったよ。
本当に偶然が重なって出会ったんだよね。

初めてのデートの時待ち合わせ場所でオレを見つけて手を振りながら歩いて来たのを今でもハッキリ覚えてるよ。
お前には他人にない優しさがあった。叶うかわからないような夢を追って、収入が少ないオレに
「共働きでもいいじゃん、あたしも稼ぐからさ!」
と、結婚を先延ばしにしてくれた。なるべくオレに負担をかけないようにと
「ボーナスが増えたから」とウソを言って、旅行のお金を全額払ってくれたりした。
こっちで一人暮らしの時に、オレが遊びに行くときには必ず好きなものを作って待っていてくれた。
オレは仕事(夢)が少しでも現実に近づいたら、お前と一緒に色々なところで美味いものを食べたり、旅行に行ったり、指輪をプレゼントしたりするつもりだった。
それがつらい時期を支えてくれたお前に対し少しでもだけど恩返しになると思った。

でも、こんなに早く逝ってしまうならもっと色々なところに一緒に行っておけば良かった。
グルメのお前にもっと「こりゃうめえ」と言わせたかった。
旅行が好きだけど、海外に行ったことがないお前と海外に行っておけば良かった。
忙しいからと言い訳しないで、無理矢理にでも会いに行けば良かった。

オレはお前と一緒じゃないのなら、もう新しい景色にもすばらしい料理にも出会いたくない。
オレは物足りない。お前との時間はあまりにも短すぎた。

最後の電話の時、お前はご機嫌そのものだった。


900 :名無しさん :03/02/16 21:59
あの日の昼過ぎお前が、病院で死にそうになっていると電話が入ったときには、体中が冷たくなってすぐに熱くなった。
大変なことが起ころうとしている。他の誰でもない、お前に。

おれのおかんが「なんとかならないの?」と心配そうに言うのを背に、バイクで高速を飛ばした。
つい昨日電話で話したお前は、オレが病院に着いたときには冷たくなっていた。
携帯のボタン一つで話すことが出来たお前が流れる雲の向こうに行ってしまった。

オレは雲の流れを止められるなら止めたいと思う。
どうにもならないことにどこまで耐えられるのか…。
離れて生活していても、同じ空を見ている事を考えながら日々生活していた。

佳織よ、佳織。オレはお前に戻ってきて欲しい。
お前にもらった年賀状や写真は今でも机に飾ってある。
佳織、お前はいい子だった。いい女だった。本当に愛していた。
オレはこの世でお前に出会えて本当に良かった。
オレはもう一度お前に会いたい。

我が家で飼っていた動物の思い出

638 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/03/27 01:13 ID:2+CL1LVw
俺が小学生の頃、夜だけ、家に、寝に来るコロって呼んでた野良犬がいたよ。
家は団地だったので、俺と母ちゃんが動物好きだったけど我慢してたんだ。
共働きだし、家に閉じ込めておくのは可哀想だしね。

賢い犬でさ。朝は俺と一緒に学校まで行ってた。紐はつけない。
教室から試しに呼んでみたら(授業中)、見事に来たことあったからびっくりした事もあった。
その後は夕方まで、勝手に遊んでたみたい。ちゃんと帰ってくるからね、寝るために。
しかも、俺ん家は5階で、周りは似たような建物、入口ばっかなんだけどわかるみたいなんだよね。
家に誰もいなくてもドアの前で待ってた。(きっと隣の人とかは迷惑したろうな)

いろんな家で、世話になってたみたいで違う名前で呼ばれてるのを見たこともある。
でも夜には帰ってくるから、きっと家の事を気に入ってくれてたんだと思うな。

コロが、急に来なくなった。
とても心配して何日も俺は探し回ったんだけど見つからなかった。
母も俺も、きっと誰かちゃんと飼ってくれるいい人につれてかれたんだよと諦めた。

それから、10年以上も経っていて、俺ん家はめでたく一軒家に引っ越したのだが、
この間、母ちゃんが団地で仲のよかったおばちゃんとお茶したときに聞いた話。
そのおばちゃんはコロの行方を人づてにきいたらしい。
どうも、団地の近くの広い道路で車に轢かれて、逝ってしまったとの事。

コロは賢い犬で車に轢かれるような犬じゃなかった。
どうやらその道路の反対側、ちょっと遠くに、俺がいたらしいんだ。
コロは、俺を見つけて、飛び出したのかもしれない。
アイツは、いつも俺を見つけると喜んで飛んできて遠くからでも体当たりかましてくる奴だったんだ。

今でも、俺は、コロはきっと誰かに飼われ幸せに老後を暮らしてると信じてる。

悲しくて切なくて寂しい時泣きにくるスレ

220 :癒されたい名無しさん :05/01/20 13:33:07 id:fCNkycwf
たすけられたいなら誰かをたすけなさい。
自然とまわりに輪が出来て幸せになれる。
自分がしてほしいと思うことは他人もしてほしいと望んでるのだから。
心の痛みを知っていれば親身になってやれる。
まわりを幸せにしていけばおのずと自分も幸せになれる。