天使のくまの身辺雑記

2018-05-08 こちら葛飾区水元公園前通信875 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

tenshinokuma2018-05-08

 まず、告知から。

 「トーキングヘッズ叢書No.74 罪深きイノセンス」が刊行されます。

 5月1日には書店に並ぶと思います。今回もご購読のほど、よろしくお願いいたします。

 今回は、「End of Innocence」というタイトルで書きました。ジャーナリストとしては福島第一原発事故について書いてきたのですが、そうではない立場ではきちんと書いたことがなかったので、この機会に。創作みたいなスタイルで書いてみました。

 実は、タイトルというか元になるものがあるので、それも書いておきます。Tony KayeというアーティストがYou Tubeにアップした作品が、End of Innocenceなんです。

 Tony Kayeといっても知ってる人は少ないと思いますが、Yesの初代キーボードプレイヤーです。その彼が、45分間の音楽と映像を組み合わせた作品をつくりました。見ていただければわかると思いますが、9.11以降の戦争に対する批判とでもいう内容です。

 ぼくとしては、それは3.11だと、そういうことです。

 そういえば、そのYesですが、2011年に「Fly From Here」というアルバムを出しています。このアルバムのボーカルを、Trevor Hornに差し替えた「Fly From Here – Return Trip」というアルバムが出ました。「Drama」のラインナップということです。正直、この方がしっくりきますね。何だか反則技みたいですが。

 ラインナップといえば、昔よく聞いたBananaramaが、オリジナルメンバーでヨーロッパツアーをしているとか。そのライブアルバムも出たので、買ってしまいました。

 ライブだと、それほど歌が上手くないあたり、口ぱくじゃないなあと思ったりして。でも、元気があっていいです。彼女たちも50代、こっちと変わらないですね。

 そうそう、高血圧のかかりつけ医のところで、ひさびさに検査を受けました。血液検査とか、あと24時間心電図。医者からは、「激しい運動をして、それからお酒をたくさん飲んでね」と言われました。医者からお酒を飲めと言われることは、めったにないので、もちろんたくさん飲んだわけですが、それは身体に負担をかけた状態の心電図を見たいということだからです。それで、年に何回かくらいのレベルでたくさん飲むように、ということだったのですが、さすがにそこまでは。

 検査結果は、まだです。

 ゴールデンウィークはいかがでしたでしょうか。こちらは、まあ、水元公園を散歩したり、ちょっと仕事をしたり、そんな感じでした。1日だけ、小湊鉄道を乗りに行ったかな。

 水元公園菖蒲まつりは先ですが、カキツバタキショウブは咲いているし、いろいろなチョウやトンボなども見られます。天気にも恵まれて、いい感じでした。

 あと、マンガはけっこう読みました。

 あずまきよひこの「よつばと」の14巻。妹初登場。新たな発見です。

 秋本治の新刊も2冊。「いい湯だな!」は日系ブラジル人女性が墨田区玉の井にある銭湯にやってきて銭湯を盛り立てる話。銭湯ファンとしてはうれしいのですが、スーパーヒロイン過ぎなんじゃないか、と。

 「ファインダー」は亀有ではなく京都亀岡を舞台にした、女子高の写真部のマンガ。でも、本当の主人公は古いフィルムカメラかな。こうした古い機械への愛着と、それでも時代が変わっていくことを肯定的にとらえる、秋本らしいと思います。

 押見修三の「血の轍」は3巻まで出たところでまとめて読みました。マザコンホラーマンガというべきかな。主人公である息子に執着する母親が怖いのですが。でも、正直なところ「悪の華」の方が面白かったな。この先、どうなるかはさておき。

 最近、強く感じることのひとつが、2018年現在、フェミニズムというのは、どこかで分断されてしまった気がするということです。

 対立点はというと、ポルノグラフィと表現の自由といったところでしょうか。後者はポルノグラフィの暴力性を批判しますが、前者はそれがいかに暴力的であったとしても、他者の権利を侵害しない限りは表現の自由は守られる、ということです。具体的な事例だと、森美術館会田誠展をめぐる論争ですね。両手両足を切り落とした少女を描いた日本画「犬」の連作(永井豪の「バイオレンスジャック」に登場する人犬そのままです)の展示について、ゾーニングされているから問題ないのか、それでも公共の美術館での展示なので撤去すべきなのか、ということです。

