Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

人生とマラソンとの違い

 根性もない、負けず嫌いでもない、実生活ではすぐに挫けて諦めてしまう僕が、どうして100kmマラソンを完走できるのか、不思議でならない。マラソンはよく人生に例えられるが、最近、人生とマラソンとの違いについて考えていて、決定的な違いを見つけた。

 その違いとは、「マラソンは終わりが明確である」という点だ。例えば、100kmマラソンなら100km走れば必ず終わる。それ以上は一歩も走らなくて構わない。逆に言えば、100km走るだけでいいのだ。

 それだけでない。残り距離も明確だ。50km走れば残りは50kmだし、60km走れば残りは必ず40kmだ。

 マラソン大会ではよっぽどのことがない限りコースを逆走することはないので(稀に逆走している人を見かける。一度は通り越したトイレを目指している?)、どんなに小さな一歩でも、前に進み続けている限り必ず残り距離は減少していく。

 これが人生ではそうはいかない。どんなに頑張っても残り距離が全く減らないか、場合によっては増えていくような場合すらある(借金とか…)。力を振り絞ってゴールに辿り着いたと思ったら、「じゃじゃーん! 実はまだ中間地点でしたー!」なんて言われたりする。ゴール後に「さぁ、続けて第2ステージへお進みください!」なんてこともある。一向に終わらないのだ。

 僕はつい力を振り絞ってしまうところがある。人生において、ゴールだと思って力を振り絞って、実はそこはゴールではなかった、という経験をよくする。その途端に嫌になってしまうのだ。もう一切のエネルギーも費やしたくなくなってしまう。何だ、一生懸命やったのに騙された。馬鹿バカしい。そう思ってしまうんだよなぁ…。だから、人生のマラソンでは僕は頑張れない。いくら走ったって終わらないんだもん。最初から走らない。

 ところが、現実のマラソンは必ず終わる。客観的な進み具合までわかる。「残り1km」の看板のあと走らなければならない距離は必ず1kmなのだ。

 だから僕は100kmマラソンを走り切ることができるのである。