こちら葛飾区水元公園前通信835

tenshinokuma2015-09-10

 9月ですね。
 
 今回は、鹿児島からです。いや、今はまだ羽田ですが。
 台風は、東海地方を直撃、なのですが、関東も九州も雨が降っているだけなので。
 あまり、飛行機は好きじゃないです。だから、できれば新幹線で鹿児島に行きたかったのですが、そうもいかないですね。夜行新幹線とか、つくればいいのに。って、乗る人いないか。

 トリスタン・ブルネ著「水曜日のアニメが待ち遠しい」(誠文堂新光社)を読んでいて、あらためて、共感って大事だな、と思いました。
 この本は、アラフォーのオタクフランス人による、フランスでいかに日本アニメが受容されたかについて書かれた本。フランスにもキャプ翼世代がいて、彼らの活躍によってワールドカップで優勝したとか、そんなことも紹介されています。
 フランスが日本アニメを放送した背景、どんなふうにして受け入れられたか、ジャパンバッシングはなぜ、とか。でも、そもそもを言えば、フランスの子供たちが日本のアニメに共感したらら、ということです。って、ざっくり言い過ぎなんですけど。

 国会前、首相官邸前のデモが盛り上がっています。その背後にも、共感があります。

 ということで、現在は鹿児島空港。関東地方の大雨を避けていますね。

 デモの話でした。

 学生時代も、何度かデモに参加したことはあります。80年代のことなので、過去の学生運動の熱狂とか遠い話だな、とか。労働運動も下火だし。危機感もなかった。
 でもまあ、動員されたので、参加しました。
 当時、デモについては、過去とは違う意味を持っているって解釈していました。それは、60年代、70年代のデモが直接的な行動だとしたら、80年代のそれは、メッセージを伝える、一種のメディアとして考えるべきなんじゃないかっていうこと。
 今とは、話が逆なんです。共感してもらうためにデモをする。

 でも、だったらデモではなくてもいいはずです。より、個別のメッセージを送るために、自分でメディアを持てばいい。実際に、自分のメッセージをビラにして配っていた友人もいました。
 粉川哲夫がフリーラジオについて語っていたのも80年代だし、ローカルFM(500m圏内なら勝手に放送できた)もありました。
 それはすぐにインターネットにとってかわられます。粉川哲夫がまっさきに
 そして、ネットを通じて共感が拡大することが、今のデモにつながっている、そういう部分もあると思います。

 福島第一原発事故以降、脱原発というメッセージを直接伝えるために、デモが再発見されたのだと思います。
 そこで、全共闘世代の人が参加しました。それは、ほんとうにたくさんの人が官邸前に集まったと思います。
 しかし、政治的な課題は、原発だけではありませんでした。政権が変わり、より多くの課題が明らかになってきました。
 中でも、戦争法案は、それがダメだっていうことについて、多くの人が認識していると思います。そして、政治的な行動をあまりしてこなかった世代が、デモの中心に入ってきました。
 何よりも、今の政治が続いてしまえば、自分たちの未来がろくなものにならない、ということが理解できていること、そしてそのことに多くの人が共感しているのだと思います。

 ざっくりと、左翼運動って言ってしまうんですけれども、社民党共産党労働組合、あるいは市民運動、そうした周辺の人たちが、どれだけ共感を得る努力をしてきたのか、今現在もそういった努力をしているのは、すごく疑問に思っています。
 そういった努力がなされてこなかったことが、今の政治状況にもつながっているのだと思います。

 80年代、ビッグコミックスピリッツで連載が始まった「気まぐれコンセプト」は広告業界を舞台にした4コマ漫画です。そこでは、時代がつくられる舞台裏が、コミカルに描かれていたと思います。結局、電通博報堂の仕事って、共感をお金にかえることだったのかな、とも思うのです。目の前の豊かさみたいなことに、人は簡単に共感してしまうからこそ、今でも人は、アベノミクスみたいな中味のない言葉に騙されてしまうのだとも思います。

 逆に、左翼運動みたいなもの、ある世代の人々は(ここでは世代論になってしまうのですが)、正しさを共感にすることを怠ってきました。そこでは、正しさは目の前の小さな世界での共感にとってかわられ、拡大しません。例えば、労働運動は、男性正社員のための運動のままなので、そんなものには誰も参加しなくなります。
 脱原発運動にしても、それに誰もが共感するわけではありません。目の前の貧困、立地地域の困難さ、そんなところにまで共感はおよびません。それが、例えば脱原発候補が割れてしまった都知事選だと、そんなことも以前、指摘しました。

 さすがに、戦争法案は、その背後にある貧困労働法案(奴隷法案)も含めて、未来なんかないっていうことを明らかにしてしまったので、これらへの反対が共感をつくらないはずはありません。でも、それは左翼運動がもたらしたものではないのです。

