Hatena::ブログ(Diary)

ギロチン

2018-08-30

2018-08-28

ネット右翼からネットdadaの時代

ここ数日の政治がらみの話題を見ていると、ネトウヨの時代からネトdadaの時代への移り変わりを感じる。無論、dadaとはツイッターの某有名冷笑系インフルエンサーのことを指す。


逆に今どき、ネトウヨにかぶれてしまうのは、もはやニヒリストや亜インテリではなく、そこそこ教養的な一般層とか、もしくはポジティヴ系の人である気がする。このタイプは、ネトウヨ的なものへの耐性がないから、知らずして染まりやすいんではないかと思う。世間メディアの日本凄いブームみたいなものが、よりソフィスティケートされた形で、マイルドな一億総ネトウヨ化を加速させ続けているという、もう一段階最悪の状況が進行しているんじゃないだろうか。ニヒリズムの否定が、ある種のメタニヒリズム症候群を引き起こしていそうなのは、捻くれたネット民なら何となく理解してくれるだろう。


だから、『君の名は。』と『この世界の片隅に』に、ネトウヨ性を見出している人がいたけど、たしかに、今はああいった目に見えない形で、ネトウヨ的な暗黒啓蒙が行われる段階に突入しているのかもしれない。『シン・ゴジラ』も震災以降のリアリティを体現したというよりか、逆に震災以降の現実を否定する、プロパガンダファンタジーといった方が合っているような気がする。しかも、シン・エヴァ完結編が2020年に公開されること自体、エヴァ庵野秀明も、クールジャパン的な國體プロパガンダに屈してしまったように見えてならない。本来、エヴァは、そんな薄っぺらいものから1兆光年かけ離れていたはずなのに…。


まあ、小林よしのり戦争論から20年近くたっているわけだから、ネット上のネトウヨムーブメントが、廃れつつあるとしてもおかしくはない。世界に先駆けてネトウヨ化したサブカル国家日本の地で、いち早くそれが収束しつつあるだけともいえる。それでも、相変わらず世間は、ネトウヨ化し続けているわけだけど。逆に無産ネット民は、ロスジェネとも違えば、左右のイデオロギーにも帰すこともない、純粋なルサンチマンと鬱に回帰しているような感じがする。


例えば、なんJ民のネトウヨ動画通報祭りって、2ちゃん的な本質の原点回帰であると同時に、その炎上脱構築した新しいタイプの祭りだと思う。嫌儲のジャップ連呼も、ネトウヨのタガが外れると、ああいう本音が炙り出されるわけで、ある意味、ネットはメタ・ネトウヨ段階に入っているのかもしれない。


反面、キクマコ的な反原発アンチのニセ科学SFファンから、イマドキの意識高めなベンチャー系の評論界隈にせよ、彼らは現実主義者などではなく、未だにクールジャパン的なものの可能性を追い求め続けている、誇大妄想狂のロマンティストでしかない。しかし、そのメンタリティは、原作から毒を抜いて、あざとい日常主義を際立たせた『この世界の片隅に』とか、あるいは『君の名は。』『シン・ゴジラ』等にも内在しているものでもあろう。特に『シン・ゴジラ』の、あんな有り得るはずもない、情報工学的に迅速な意思決定をする官僚集団に、己のナショナリズムとクールジャパニズム投影している一部評論家とかって、ふつうに気持ち悪い。だが、“情報を自由に検索して使う”グーグル的な実存と、クールジャパン的なナショナリズムが奇妙に結託していそうなふしがある。安倍政権的なものを強力に支えている理論も、無教養なネトウヨ中産市民などではなく、そうしたIT系と融合したサブカル言論的なものじゃないだろうか。だから、イケダハヤトや落合陽一にせよ、彼らは日本におけるフラットなAlt-right思想と見立てるべきだと思うのである。


結局、00年代にあれだけ政治やイデオロギー思考からの脱却を叫んでいたサブカル評論は、震災以降、急速に体制に回帰していったように思う。逆に無産ネット民のネトウヨムーブメントは、2011年のフジデモを頂点にして、緩やかに衰退していったような気がする。フジデモで奇声をあげていた古谷経衡も、今や立派な反ネトウヨ冷笑系だ。2ちゃんでもネトウヨが廃れつつあるのは、森友加計が浮上する前から、既に嫌儲のジャップ連呼のような形で現れていたし、公文書改竄事件やネトウヨ通報祭りで、それが2ちゃん全板からヤフコメにまで広がったような感じである。