 ぼくの考えは、早稲田文学・女性号に掲載された柴田英理の「いつまで“被害者”でいるつもり?」がほぼ近いですね。

例えば、会田誠の「犬」が、どれほど人を傷つける作品だったとして、そこに何かを感じる人がいることは「否定」できないと思うからです。だから、この作品を批判するのはいいけれども、「なかったこと」にはできないと思うのです。

ロリコンマンガが、その内容や作品をめぐる社会的構造などの上で、どれほど批判されようとも、それが個人セクシュアリティによって立つものであれば、禁止されるべきものだとは思いません。

まあ、コンビニの成人雑誌は、もう少し考えて置いて欲しいとは思うのですけどね。それに、いくら芸術作品だといったところで、イリナ・イオネスコの娘のヌード写真は、後に娘が告発しているように、ダメだと思うのですが。

 そんなわけで、北原みのり編「日本のフェミニズム」(河出書房新社)や「キャサリン・マッキノンと語るーポルノグラフィと買売春」(不磨書房)、香山リカ北原みのりの「フェミニストオタクはなぜ相性が悪いのか」(イースト・プレス)、アンドレア・ドウォーキンの「ポルノグラフィ」(青土社)なんかを読んでいます。

 「日本のフェミニズム」が、薄い本ですが、明治時代以降の女性運動がコンパクトに解説されていて、それはそれで意味がある本だと思います。

 興味深いのが、北原による笙野頼子インタビューです。笙野は作家として、一貫して制度と戦ってきました。それが母親をはじめとする親族であり、男性社会であり、TPPである、という。笙野はそういった制度の中で押し付けられた女性というジェンダーを拒否してきました。ですから、セクシュアリティを通じて生き残る戦略をとる上野千鶴子に対しては、とりわけ強い批判をしています。また、名前は出さないのですが、早稲田文学のとりわけ柴田のエッセイも強く批難しています。

 でも、笙野が問題にしているのも、ジェンダーなんですよね。

 ドウォーキンもマッキノンも北原もジェンダーセクシュアリティを切り分けることができていないのだと思います。

 それから、香山リカ北原みのりの対談本はタイトルに偽りがあります。これもサブタイトルの「「性の商品化」と「表現の自由」を再考察する」が正しい内容を表しています。

 で、この話をこれ以上すると長くなるので、やめておきます。でもまあ、どこかで分断って書いたのだけれど、その場所はわかってきました。

 とまあ、今日はそんなところで。

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2018-04-27 こちら葛飾区水元公園前通信874 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

こんばんは。

まず、告知から。現在発売中の「月刊BOSS」にコラムを書きました。「宅内IoTとこれからの公益事業」とかいうタイトルです。

関心のある方は、立ち読みでもしてやってください。

 さて、世の中は、モリカケセカンドシーズンという感じですね。完結編はまだか、とか思ったりします。

 でも、じゃあこれで安倍内閣が辞職すればいいかっていうと、そこでようやく政府の崩壊が一時的にストップするくらいのことでしかないですね。というのも、これって政策の問題ではないから。政府そのものが信用されないので、政策を問うことなんかできない、という状況なわけですから。

 仮に、総理大臣石破茂になったとしましょう。改憲の流れは変わらないです。岸田でも誰でも、自民党政権が続く限りは、政策は根本的な変更はないと思っています。あまり無理やりなことはしなくなるかもしれませんが。それでも、「働かせ放題」とか、原子力政策とか、アメリカべったりの思考停止とか、変わらないでしょう。税は所得の再配分が大事なはずなのに、それがおろそかにされている現状とか。

 そういった点が、問題として広く共有されないと。政策的なことを言うと、日本をもっとも崩壊させてきたのは、小泉純一郎だと思うんですけどね。その検証って、あまりされてないですよね。自衛隊の日報が出てきたので、あらためて小泉政治がいかにでたらめだったかを、はっきりさせておかないと。だいたい、安倍を後継者に指名したのが小泉なんですから。

