Hatena::ブログ(Diary)

ギロチン

2017-12-05

ガンダムWって、母性のディストピアじゃないの?

ここで、宇野常寛さんがエヴァンゲリオンのシンジ君(実存≒文学的)でも、シンゴジラ(政治的)でもない、ガンダムWのヒイロ・ユイ的(市場とゲーム)な主体性こそ、来るべき未来に求められる人間像だみたいなことを言っているけど、でもこれって微妙にずれている認識じゃない?


たしか、ガンダムWって、市場とゲームみたいな冷たいイメージとは逆に、自我を奪われたスーパー少年兵士のヒイロ・ユイが、リリーナドーリアンと邂逅したことによって、世界で起こっていることの歪みと、自己のあり方を徐々に再認識していくみたいな、意外とヒューマニズム的な筋書きじゃなかったっけ? エンドレス・ワルツの 「五飛、教えてくれ。俺たちは後、何人殺せばいい?」 というセリフなんて、まさにWのセンチメンタルな世界観を示しているしね。まあ5人の主人公たちの着地点はバラバラなのだが、少なくともヒイロとトロワは、それぞれリリーナサーカス団のキャスリンの元へ帰還していくという点からすれば、まさに母性のディストピア的とでも言えるんじゃないだろうか。


またここでは、成長の回路がないと指摘しているけど、でも主役機にシンボリックな意味が希薄なことや、ヒイロ存在感とかは、おそらくボトムズ系譜だと思うし、話がキャラとの関係性でしかない所とかは、マクロスの影響もあるんじゃないだろうか。それにWって、ヒイロのテーマBGMのタイトルが 『思春期を捨てた少年の翼』 であることからも、それ以前のガンダムシリーズ以上に、ハードなチャイルドソルジャーものを意図していたのではないかと思うし、ある意味で、子供兵士としてのシンジの内面を文学的にシミュレートしようとした、エヴァとは陰と陽の異なる双子の兄弟だったとも、読めなくはないだろう。


D


ここまではどうでもいいんだけど、ヒイロハードボイルドっぽさ以上に、リリーナが君臨することによって、何となく劇中の混乱が収縮していく俺強いっぽい女の勝利の方が気になるし、それは、∀ガンダムにも継承されていったものであるような気がしないでもない。宇野理論的には、それらは母性のディストピアじゃないのかもしれないけど、でもWも∀もヒロイン(≒母)の存在感と強さが、異様に際立っていることに、特に異論はないだろう。


とまあどちらにせよ、宇野さんがいうような 「市場とゲーム」 みたいな、スマートなイメージは違うんじゃないかって言いたいだけなんだけど。そもそも、政治から切り離されたところで、市場とゲームにばかり興じていたから、政治と文学どころか、その市場とゲームすらも先細りしつつあるのが、現代日本の状況じゃないかって気がするんだよね。それは、何も日本だけでなく、ブレイディみかこさんのエッセイや 『チャヴ 弱者を敵視する社会』なんかを読んでも伺い知れることである。


それと今更、政治的な主体性と認識が欠けた、純日本的サブカルチャーには、韓国に勝てるグローバルな競争力は無いと思うし、カルフォルニアイデオローグへの有効な批判力にもなりえないであろう。グローバルで勝利したいなら、先ずは、己の内にある政治的な 「日本」 なるものを、嬲り殺した上で再びそれを簒奪することから始めるべきである。話はそこからだ。



チャヴ 弱者を敵視する社会

チャヴ 弱者を敵視する社会

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証