天使のくまの身辺雑記

2010-12-17 こちら葛飾区水元公園前通信771 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

tenshinokuma2010-12-17

 写真は、第二堀田湯の近くにいた猫。

 いつの間にか、12月です。1年がたつのは早いですね。何だか、何もしていないうちに来年になってしまうような気がしています。

 先月までは、ものすごく忙しくて、まあ、おかげさまで本も出版できたわけですが、その反動で、仕事は抱えているんだけど、なかなか気が乗らない毎日です。これじゃいかん、とは思うんですけどね。でも、日中も眠くって。疲れが出ているのかな。

 こういう状態なので、抱えている仕事がはかどらず、結局のところ、あまりのんびりした生活になっていません。

 というか、トーキングヘッズの原稿も書かなきゃいけないんだけどな。そのための深夜のマクドなんだけど。あと2週間しかない。

 眠いというか、もう、夜、ベッドに入ると、本が読めないんです。だから、「よつばと」の10巻とか、読んでいないまんがが山積みになっていて。どうしてくれようか。「夏目友人帳」にもまだ手をつけていない。

 まあ、土日が、いろいろあって、つぶれていたということもあります。親の引越しを手伝ったり、法事があったり。先週の土曜日も、午前中こそ息子の小学校のジョギング大会があって、見に行っていたわけですが、午後は時間ができるかな、と思うと、急遽、PTA関係の打ち合わせが入ったりして。子どもとあまり遊べていないというのも、ちょっと残念なところです。

 今月のおすすめの1冊は、レイチェル・ボッツマンとルー・ロジャースによる「シェア」(NHK出版)です。同じ出版社から同じ監修者でクリス・アンダーソンの「フリー」という本が出ていて、これとよく似た装丁。いずれも、あたらしいビジネスのパラダイムの本といえば、そういうことになります。ある部分、近いところもあるし。というか、「フリー」についても、ぼくはけっこう、人に薦めていたっけ。

 「シェア」は、所有から共有に変わることで、ビジネスが変わっていくという本。わかりやすい例が、自動車を所有するのではなく、カーシェアリングにしていくというもの。知り合いに、年に二回しか自家用車を運転しないっていう人がいるけど、そんなんだったら、レンタカーでいいじゃん、とか思う。で、カーシェアリングなんだけど、そうすると必要以上に車に乗らないし、自動車をたくさんつくるわけではないので、環境にもいいということになる。

 まあ、本書の最初で、大量生産・大量消費の経済についての批判がなされていて、これはその通り。もう、そういうライフスタイルは無理なことは確かだ。そもそも、必要なのは、自動車を所有することではなく、移動手段を持つことなんだから。しかも、カーシェアリングだったら、必要な車種を毎回選ぶことも可能だし。

 ということで、シェアするほうが所有するよりかっこいい、そういう社会になるっていうのが、著者たちの考え方。シェアできるものってたくさんある。農地もあれば、自宅の部屋もある。一度しか使わないであろう工具もある。音楽はCDを所有するのではなく、ダウンロード。データを共有するわけだ。

 「シェア」も「フリー」と同じく、昔からあった。図書館もあれば区民農園もある。ある意味では、ブックオフはそうしたビジネスモデルのアナログ版かもしれない。フリーマケットも同様。インターネットは、それを効率的なものにしたし、極めて膨大な人数の間で、必要なものをシェアできる環境をつくった。そうなると、シェアを仲介するビジネスだって登場するというものだ。

 でも、みんなが自動車をシェアするようになったら、自動車産業はどうなるんだろう、という疑問はある。間違いなく縮小する。でも、それは受け入れなきゃいけないと思う。みんながレジ袋を受け取らなかったら、レジ袋の会社は困ってしまうけど、それはしかたないって思うでしょ。

 別に、シェアしなくても、衰退する産業はたくさんある。CDの売上げは落ちているし、電子出版は少なくとも買う必要の無い本は誰も買わなくなるだろうと思う。電気自動車は部品点数が少ないし、まったく違う技術が使われているので、部品メーカーはどのように生き残るか、必死に考えなきゃいけなくなる。そうじゃなくとも、燃費の向上でガソリンスタンドの経営は悪化しているし。

 それでも、シェアによって、出費が抑えられるのであれば、生活できるかもしれない。何だか、デフレ状況での生活みたいだし、スパイラル化しそうですね。

 それでも、やっぱり思うんだけど、そもそもモノをつくらなきゃ経済がまわらないとしたら、それはそれで経済システムの欠陥だと思うのです。「シェア」では、地域通貨も紹介されていて、なるほどなって思う。つまり、通貨そのものの限界がそこにはあるっていうこと。

 お金については、いろいろな問題があると思っています。ぼくは、景気回復のためには、財政支出を増やすべきだと思っているし、そのために、まだ国債を増発してもいいと思っている。景気の回復なしには、財政赤字は解消しないので、この経済状況で財政再建というのは、無理な話だとも思っているし。