 もっと言えば、安倍って、劣化した小泉なんですよ。

 今月のトレッキングは、1年ぶりの陣馬山高尾山という縦走でした。陣馬山さえ登ってしまえば、あとはなだらかなアップダウンを楽しく歩けるので、けっこう好きなんです。

 もはや、登山ではなく、走り抜けていく人もけっこういます。

 昨年は藤野から登ったのですが、今回はもうちょっと楽に陣馬高原下から登りました。今回、初めて、新ハイキングコースを歩きました。途中まで、川沿いのコースで、これは夏はいいだろうな、というところです。

 ヤマザクラもちょうどいい感じで咲いていて、新緑の山の中にかすむようなうすいピンクがあるという風景です。この他にも、ヤマブキとかいろいろな花を楽しめました。変わったところでは、マムシグサとかも。

 今回、高尾山からの下りでは、リフトを使ってみました。ケーブルカーは乗ったことがあるのですが、リフトは初めて。でも、解放感の中、山を下りていくっていうのは、けっこう楽しいですね。距離も長いし。紅葉シーズンはみんな乗りたがるわけですね。

 次回は、表丹沢を予定しています。蓑毛からヤビツ峠、塔ヶ岳を経由して大倉尾根を下るというコース。多少きついアップダウンもあるのですが、一緒に行くという人、いませんか?

 最近読んだ本というと、安富歩の「ジャパン・イズ・バック」(明石書店)で、2013年時点での安倍政権批判。当時の日本の立場を守りたい人の利権のための政治、という批判ですね。立場を守りたいお友達、ということでしょうか。この構造がさらにぐずぐずになり明確化されたのが現在、といったところです。

 中村うさぎの「他者という病」(新潮文庫)も読みました。何となく、気になったので。中村は心肺停止とかそんな状態から蘇生した経験があります。そこから、死をブラックアウトとだとして、でもそれで苦しみから解放されるならいいんじゃないか、ということも。

 中村は、他者から承認されることを求め、女性としての賞味期限とか、そんなことを考え、美容整形を受け、デリヘルを経験し、ホストクラブに通うという、そんなことをしてきたわけですが。その承認の先の死生観というのはあるのかな。

 その一方で、夫との家族としての絆も確認しています。夫というのはゲイなので、性的関係はないけれども、それとは別に、互いに大切な人間としてつながっているということ。そんなことも。

 病気を抑えるための薬によって人格が変わったりとか。行きつくところに来てしまったという、そんな感じがする本です。

 森達也の「ニュースの深き欲望」(朝日新書)、社会に対する認識はほぼ一致するので、その通りだよなって思う本。森はオウム真理教信者のドキュメンタリー「A」「A2」を監督した。残念だけど、ぼくはこの映画を見ていない。でも「A3」は読んだな。

 ここでフォーカスされるのは、オウム真理教ではなく、壊れ行く日本社会。これは、繰り返し書いたけど、1995年の事件から、「不当逮捕」が行われたし、足立区などの自治体が住民票の受け入れを拒否した。子どもは小中学校に行くことができなかった。でも、それを社会(一般の人々も、マスコミも、有識者のほとんど)は異議を唱えなかった。明らかに「憲法に違反している」にもかかわらず。その背後には同調圧力がある。同質性に回帰してしまう、日本人の多くの持つ性質、それが結果として日本を壊してしまったのではないか。

 そんなことを確認するだけでも、おすすめしておきます。

 アンジェラ・カーターの「新しいイヴの受難」(国書刊行会)も。何の予告もなく、カーターの新刊が出たので、びっくりすると同時にうれしいですね。

 テーマはストレートにジェンダー。女性に対して暴力的な態度をとっていた主人公のイヴリンが、無理やり性転換させられて、男性に奉仕させられたり、女性だと思われていた男性と結婚したり、とまあ、楽しく混乱していく小説。1977年の作品なので、その時点でのジェンダー批判がわりとストレートだな、とは思うのですが、それをエンターテインメント性の高い作品に仕上げていくところがカーターだなあ、と。

