天使のくまの身辺雑記

2017-10-17 こちら葛飾区水元公園前通信864 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 こんばんは。

 今週は雨ですね。土日は町内の祭礼だったのですが、宵宮だけであとは中止。雨の中、テントをはったり片づけたり。そんなこんなの終末でした。

 世の中、解散総選挙でばたばたって感じです。

 選挙結果の予測は、暗い気持ちになるものですが。そういう中で、結果はどうあれ、立憲民主党が盛り上がっているのはいいことだと思います。民進党が分裂したことで、リベラルという言葉があらためて注目されました。そのことが対立軸として明確になったということが、良かったということです。

 でもリベラルって何か。自由主義? でも新自由主義とは違うしなあ、とか。

 保守や革新とは別の概念だし。

 ぼくは、人が人としての権利が守られることだと思っています。立憲というときに、よりどころとなるのは、日本国憲法だし、そこでの権利というのがいわゆる基本的人権

 結局のところ、対立軸っていうのは、個人が尊重されるのか、国という形が優先されるのか、そういうことなんじゃないかって思います。

 そして、そういうことが、たくさんの人々に共有されるようになる、そのはじまりになればいいかな、と思っています。

 9月は尾瀬でしたが、今月は大平山に行ってきました。体育の日に、ふと、思い立って。

 大平山や栃木県にある低山で、小学生の遠足コースです。ぼくも行きました。そうハードな山ではないので、散歩くらいの気持ちで、歩いてきました。

 最寄り駅は、東武日光線新大平下駅。新じゃない大平下JR両毛線駅です。

 登り始めて、いきなり道の真ん中で蛇に会いました。マムシとかではないし、ちょっと種類はわからないけど、木の枝だと思っていたら動くので、びっくりしますよね。

 小学校のときの記憶とちがっていて、けっこう階段が多いし、そもそも大平神社は記憶になかったし。山頂からの下りがやたらと急だし。大平山より少し高い晃石山まで足を伸ばしたけど、山頂付近、ザトウムシがたくさんいたな。

 奥多摩とちがって、林業ができるような山ではないので、山としたら里山みたいなものかな。広葉樹林なので、春に行くと緑がきれいかもしれません。

 遠足であと記憶にあるのは、足利にある織姫山。そこもそのうち行ってみようかな。東武線なので近いし。

 といいつつ、来月は高尾山を予定しています。紅葉を見に行くというお題で。

 通勤時間がなくなったとはいえ、出かけることもあるけど、読書量はちょっと減ったかな。

 そんな中でおもしろかったのが、「中国現代戯曲集6」(晩成書房)で、過士行という人の戯曲が4本収録されています。ずっと本棚に入れっぱなし。1−5は読んでいたけど。

 「ニイハオ・トイレ」という戯曲は、70年代、80年代、90年代のトイレが舞台という3幕。それぞれの年代の中国がどうだったのか、くわしく知っているわけじゃないけれども。どんな舞台なのか、気になります。

 主人公は公衆トイレの管理人。人の本質的なところに引きずりおろして時代を描くという。そして時代に応じて人が変わっていく。すりの常習犯が社長になっていたり。極端な設定、極端な中国の変化。そんなものを笑いにくるめてしまっています。

 「カエル」という戯曲の初演は日本でした。というか、日本で上演するという要請で書かれたもの。中国ではなく、地球温暖化などグローバルな問題が、同じような時間の流れで描かれている。舞台は床屋だけれど、海面上昇でどんどん水に沈んでいく。

 何だか、世界そのものが、20世紀末の中国のような大きな変化にさらされているみたいですね。

 キャンディス・フレミングの「ぼくが死んだ日」(東京創元社)は、気の利いたヤングアダルトのホラー。主人公は幽霊の導きで、問題があって埋葬された子供の墓にたどりつく。そこで、幽霊たちが、自分の死について語る。そのひとつひとつが気の利いたホラーの短編になっている、というしかけ。幽霊屋敷に願いをかなえるアイテム。

 幽霊になった子供たちは、みんな孤独の中で生き、そして死んでいる。孤独の中にいたおかげで、人から忘れられてしまう。そんな子供たちの話でもあります。

 だから、ラストがちょっと胸にしみます。いいなあって。

 カナダ大使館から、記者会見の案内が来たので、行ってみたのですが、それが、カナダ建国150周年記念の一環として、若くして亡くなったネリー・アルカンという作家に関するもの。彼女は大学生のときから高級娼婦となり、その経験を書いた小説「ピュタン」がベストセラーに。その後も何作か書いたけど、30代で自殺してしまう。PARCO出版から本が再刊され、今月末には映画が公開、そして松雪泰子他の出演で11月から舞台。

 本のレビューはトーキングヘッズ叢書に書いたのだけれど、それとは少し違うことも。例えば、アルカンがもっとポジティブな性格だったら、鈴木涼美みたいな感じかなあ、とかも思ったのです。それとも菜摘ひかるかな。菜摘も若くして亡くなっているんだけど。