 でも、そこには落とし穴があるとも思う。結局、国債を買うのは、お金がある人たちだし、経済が回復してきたら、利子をつけてお金を返さなきゃいけない。結局、お金があるひとにはもっとお金が集まるしくみになる。お金が余った状況では、何かに投資しなきゃいけなくなる。投資先がなければ、生産性ないところにお金が集中し、バブルになってしまう。それが問題。それに、格差も拡大する。所得の再分配はどこにいってしまうのだろう。

 そういった、通貨の欠点を、何かで補っていかなきゃいけないと思うし、そうしたときに、シェアというのは、あるいは地域通貨や仮想通貨はそれなりに意味があると思うのです。

 ということでは、経済システムが変わらなきゃいけないし、ライフスタイルも変わるはず。働いても貧乏なんじゃなく、あまり働かなくても豊かに暮らせる経済っていうふうに。

 シェアというのは、そういうとことがあると思う。

 思うからなおさら、監修者の解説がインターネットに偏っていて、ちょっと違和感がありました。

 実は、この本を読んでいる間に、ツルネン・マルテイ議員のインタビューをしたのですが、ツルネンさんもしきりに、ライフスタイルを変えなきゃいけない、って言っていました。みんなで休日にレクリエーション的に農業をやっていったりとか。そんなことで、農業が変わっていくかもしれないし。ということでは、ぼくが本の中で書いた、クラウド化が支援する半農半ITみたいなSOHOもアリだとも思います。

 高齢者介護とか医療とか教育、福祉関係などは、モノを作らない仕事です。でも、労働人口が減少する中で、モノをつくらない仕事のニーズが高まっていくのであれば、それはそれでうまくコントロールすることで、そう悪くない社会ができると思うんですけどね。

 「シェア」の直前に、オガワカズヒロの「ソーシャルメディア維新」(マイコミ新書)を読んだりもしていました。こちらは、フェイスブックグーグルの戦いがテーマというのかな。でも、ネットの世界では、どれだけトラフィックがあるかということが、そのまま価値になっていくということになっていくわけ。そういう文脈では、シェアのサイトの成長というのは、やはり注目すべきではあるんだろうな。

 でも、ぼくはもう少し違った感じがしている。

 ぼくは、フェイスブックにもグーグルにもツイッターにもお金を払っていないわけだが、じゃあその費用は誰が負担しているかというと、広告ということになる。まあ、それはテレビと同じではある。でも、本当にそれだけのことなのかな、と思う。

 ユーザーにとっての価値っていうのは、ネットワークの大きさなのかもしれないって思うから。だから、いずれは、ネットワークの大きさそのものが価値になっていくのかもしれない。それが、シェアのビジネスモデルなんだと思う。

 ぼくたちは、だいたい、一人では生きていけなくって、会社や地域社会やそんなところで、利害関係があったりなかったりしながら、生きているわけだけど、インターネットは物理的な位置関係に縛られずに、目的を持ったネットワークの構築を可能にしたということが、すごく重要なんじゃないか、と思うのです。mixiに行けば、コミュがあり、自分が関心あるテーマでさまざまな意見を聞くことができるし、助言したりすることもできる。それは、知見のシェアということになる。身の回りには、相談できそうな人がいなくても、ネットの中で探せる、というのはとても便利なはずです。

 では、リアルな人間関係が希薄になるのかというと、たぶん、そうはならないと思うし、そうしなきゃいけないとも思うのです。地域社会のネットワークはなければ、お祭もできないし、子ども会も成立しない。地域通貨をネットで使うというわけにはいかないでしょう。東京に住んでいて、北海道の農地をシェアするわけにもいかないし。

 何が言いたいかっていうと、ネットの中のネットワークとリアルなネットワークの二重構造の中で、ぼくたちはいいとこ取りで生きていければいいな、ということなんです。その方が、充実すると思うし。

 ということを考えるとき、仕事の話になってしまって申し訳ないのだけれども、スマートグリッドが情報通信を使った電気事業のサービスの進化だとしたら、他方でそれを効果的に使うための、リアルな対面を通じたビジネスチャンスっていうのもあって、そちらももっと注目してほしいと思ったりもしています。そういうことも、本に書いたんですけどね。

 えーと、その他に読んだ本といえば、リービ英雄の「我的日本語」(ちくま選書)かな。考えてみると、ぼく自身も、日本語が商売道具になってしまっているわけで、その良さみたいなものを、もっと自覚してもいいのにな、ということは思いました。

 そうそう、今さらながら「医龍」にはまっていて、今はシーズン2を見ています。小学生の川島海荷が出てきて、ちょっとびっくりしたり。シーズン3ももう最終回なんですけど、こちらは、2回しか見ていないな。ビデオになったら、まとめて見ようといったところです。

 このまま、原作も買うかというと、今のところその予定はないです。だって、読んでいないマンガがたまっているんですから。

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