『河北新報のいちばん長い日』河北新報社

新聞屋という事件で飯食う職業の、それだけではない、もっと何か。人間の営みとして意味を見いだそうという葛藤。
大震災の後、結構文化人とかヒヨったりして文筆業のもろさみたいなの感じたことあったんですが、胸まで水が浸かって死にかけた記者が必死に出社して、コピー紙の裏に書いた記事は、すごく文学的なんですよ。記事を手に握りしめて本社に運んだ人は、そういえばこの人支局長は文学青年だったなと思う。
文学に美化してるんじゃない。その人が被災したから、その文章になった。
個人的にすごいショックありました。いい方向で。
それから、テレビで見た「荒浜に数百体の・・・」っていう情報が、誤情報だっていうのも初めて知りました。震災その後の情報は必要だと、調査報道を続けるんですね。忘れたい、忘れてほしくない両方の読者を抱える地域紙としての悩みながら。
新聞記者としてのあり方とかいろいろな葛藤する人間ドラマや、震災当日の次々に難題が発生する状況に対して版下作成や印刷、配達のヒロイックなまでの仕事人たちの活躍には胸躍る。ただ、それらが一面でしかなくて、矛盾や相克の複合をもって、しかも当事者によって書かれている本でした。薄い文庫なんだけど密度がすごくてよかった。