 というわけで、今、アンドレア・ドウォーキンの「ポルノグラフィ」(青土社)を読んでいます。書いていることはその通りなのですが、ドウォーキンがだめだなあって思うのは、ジェンダーセクシュアリティを切り分けていないことなのではないか、と思いました。

 まあ、この話の続きはいずれ。

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2018-04-06 こちら葛飾区水元公園前通信873 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

こんばんは。

 今年も花見は無事に終了しました。

 最近は、かみさんも子どもたちもつきあってくれないので、ちょっとさみしい感じではありますが、別に、飲むのが目的なので、まあいいでしょう。

 というか、飲むだけならいつでもどうぞ。

 何だかもう、政府は一年中エイプリルフール状態で、何が何だか、ですね。

 世の中、ダーティハト派→クリーンなタカ派→ダーティタカ派、という流れになっています。これでもまだ、民主党政権の方がダメだったって思います? そんなイメージ操作の先に、現在があります。

 安倍オトモダチ政権の腐敗と官僚自己保身腐敗が重なった状況は、そう簡単には修正できないと思うと、絶望的な気持ちになります。だって、政権交代したって、役人は変えられないでしょ。ホント、政権交代したら、すべての事務次官を民間から採用するぐらいしないと、ダメなんじゃないか、とも思うんですけどね。

 もうひとつ、絶望的な気分にさせられるのが、フェミニズムとよばれるものが、すっかり魔女狩りみたいなものになってしまったな、ということです。

 第三者から見たら気持ち悪い表現って、たしかにたくさんあって、不快に思う人はたくさんいると思うのです。代表的なものが、かなり前になるけど、会田誠の「雪、月、花」の連作でしょうか。最近では、「女子高生のふともも展」とか。でも、そうしたものを、クローズドな場所にあるものを、引っ張りだして、「禁止」してしまうというのは、何か違う気がするんです。

 そうしたものを欲望の対象として感じている人はいるし、それが隔離された場所で、その人のためにあるというのは、悪いことではないと思うのです。むしろ、そうした欲望そのものが「なかったこと」にされる、ということが問題なのです。

 そうした欲望に対して、批判はされるべきでしょう。でも、なかったことにするのは、別の問題です。人の欲望の本質の多様性そのものを、どこか人畜無害なものにつくりかえればいいのでしょうか?

 すべてのフェミニストがそうだとは言いません。でも、一部のフェミニストとよばれる人については、それは何かもう違うところに行ってしまったのではないか、と思うのです。

 そうしたことを踏まえた上で、坂井恵理の「ひだまり保育園おとな組」は3巻で無事完結しましたが、これはおすすめです。

 保育園が舞台とはいえ、さまざまな親子、カップルが登場します。大人が主役ですから。みんないろいろな問題を抱えている大人です。意外なところでは、ゲイ保育士も、いつかは子どもが欲しい、とか。

 3巻では、幼児性愛の問題も取り上げられます。というか、ここが一番注目されたかも。

 現実に、幼児に性欲を感じる人はいるし、だからそういったテーマのマンガなどの作品もあります。とはいえ、現実の幼児を性的対象としてとらえられ、その画像を所有されることは、幼児に対する人権の問題があります。そして、保護者としては、とても気持ち悪いし、心情的には許せないものだとも思います。だから、イリナ・イオネスコの娘の写真もNGではあるのです。

 まあ、勝手に画像を所有されるということは、大人であっても問題ではあるのですが。

 坂井はさらに、こうした幼児性愛の背景に、幼児であれば支配できるという意識があるのではないか、と指摘します。

 坂井が描く、保護者の気持ちや幼児の守られるべき権利などはその通りだし、幼児性愛に対する批判も納得いくものです。それは、批判されるべきものだと思います。

 けれども、坂井は幼児を性的対象として感じることそのものを犯罪だとは言いません。問題ではあるけれど、人の内面まで禁止にはできないからだと思います。

 だから、坂井が描いた作品は、ぼくにはすんなりと納得いくのです。

 まあでも、これは作品としてはほんの一部。全三巻を通じて、ジェンダー育児というテーマを、多面的に描いている、いい作品だと思います。

 カール・ジンマー&ダグラス・J・エムレンの「進化の教科書」全3巻(講談社)は、これもおすすめです。ブルーバックスという手ごろなスタイルで、専門知識がなくてもわかりやすく、でもこの分野の最先端の知見が盛り込まれているという、とても素敵な本です。いろいろうんちくを語るのにも使えます。