 本のコピーは「偽りのセックスにまみれながら真の愛を求め続けた彼女の告白」というもの。でも、そんな単純なものなのかな。というのも、主人公が男性だったら、成り立たないんじゃないかと思うからです。ゲイならともかく、ストレートだったら。

 男性が優位な社会において、しばしば女性は何かを欠落させているような状況に置かれる、ということなのではないか、そう思います。その中で、セックスということでしか自分の価値を確認できない、というところに陥る。それは優位な立場にある男性にはないことだと思うのです。誰もがそうだとは言わないけれども、アルカンにも鈴木にも菜摘にも同じものを感じるし、だから稼いだお金の使い方も似ています。

 アルカンは結局、何かよりどころのなさに絶望してしまったのではないでしょうか。そして、そのよりどころのなさは、さまざまな面を持っているし、その面のどこかで誰かが共感する、そこにこの作家にひかれるところがあるのだと思います。

 ぼく自身、フェミニズムの影響を強く受けているのだけれど、その上で、表層的にポルノグラフィやAVやオリエント工業ラブドール批判しているフェミニストは、その欠落の部分までたどり着けていないのではないかという気がする、今日この頃です。

 欧米以上に女性に対して抑圧が強いのがイスラム社会です。ふと思い立って読んだのが、マルジャン・サトラピの「ペルセポリス」(バジリコ)全2巻です。

 イラン生まれの主人公マルジの少女時代から青年時代までを描いたマンガです。女性に対する抑圧には最初から疑問の目を向けている、まあ両親や祖母の影響はあるし、比較的裕福な家庭であるということもありますが。親もマルジはイスラム世界にいたらいけないと思ってオーストリアに留学させるし。背景にはイスラム革命とかイラクとの戦争とかもあって、でも、本音では誰もが自分らしくあるべきだと。戦争なんかで国家につぶされるのはごめんだし、とか。イスラム社会で自分でありつづけ、結局は飛び出てしまうマルジは、それでも故郷を失ってしまうという点ではちょっとつらい、そんなところもあります。

 サトラピとアルカン、それぞれの父親の違いっていうのも、あるかな。サトラピの父親は、理解者として彼女を外の世界に送りだす。アルカンにとっての父親は愛の対象ではなかったのかな。その距離感の違いも大きいなって思います。

 それにしても、自宅で仕事をすることが増えると、運動不足になりますね。気を付けないと。プールもなかなか毎週は行けていないです。

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2017-09-23 こちら葛飾区水元公園前通信863 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 こんにちは。

 まず、宣伝から。

 9月29日に「電力・ガス業界の動向とカラクリがよーくわかる本〔第4版〕」(秀和システム)が刊行されます。第3版と比較すると、28ページ増で価格も100円上がっていますが、ほぼ半分は書き換えたので。

 もっとも、業界本なので、誰にでもおすすめするということにはならないのですが。

 でもまあ、業界本だけど業界ヨイショ本ではないので。そこは誠実でありたい、ということです。

 このところ、土日のどちらか、ないしは両方はいろいろと歩き回っています。不思議と予定が入って。

 まず、8月最後の日曜日は、娘が通っていた中学校の保護者の「大人の遠足」で、勝沼まで行きました。昨年、大人の遠足で奥多摩の澤の井の蔵に行ったのですが、なんかお酒がからむと遠足の参加者が多くなるということで、今年はワインでした。

 マンズワインワイナリーを見学したあと、勝沼ぶどうの丘へ。

 いろいろなワインをおいしくいただきました。

 9月2日−3日は、つくばステーショントラベルの尾瀬ツアー。Sさん、Eさん、Nさんというメンバー、ってイニシャルだとわかる人しかわからないですね。50代から60代のおっさん4人で、尾瀬を歩いてきました。ベーシックに、鳩待峠から入り、山小屋に宿泊し、尾瀬沼を通って沼山峠というコース。水芭蕉はとっくになくって、紅葉はまだ先という、人の少ない時期だったのですが、それだけに、広い湿原を楽しむことができました。

 まあ、もともと、山に行くっていうのは、人が少ないところに行くっていうのが、ぼくの中であるので、そういった意味では良かったです。

 9月9日は取材新神戸。まあ、これはいいですね。もちろん銭湯に入ってきました。

 おもしろかったのは、メンタルヘルスに関して「うつ病になるのは本人が原因」と考えている上司を持つ部下ほどうつ病になりやすいということでした。

 9月16日には、前々から行きたいと思っていた、鶯谷にある銭湯、萩の湯。都内で、最大の銭湯ということで、今年5月に改築オープンしました。ほぼスーパー銭湯だけど460円という。これだけの銭湯に一人で行くというのもつまらないので、友人Sを誘って行きました。

