忘れえぬ音

『忘れ得ぬ音』。アマチュアアンプ研究家の三浦氏の文章に出てきた言葉です。記憶に残る感動を与えてくれた音、といったほどの意味でしょうか。

私にも、二つの『忘れ得ぬ音』があります。

現在は真空管アンプの設計、製作を生業としている私ですが、まだ学生であった頃は金田式DCアンプファンでした。
オーディオ雑誌に載せられた金田氏の文章は自信に満ち溢れ、今までのアンプ群とは一線を画すそのアンプの音質には、自作マニアをひきつけてやまない何かがありました。私にとってはある意味、教条主義的な教えを説く教祖でありました。
一字一句間違えてはならない掟が、暗黙の了解であったように思います。
しかし、金田式アンプは『忘れ得ぬ音』にはなりませんでした。

それは何故か。氏の記事通りの完全コピーを目指しながら、何かしらの反発をも感じていたためでしょうか・・・。

同じ雑誌で、新井氏によるシンプルオーディオシリーズが始められていました。
ある時、「真空管アンプ回路をFETに置き換えて鳴らそう!」といった意味の記事が載っておりました。抵抗値を1/10に、コンデンサーを10倍にすればそれでOK、のような話だったと記憶しています。

真空管ソケットもいらない、ヒーター配線もいらない、3本足のFETでOKというノリでしたので作ってみました。
12AX7×2を2SK68+2SK117に置き換えただけのユニバーサル基板に両chとものってしまうEQアンプです。
FETもDCアンプのように熱結合だのIDSSの差のないものの選別など不要の、現場主義的でプリミティブなアンプでした。
そんな工作のようなアンプから出てきた音が、一つめの『忘れ得ぬ音』となったのです。
工作のように作ったものですから、回路図もないままに改良を進めていくうちに、まさに『忘れ得ぬ音』になってゆきました。

生き生きとして自由奔放な音だったように記憶しています。
今から思えば盛大に二次歪が出ていた音のようにも思いますが。
金田式DCアンプがドラクロアルーベンスを感じさせるのに対して、セザンヌやモネを感じさせる音。
写実的に描き上げなければ、未熟で他人の鑑賞に耐えないと思いこんでいたところへ「これでいいんじゃない」というノリで感情をひきつけるモジリアーニの絵のように感じ入ったものです。
ところがそれを再現してみようと何度試みても、できなくなってしまいました。単純なドレインフォロアーをコンデンサーで繋げただけですし、最初の抵抗値や電圧など覚えていた筈なので再現できそうなものなのですが、何度作ってみても、出てくる音はあの『忘れ得ぬ音』ではないのです。
時間が過ぎたために感動しなくなったのか?それさえも分らなくなり、『忘れ得ぬ音』の記憶だけが残りました。

もうひとつの『忘れ得ぬ音』は、盲目的追従をしながらも、自由のなさに反発を感じていたDCアンプの電源が、ナショナルネオハイトップ化された時のことです。
金田氏指定の部品が揃っていた上に出力トランジスターまでが一枚の基板の上に納まるという、それまでの金田式アンプと比べると非常にシンプルなアンプでした。
これまた、それまでの大上段に構えていたのに対して工作のようなアンプでしたが、出てきた音の素晴らしさに言葉を失ってしまいました。

清らか!
静か!
にごりがない!

一言でいえば「ピュア」というに尽きる音です。

今まで何をしていたのか?!
もう関西電力の音には戻れない!
電源は乾電池に限る!
これこそピュアオーディオへの道!
とばかりに、周辺機材も乾電池化してゆきました。
あまりにそれまでの音質と違うので、周りの人達から『デンチのヒト』と呼ばれるほど色々な処へ持っていっては聴いていただきました。 CDプレーヤーは乾電池で動くポータブルプレーヤーとなり、後にデジタル出力のついたポータブルプレーヤーが市販されると周りの人に勧めてまわりました。 D/Aコンバーターは、ヤマハの据え置き型のトランスを外して外付け電池BOXをたくさんつけたものを経たのち、外部電源入力がついていて電池数も少なくてすむオーディオアルケミーに変わってゆきました。

電池駆動のCDプレーヤー(もちろん立て置き!)、電池駆動のD/Aコンバーター、電池駆動のDCアンプ、この三つが当時の私にとっての三種の神器であり、どのようなハイエンド機と比べても、関電の音のするそれらとは一線を画する音に満足していました。

が!しかし、しばらくするとナショナルネオハイトップがモデルチェンジをしてしまいました。
時代の流れとはいえ、水銀0をうたう新ネオハイトップから出てきた音はそれまでのハイエンド機と同等以上に渡り合えるものではないどころか、「大掛かりなラジカセですか?」といった感のする機械になってしまっておりました。すわ一大事、と在庫を抱えているだろうと思われる小さな電機屋さんを訪ねては旧ネオハイトップを買いあさりましたが、さすがに数年も経つと買い集めた電池は経年変化で用をなさなくなり、旧ネオハイトップが支えていた音はまさに『忘れ得ぬ』幻の音となってしまいました。

私にとっての、二つの『忘れ得ぬ音』。
ひとつめの音は記憶を頼りにつきつめれば再現できる音ですが、ふたつめの音は自分で昔の電池工場でも作らなければ再現できません。
ところが、関電の音には戻れないと思わしめた音は電解コンデンサーに蓄えられた音だということがわかりました。今回のプリアンプ試作でフィルムコンデンサーを用いたときに、あの『忘れ得ぬ音』のかけらを感じ取れたのです。 100VACから引っ張ってきたアンプなのに、良い音がしました。気になっていたので電解コンデンサーに入れ替えてみると、あの電池駆動とAC駆動の差がそこにあったのです。これで電池工場を作らずとも、関西電力を利用して『忘れ得ぬ音』を再現することが可能になりました。
昔は真空管ソケットやヒーター配線を嫌ってFETに置き換えてみたのでした。今回は手間を惜しまず、真空管を使ってとことん追求し、MODEL1aとして結実しました。

こうして、二つの『忘れ得ぬ音』はMODEL1aで再現、さらには融合されて『静かでありながら、生き生きとした音』を醸し出しています。