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ギロチン

2018-05-16

差別の話を何故か自由市場を肯定/否定するかにすり替える籠原スナヲさん

籠原スナヲさんには、差別ヘイトの問題を何故か自由市場を肯定/否定するかの話にすり替える傾向がある。そして、少しでもそれに疑問を呈するようなことを言うと、お前は資本主義そのものを全否定するつもりか!と、攻撃的に食ってかかる。

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無論、常識的に考えれば誰でも理解できることであるが、差別ヘイト抑止と自由市場レイヤーの違う問題である。別にヘイト規制によって自由市場が否定されるはずもなく、市場は市場で勝手に回る。そもそもヘイト規制やポリティカル・コレクトネスが、資本主義の否定だ!みたいな妄想が垣間見られるけど、ヘイト規制やPCの強い国家(フランスドイツイギリス等)を見ても、どこもグローバル市場経済を否定していないどころか、むしろ、籠原さんの望むような、弱肉強食の自由競争市場主義がますます強化されている具合である。だから、ヘイト規制やPCが強化されているのだとしたら、それこそ自由市場の結果だと考えるべきなのである。


だいたい、今どきグローバリズム的な自由市場否定的なのは、籠原さんが敵視しているようなリベラル左派ではなく、フランス国民戦線や、イギリスのトミーロビンソンといった、Alt-rightなどの排外主義的な新興右翼の方であろう。けれども、籠原さんが、ツイッターフェミニスト左派の失点をあげつらう姿は、まるでそのAlt-rightのやり口と瓜二つである。


まあ、籠原スナヲが予めこのような宣言をすることで、アリバイを作っているのは、自由市場ではヘイトは抑止されないどころか、むしろ悪化することを自覚している所以だと思われる。

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結局、スナヲさんもポストモダニズムに行き詰まって、極端なリバタリアニズムに転向したという、類型的な左派フォビアのポストモダン残党に過ぎない。その感じは、東浩紀大塚英志が対談した『リアルのゆくえ』での東の壊れっぷりとも似ている。しかし東にせよ、日本のポストモダンが、一斉にAlt-rightに右展開している様子は、見ていてあまりにも痛々しいものがあるよな。


2018-05-15

他人の正義を腐すやつほど自分の "正義" に酔っている問題

なんか、籠原スナヲ氏から以下のような非難を貰ったのだが、別に自分はそんなこと一言も言ってないし、あえて言うなら、安易に自分よりよわい弱者を踏みつけたり、いいかげんな憶測に基づいて気に入らないフェミニスト左派の失点をあげつらって扇動する、氏の個々の言動について、disっているだけである。

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まあ、籠原さん、自分だけでなくいろいろな人から恨みを買っているようであるけど。

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しかし、籠原さんに限らないんだけど、あの周辺の人達って他人の正義に、食ってかかって駆逐する代わりに、自分たちの信じる "正しさ" や "正義" を、厚かましくゴリ押ししているだけなんだよね。しかも、彼らの言っている論理には、曲解や事実誤認が多く含まれている。

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まあ、なんでこんなことになるかと言ったら、その思想や論理の背後にある、歴史的な成立経緯や文脈を全部無視して、その時々に都合の良い文脈レトリックを拾ってきてはサンプリングして、(原理的には在日コリアンヘイトを吐く権利は保障されている)みたいに、自由という概念をあやふや抽象化して弄んでいるからなのである。無論、どんな哲学者思想家も、自分が生み出した概念が暴走しないように、どこかでブレーカーを仕掛けているはずなんだが、しかし、知ったかぶりたい卑しいスノッブ根性の持ち主は、意図的にそれを隠してひたすら理論を暴走させていくのである。


結局、彼らも彼らで別のアンバランスな原理主義を持ち出して、自分たちが信奉する "正義" を、ある意味、暴力的に他人に強いているだけである。だけど、仮にもし言論の自由市場(そんなものは実在しないと思うが)があるとしたら、metoo運動みたいに、世界的にフェミニズム機運が高まっているのも、ヘイトに対する取り締まりが厳しくなっているのも、言論の自由市場の結果じゃないんかね? だいたい、ヘイト規制を明文化すると独裁に繋がるとか言ってたけど、その具体例って何なのだろうか。むしろ、ロシアみたいにヘイトにもセクハラにも甘そうな国の方が、よっぽど独裁化していると思うし、また本邦も例外じゃないと思うけど、どうなんだろうね。