 たくさん浴槽があって、露天風呂もあって、生ビールも飲めて(ここでは飲まなかったけど)、となかなかすてきな場所です。時間はたっぷりあったので、少しぬるめの露天風呂にゆったりと入って、いろんなことを考えていました。考えることはたくさんあります。自営業者に戻っちゃったわけだし。というか、クリエイターとして自分はどうなのか、とか。自分の中でなくしていたものを再発見してしまったので。それって、自分は何をつくるために生まれてきたのか、という、クリエイターとしての自分について。とか、そんなこと。

 何だか、Jon AndersonのSome Are Bornという曲を思い出してしまいました。

 で、そんなこんなで、風呂上りに、友人Sと話していて、何となくもつ焼きが食べたくなってしまい、萩の湯の食堂ではなく、外のお店へ。でも、もつ焼き屋さんが混んでいて、隣のお店で生ビール。もつ焼きはこの次ということで。枝豆のアヒージョと自家製ローストビーフ、おいしかったです。

 で、三連休だったけど月曜日は仕事してました。というのも、母方の伯父が亡くなったので、水木と葬儀。その前にできるだけ仕事をしなきゃ、と。栃木県真岡市まで。

 今度の土日はめずらしく予定はないです。

 でも来週、9月30日は東京拘置所の公開日。また行こうかなって思っています。

 宮内克典の「永遠の道は曲りくねる」(河出書房新社)を読んで、そのあと辺見庸目取真俊の対談「沖縄と国家」(角川書店)を読み、さらに目取真俊の「沖縄『戦後』ゼロ年」(NHK出版)まで読みました。

 「永遠の道は曲りくねる」は、沖縄を舞台にした小説。旅の果てに、基地のそばに住む医師のところに身を寄せる主人公、迎え入れる末期がんの精神科医シャーマン、基地の精神科医、日本からもアメリカからも沖縄からも阻害されるアメラジアンネイティブアメリカンの血をひく女性たちが、侵略された側の声をとどけに世界を回り、そこに沖縄シャーマンも加わる。たとえば、水爆実験場となったビキニ諸島の元住民。宇宙ステーションに滞在する友人はまた別の景色を見る。

 宮内はいつだっけ、ローカルの深刻な問題を宇宙から見ようとする。そんな気がする。海亀のように世界を回ってきて、足元の困難さに出あう。困難さは真実だけれども、のどを天使の羽がこするような泡盛の古酒もまた真実。

 宮内の小説に対しては、読者は身を投げ出すことができる。そう思う。

 そうなんだけど、いろいろなところで、男性の性欲をメタファとして使うのは、あまり好きじゃないなあと、そんなことも思いました。何か、女性に救いを求めてしまう男性というのは、だめなんじゃないかなあ。正直ではあるんだけど。

 辺見庸の本はだいたい読むので、「沖縄と国家」も。でも、どちらかというと主役は目取真。沖縄の作家で、沖縄戦を描いた小説で芥川賞も受賞している。

 目取真は現在、小説を書くことをさておいて、辺野古基地建設阻止運動に参加している。「こんなことで小説を書く時間がとられるのはくやしい」のだけれども、そこに参加している。強い想いがある。

 本当に戦うべきだと思ったら、現場に来い。そういう目取真の言葉には、なかなかいたたまれなくなります。こっちは、官邸前の集会だってほとんど足を運んでいないのだから。

 安全なところで何を語っても、と言われてしまうと、返す言葉もないですね。

 それから、辺見がこの本の中で読むべき本だと語っているのが「沖縄『戦後』ゼロ年」。

 沖縄から見たら、戦後60年(この本が書かれた当時)なんてとてもいえない。日本の捨て石にされ、アメリカ軍の占領が続き、今もたくさんの基地がある。戦争時、軍時評的にされてもおかしくない土地であるがゆえに、戦後ではなかった。そこから、朝鮮ベトナムへと軍隊が出発していく、そういう場所。そして、戦争の直接の犠牲者ではないにせよ、多くの女性が犠牲になってきている場所。

 けれども、沖縄県外の日本では、沖縄文化をもてはやす。現実はさておいて。

 そうだなあって思います。沖縄のことを考えること、想像をおよばせることは簡単にできません。

 戦後70年を過ぎて、日本はずっと平和だった、というのも欺瞞だなあと思います。そもそも高度経済成長朝鮮特需からはじまったのではないでしょうか。

 結局、日本は平和なのではなく、平和を体現してきたのかもしれません。そしてたくさんの人がそのことに慣れてしまった。

 ぼくができることは、そうじゃないっていうことを言うことだけなのかもしれません。

 小学校の運動会では、しばしば沖縄をテーマとしたダンスがプログラムにあるのですが、そうしたとき、沖縄の元気なダンスだけではなく、沖縄がどういう状況にあるのかも、同じ教育現場子どもに伝えてもらえるといいのになあ、とも思います。