 進化といっても、さまざまな視点があります。生物はいかにして、新しい種をうみだすのか。人類はどのように進化したのか。鳥の羽は爬虫類のウロコからどのようなしくみで変化したのか。複雑な目をつくる遺伝子は。行動は遺伝するものなのか。

 進化にあたっては、有性生殖遺伝子優生・劣性といったことも欠かせません。では、どのような有性生殖を行い、適応した遺伝子を残していくのか。

 鳥は一夫一婦というイメージがあるけれど、ある種の鳥はメスがあちこちで浮気をしていて、夫は誰の子かわからない卵を温めている、とか。でも、そうすることでメスの遺伝子が残りやすくなるのかもしれません。ある種のトカゲは、大中小3種類のオスがいて、強いオスが支配的だと小さいオスがハーレムでこっそりとメスと交尾し、中ぐらいのオスが多いときは一夫一婦になるのでその小さいオスは交尾の機会がなくなる、3すくみになっている、とか。

 そもそも、ヒトですら、文化によって一夫一婦だったり一夫多妻だったり多夫一妻だったりするわけで、生物的に男性はこうあるべきだ、なんていうことは少しもない、ということもわかります。

 小野美由紀著「メゾン刻の湯」(ポプラ社)も読みました。銭湯を舞台にした小説ですが、迷える青年たちが銭湯に住んでいる、という話でしょうか。

 刻の湯は老妻に先立たれた老人が経営する銭湯なのですが、いつしか、若者たちが住むようになり、彼らが銭湯の仕事を手伝いながら、生活している、という設定。主人公もまた、大学を卒業したものの、就職できずに迷える青年だし、彼を刻の湯に誘った女友達もまた、会社が合わなくて退職してしまった。ITベンチャーで成功したのにその地位をあっさり捨てた青年とか、いろいろあって母親と別れて過ごすことになった老人の孫とか。

 銭湯が舞台というと、明るい話のような気もしますが、どちらかといえばビターな感じ。でも、いろいろな人が交差する銭湯という場所が教えてくれることは、たくさんあるな、と、そんなことも感じる小説です。

 ポプラ社続きで、松村栄子著「花のお江戸で粗茶一服」も。これは、「雨にも負けず粗茶一服」「風にも負けず粗茶一服」に続く作品で、主人公の遊馬は京都から実家に戻るところからはじまります。

 もはや少年ではない遊馬が、茶道家元を継ぐのかどうか、どのようにして生きていくのか、そんな迷いを中心に、さまざまな人々が描かれる、とまあ、そんな小説です。坂東巴流の茶道とは、弓道剣道も修める、武家茶道ということになっていて、茶道だけにとどまらないにぎやかさもあります。

 でもまあ、中心にある茶道が、どのように人を結びつけ、それによって迷いが絶ち切られていくのか、そのあたりはなかなか読んでいて、ゆったりと感じるところでもあります。

 とまあ、今夜はこんなところで。

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2018-03-21 こちら葛飾区水元公園前通信872 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

こんばんは。

 最近、あんまり政治の話を書かないのですが、理由は、もはや語る必要もないのかな、ということです。ウソがまかりとおってきたアベ政治の5年間が明らかになる過程が、毎日のようにテレビで放映されているわけですから。今、これを書いている時点で、安倍政権は3月25日の自民党大会まで持たないと予想しています。すでに求心力を失った総裁の下で、党大会を行うことは不可能でしょう。

 ただ、安倍辞任で終わるのではなく、これをきっかけに他の暗部もクリアにしていかないと。あちこちで困ったことをしている安倍チルドレンも一掃していただきたいとは思います。

 安倍内閣は日米会談など外交支持率をアップさせたいというねらいがあると伝えられています。でも、これは無理だと思うのです。

 そもそも外交ができない国なのですから、足元を見られて終わるだけです。

 もっとも。外交ができないのは、政府だけの問題ではないですね。結局、この国では、相手の国が何を望んでいるのか、ということをしっかりととらえる能力がないのだと思います。だから、落としどころがわからない。そこで、他の国は日本に対して、適当なところでだまらせておけばいい、ということになっているのだと思います。相手にされていないのです。