でも、籠原さんだけでなく、ネットの思想系の人たちが、あんな風に悲惨なことになっているのも、別に彼らだけのせいでなく、その上の世代の馬鹿っぽさが下の世代にも感染したからなのであろう。具体的には、東浩紀オタク批評にポストモダンと無根拠左翼フォビアを混入させた事が大きいと思うんだけど、そのウィルスが郵便的に散種されて、多くのひとが発病しちゃっている光景は、まあ醜悪過ぎて見ていられないものがある。


※この本は時間が経過するのに連れて東浩紀が壊れていく様子がわかるんだけど、その壊れ方が今の過激ポストモダン派や反表現規制派の言い分とあげつらい方にそっくりで、日本において過激化したポストモダン派がどういう経過と病状を辿るかのサンプルになるという点で興味深い。↓

2018-05-12

ネトウヨ化するモリッシーと反比例するようにモリッシー化するジョニー・マー。微妙に There is a light that never goes out のメロディーが引用されてる。

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2018-04-23

オタクとネトウヨとヘイトの関係性

今バズっているオタク差別なんちゃらかんたらって、オタク差別は実在するか?が問題なのではなくて、オタクカルチャー内部に存在する、レイシズムミソジニーが問われているのである。例えば、オタク系のまとめサイトをざっと見ても、ネトウヨ的な言動カジュアルに飛び交っているのは一目瞭然であろう。

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http://yaraon-blog.com/archives/126499


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http://blog.esuteru.com/archives/9098454.html


また、過去には『ラブライブ!』に、日本人と韓国人のハーフの出演者がいるのを揶揄して、ライブ中に観客がキムチを食べたりかぶったりする事件があった。

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http://yaraon-blog.com/archives/68779


それだけではなく、アニメ版『さくら荘のペットな彼女』にて、原作ではお粥になっている箇所がサムゲタンに改変されたのをうけて、ネットが大炎上する事件もあったし、それに便乗した同人誌頒布されていた。

「ニコニコ大辞典:さくら荘のペットな彼女原作改変問題」

「NAVERまとめ:突然おきた「サムゲタン」ステマ騒動。アニメやテレビ、芸能人まで参加か?」

「J-CASTニュース:原作では「おかゆ」を「サムゲタン」に改変 人気アニメ巡り「なぜだ」と大炎上騒ぎ」

「ROCKETN NEWS24:同人誌『サムゲ荘のキムチな彼女』に韓国人ブチギレ! PSYが女子高生を暴行してキムチを食わせる」

↓その同人誌の一コマ。PSYらしい人物が原作のキャラクターを暴行しているシーン。

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無論、露骨な差別だけでなく、自衛隊異世界無双する『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』とか、ネオリベ的な弱肉強食の自由競争至上主義思想を煽った『まおゆう』とか、超軍事魔法国家化した日本で良家出身のエリート士官候補生兄妹が活躍する『魔法科高校の劣等生』といった作品が、オタク内部の批判も大きかったにせよ、いずれもヒットして一時代の築いていたと思う。あと、忘れていはいけないのは、淫夢みたいなホモフォビアが公然とまかり通っているのもね。


流石にオタクカルチャーにおけるネトウヨネオリベブームは既に下火となっているが、それでも他のポップカルチャーと比べても、オタクカルチャーはかなり目立つ形で(時流に合わせるように)ネトウヨ的なものやナショナリズムを取り入れてきたように思う。もちろん、ロックやヒップホップレゲエにも排外主義ミソジニーホモフォビアはあれども、それでも、10年代後半の非日本語ロック的な流れとか、ヒップホップでもBADHOPみたいに、海外のシーンと鎖国的な日本の中で揉まれながらグローバルな普遍性足掻き求めているのと比べても、オタクカルチャーは(アイドル周辺も込みで)あまりにも内向きで、日本スゴイ!的な傾向が強いといえるだろう。その最も醜悪な形態が、リオオリンピック閉会式での、マリオとかソニックが出てきたあの引き継ぎパフォーマンスであろうよ。