 あらためて思うのは、日本はもう戦後ではなく戦前に戻っている、という見方は違うなあっていうことです。まだ、戦後になっていないのではないか。日本国憲法も第9条こそみんな知っているけれど、第10条以降、基本的人権に関することはあまり理解されていない、まだ自分たちのものになっていないんじゃないかと思うのです。そうでなくて、どうして沖縄の現状が無視されるのでしょうか。

 けれども、それを日本というローカルな目ではなく、宇宙ステーションから見るような目で見ると、もっと違うのでしょう。沖縄があり、ビキニ諸島があり、ネイティブ差別されてきたオーストラリアアメリカがあり。

 今、ミャンマーで起きていることは、かつてドイツで迫害されてきたユダヤ人イスラエルパレスチナで逆のことを行っている、そんなことと重なります。

 あるいは、移民排斥にむかって進むアメリカのトランプ大統領ですが、その排斥をずっとしてきた国が日本だったりします。

 坂井恵理の「ひだまり保育園おとな組」(双葉社)の2巻も出ました。今回も面白かったです。保育園を舞台にした、あるある、というあたりで、たくさんの人に読んでもらえるようになるかな。1巻と比べると、ちょっと重い話が多いかな、という気がしますが。あいかわらず、いろいろな子育て世帯が登場します。子供をあずかってもらえず、お店に子供がいる状態の美容院とか。さりげなく、1巻で登場したゲイ保育士も再登場。帯にあるように、夫に読ませたいマンガNo.1というのは、とてもよくわかります。

 坂井恵理とともにもっときちんと読まれるべきマンガ家だと思っているのが、金田一蓮十郎木尾士目なのですが、そのうち金田一の本が4冊まとめて出ました。

 「ライアー×ライアー」(講談社)は10巻で無時完結。正直、この作品へのぼくの評価は低いのですが。番外編のレズビアンカップルの話が好きですね。

 「ラララ」(スクエアエニックス)の6巻。ちょっとじらしモードに入ってきたかなあ。

 それと「ゆうべはお楽しみでしたね」(スクエアエニックス)の4巻。

 共通するのは主人公がいわゆる草食系男子であること。「ラララ」では主人公は裸族の美人医師と結婚するのだけれど、いつも彼女のナイスバディがあるのに、ようやくキスするところまできた、というくらい。「ゆうべはお楽しみでしたね」はちょっとした勘違いで女性と家をシェアすることになった主人公が、そこから恋に落ちる話だけど、オタクで女性とつきあった経験がなくって。4巻でようやく告白までたどりついたのですが。

 金田一がもっと読まれるべきだって思うのは、ひとつは女性にとって居心地がいい男性像の一つの形を示していること。それから、ジェンダーとか性別にかかわるロールとかを棚上げした上で、家族を描こうとしていること。

 金田一も坂井も、人は多様なものだし、結果として家族も多様なものになる。そういったことをきちんと描けるということで、評価されてもいいと思うのです。

 「しめきりはおとといでした」(スクエアエニックス)は、まあ、コミックエッセイなので、特に言うこともないのですが、作家とアシスタントたちがハロオタだそうです。ジャニオタではないところが、金田一なのか、と。

 別におすすめではないのですが、大場鳩太郎の「異世界銭湯 松の湯へようこそ」(泰文堂)も読んでしまいました。舞台は葛飾区銭湯だったので、つい。異世界ものって、はやっているんですね。

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2017-09-18 こちら葛飾区水元公園前通信862 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 こんばんは。

というわけで、サラリーマンをやめました。20カ月しか続きませんでした。いや、いいんですけど。むいてないし。

 ベンチャーだったものが大企業の子会社になってしまって、自分らしい仕事ができなくなったっていうのはありますね。

 えーと、フリーランス。っていうと聞こえがいいですね。貧乏ひまなしの日雇い文筆業です。まあそれでも、仕事をくれる人がいるのはありがたいことです。

 源川真希の「総合戦の中の日本政治」と「東京市政」を読みました。源川は今は交流はないけれど、大学の同級生だった人です。そういう縁もあったわけですが。

 源川によると、戦前の翼賛政治について、最初に大政翼賛会に参加したのが、社会大衆党だとか。これはちょっと重い指摘です。

 最近、民進党代表選挙があり、その後山尾議員不倫問題がありました。ここで一貫しているのは、民進党内に足を引っ張る人たちがいるということ。そして、民進党リベラルではなく、近視眼的であること。救い難いですね。

 民進党の足を引っ張る人たちって、そもそも自民党のコバンザメ状態だった55年体制の社会党をイメージしているのでしょうか。

 少ない利権を守るためにせいいっぱい。

 政権交代するということは社会を変えることなんだけれど、社会を変えたいと思っているのでしょうかねえ。

 そうはいっても、自民党がやっていることは、もっとクズなんですけどね。最近では、日立英国で建設する原発に最大2兆円の財務補償ですから。不倫なんかよりよっぽど大きな問題でしょ。

 それにしても、不倫報道に時間をさく日本のテレビを見ていると、絶望的な気分になります。山尾議員避難するくそツイートの山が目に入ってくると、気分が悪くなります。斉藤由貴不倫報道とか、みんなうらやましいと思っているのではないでしょうか。

 みんな、カラオケでは「さざんかの宿」とか「天城越え」とかを歌っていたりしませんか?