なので、繰り返しになるが、今激しくネトウヨ化しているのは、RADWIMPSみたいな件とか、意識の高いIT系の人文リベラル層のような中間層であろう。ニヒリズムの拒絶が、また別のメタニヒリズムを呼び込むという、最悪の連鎖が起こっているのだ。しかも、本人たちにその自覚もなければ、自我も強いので、なおさらタチが悪い感じがする。まあ、日本はスピリチュアリズム社会であるのも大きいのだろうが。しかし、それを冷笑できるからこそ、ネット民がネトウヨから足を洗いつつある現実も皮肉なもんだ。

2018-08-25

人はポストモダンに行き詰まると極端なリバタリアン化&ネトウヨ・オルタナ右翼になる

はてなブクマで、こんな記事がホットエントリーに入っていた。

Mal d’archive オルタナ右翼の源流ニック・ランドと新反動主義

http://toshinoukyouko.hatenablog.com/entry/2018/08/24/230418



イギリス哲学者ニック・ランド(Nick Land)は、2012年、ネット上に「暗黒啓蒙(The Dark Enlightenment)」*1というテキストを発表し、新反動主義(Neoreaction:NRx )の主要人物の一人になった。詳しくは後述するが、この新反動主義エッセンスオルタナ右翼の中にも流れ込んでいるとされている。そのもっとも直截な例は、オルタナ右翼メディアブライトバート』(Breitbart)の元会長であり、またドナルド・トランプの元側近でもあるスティーブ・バノンで、彼は「暗黒啓蒙」のファンであったことを公言している*2。



ニック・ランドは、もともと大陸哲学フランス現代思想の研究からスタートしており、初期にはジョルジュ・バタイユに関する著書もあるが、90年代中頃になると、のちに「加速主義(accelerationism)」と呼ばれることになる思想を展開するようになる。加速主義とは、ざっくり言えば、資本主義プロセスを際限なく加速させることで、あらゆる既存の体制や価値観を転倒させる技術的特異点シンギュラリティを志向する思想的立場を指す。

 


この思想は、フランス現代思想ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリによる共著『アンチ・オイディプス』から多大な影響を受けている。1972年、パリの五月革命の余韻醒めやらぬなか書かれたこの大著は、「資本主義と分裂症」という副題が付されているが、その中で「脱領土化」という概念が出てくる。これは一言でいえば「解体」のプロセスであり、土地や貨幣がグローバルに流動化していく資本主義、そして自我が解体していく分裂症患者に見られるプロセスであるとされる。ただし、『アンチ・オイディプス』では、これと対になる「再領土化」という、その後に来る「統合」のプロセスとワンセットになっているのだが、加速主義は前者の「脱領土化」のプロセスのみを徹底的に――特異点に至るまで――推し進めようという立場である。この点において、加速主義ドゥルーズガタリの思想とは一線を画している*3。



ニック・ランドの積極的ニヒリズム(?)にはこれ以外にも、エントロピー理論における「熱的死」、フロイトの「死の欲動」、アントナン・アルトーの「器官なき身体」など、いくつもの概念が折り重ねられているのだが、その根底には苛烈な人間中心主義批判の精神がある。

人間中心主義批判現代思想における重要なテーマで、その系譜はたとえば人類学者レヴィ=ストロースの「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」という有名なフレーズにまで遡ることができるかもしれないが*5、ここでは深入りは避ける。いずれにせよ、ランドはこの人間中心主義批判エートスを、「人間」の廃絶にまで推し進めようとする。ランドは、人間性保守しようするあらゆる既存の体制、価値観、思想、社会を一括して「ヒューマンセキュリティ・システム」と呼び、そこからの脱出を促そうとする。 この「ヒューマンセキュリティ・システム」の内部に安住している限り、我々は自分たちを縛っている思考の「外部」へ突破することはできない。ランドにとって「外部」という、いわば思考しえないものを思考しようとする試みは、端的にいえば「人間をやめる」ことによってのみ達成されるのだ。



一般右翼思想といえば、自分たちの住む国家を尊ぶ愛国思想(ナショナリズム)や保守思想と同一視されているが、新反動主義はその点からすると真逆のようにも見える。というのも、そこで主張される思想は、国家の解体と企業化であり、また住民は積極的に別の都市国家=企業に流動していくことが推奨されているからだ。