 相手にされていないのだから、拉致問題領土問題核兵器問題も解決するわけがありません。唯一、お金をばらまくだけでしょう。ただ、国内に向けて、やっているふりをしている、というのが、この国の外交です。

 北朝鮮の話をすれば、簡単なことで、金正恩は「フセインのような目に合いたくない」ということだけだと思います。そのためであれば、何でもする、というのが、核兵器開発なのでしょう。そうであれば、政治体制の安全と引き換えに、何かを承認する、ということになるのではないでしょうか。

 一方、韓国としては、とにかく武力衝突だけは避けたい。人的被害を回避するためには、多少の譲歩もやむを得ない、ということです。

 韓国文政権はそうしたメッセージを発しましたし、米国のトランプはそれに乗ったということです。米国にとっても、戦争のリスクは大きいと思います。

 次は、中国が後ろ盾になる立場に戻していくことと、長期的な視点で経済発展を考える=結果として金体制の失脚と韓国への併合、ということを考えていくのではないでしょうか。

 当然ですが、この交渉の枠組みに、今の日本が入る余地はありません。

 たぶん、日本は北朝鮮に対する人道支援を考えることができれば、何らかの立場が保てると思います。けれども、今の日本に、北朝鮮に対してそういった対応をする世論すらつくられていないと思います。また、日本にミサイルが飛んでくるということのリアリティもないのだと思います。

 でもまあ、日本がまともな外交ができず、コバンザメのような立場でいても、まあいいのではないかとも思います。今の日本はそれがふさわしいと思います。プエルトリコと同じ立場ですね。

 それはそれとして、トランプの方は、米朝会談支持率を上げて、中間選挙をのりきろうというのでしょうか。それはそれとして、米朝対話というのはいいことだとは思います。圧力しか考えていない日本政府よりは、この部分に関してはまし、と見えるかもしれません。

 でも、他の大統領だったら、ここまで北朝鮮問題がこじれなかったような気もします。

 というか、東アジアをどうしていくのか、ビジョンはまったくちがったものです。オバマは、中国を巨大な市場だと見ていました。しかしトランプは米国雇用を奪う敵だととらえています。そして、この見方の違いが、北朝鮮の意味づけを変えてしまっていると思います。

 それにしても、トランプ政権は、全体的な評価としては困ったものだということになります。分断される米国象徴、といったところでしょうか。ただ、側近がつぎつぎといなくなり、とにかく政府に人がいないという状況が続いています。日本でいえば、大臣が半分も決まらないということです。そうすると、ここでもまともな外交ができませんから、米国が国際舞台で勝手なことをする、ということはできていないのは、不幸中の幸いかもしれません。

 分断されるアメリカ、ということを象徴するアルバムが、Mavis Staplesの「If All I Was Was Black」です。これは、近年の彼女のアルバムの中でも、傑作だと思います。軽やかなアレンジで、多少ポップな感じをさせつつ、いつものように力強いボーカルを聴かせてくれます。

 タイトルは、「もしみんなが私と同じように黒人だったら」という意味です。Wasが重なっているのはミスではありませんから。

 で、そうだとしたら、どんなに素敵なことがあるのか、という歌なのですが。もちろん、本当は肌の色が違っていてもいいはずです。でも、今の米国はいまだにそうではありません。

 ゴスペル、ということでは、これは祈りの歌でもあります。

 Tracy Thornの「Records」というアルバムも出ました。彼女は、Everything But The Girlというデュオの女性の方、といえばわかるでしょうか。このEBTGは、「未必のマクベス」に出てきますね。そこではアコースティック・ポップとして紹介されていました。