 谷本真由美の「不寛容社会」では、最初にベッキー不倫問題が取り上げられます。そんなのどうだっていいのに、熱心に報道する日本のメディアは異常だ、と。

 谷本は欧米を持ち上げすぎではないかという気がしないでもないけれども。でも、指摘はその通りだと思います。

 不倫報道は、報道そのものがもっと否定されるべきだと思います。

 第一に、不倫は犯罪ではないし、あくまで当事者の問題でしかないこと。第三者には何の関係もないし、そのことがテレビドラマの作品の質や政治における政策の質に影響するものではないということです。

 第二に、不倫報道プライバシーを侵害する暴力であるということです。こうした報道がなされること時代、基本的人権をないがしろにしているのではないかと思います。

 実は、この2つのことにほとんど言及しない、この国のリベラル層って、何なのだろうと思います。

 本当に、憲法第9条を守ることはとても大事なのだけれど、そもそも第10条以降にある基本的人権に関するところが、この国ではあまり合意がなされていないし、というか多くの人が鈍感で守られていないと思うのです。そして、そうしたことをさておいて、憲法第9条を守るという人たち、例えば大江健三郎とか小森陽一とかは、実は日本国憲法を守るにあたって、有害なんじゃないかとさえ思います。

 第9条を守ったところで、それだけでは権利が侵害されている人たちの環境は改善されません。健康で文化的な生活ができるわけではないし、奨学金が給付型になるわけでもないのです。だとしたら、憲法第9条を守る会への支持が広まるとは思えないのです。

 いくらノーベル賞作家や東大教授だといっても、そんなことに考えが至らないのは、ダメなんじゃないか、と。

 この点について、一部のフェミニストの鈍感さにも腹が立ちます。

 最初に気になったのは、森奈津子と牟田和恵のツイッターでのやりとりだったのですが。まあそれはそれとして。

 そもそも弁護士の太田啓子氏は、「真空パック アダルトビデオ」で検索して出てきた映像についてのブログでの非難炎上したことがありました。

 真空パックというのは、女性をビニール袋に入れて中の空気を抜いた状態でことにおよぶというアダルトビデオがジャンル化しているということで、検索すれば出てきます。酸欠によるエクスタシー、というのが売り者なのでしょうが。

 正直なとこと、こんなアダルトビデオの制作そのものが、事故が起こりかねないものであり、障害未遂として立件できるようなものだと思います。女性を消耗品としかとらえていないアダルトビデオ業界なんて、もっと浄化されてもいいものです。これに限らず、ほぼ犯罪といっていいことが横行しているとも考えられますし、報告もされています。

 こんな犯罪前提で製作されているものを、擁護するという気はないし、擁護しているほとんどの人は批判されるべきだと思うのです。

 ですから、太田弁護士の指摘はそこまでは正しいとは思うのです。

 けれども、こうしたビデオに対し「猟奇的で吐き気がする」とした上で、そうした嗜好を持つ人がいること非難するということについては、行き過ぎだと思うのです。そこが、炎上した理由だとも思います。そして、そうした見方が、困難さを抱えているがゆえに、アダルトビデオに出演するしか選択肢がない女性を分断してしまうのではないかと危惧するのです。

 太田弁護士に対して、真空パックを好きでやっている人もいる、とか、そんな見方には同意できません。

 そもそもアダルトビデオに好きで出演している女優もいる、とか、そんな言い方も支持しません。ほとんどが仕事と割り切っているのだと思います。けれども、同時に、だいたいの仕事は好きでやっているものではないとも思うのですが。

 太田弁護士の発言で問題があるのは、次の2つです。まず、猟奇的で吐き気がする、という評価ですが、そもそも、猟奇的なものに対する嗜好を持っている人は少なからずいるし、それは内面の問題だから、批判するにはあたらないのです。そうでなくて、江戸川乱歩の「盲獣」(乱歩自身が吐き気をもよおすような作品)への評価ということも成り立たないし、だからこそ幼女の写真は否定されてもイラストやマンガは認められるべきだとも思うのです。

 第2に、女優が好きでやっているわけではないにせよ、それを選択せざるを得ない女性がいるということです。鈴木大介の「貧困女子」では、知的障害を抱え、それでもブランド品を持ちたくて性産業に従事する女性が紹介されています。ブランド品どころか、生活のためにそれを選ぶということもあります。また、菜摘ひかるを読んでいると、性産業において顧客に喜んでもらうことでようやく「社会的認知」を得られているのではないか、という気もします。鈴木涼美のエッセイにも、そんなところを感じます。