たしかに宮崎勤事件以降、メディア世間のバッシングから、オタクが自分でオタクであることのアイデンティティを理論的に自己証明しなければならない状況が20年ぐらい続いたのはたしかだと思うし、一部の嫌韓キモオタや、東浩紀に影響を受けたようなインテリレイシストの振る舞いが、無関係な所にまで飛び火して迷惑を被っている人がいるのはあると思うけど、それでも、レイシズムミソジニーホモフォビアみたいなものが、オタクカルチャーに固着して不可分のものになっているのは、否定できないと思うんだよね。もちろん、それはどのカルチャー内部にもあることだが、でもオタク内部の相互批判も、まだまだ希薄だと思うし、それらを無視して、オタク差別だ!とか声高に主張するのは、ちょっと筋悪じゃなかろうかと。

※ちょっと追記:

例えば宇野常寛の旧第二次惑星開発委員会では、オタクの負の要素として既に嫌韓が付与されていたことからもわかるように、まとめサイト在特会がメジャー化する以前から、既にオタクヘイト親和性は認知されていたのである。(『嫌韓流』の出版が2005年』)

Internet Archivesに残っている残骸からスクショした『高田馬場探偵局』内の注釈↓

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2018-04-18

インテリ知識人と自己洗脳

リバタリアニズム化とネオリベ化は、人類を解放して自由と幸福をもたらすどころか、潜在的リスクセキュリティへのパラノイア、格差の増大と千切りの如く細分・分断化された階級間の衝突と相互不信、人種・民族・宗教・身分差別の再浮上をもたらす。それでも、ポストモダンからそのままスライドしてきたリバタリアンネオリベは、現代は過去と比べたら天国だと執拗に喧伝し続ける。しかし、別に誰も100年60年前と比較して今が悪いと言ってなければ、過去に戻りたいとも言ってないわけで、それ自体、リバタリアンネオリベ信者による印象操作論点のすり替えでしかなく、ソ連ノーメンクラツーラ共産主義翼賛して反体制派を精神病院にぶち込むのと何ら変わりない。


そういえば、自衛隊の若手幹部が民主党議員を罵倒して炎上した件だけど、こうしたエリートの劣化も社会のリバタリアニズムネオリベ化の結果でもあり、そうした行為に正当性を与えてきたのは、何も小林よしのりみたいなネトウヨの親だけでなく、(例えば)小林的なものと東浩紀的なものの境界を漂っている、末端のサブカルインテリ層のような存在が、社会のネオリベネトウヨ化を間接的に支えてきたことも大きいんじゃないだろうか。


彼らツイッターなどに漂っている、ネオリベ的なサブカルインテリ層は、別に本気でリバタリアニズムネオリベが素晴らしいと思っているのでなく、むしろ左翼・保守的なものへの反動と、ポストモダニズムの行き詰まりから、それを消極的選択したに過ぎないのであろう。そこから、自分が嫌っている左派への反発や、地球全体のネオリベネトウヨ化と合わせるようにして、リバタリアンネオリベ万々歳と信じ込むように、自己暗示をかけ続けていっただけなんじゃないだろうか。


だから、インテリって他人を洗脳するよりも、まず自己洗脳に長けているからインテリなんだという気がする。例えば、柴田英里や青識亜論に感じる気持ち悪さは、まさにカルトのそれと同様のものだ。でなくとも、3.11以後、キクマコやリフレ派、東浩紀といった面々にせよ、みんな陰謀論的な思考に嵌まり込んでカルト化している感じがあり、その影響が末端のツイッターサブカルインテリ層にまで波及しているふうに見える。


まあ、フーコーを例にあげるまでもなく、ポストモダン自体が主体や歴史といったものの裏に隠された構造や力学を探り当てるという精神分析的な理論であり、元から陰謀論的な思考に陥りやすいものを孕んでいたのかもしれないけど。ポストモダン的な手法を安易に多用すると、物事の背後関係や不可視の構造といったものだけに目が行きがちになって、目の前の事実や実態を軽視してしまうようになるのは、当然の帰結といっちゃそうなのかもしれないけど。


でも、そのポストモダンアポリアの底なし沼の嵌まり込んだ末路が、日本の給食はアメリカより優れているから、日本の教育はアメリカより優れているだとか、森友学園の教育は私学なら問題ないとかなんだから、ジャップ現代思想(というか哲学思想全般)のセンスは、始めから無かったとしか思えないんだけどね。