複数の州政府から成る連邦制を敷いているアメリカにおいては、国家に対する意識も日本などの国とはだいぶ差がある。だから、インターネット右翼思想といえば、いわゆる日本のネット右翼などのイメージしかない向きからすると、これはだいぶ異様な思想に見える。とはいえ、実際これはだいぶ異様な思想なのだが*19。



オルタナ右翼界隈ではしばしば「社会的生物多様性」(human biodiversity:HBD)なる議論が持ち出される*21。「社会的生物多様性」という概念は、集団遺伝学(population genetics)の分野では既に90年代頃から現れていたが、2010年代に入るとインターネット上の白人至上主義者やオルタナ右翼コミュニティで用いられるようになった。「社会的生物多様性」をインターネット上に復権させたのは、スティーブ・セーラー(Steve Sailer)というジャーナリストブロガーで、彼は以前からオルタナ右翼系のメディア論陣を張っていた。なお、集団遺伝学とは、とある集団内における遺伝子構成の変化を研究する遺伝学の一分野。この遺伝学を、特定の人種、階級、地域、共同体適用させようというのがセーラー流の「社会的生物多様性」の議論だ。

これがどうしてレイシズムに繋がるのかというと、特定の人種(たとえば黒人)や階級(たとえば労働階級)は遺伝的に能力があらかじめ決定されているという議論を招くからで、要は人種差別優生学正当化するために疑似科学的な意匠が凝らされたネオ・社会ダーウィニズムに過ぎない。



たとえば、近年における哲学的潮流のひとつである思弁的実在論(Speculative Realism:SR)。

思弁的実在論とは、一言でいえば、哲学を脱―人間中心化しようとする動きであり、事物そのものの在りようを、人間の認識に依存しない形で問題にしようとする哲学である、とひとまずはまとめることができる。この思弁的実在論という枠組みは、2007年にロンドン大学ゴールドスミス・カレッジで開かれた同名のワークショップを発端にしており、そこに集ったレイ・ブラシエ、イアン・ハミルトン・グラント、カンタン・メイヤスー、グレアム・ハーマンの四人が、思弁的実在論のオリジナルメンバーということになっている。そして、このワークショップの書き起こしがネット上に無料公開されると、主にブロガーたちの間で話題と論争を生み、思弁的実在論一種のネット・サブカルチャーと化した*24。


思想に暗いので、詳しいことはよくわからないが、自分が青識亜論や籠原スナヲのようなポストモダン崩れに思った違和感が、上手く説明されているように感じた。また「シンギュラリティー」の元ネタが、オルタナ右翼とも通じる思想にあったのも、やはりという感じである。政治よりも市場を絶対視する立場も、最近の日本のサブカル評論界隈が、欧米のオルタナ右翼とも思想的に連動しているのを示しているだろう。


だけど、たいして語学力もない日本の人文思想系が、欧米のオルタナ右翼思想に先んじていたことは、検証に値することかもしれない。ブログ先で言及されている、ニック・ランドの「暗黒啓蒙(2012年)」以前から、既に日本の思想界は“暗黒啓蒙”と化していた。東浩紀大塚英志との対談で、「南京大虐殺をあったなかったと議論することに意味はない」と発言している、『リアルのゆくえ』が出版されたのが、2008年である。それに、日本で思弁的実在論とか言っている連中も、だいたいポストモダン崩れのリバタリアンネトウヨである。


おそらく冷戦終結以降のグローバル資本主義インターネットが、世界をネトウヨだらけにしたと言ってよいと思うのだが、その中でも、いち早く長期不況と政治不信に直撃した日本は、どこよりも先んじてネトウヨ化したわけである。そういう意味で、日本はネトウヨ母国といっても過言ではない。実際に、4chanなどは2ちゃんから多大な影響を受けているわけだし、オルタナ右翼は排外的な日本を理想化している。


最近のネット民の傾向は、ネトウヨから冷めて次の冷笑モードに移行している感じがするけど、逆に割と素直で意識高めの人の方が、ネトウヨ的なものに感染しつつある感じがする。悪い意味での誤配が起こっているというか、ネトウヨ的なものを見抜くリテラシーがないから、そういうものに感染しやすい状況があるんじゃないかと思う。