 人がその内面において、どれほど猟奇的な嗜好を持とうと、それは他者の権利を侵害しないことを前提として、自由だと思うのです。ですから、かつての会田誠展における、18禁コーナーに対する非難も、北原みのりによる「オリエント工業展」に対する批難も、それはあたらないと思うのです。

 作品に対して、批評として語ることは必要だと思います。都合のいい女性ばかりが登場する村上春樹の小説とか。あるいは、少女にばかり世界を背負わせてしまう、例えば「魔法少女まどかマギカ」とか。でも、それが社会的に存在するべきではない、というのは、人の内面に対する、権利に対する侵害だと思うのです。

 うんこやゲロを食べるアダルトビデオとか、本当に吐き気がしますが、でもそれが好きな人のことは尊重してもいいと思うし。そんなものではないかな、と。

 そして、2つ目の点については、犯罪ともいえる(実際に事故が起きているし、そもそもほとんど詐欺のようにして出演させているケースが限りなく報告されている)アダルトビデオ業界についてはきちんと取り締まるべきだと思うのですが、そうした世界で生きるしか選択がなかった女性のことについて、もっと目を向けるべきだと思うのです。

 だから、簡単にアダルトビデオを切ってしまう太田弁護士の記述には、どうしても「高い位置からの批判」というものが感じられてしまうのです。

 ぼく自身、フェミニズムに強い影響を受けてきました。だから、社会的な不平等に対してはつねに怒りを感じます。けれども、同時に、内面の自由ということは、基本的人権として保障すべきものだとも思うのです。好きなものはしょうがないじゃん、というコントロールできないものなのだし。

 そこで、最初の不倫の話に戻るのですが、犯罪ですらない、人を好きになってしまうのは内面の問題だし、当事者だけの問題だし、そんなことで離党せざるを得なかった山尾議員今井絵理子議員、ラジオ番組を降板した斉藤由貴を、リベラルな人たちやフェミニストはもっと声をあげて守ってあげてもいいと思うのです。ベッキーをもっと守るべきだったとも思うし。

 それが、人の命にかかわるアダルトビデオより優先されるとは思いませんが、けれども、そうしたことに、あまりにも鈍すぎるのです。

 欧米で不倫が問題にならないのは、人権に対する意識が違うからなのかもしれない、とも少し思いましたが、どうでしょう。ビル・クリントン大統領をやめることはなかったですよね。

 日本では憲法第9条を守ることが問題となっています。しかし、基本的人権については、ほんとうに意識されなさすぎです。

 基本的人権が侵害されている人と、憲法第9条を守ろうという人が分断されていることが、この国のリベラルをダメにしていると思うし、その結果が、分断されずに利権にあやかりたい人が集まっている自民党公明党の圧倒的多数という国会議席数にもつながっているとも思います。

 どうやら、国会は近く解散総選挙ということになるようです。民進党が混迷し、内閣支持率回復する中での総選挙には、期待できないというか、絶望的な気分にすらなります。

 それでも、希望としては、共謀罪秘密保護法、さらにはずっとさかのぼって改悪された教育基本法など、安倍政権負の遺産を廃止することで、野党にはまとまって欲しいと思います。

 同時に、政権が交代すれば人々の生活がもっと良くなることも伝えていただきたい。

 北朝鮮については、日本にミサイルが落ちないように「あらゆる手段」を使うということでいいと思います。

 まあ、社会に対しては欝々になりますが、プライベートでは刺激と穏やかな幸福に満ちた9月です。

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2017-08-22 こちら葛飾区水元公園前通信861 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 こんばんは。

 8月も残りわずか。ずっと天気が悪くて、8月は夏という感じがしませんでしたね。

 まずは宣伝から。先月末に、トーキングヘッズ叢書No.71 「私の、内なる戦〜生きにくさからの表現」が発売されています。今回もまた、ぜひともご購読のほど、よろしくお願いいたします。

 次にご報告。今月末で、サラリーマン生活をやめてフリーランスに戻ることにしました。

 まあ、ベンチャー企業日本法人に参加したのが去年の1月。ぼくのミッションは、会社をある程度メジャーにすることでした。結果として、ソフトバンクの出資を受けることができて、ぼくの役目は終わったというところです。そうであれば、慣れないサラリーマン生活を続ける必要はないので、退社することにしたわけです。

 そんなわけで、日本法人ソフトバンクの子会社となり、ちょっとの間だけ、大企業の社員になってみました。

 かつてのクライアントにはご迷惑をおかけしてしまいましたが、また一緒に仕事をさせていただけるよう、お声掛けさせていただいています。

 かつて、環境エネルギー政策研究所に1年間だけいたことがありますが、それ以上に激動の20カ月ではありました。

 夏という感じがしなかった、8月ではありますが、19日土曜日、友人Sと海に行きました。海に行きたいというリクエストがあり、ダイビングスクールにも通う予定があるというので、その前に、葉山の磯を潜ろうか、ということで、一色海岸まで行ったのです。

