『書くことが思いつかない人のための文章教室』を読んだ。

書きたいことはいっぱいあるのになぁ。
書く時間があればなぁ。

なんて思ってましたけど、いざ書こうとしたらまぁ〜筆の(キーボードを叩く指の)
進まないこと。
こんなこと毎日続けてらっしゃる方々って、どんな感じで書かれてるんでしょうね?

と思っているときに目にとまったのが『書くことが思いつかない人のための文章教室』
でした。

書くことが思いつかない人のための文章教室 (幻冬舎新書)

書くことが思いつかない人のための文章教室 (幻冬舎新書)

じつはこういうハウツー本的なの、読むの好きです。
読むだけで習得した気になって、実際には全然できてないんですけど(爆

書く上でのルールに近いようなことでいえば、堀井憲一郎さんの『今すぐ書け!の文章法』
と同じようなことが書いてありました。
いますぐ書け、の文章法 (ちくま新書)
たとえば、堀井さんの書き方でいうと、
 ・日本語では「私」という一人称はほとんど省略できるし、省略すべきだ。
 ・「思う」という言葉は使っちゃいけない。言い切れ。
だとか。
つい使っちゃうんですよね〜、「思う」「考える」「感じる」って文末に。とほほ。


うーむ、なるほど、と思ったのは次の2つです。

□「思う」ことより「思い出す」こと
 いろいろな事柄・テーマについて単に「思う」よりも「思い出す」方が、より具体的な
 ことが浮かびやすいとアドバイスしています。

原稿用紙に向かって何も浮かんでこないとき、いかに乗り切るか。最初の試練です。
その手立てとしては具体的に描写しやすく、かつ書き進めやすい題材がいい。それには
やはり「思う」ことより「思い出す」ことだ、とこれはぜひ覚えておいてください。

 何に感心したかというと、「思う」から「思い出す」に言葉を換えるだけで状況を一変させて
 しまう、ということ。
 ほんの小さなこと、“コツ”がブレイクスルーのきっかけになることって、ありますよね。
 そんな魔法の言葉をたくさん知っている人ってスゴイ、と素直に感心しちゃいます。


□説明は最小限度に
 描写についてのアドバイスの流れで、説明については必要最低限度に、とアドバイスしています。

城山三郎氏はつねづねおっしゃっていました。
「心情吐露や説明はいらない。描写が大切だ」。
(中略)
説明する必要があれば、そうしてください。しかし大切な場面で、かつ描写できるのに
説明で簡単にすませるのはやめてください。

これで思い出したのは、書評家・豊崎由美さんによる、爆笑問題太田光さん著作の小説
マボロシの鳥』についての書評です。

この書評に対して、太田さんは以後、必要以上に執拗に豊崎さんを口撃するようになります。
まだ『マボロシの鳥』を読んでいないので私見は述べられませんが、太田さんは案外に
泣き所を的確に指摘されちゃった、てことなんでしょうね。

以前、「爆問学問 爆笑問題の教養のススメ」で、日本藝術大学の学長・宮田亮平さんが
出演した際、表現について宮田さんと太田さんとの意見が食い違いました。
宮田さんは、Aという思いで作った作品を、見た人がBと思って受け取ってもいいじゃないか、と。
それに対して太田さんは、それじゃつまらないよ、と抵抗しました。
「伝えたいことがどれだけ伝えづらいか、それをいつも感じている」と。
美術や芸術やあるいは建築物でも、完成した作品こそがすべて。そこに費やされた労力や
費用や経緯なんて関係なく、すべては見る人に委ねられます。
一方で、受け取り手によって捉えかたが異なるのは嫌だ、自分の思いをそのままの形で
相手に伝えたい、と思う人もいます。
それが評論文で要求されるところの「論旨」であったり「文脈」であったりする訳で。
つまり、太田さんは他の解釈を許さない、ガチガチの説明体質の人だってことで

・・・えーと、何の話でしたっけ?(爆


この本を参考に、少しずつでも書く練習をがんばろうと思います。
・・・もとい、がんばります! とほほ。(2回目)