 「Records」の曲そのものは、EBTGを思わせるような曲です。アコースティックな感触も残しています。それで、昔を思い出しながら聴くことができます。

 でも、実際にはほぼ打ち込みです。EBTGは後にドラムン‘ベースをバックにした音作りに向かうのですが、その先にある音です。

 それと、Tracyの声は、昔よりも低く、男みたいです。

 それでも、昔ながらの傑作といえばいいでしょうか。何となく、シングルカットされた1曲目の「Queen」は、マックでよくかかっているような気がします。

 谷本真由美の「バカ格差」には、日本ダメっていうのにうなずくところもあれば、そうではないところもあるけれど、まあ、そうですね。

 高橋源一郎の「ぼくたちはこのくにをこんな風に愛することに決めた」も、前半はまおもしろかったけど、後半がなあ、と。

 というわけで、読書の収穫はあまりないですね。

 先日、プールで2km泳いだら、さすがにへろへろになりました。

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2018-03-10 こちら葛飾区水元公園前通信871 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

tenshinokuma2018-03-10

おはようございます。

 まずは、花見の予定ですが、今のところ、3月24日を考えています。

 開花が早いのと、翌週の3月31日はぼくの都合が悪いので。

 開花は3月22日、満開は3月28日というのが予想ですね。

 2月17日には、友人Wと、深大寺温泉・湯守の里に行ってきました。調布駅から北に向かってけっこう歩いたところです。途中、野菜の直売店もあって、茎についたままの芽キャベツなどを購入しました。

 深大寺でお蕎麦を食べ、温泉へ。

 湯守の里はスーパー銭湯としてはかなり小さいのですが、露天風呂が気持ちいいのとお湯が濃い黒湯というのがなかなかいいです。ずいぶんまったりしました。

 それから、今年最初のトレッキングにも行ってきました。東丹沢、低山です。

 小田急伊勢原から日向薬師に出て、七沢温泉巡礼峠、白山飯山観音というルートで、予定ではまったり歩いて4時間コース。でも、日向薬師から日向山に出るはずが、道をまちがえて林道を歩き、途中で弁天に寄り道し、なぜか昼食は七沢温泉のすし屋で、その七沢温泉から巡礼峠への道では遠回りし、低山なのにアップダウンがあって、6時間歩きました。夕方になっちゃったので、飯山温泉には入らなかったし。というか、トレッキングの途中ですし屋というのも、ちょっと変。

 でもまあ、そこからバスで本厚木に出て、駅前の居酒屋でビール、という感じでした。

 まだ春は名のみの、落葉樹は枯れ木のままの山でしたが、この時期にトレッキングしたことはなかったので、けっこう新鮮でした。それに、梅はずいぶん咲いていましたね。

 スタートもゴールもお寺なので、ご利益がありそうなルートだとも思います。

 次回は、陣馬山から高尾山のコースかな。5月には表丹沢、蓑毛から塔ケ岳を考えています。

 今月は、映画を2本紹介します。

 いずれも、友人が出演しているということもあるのですが、けっこう重要な作品なのではないか、と。

 1本は、「おだやかな革命」というドキュメンタリーです。東日本大震災福島第一原発事故以降、地方で再生可能エネルギー事業を核とした地域密着事業に取り組む人に焦点をあてた映画です。最初に福島県会津電力の佐藤弥右衛門さんは、元々、大和川酒造の蔵元で、ぼくも会ったことがあります。お酒を日酒販にあずけるのではなく自主流通ルートを開拓したのと同じように、電気も届けたいというところでしょうか。

 岐阜県の石徹白地区では、小水力発電が核に。小さな水力発電で農産物加工場を復活させ、次いで本格的な小水力。移住してきた夫婦が地元の人とともに、という。

 そして、岡山県西粟倉村では、バイオマス事業。まずは温泉の加温に使い、さらに温泉ゲストハウスにして、食事も出す。林業に元気が出てきたところで、地元の木材にこだわった家具職人が移住。バイオマス事業をリードする村楽エナジー(現sonraku)の社長が友人の井筒さん。

 こうして世界が変わっていく、というドキュメンタリーで、見ていて元気が出ます。

 でも、誰もが元気になれるわけではない、とも思うのです。原発問題の裏側というのが、「息衝く」という映画。

 ストーリーは、青森県から出てきて30代になった3人の男女が中心。といっても、子供のときに、親とともに出てきた、とか、そんなところです。2人の男性は宗教団体系の政党に加わっている。けれども、主人公の1人はその宗教に疑問を持つ。かつて、活動していた尊敬する活動家世間から姿を消している。女性はシングルマザーとして夜の仕事をしながら子供を育てています。