 ずいぶん昔に、何度も行った海ですが、久しぶりに行くと、ずいぶんと違っていました。

 まず、ウミシダを見ることができたのは、かなりうれしかったです。水族館では見たことがあるのですが、野生のものは初めて。触らせてもらいました。

 あと、チョウチョウウオも見ました。これも、野生のものは初めてです。いるんですね。いや、いるのは聞いていたけど。冬を越せないで死んでしまうのかもしれませんが、小さいけれど今は元気に泳いでいました。

 サザエとシッタカ(バテイラ)はたくさんはりついていました。特にサザエがこんなにいるというのは初めて。小さいけれど。持って帰りたかったですね。ムラサキウニも大きかったし。酒の肴がいっぱいいるという感じですね。

 残念なのは、ウミウシの姿がなかったこと。これは次回に。

 あとは、クロダイニザダイタカノハダイ、ベラ、メジナといった地味な魚に、ソラスズメダイの宝石のような姿も。

 最後は、ちょっと離れた岩にたくさんついていたハネウミヒドラに刺されました。

 汐の関係もあって、今回は午前中のみ。あとは海を見ながらビールを飲んでいました。

 で、そこで終わるわけではなく、逗子駅近くの八幡神社逗子沖縄まつりというのをやっていて、そこでずっと泡盛を飲んでいたというわけです。

 何しに行ったんだか。

 ナシルさんの「もうすぐもずく」という曲のCDも買ってしまいました。もずくの歌です。

 この夏は、7月末に、鹿児島県川内まで行きました。義父の納骨です。かみさんの実家でちょっとのんびりと過ごしてみました。いるはずの人がいないというのも、ちょっと変な感じでした。

 子供たちは義弟夫婦にすっかりお世話になってしまいました。感謝です。釣りもして、魚の処理だけはぼくがさせていただきました。

 そうそう、今は、鹿児島県でも清酒を造っています。「薩州正宗」という銘柄で、串木野だったかな、芋焼酎の蔵で造りはじめたようです。今回は純米を飲みましたが、やや甘めで、さつま揚げなんかが合いそうな、けっこうおいしいお酒でした。

 8月にも夏休みをとりましたが、天気が悪かったせいもあって、特に何もせずに過ごしていました。ベルギーの奇想ということで、BUNKAMURAには行ったか。

 ポスターはボスの絵ですが、個人的には現代の作品の方が好きかな。

 そうそう、会社が汐留になったので、ヴァニラ画廊も近くなりました。ということで、与偶という人形作家の展示会「フルケロイド」も観ました。これは良かったです。

 とても痛々しい、手足がなかったり目から血を流している人形なんですが、そこにはそれでもサバイバルしていこうという強い意思を感じるのです。不気味とかそんなんじゃなく、もっとストレートなもの。もう終わってしまったのですが、関心があれば、ネットで検索してみてください。というか、今回のトーキングヘッズ叢書でも取り上げられていますね。

 海に行ったと書きましたが、泳ぐのが久しぶりなので、事前に2回ほどプールに行きました。友人Sは元水泳部ということなので、こっちも泳げないといかんかなあ、と。

 でも、昔ほど泳げないというか、25メートルごとに休んでいたりして、体力は落ちていますねえ。いかんです。

 でも、これを機会にプールに通うことにしました。水着も度つきゴーグルも新しくしたし。

 これで少しはやせる、というか血圧が下がるといいですね。

 民進党代表選挙が行われています。これ、次の総理大臣選びというつもりでやってほしいです。

 ぼくとしては、枝野を支持。彼が「Sight」かつて語っていたのは、「夫婦別姓がこれからの重要な争点」みたいなことでした。これはもちろんメタファ多様性をいかに受け入れていくのか、そのことを引き受けるリベラルさです。

 それから、実利的な話になってしまうと、共産党と連携するか、小池百合子と連携するかということなのかもしれませんが、ぼくは小池百合子という政治家を信用していないので、共産党と連携していただきたい。というより、民進党より共産党の方が支持されているのが現状ではないだろうか。

 あとは、安倍とトランプ、どっちの退場が先かな、と。そんなことを思っています。

 久しぶりだけど、本の話はしなかったですね。

 ではまた。

MARUHOPPEMARUHOPPE 2017/08/30 11:53 あらっ、会社お辞めになるんですね。そういえば、10月26日にまたシンポジウムやります。また今度、案内出しますね。飲み会やりましょう。

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2017-07-14 こちら葛飾区水元公園前通信860 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 こんばんは。

 すっかり夏ですね。暑い日が続きます。が、体調を崩すのは、暑いというより、冷房との温度差がいけないみたいです。

 ということを、正直に感じています。

 先週の土日には、トイレは修理されたし、ベッドは自分で修理したし、そんなこんなでした。

 書いている本はもう少しでとりあえず書きあがる、というところです。といっても、初稿にはかなり赤は入るだろうし、図版の準備もしなきゃいけないんですけどね。

 6月は結局、トレッキングに行くことなく、7月は暑いのでパス、ということで、9月になったら行きます。尾瀬も誘われているのですが、思案中。

 その前に、釣りに行きたいのですが。

 何もしないかわりに、本は読んでいますよ。

 アントニオ・タブッキの「とるにたらないちいさないきちがい」(河出書房新社)。ひさしぶりにタブッキの新刊です。好きな作家ではありますが、初期の短編はどうしても、入っていけないところがあって。「逆さまゲーム」もそうだったなあ、と。

