美樹さやかは自己投影すると最高に気持ちいいキャラクターNO.1伝説で僕たちを救済するマジ女神

なんか最近美樹さやかは自己投影できないキャラだという話が話題だと風の噂(てゆうかはてブ流し読み)で聞きましたので、美樹さやか厨として「美樹さやかにこういう自己投影すると最高に気持ち良いんだよ!」という話をしたいと思います。ただしキモイ。

「このままじゃダメになるだろう」って人がやはり予想通り案の定ダメになるというお話


みなさんは数千円の価値しかない浄水器や羽毛布団を一人暮らしのおばあちゃんの家にピンポンピンポン鳴らして玄関に押し入って座り込んでは何時間も粘って言葉巧みに(恫喝も泣き落としも入り乱れ)数十万円で購入させるオシゴトの経験はあるでしょうか?  いやボクはありませんけど。まあ、もしもそういうオシゴトをやったら(そして故あって簡単に辞めることが出来なかったら)と想像してみましょう。そして皆さんもボクも、それなりに良心あって、基本的にご年配の方をそれなりに好いてるということにしましょう。そうすると、どうでしょうか。大した価値の無いものを、おばあちゃんに無理矢理買わせちゃうんです。心が痛くなるでしょう。良心が苦しくなるでしょう。精神的にかなり辛い仕事になるんじゃないでしょうか。「素」のままだとお年寄り騙しているようで耐えられないし、かといってゲヘヘ儲かったぜ年寄りカモだぜと開き直れるほど悪人になりきれない。それでも、こんなオシゴトを続けなくちゃならない。そんな状態だったらどうでしょうか。何かしら、正当化するような理由が欲しくなるのではないでしょうか。たとえば「仕事だからしょうがない」とか、そんな感じの。ボクだったら、たとえでっち上げでも、正当化できる(正当化のフリができる)理由を見つけらんなくちゃやってられなくなると思います。「本当はこんなことやりたくないんだけど、仕事だからしょうがない、俺が悪いわけじゃない」みたいな理由を捏造でも何でもいいから見つけて、そして本当に「仕事だからしょうがないんだ」と信じ込まなきゃとても耐えらんないです。

あるいは、たとえば僕たちが、兵隊となって戦場に送り込まれたとして。そして「人殺しはどんな理由でもダメだ」みたいな道徳観を持っていたとして。しかしそれでも、戦場においてはどうしても、人を(敵を)殺さなくてはならない場面に出くわすでしょう。そして絶対に殺さなくてはならないとしましょう。その時、どうするのか。心の中の処理をどうするか。「これは戦争だからしょうがない」「上官の命令だからしょうがない」という理由を付けて、人を殺すのか。

美樹さやかはこれに近い。「そう思う」「そう信じる」という話ですね。

そもそも美樹さやかは、まどかに 「思い込みが激しい」(5話) と評されていたように、元々そういう処理の仕方でこれまで生きてきた面が強い女の子です。たとえば暁美ほむらに対して、ほんの数回会った印象で「敵」「嫌な奴」と決め付けていましたよね。最初の数回で、どうも転校生は嫌な奴っぽい、敵っぽいという印象を抱いて、早々と(第2・3話くらいで)そういうものと決め付けていた。そしてこの決め付けは最後まであまり揺らがなかった。あるいは 「やっぱりマミさんは正義の味方だ!」(2話) というように、心の中でそう確定させていたものもある。なにせこのセリフが出たのが第2話で、そして「やっぱり」ですからね。第一印象で正義の味方っぽかった、そして第二印象でも正義の味方だった、だから「やっぱり」「正義の味方だ」となるわけで、そしてこの心の中での確定もまた、最後まで揺らがなかった。だからこそでもあるでしょう、マミさんの死に対しては 「マミさん、本当に優しい人だったんだ、戦う為にどういう覚悟がいるのか、あたしたちに思い知らせる為に、あの人は……」(4話) さやかはこういう処理までしてしまう。
これらは勿論、「本当にそうである」という事実とは言い切れない解釈の仕方です。暁美ほむらは敵ではない(いやまあ、さやかに対しては現実に敵と捉えることも出来るかもしれないけど、まどかに対しては敵ではなかった)し、マミさんは正義の味方の一言で言い表せるようなものではないし(彼女は正義の味方のフリをしている・正義の味方ごっこをしていると言った方が正しい……むしろこんなことを言われた時の、マミさんの落胆(ああ、やっぱり私の本当の気持ちを理解してくれないんだ的な)が目に浮かんでしまうほどである)、マミさんがそんな理由のために死んだわけではないことは明らかでしょう。戦いの覚悟を知らせるために死んだわけではない、戦いの結果死んだわけである。けれど、美樹さやかは、マミさんの死を受け入れるために、そのような理由を捏造した。これは何ら珍しいことではない、他のフィクションにしろ、僕たちの現実にしろ、よく見られる光景ですね。それなりの理由を見つけてきてそういうものだと処理する。物語化によって、心的現実においては「そうなのだ」と処置する。その出来事と、そこから生じた感情に耐えられないがため、無理矢理にでもその意味や理由を生成して、それを「思い込んで」、消化していくわけです。

