こちら葛飾区水元公園前通信868

tenshinokuma2018-01-03

 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。

 お正月はいかがお過ごしでしょうか。
 こちらは、まあ、例年通りですね。特に何かしているわけではなく、むしろ年明けの血液検査と栄養士指導に向けて、節制しなくてはいけないという、そんな状況です。
 いや、29日の忘年会以降、ちょっとまずいのですが。

 そんなわけで、2日には、友人Aと、草加七福神めぐり。埼玉県草加市七福神ですが、ちょっととってつけたようなところもあって。草加駅の東側は、旧街道沿い。歴史的な建物なんかも残っていて、歩くだけでけっこう楽しいです。
 七福神めぐりというと、色紙を持って、各時社で御朱印をいただくわけですが、草加の場合はほぼスタンプラリー、駅の窓口で台紙もらい、スタンプを集めていくわけです。訪れる寺社のほとんどは、無人の社なので、たしかに御朱印は無理だな。でも、その分、お賽銭だけですむので、お金はかからないです。
 ゆっくり歩いても2時間くらい。これで内臓脂肪が減るとは思えませんが、まあ、いいかな、といったところです。

 でも、年末はけっこう楽しく過ごせました。
 22日には、ほんとうにひさしぶりにライブハウスに。梅津和時をリーダーとするバンド。いわゆるキャバレー。新宿のピットインでしたが、ゲストがたくさん出てきて、楽しいライブでした。長江健次が「ハイスクールララバイ」を歌い、佐野史郎が遠藤賢治の曲を、上野洋子(実は昔から好き)がアバンギャルドな「恨み節」を、などなど。ツインベースのアンサンブルも気持ちよかったし。それに、キャバレーですから、ダンサーも。どきどきするようなダンスです。

 30日にはダンスの公演。黒沢美香さんをしのぶ一連の公演「美香さんありがとう」のラスト。
 黒沢さんの名前は、「トーキングヘッズ」ではしばしば出てきたのですが、ダンスの公演を見に行くということそのものがなく、遠い存在でした。黒沢さんは一昨年12月に亡くなるのですが、その活動の区切りとして、「黒沢美香&ダンサーズ」の公演がありました。黒沢さんの振り付けによるダンスを2つのプログラムで紹介。
 激しさよりも人の身体の強さを感じさせるプログラムでした。でも、ぼくが見たのが、本当に最後の公演だったのです。

 実は、この2つの公演、友人が出演しているお芝居がきっかけでした。そこで出演していたダンサーがとてもすばらしくって、ダンスだけを見たいっていうのがあって。
 3人のダンサーのうち一人はキャバレーでのダンサー、あとの二人は黒沢美香&ダンサーズで。
 縁というかきっかけというか、こういう形であっても、ダンスを見ることができて良かったです。
 「日経サイエンス」の昨年の11月号によると、ダンスは他の霊長類からヒトが分岐するにあたって、身に着け、発達してきたものだそうです。言葉と同じくらいに、ダンスは古くて深く、重要なコミュニケーションだとか。
 ダンスは祈りでもある。ジョン・アンダーソンの歌詞にもよく出てきます。

 祈りに近い本としては、レベッカ・ブラウンとナンシー・キーファーによる「かつらの合っていない女」(思潮社)はなかなか素敵な本です。昨年のベスト1かもしれません。
 キーファーの絵を見たブラウンがそこに文章をつけたということなのですが、キーファーの絵は強いタッチで描かれた、子供の絵のような肖像画。その色彩とタッチの強さの中に感情が込められています。その絵に対し、ブラウンは、抽象的で、心の内面からあふれでてくるような言葉を重ねます。このふたつが、見る者・読む者に対して迫ってくる。
 どんな想いなのか。キーファーの絵の多くは9/11以降に描かれ、ブラウンの言葉はアブグレイブ収容所の暴行事件の間に書かれた、というとイメージできるでしょうか。それは現在の日本を含めたこの世界における暴力的な状況におしつぶされる人々にもつながっていると思います。

 レベッカつながりで、フェイ・ウェルドンの「届かない手紙 レベッカ・ウエスト」(山口書店)も読みました。アマゾンで1円だったので買ってしまったのですが。
 ウェルドンはわりと好きな作家で、フェミニストです。そのウェルドンが恐れ多いと感じた作家、ウエストの、若い日に宛てて書いた手紙、という設定です。
 ウエストは20歳そこそこで、H・G・ウェルズの愛人となり、私生児を出産します。この出産前後の一週間のウエストに、ウェルドンはメッセージを送り、あるいはその情景を想像します。子供を抱えたウエストは、それでも作家としての地位を築きますし、ウェルズはすでに代表作を書き終えてしまっていました。
 でも、正直なところ、ウェルドンの思い入れが強すぎて、どうかなあ、と思う作品なのですが。ウェルドンは自身の人生をウエストに重ねているので、なおさらなんですけど。
 それは、訳者の田嶋陽子も同じかも。彼女も思い入れがあって訳したのではないか。そうそう、その田嶋のサイン本が送られてきたんでしたっけ。

 マイクル・ビショップの「誰がスティーヴィ・クライを造ったのか?」(国書刊行会)は、これまで読んだ中で、もっとも読みやすいビショップでした。
 SFではなくホラー。修理されたタイプライターが勝手に文字を打ち始める、それが読者にとってはどこまでが現実でどこまでがタイプライターの創作なのか混乱してくる、という。しかも、この小説は、まるまる「タイピング」という小説が入っているという構成。目次をめくると、「タイピング」の扉。もちろんビショップは、ノーマン・スピンラッドの「鉄の夢」を意識して、この構成をしています。
 メタフィクションのしかけとしては、まあ、それほど目新しいわけではないけれど、うまくつくってあるし、登場人物の描写についてはなかなかいい感じで、楽しく読めます。ヒロインは、フリーライター、夫に先立たれ、子供二人を育てており、いろいろ大変なのに、タイプライターが、と。友人の医師などヒロインを助けてくれる存在にも事欠かないし。まあ、職業柄、他人と思えないところもありますが。
 それに、ラストはなかなか好きです。ここは、ホラー作家じゃなくてSF作家だよなあ、と思ってしまいます。

 今年もこんな感じで、よろしくお願いいたします。