 オリン・グレイとシルヴィア・モレーノ=ガルシアが編集した菌類小説のアンソロジー「FUNGI」はというと、いきなり前書きで「マタンゴ」の話になるあたり、センスがわかるというもの。

 菌というのは、カビやキノコのなかまで、なかなかユニークな生物のカテゴリー。それだけに、想像力もかきたてられる。キノコっていうのは、植物でいえば花か実みたいなもので、本体は菌糸。どこまでものびている。中には動物に生えるキノコもあって、いわゆる冬虫夏草。そういや、高校生のころに、人に生える冬虫夏草の短編を書いたことがあったっけ。

 趣味としては合うアンソロジーでした。続きがあるようなので、そちらもはやく出版されますように。

 装丁もすてきです。

 トマス・スウェターリッチの「明日と明日」(早川書房)は、設定だけはなかなか素敵でした。核兵器で滅んだピッツバーグが、サイバースペースにつくられ、死んだ妻をその世界に求める、という設定なんだから。で、現実とサイバースペースピッツバーグの間で、事件が起こる。うーん、でもそれだけなんだよなあ。

 林美脉子の「タエ・恩寵の道行」(書肆山田)、この出版社の本を読むのって、何年ぶりだろうと思いましたが。読む理由はあります。岡和田晃推薦のSFなんですから。

 SFって何かっていうことも考えてしまうのですが、結局のところ、ここでは、世界をどう感じるのか、というところに落とし込まれるのではないでしょうか。そして、感じるということが、実は詩との相性がいい、ということになる。

 世界というのは、目に見える世界だけじゃなくて、心の中も、蓋然性の世界もあるし、そういったものを感じる力がある、ということ。

 伊藤計劃なども引用されていたりします。

 花輪和一の「みずほ草紙」(講談社)が4巻で完結。だんだん宗教的な世界に入っていきます。というか、宗教というより、日本古来の信仰というほうが正しいかな。欲望にふりまわされないで生きるというのは、それは大切なことだとは思います。

 東京都議選が終わりました。自民党の歴史的な敗北ということになっていますが。でも、都民ファーストの会も、自民党から分離してできたようなものなので、どうかと。

 小池百合子については、自分ファーストの会だと思っているので。

 唯一、救いは、小池安倍晋三ほど頭は悪くないということくらいでしょうか。それなりに有権者を満足させることをしていかないと、というのはあるようです。

 安倍晋三にとって、最優先は憲法改正だし、そこにアイデンティティを抱えているわけですが、小池にとっては、総理大臣になることが目的なのではないか、と思っています。その途中に東京都知事がある、くらいで。

 森友学園加計学園もひどい話だとは思います。それは、きちんと追求され、不正は正されるべきだとは思うのです。

 河野太郎のように、もっと議論すべき重要なことがあるのに、と、不毛な予算委員会野党批判をすると、もっともなように聞こえるのですが、それにはくみしません。結局のところ、信頼できない政府というのが、何よりも問題だからです。信頼できない政府の政策が信頼できるわけはないのです。

 とはいえ、安倍内閣支持率の低下が、政策的な話ではなく、口利き疑惑みたいな話になっていくというのは、実は何も変わらないのではないか、という気がします。

 どういった政策がいいのか、ということは、根本的な思想も含めて、きちんと議論すべきだとは思うのです。それは、国会だけで議論する話でもないですし。

 おそらく、誰にとってもいい、という政策などないのでしょう。例えば、旧民主党の「コンクリートから人へ」という政策は、まちがっていたとは思いません。けれども、これまでの既得権益の中にいた建設関連の従事者には耐えられないものだったとも思います。無駄な公共工事でどれだけ多くの人が生活していたのかが、これでわかりました。

 その手当は簡単ではなかったのです。

 まあでも、さすがに、保守系メディアですら、安倍政権批判をしていますから、安倍も終わったな、とは思います。そして、次の安倍、ということになってしまうのでしょうか。

 けれども、次の安倍では、共謀罪秘密保護法も廃止にならないんですけどね。というか、教育基本法は元に戻してほしいし。安倍の負の遺産を清算する、そういう政府にならないものでしょうか。

 高村薫の「作家的覚書」(岩波書店)を読むと、それは少しも特別なことなどではなく、ごくあたりまえのことが書いてあるのだけれども、それがあたりまえではないのが、日本の社会なのだな、といまさらながら思うのです。

 やっぱり、今度の連休は、のんびりと釣りに行きたいです。

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