しかしそれは、決して、現実でも真実でもない。だからこその危うさというものを有していて、そしてそれが噴出してしまったのが、「魔法少女」であること、「魔法少女」をやっていくこと、そこにおける、美樹さやかの「思い込み」という処理においてです。

「でもね、あたしは他人のために祈ったことを後悔しない」
「その気持ちをウソにしないために、後悔だけはしないって決めたの。これからも」(7話)

「あんたたちと違う魔法少女になる。あたしはそう決めたんだ。誰かを見捨てるのも、利用するのも、そんなことする奴らとつるむのも嫌。見返りなんていらない。あたしだけは絶対に自分のために魔法を使ったりしない」(8話)

自分で云ってますね。「決めた」って。私はこう生きていく、私はこうやっていくと「決めた」。ひとつの「思い込み」ですね、そう思い込もうとした。美樹さやかの死因はこれです。もっといえば”ああいうふうに”魔法少女になってしまったことが死因です。
上条くんの怪我を治したくて、そして治したけど、その後どうしたいのか? どうされたいのか?――というマミさんの問いかけに対する答え。 / マミさんは正義でマミさんは特別でマミさんを尊敬する・彼女のようになりたいという思い。 / 自分は何で魔法少女になったのか? 魔法少女になってどうしたいのか?――という自分の運命に対する決意。
そういったものに対する解答として、美樹さやかは上の引用のようなことを「決めた」わけですが、そうであるからこそ美樹さやかは死んだわけです。だってその生き方に耐えらんないんだもん。これは自身が述べてるように「決めた」ことであって、自然とそうなったわけでも、今の自分を分析したらそうだったわけでもありません。無理矢理そうした、そうなろうとしたわけです。だからこそ挫折もする。言うなれば、僕たちが明日から「正義の味方として生きてくわ」と言って、マジに実行するようなものです。何千人か、何万人に一人かは、マジに正義の味方として生きていけるかもしれない。けれど、そうなれない、大抵の人はどうだろうか。本当に正義の味方になれるか? 正義の味方として生きていけるか? やっちゃいけないことは沢山あるし、やらなきゃいけないことも沢山あるのだ。本当は○○をしたいけど……というのを星の数ほど諦めなくちゃならない。なのに頑張ったことに対する報いなんてあるのかどうかも分からない。そんなの、ムリじゃね?

そんな「このまま行ったら絶対ダメになるよ」ということをし続けて、案の定ダメになったのが美樹さやかのお話です。そしてそこが自己投影すると最高に気持ちが良いところです。最初に例え話で挙げた詐欺めいた訪問販売とか戦場の兵士の場合なんかもそうですね。「仕事だからしょうがない」と言ってお年寄りに法外な買い物をさせる。しかし「仕事だからしょうがない」と言っても、やはり良心は痛んでいくわけです。売れば売るほど痛んでいく。終いには、そのまま続けたら、自分がもう耐えられないところまで到達するでしょう。あるいは戦場の兵士の話。「戦争だからしょうがない」といって敵を殺していく。しかし殺すたびに心は痛むわけです。本当は人殺しをしたくない、けれどしなくちゃいけない、でもしたくない……。そんなものを続けていったら、じきに耐えられない限界のラインがやってくる。他にも幾らでも例はありますね。今の仕事辞めたいけど家族のために働かなくちゃならない、でもやめたい、でも家族のため、でも本当はやめたい……その状況の行き着くところ。新卒入社した会社が超ブラックで精神的にも肉体的にもキツくて辞めたい、でも折角の新卒入社だし、それにすぐ辞めたら経歴にも傷がつく、だからせめて3年は続けないと、でももう辞めたい、もう限界だ、でも3年続けないと、でももう……。

