【五輪エンブレム問題】 組織委は国民をナメすぎだ

数々の問題が指摘されたオリンピックエンブレム問題。9月1日の白紙発表で、一応の区切りがつきました。で、結果を発表した組織委員会の記者会見ですが、凄かったですねぇ。何が凄かったのか、要約してみましょう。

 
■『一般国民』に理解できないデザインだった佐野氏のデザイン
・佐野氏:エンブレムは模倣ではない。ただ家族への誹謗中傷があり、またエンブレムが国民に受け入れられないため、原作者の立場から取り下げる。
・審査委員会(永井):デザイン界の理解としては佐野さんのオリジナルなものとして認識。審査委員会8人のうち1名を除き、「盗用でない」、「一任します」という意見だった。
・事務局(武藤):選んだのは審査委。専門家が判定した。我々はそれを受け取ったということ。
 
なんだこれ。
白紙になった理由は、家族への誹謗中傷と『一般国民』が理解できなかったため。審査委員会は模倣では無いと思いつつも、佐野氏の判断を尊重。事務局は専門家の意見を受け入れ。
つまり、国民が理解できないで誹謗中傷したせいになっとる。「模倣じゃないって言ってるのに、国民が理解しないんだもんなぁ〜」ってことなんでしょうか? おいおい。
 
■デザイン業界の普通ってなに?

「五輪エンブレム撤回:大会組織委と一問一答」2015年9月1日
佐野さんからは展開例に使った写真というものは「元々、応募したときに審査委員会の内部資料として作ったんだ。同じものが7月24日の公式エンブレムの発表の時に使われた。審査委員会のクローズド(閉じられた)な場ではデザイナーとしては、よくある話なのだが、公になる場では権利者の了解が必要で、その注意を怠った」という話があった。
http://mainichi.jp/sports/news/20150901mog00m040017000c.html

佐野氏は「よくある話」と言っているので、デザイン業界の諸氏に確認したい。
内部資料だろうが公開資料だろうが、他人のコピーライト表示をトリミングして消して、勝手に使用することは、よくあることなのでしょうか? 展開例は、選考の評価ポイントだったわけで、それをあたかも自分がデザインしたものように見せるというのは、正に著作権が否定する「デザインのタダ乗り行為」に他ならないと思うのですが。
これまでも、佐野氏の言動は、国民に到底受け入れられるものではありませんでした。他の様々な人が指摘していますが、もう一度振り返ってみましょう。
 
■積み上がった不審点

中央の黒いラインは下方のオリンピックシンボルの黒との対比であり、赤い丸は“鼓動”をイメージしたため左上(向かって“左上”ではなくエンブレムを主体とした“左上”の発想と思われる)に配置し、オリンピックシンボルの赤の円とラインを揃えていることが解説された。
http://www.excite.co.jp/News/it_g/20150806/Mdn_42066.html

8月5日の佐野氏の会見でこんな説明をしていたのに、当初案では、赤い丸は左下にあったわけで、言ってることが後付けだったことがわかります。そもそも当初案の下にある赤い丸はなぜそこにあったのか、説明が一切ありません。
 

全体的に円を描けるようにすることで、1964年(東京オリンピック)のDNAを引き継ぐことにもなります。安定性や力強さ、調和も出るので(銀の部分を)右下に置いたデザインとなっています」と意図を説明している。
http://www.excite.co.jp/News/it_g/20150806/Mdn_42066.html?_p=1

これも同じく、当初案は「全体的に円を描けるように」なってませんでした。1964年のDNAうんぬんは、デマカセってことになります。
 

「今回の東京2020のエンブレムは、このエンブレムで“おしまい”ではなく、“展開”を1つの重要な要素として考えています。それは進化・変化するロゴということです」(佐野氏)と設計上の根幹を紹介。「形を変え、文字になったり、パターンになったりする展開が可能になっているエンブレムです。このエンブレムを起点に、さまざまな形に展開していくという今までになかったアイデンティティになっていると思います」(佐野氏)と主張した。
http://www.excite.co.jp/News/it_g/20150806/Mdn_42066.html?_p=2

アルファベットの活字例をかざし、「形を変え、文字になったりパターンになったりする展開が可能なエンブレムです」という言い方で、リエージュ劇場のロゴとは成り立ちが違うアイデンティティを説明しました。しかし、最初は全くロゴが違う形だったわけで、「じゃあこのアルファベットは何だったのか?」ということになります。
 
■国民は不誠実さの匂いをかいだ
当初案には全く考えられていなかったコンセプトを説明し、脈絡無く出てきたアルファベット例を振りかざす。挙句に展開例はコピーライトを消して提出。
『一般国民』は、そこに佐野氏のデザインに関する「不誠実さ」を読み取ったのです。言っていることの矛盾。やっていることの矛盾。これら矛盾について、何の説明も出来ないのに『一般国民がわかってない』と言いたげな言動は慎むべきではないでしょうか。
 
9月1日防災の日。日本各地で、来る災害への備えとして防災訓練が行われました。今日、エンブレムを白紙に出来たのは、オリンピックに降りかかる災害を回避したと言うことで、意味あることだったと言えるかもしれません。