 デモが拡大するほどの、デタラメな政治的状況ですが、これをもたらした政権は、皮肉にも、それほどまでに鈍感でもあります。それは、言葉が通じない相手に直接的メッセージを送っているようなものです。
 楽観できるものは何もないし、戦争法案や貧困労働法案が成立して時間がたてば、人々はそれに慣れてしまうかもしれません。過去に、たくさんのことに慣れてしまったように。

 そうであってもなお、伊藤計劃の「ハーモニー」が読まれ、「夜のヤッターマン」や「下ネタが存在しない退屈な世界」が地上波で放映されているっていうのは、まだ救いがあるのだとも思います。

 左翼運動にかかわっている人、共産党の人も労働組合市民運動もそう、そういう人たちには、どういう未来であれば、共感できるのか、考えてほしいな、と思います。
 ぼくにとって、一番近いところにいる、自然エネルギー推進の運動をしている人たちも同じです。太陽光発電風力発電が増えただけで、人々が幸せになれるわけではないのです。それをピースとしてどのようにはめていくのか。それはそれとして、地域は地域ごとにさまざまな問題を抱えています。過疎、高齢化、その他いろいろ。

 ほんとうに、多くの人が共感できるような未来をデザインすることが、今、一番必要だし、それをする立場にいる人たちには、自覚して欲しいな、とも思います。

 と、なんだか鹿児島とは関係ないことを書いていますが。
 観光で来たわけではないので、あんまり話すことはないんですけどね。
 もちろん、銭湯には行きました。
 鹿児島の銭湯のいいところは、1つは天然温泉であるということ。もう1つは朝から営業していること。
 ということで、9日取材が終わったあとには、南鹿児島駅から近い郡元温泉という銭湯に。軽いアルカリ泉のぬるめのお湯につかってきました。かすかにぬるぬるします。
 で、10日ですが、空港に来る前に、天文館地域にある霧島温泉で朝風呂。浴室の背景は、男湯と女湯の間にある、美女のタイル画。朝からまったりしていました。
 特に霧島温泉はおすすめです。繁華街近いのに古いつくりの小さな温泉があるっていう、そんな風景もいいのですが。鹿児島から帰るにあたって、空港行きのバスは天文館から乗ることができます。鹿児島中央駅から乗る人が多いのですが、その手前の停留所なので、まだ乗る人が少なく、窓際の座席を確保できます。ということで、旅行の最終日に霧島温泉でまったりとしてから空港行バスというのは、おすすめです。この停留所には、クレープの自動販売機もあるのですが、買いそびれました。

 最後に、最近読んだ本の話。

 ブライアン・W・オールディスの「寄港地のない船」(竹書房文庫)は、1958年に描かれた、処女長編。世代間宇宙船ネタ。時代を感じさせるところもあるけれども、そんな特殊な状況におかれた人類の姿ということでは、オールディスの思弁のあり方が示されています。久々のサンリオSF文庫の新刊、と思っていただければいいかな。

 酉島伝法の「皆勤の徒」(創元SF文庫)は、実はハードSFだったという。でも、異形の生物、混沌とした世界で、社長の下で従業員が、異形のままに従事している姿は、素直に日本の会社の醜悪なパロディとして読んでしまいました。

 最果タヒの「空が分裂する」(新潮文庫)を読んだのは、カバーがきれいだったのと中森明夫がツイートしてたこと。収録されたイラストが素敵だし、愛すべき本に仕上がっているけれども、30代以上の人には薦めません。10代の、世界がどうなっているのかをうまく把握できないことに自覚的な中二病の感性がないと、つらいと思います。

 で、今は、数か月前に衝動買いした、ノーマン・スピンラッドの「Bug Jack Barron」を読んでいるのですが。久々に洋書を読んでいるのですが。なんか、英語なんかずいぶん忘れていて、読み進みません。
 でもね、これを読もうって思ったのは、その後に書かれた「はざまの世界」を思い出してのこと。これって、ある惑星の政府が、男性的な科学主義者と女性権力主義者のそれぞれの訪問を受けて、世論が二分されるなか、首相(女性)がパートナーの支援を受けて、テレビ番組を活用し、世論を誘導していく、という話でした。
 で、「Bug Jack Barron」もまた、アメリカの1億人の視聴者を背景にしたメディアの話。怪しげな冷凍睡眠で不死を提供する財団の話が中心なのかな。
 つまりは、簡単にメディアによって世論が誘導されるような、今の日本が、気持ち悪くって、それで読み始めたというわけです。
 それにしても、読み終わるのかな。まだ20ページだよ。

 ではまた。