Hatena::Diary

日記&ノート(転叫院)

[転叫院のページ(倉庫、整理中)]

2003-08-17

木村敏

メランコリーと分裂病の関係だの、アンテ・フェストゥムやらポスト・フェストゥムやらの話を引用しようと思って、昔の『現代思想』のバックナンバーなどを読んでみたけれど、ちょうどいい文章が見つからなかったので、『時間と自己』(木村敏)でも読もうと思います。しかし80年代初頭の『現代思想』って、「遊び」やら「スキゾ」やらの単語が普通に使われてて妙に楽しい。

この頃持ち上げられていた「分裂病」というメディアイメージが、普通の神経症の一種なんじゃないのか? という批判から境界例云々の話が出てきていると、大まかには認識しているのだけれど。

「すべては終わってしまって取り返しがつかない。未来は決定論的だ」という立場に対置されるのは、「未来に何か恐ろしいものが待っているけれど、その恐ろしいものの到来は先延ばしにされ続けていて、まだやってきていない」って感じだと個人的には思っていて、小説で言うと『熊の木本線』(筒井康隆)や『くだんのはは』(小松左京)の終わり方みたいな感じ。ああいう終わり方は僕は結構好きです。(括弧つきの)『メランコリー』的に恐ろしいものも素晴らしいものも終わってしまったといって行動しなくなるよりは、不安を煽ってでも行動したほうがいい。

コミケ その1

予約したDVD-ROM 「動物化するポストモダン」とその後を受け取りに行き、東浩紀と小一時間話し込んだ。

アーキテクチャーのレイヤーがどうこう言う話が、どこまでメタファーでどこまで工学的な話なのか、とかいう話をつらつらと。コンテンツのレイヤーと言っているものが、社会的な人間関係によって意味論的に作られているものだとするならば、そこに電子工学的レイヤーを対置させるというのは、物象化の話と同じように見える。だから、電子工学的レイヤーによってコンテンツのレイヤーが制限されている、という一見正しい言い方に対しては、物象化批判を行うことも必要なのではないか。社会的関係性との闘争の中で、下部構造のモノのレベルが価値付けられてくるという逆のフィードバックも考えなくてはならないのではないか。というか俺は電子工学的レベルで自由になれるかもしれないけれど、そんなことで自由なコミュニケーション・自由な情報取得が俺に可能になるとはとても思えない。そんな話。全然まとまらなかったけれど。

あと、ロジカルなもの、システマティックなもの、歴史的なものへの揺り返しは80年代から90年代にかけても何回も起こっているはずだという疑問提起もしてみた。オタク史が循環しているとか冗談交じりに東さんは言っていたけれど、僕が思うのは少し違う。それぞれのミニ文化圏ごとに、行き過ぎたら揺り返しが起こるという、フェイズごとの運動方程式みたいなものがあるだけだと思う。全部の若者文化が同じフェイズで動いているわけでもないし。

循環説をとなえた東さんに「あなたヘーゲリアンだったんですか?」と突っ込んでみた。彼は、「ただし一度目は偉大な悲劇として、二度目以降は嘲笑喜劇として」と付け加えた。

コミケ その2

ネット知り合いでは、麻草さんに会いました。『げんしけん』(ISBN:4063211444)は果たして楽しい青春なのか。「ありえないユートピア」ってほどではない気がする。それを言うなら『ディスコミュニケーション』(ISBN:4063141934)の学園編なんかでは? オタクサークルに女の子がいるだけでありえないわけではなくて、我々はありえないつもりになっているのだと思います。とか何とか。

秋葉原爆破

爆発物製造図った高校生を逮捕 埼玉、殺人予備容疑で

http://www.asahi.com/national/update/0815/031.html

「東京・秋葉原の風俗店に爆発物を仕掛けて木っ端みじんにするつもりだった」と供述している。秋葉原の風俗店ってエロゲー屋ってことだよね。多分。まあ似たようなことを思ったことはあるが。

ニューヨーク停電

についてアーミッシュの人たちはどう思うんだろう? と一瞬考えたが、そもそもテレビやラジオ自体がないから、何とも思いようがない。

〈悪意〉と「悪意」

http://kaolu4seasons.hp.infoseek.co.jp/Diary/200308.htm#13

hentai Japanimation 8月13日

なるほどそういうことか。僕は薫さんに「君はこの文章をコンスタティブなSF批判として読んでいるかもしれないけれど、ここで使われている『SF』って単語は政治的に選択された代表的名詞であって、本当はパフォーマティブにSFを賛美しているんだよ」と言おうとしていたのだけれど、それは諒解済みの議論だった、ってことね。確かにそうだと思う。失礼しました。

で、薫さんの批判と言うのは、むしろその「悪意を描けば悪意になる」かのような悪意や「最底辺の文学」への無邪気な信仰、「最底辺の文学」を交換可能な表象に付与して批判をかわしてしまうパフォーマティブな身振りみたいなものに向かっている、ということでいいでしょうか。

筒井はたしか三島賞の講評で『阿修羅ガール』を比較的褒めていたと思うので、ちょっと読んでおきます。あと、『阿修羅ガール』本編も。

kagamikagami 2003/08/18 06:17 ショーペンハウエルが「知性について」で本当に語りたかったこととは、全く逆説的な部位のみを引用しているように感じますが…彼は私にとってニーチェやバタイユと同じく、心の師の如き存在なので、どうしてもそう思ってしまいますよ…(^^;「しかし、われわれは単に時間的な、無常な、有限な存在だと君が言うのは、悪質な論点先取だ。というのは、われわれはそれが同時に、無限で永遠なものであり、自然そのものの根源的原理であるのだ」(知性について)

moyu0moyu0 2003/08/18 13:44 爆破しようと目論んだ「風俗店」って、メイド喫茶だったんじゃないかって、誰かが予想してました。そのほうが面白いかも。「Himote of the world, UNITE!!」

長澤コズモ長澤コズモ 2003/08/19 08:20 木村敏は『KANON』についての議論がらみで調べられたのでしょうか。実は私がアドベンチャーゲーム内の選択の取り返しのつかなさについて考えているときにちょうど木村のポスト・フェストゥムが頭をよぎったもので。

tenkyointenkyoin 2003/08/19 11:04 ショーペンハウエルを引用したのは、高橋直樹さんの(http://www2.osk.3web.ne.jp/~naokikun/diary17.htm#030811_1)文章を読んでいて、主観主義的非決定論と客観主義的決定論の話は、そんなに最近の用語を使わなくても分かりやすく説明できるのではないかと思って、自分のためにメモしておいたものでした。自分で書き写そうと思っていたら、ちょうど該当部分をウェブに上げている方がおられたのでリンクにしました。あと、<i>「これに反して、大声で知的直感に訴えたり、その直感の内容をくどくど説き立ててその客観的妥当性を主張したりするフィヒテやシェリングのような場合は、恥知らずの忌むべき態度である。</i>というのが、まさにそのままジジェク批判(ジジェクはシェリングを引き継いでいる)だなあと思ったりもして。

tenkyointenkyoin 2003/08/19 11:11 そしてヒキコモリ爆弾少年と武装メイドさんとの市街戦がっ>moyu0さん