 青森県は言うまでもなく、原子力関連施設があります。主人公のうちの1人の母親は宗教にのめりこんでいました(この母親を、高校の同級生である友人が演じています)。そして健康を案じて東京に出てきて亡くなっている。そんなシーンをはさみながら、かつての宗教活動家の居場所を知り、3人は訪ねていく。

 と、そんなストーリーを説明しても、なんだか伝わらないですね。

 この映画は、3つの母親と子の関係が描かれています。1つは宗教にのめり込んだ母親と息子。もう1つは母親になった幼馴染とその息子。そして、アレゴリーとして、母親である青森県とそれが原子力施設によって奪われた青森県民。そして、母親の代理として宗教を求める、という構図でしょうか。

 映画評はこの宗教の方にフォーカスしたものが多いのですが、ぼくとしては、青森県における母親の喪失ということにフォーカスしたい。それは、「おだやかな革命」とは異なり、そう簡単に前向きになれない人々の心情によりそうものだからです。

 その心情を描くことこそ、「おだやかな革命」の裏側にあるものだと思うのです。その部分を、実は市民活動はあまり掬い取ってこなかったんじゃないかと思うし、だからこそ、重要な映画だと思うのです。

 2本とも、ポレポレ東中野で上映中です。ぜひ。

 ってくると、次は友人の本を紹介することになりますね。

田中信一郎著「信州エネルギーシフトする」(築地書館)です。こっちは、長野県職員としてエネルギー政策にかかわった体験から、地域エネルギー政策の肝について語った本で、関係者インタビューがなかなかリアルでいいです。

 前回紹介した、中島大著「小水力発電が地域を救う」ともども、よろしくお願いいたします。

 そういや「未来の年表」に続いて、池田利道著「23区大逆転」(NHK出版)も読みました。いただきものだったのですが。きちんと数字を出して見ると、23区のイメージと実態の間にかい離があるというのがわかる、という本です。

 足立区は最近はけっこう地元に愛されているとか、千代田区港区中央区はけっこう人口増加傾向にあるとか。もう、郊外に住むより都心に、という。確かにタワーマンションもできているし。

 とはいえ、狭い地域の本だからなあ、などとも思いますが。

 今は、ジュディス・バトラーの「アセンブリ」(青土社)を読んでいます。もうちょっとで読み終わる。アセンブリというのは集会。そして、そこに集まるのは、弱い人々。人民でもいいのだけれども、それだけではなく、例えば難民・不法移民であり、トランスジェンダーである。そこに身体がある。

 集会は自由主義社会におけるジレンマを含んでいます。自由ゆえに集会で政府批判することも自由であるし、政府はそれを保護することが倫理的に正しいはずなのに、現実はそうはなっていません。選挙はしばしば人民の意思を反映させられず、だからこその集会でもあるのですが。

 という話は、ここ数年の日本によくあてはまります。実際に選挙で選ばれたはずの国会議席に基づく政府に対して、集会が開催され、それが政府批判される。

 あてはまらないのは、人民という中にいる人たちには、難民トランスジェンダーもあまり含まれないこと。そこに、日本社会が分断されている根深さを感じずにはいられません。

 日本にもジュディス・バトラーがいればいいのにな、と思いました。そうすれば、フェミニストが分断されることもないんだろうなあ、と。

 そうそう、NHK BSプレミアムで放映されているドラマ「弟の夫」はすごくいいです。双子の兄のところに、弟の夫が訪ねてきます。弟はゲイだと兄にカミングアウトしたあと、カナダにわたり、そこで結婚するのですが、亡くってしまい、その夫が日本に来たということです。ごつい弟の夫の役が把瑠都。これがはまっています。パートナーを失った悲しみを把瑠都がうまく演じています。他の役者もいい感じで、見ていてちょっと泣けます。

 第1回は11日にも午後4時半から再放送があり、第2回は同じ日の午後10時。見て損はないです。ぜひ。

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