美樹さやかにあるのはこういう袋小路の道です。しかもどれも「辞められない」パターンです。そんな嫌なら、大変ならその会社辞めろよと―――美樹さやかに言うならば、そんな存在しない正義の魔法少女になることに固執するなよ、と言いたいところかもしれませんが、しかしこの子は止められない。いやそもそも魔法少女であることは辞められないのだけど、さらにこの生き方を止めちゃえば、今までお得意の「思い込み」で蓋をしてきたものに向き合わなくちゃいけなくなる。たとえば上条くんをどうしたいのか。どうなりたいのか。本当は上条くんを求めたくても、自分が上条くんに何かを求めるのは卑怯だと分かってるから求められない*1。マミさんを正義の魔法少女と讃え、それに憧れた―――っていうか、マミさんの死と、それを消化するための物語化によって、マミさんの正義の魔法少女の教えは、彼女の中である種神格化しちゃっているから、それに背くようなことは出来ない/それに従うようなことしか出来ない。背くのであれば、マミさんは本当に正義の魔法少女なのかどうかというところや、マミさんの死についても、これまでのような思い込みによる切断処理ではなく、ちゃんと向き合わなくてはならなくなる。
正義の魔法少女を止めるなら、前提を壊さなければならない。しかしその前提を壊すと、それ以前もまた壊さなくてはならない。……しかし、その前提自体が思い込みによる間違い(マミさんの死の物語化のように、”意図的な間違い”を含む)なので、本当は”壊したほうが良い”のですが、美樹さやかはそれが出来なかった。言葉を換えると、これは、そのくらい弱い、そのくらい美樹さやかは勇気がないという話でもあります。元々ちゃんと物事に向き合っていればこうならなかったわけです。上条くんにさっさと告白するか、あるいは気持ちを決める/自分の本当の気持ちを知っておけば、それで良かった。マミさんの姿をちゃんと見て、彼女がどういう人なのかをちゃんと知っておけば良かった。マミさんの死に正面から向き合っていれば良かった。しかしそれが出来なかった、しなかった。そんな勇気のなさ、彼女をここまで導く遠因となったと言えなくもないのではなかろうか。

とまれ、美樹さやかはそこを退けなかった。退かなかった。いやこれは、ダメになりましたが、ダメになるとバレバレでしたが、ダメになるとさやか自身が分かっていた節もありますが*2、それでもなお最後の直前の瞬間まで、そのことを顧みなかったのは、いや、”顧みていることを決して外に漏らさなかった”のは、素晴らしいと思います。てゆうか、そうだからこそ、ダメになったのですが。

ここにあるのは、そういう、「自分自身を支えるために自分で決めたこと・思い込んだこと」に自らが喰われてしまうという結果であり、そしてそれは現実の僕たちにとっても、すぐ横に潜んでいる。僕たちの、ありえた/今ある/この先あるかもしれない、そういう末路が現前されてるのであって、だからこそ投影すると最高に気持ち良いんです。あの日あのまま進んでたらこうなってたかもしれない、今このまま進んだらこうなるかもしれない、この先どこかでこうなるかもしれない、そんな未来が、ここでこうやって美樹さやかによって現前され、それ故に殺されてる!(たとえもしそういう結末に行き着いてしまったとしても、僕たちは一人じゃない、美樹さやかと一緒なのだ!) こうやって投影することによって、美樹さやかは僕たちのそういう末路を、生まれる前に消し去ってくれている。まさに女神。そう、美樹さやかこそ真の女神と言えるでしょう!

*1:そもそも、さやかさんの言葉を正しいものとして認めるならば、 / 「これでいいよ。―――そうだよ、あたしはただ、もう一度、あいつの演奏が聞きたかっただけなんだ。あのバイオリンを、もっともっと大勢の人に聞いて欲しかった。それを思い出せただけで、十分だよ。もう何の後悔もない。……まあ、そりゃちょっぴり悔しいけどさ。ひとみじゃ、仕方ないや。恭介にはもったいないくらいいい子だし。幸せに、なってくれるよね」(12話) / 上条くんの演奏に対するさやかの想いの方が、上条くんに対するさやかの恋心より「強い」と言える。つまり、上条くんのことをそこまで好きではなかった、というと語弊がありますけど、「そうなれる状況」で「そうなってもおかしくないから」からこそ「恋人になりたい」という選択肢・未来が生まれてしまったのであって、本当は、それが一番ではなかったのではないだろうか。たとえ誰かに取られても、それは「ちょっぴり悔しい」けど、しかしこのように認められる、そういう想いだったのではないだろうか。決して偽物とか勘違いとか本気じゃないとかそういう意味合いではなく、決して恋愛しか選択肢が無いというわけではなかった、そういう想いである、という意味で。

*2:電車の中で聞いたホストの会話、「あれでさやかは現実を知って壊れてしまった」というわけではなく(そんなことは気づかないフリをしていただけでとうに知っていた)、むしろ「あれで壊れる格好の口実<大義名分>を手に入れた」(気づかないフリをしていたことが表沙汰になったからこそ目をそらせなくなった)と解釈した方が近いのではないか、などとも少し思います。