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恋路まであと1kmでは届かない このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2006-04-30

[]ARIAにおける感情移入の無い癒し

今月の初め、僕はシーズン初めの試合で怪我をしました。

就活ストレスと相まって酷くやざくれてしまったのですが、その時僕を癒してくれたのがアニメARIAです。

現在も第2期が放送されているのですが、第1期放送当初はそこまで面白いとは思えませんでした。

各所で絶賛されているのを横目に、他のアニメに興じていたのを覚えています。

しかし改めて録画していたものを見返した所、その純度の高い癒し効果によってギスギスしていた心が柔いものに包まれ、自暴自棄になりかけていた僕を救済してくれた事により、評価は格段にアップしました。

大袈裟と思うでしょうが、実際あの時の僕に光を差し込んでくれたのはこの作品であり、恥ずかしくもこの年になってアニメに夢を与えられてしまったのが事実なのです。


さて、作品の内容は周知のものですが、僕はこの作品イメージが「綺麗」という言葉に尽きると思っています。作品自体が一つの情景として描き出され、それはあたかもヴェネチアで仮想旅行を体験しているかのような、メタ映像作品なのです。

「感動」という要素の介在が困難な状況であり、僕にとっては俯瞰的要素の高い作品です。

主要登場人物が全て女性である事で感情移入が難しく、また一種の倒錯的要素*1も無いために、バーチャルを介しての立脚も困難なものである事が大きな理由なのでしょう。


では、僕は何をもって癒されたのかというと、「綺麗」という事です。

先述した通り作品からはその舞台であるヴェネチアの情景がありありとイメージできます。

作品を通して現実でもヴェネチアに憧れを抱いた人は多いはずです。

番組ではありませんが、その土地には一つ一つの風情や趣があり、画像を通して流入してくるそれらの潮流が僕の心を刺激したのです。


この作品においては作品が一つの情景であり、作品内の登場人物もそれらを惹きたてるためのオブジェに過ぎないと僕は思っています。確かに魅力的なキャラが一人一人立ってはいるものの、彼女達は作品の情景を映し出すための鏡であり、彼女達自身から癒しを得ているのではなく、癒しそのものは作品のそれ、つまり情景からのものなのです。


以前id:tsukimoriさんが以下のように述べていました。

感動が甘すぎて、感激が過剰すぎて、ひどくいけすかない上に、主人公の水無灯里が人柄的にも人生的にも暗さや黒さをまったく感じさせない(ミクロン単位の染みすらない)、どこまでも清々しくまっさら、日がな一日つつがなく穏やかな海原のような存在であることが、僕の立脚意識を路頭に迷わせるのです。正直、彼女たちに人間味を感じることができないんですよ。


http://d.hatena.ne.jp/tsukimori/20060327/p1

まったくもってその通りだと僕も感じているのですが、彼女達の綺麗さは即ち作品の舞台である情景の綺麗さであって、そこに人間味を見出す必要は無いと僕は思うのです。

作品の魅力自体が彼女達を通して伝わってくる事で、その舞台をイメージさせやすくしているわけです。

漠然とでいいので想像してみて下さい。グランドキャニオンの雄大さ、モンサンミシェルの荘厳さ、それらから流入してくるイメージは人に何を感じさせるのか。理屈抜きの癒し、ややもすれば感動的な何かを得る事が出来るのではないでしょうか。

ARIAから僕が与えられるものは、それらから与えられるものに非常に近いものなのです。


僕にとってこの作品アニメとしては一つの大きな可能性であると感じるもので、癒し系アニメという位置づけでは、この作品以上のものはありません。

俯瞰的に捉えられる癒しほど都合の良いものは存在しません。

主人公に感情移入して燃える、泣ける、萌える、なんていう在り来たりの作品を超越してしまったのです。


怪我を通してこんな下らない事に気付いてしまった事を呪うべきか、功名と言うべきか、

でっかい悩みです。

*1:性矛盾

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