それと『君の名は。』と『この世界の片隅に』に、マイルドなネトウヨ性を見出している人がいたけど、たしかに『シン・ゴジラ』を加えたこの3作が、震災以降の反動主義だというのも、わからなくなくはない。社会の前向き性が、現実認知を歪めているってのはあると思う。しかも、ニヒリストほど自覚的でなく、本人の自我も強いから余計にタチが悪いってのはあるよな。

2018-08-24

既に青識亜論の論理は破綻している

空自から女性初のパイロットが出たらしい。といっても、輸送機やヘリコプターではなく、なんとF-15である。つまり、イーグルドライバーだ。

空自初の女性パイロット誕生へ「小さい頃から夢だった」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180823-00000037-asahi-soci

さて、ここで東京医科大学入試女性差別事件について、人文系インフルエンサーの青識亜論はどういう見識だったかを再掲してみよう。


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青識はこう述べられておられるが、ある意味戦闘機パイロットなんて医師よりも遥かに狭き門で、結婚による退職や出産などによって、その操縦技術が流失すれば替えをきかせるのが難しい業種だろう。それでも、女性の登用を増やしていく方針であるという。


まあ、青識がいつもの調子で、適当なアドリブを吹かしてしまったのもしょうがない。ああやって、自分の仮想敵(主に左派系)に毒づかなければ、取り巻きの信心が離れていってしまう。こういう手合ほど、自分の取り巻きのプライドを満たしてあげたり、反左派というグロテスクなネットの場を維持するために、細心の注意を払った発言を心がけなければならない。そういう意味で、青識や、あるいはdadaとかも、ツイッターにおける特定の場を維持するために仕組まれた、アルゴリズム一種でしかないともいえる。


けれども、空気読み合って場を維持する、ズブズブの馴れ合い忖度で成り立つ、気色悪い村社会でしかないわな、あの界隈って。

2018-08-23

やっぱ、昭和天皇に対するネット民の反応が面白い。

昭和天皇戦争責任についての心中を明かした、侍従の日記がネットでちょっとバズっているんだけど、ネット民の反応が面白い。

戦争責任のこと」昭和天皇、晩年の苦悩

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180823-00050065-yom-soci

ヤフコメなんてネトウヨの巣窟だし、どうせゴミウリがアサヒったか(死語)とか、罵詈雑言であふれかえると思いきや、そうでもなかった。

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https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20180823-00050065-yom-soci

もちろん、ネトウヨっぽいコメントもあるけど、昭和天皇に対してネガティブの反応が多いことに、微妙な空気感の変化を感じる。数年前だったら、こういうのって炎上案件だったと思うし。


また、最近ネトウヨ化が著しいはてなブックマークも似たような反応が多かった。

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http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGXMZO34467630S8A820C1CR8000/

まあ、ネット世論左旋回しているのではなく、震災から7年たってオリンピックが控える中でも、既に厭世モードのようなものが芽生えつつあるのだろうか。例えば、戦争に行った兵隊と自分の境遇を重ねる感覚って、意外と最近のものである気がする。小林よしのり戦争論から20年以上だっているし、そろそろ、その効能が薄れてきてもおかしくはない。特攻隊賛美も、今ならジャップ連呼案件になるだろうし。脳内お花畑のネトウヨ的な軍師気取りが減って、一兵卒的なリアリズム感覚に覆われつつあるってことなのかもしれない。その次は、ランボー怒りの○○!まで行くのだろうか。


で、ここからは、完全に余談なのだが、『この世界の片隅に』や、糸井重里的な臭いものには蓋をする、小市民的なポジティブ系で行こうみたいな空気に偏るのかなと思いきや、意外にみんな冷静だったのかなと。一般世論はまた違うのかもしれないが、でも最近のネット世論って、右左のイデオロギーを越えたルサンチマンで煮えたぎっている感じがする。だから、ニヒリズムから転じた権威主義や、小さな成熟的なチマチマした日常生活主義すらも、言論として通用しなくなってきているんじゃないだろうか。dadaも落ち目に入ってきているし、あそこら辺のプチ・インフルエンサー的な存在も、淘汰されるモードに入っているんだろうか。


まあ、これは人のことを全く言えないけど、「ジャップ」連呼や、なんJ民のネトウヨ動画通報祭りって、明らかにネトウヨのネクスト段階だし、ある意味で日本特殊論的な現象でもある気がするんだよね。